第25話 母さんとのデート




 あぁ〜


 天気は清々しいほどの晴れ。気温は少し暖かめで僅かでも気を抜くと眠ってしまいそうなほど心地良い適温だと言えるだろう。


 俺は青々とした空へと顔を向けながら、陽射しを存分に浴びる。人間も光合成が出来たら等とくだらない妄想を膨らませてしまうのはご愛嬌。駅の時計塔の下の茶色いベンチに腰掛け、背もたれに大いに体重を預け、ぼーっと意識を散らす。


 気持ち良い。

 人間、何もしないのが1番楽で、あるべき姿だよね。


 今日は祝日、部活は休みだ。

 本当は家の自室の窓際で日光浴と洒落込みたいところだがそうもいかない。


 なぜ俺がこんなところにいるかというと、母さんとのデートのためである。この間拗ねてしまった母さんに約束したからな。俺は約束は守る男なのだ。


 母さんと俺は同じ家に住むのだから一緒に家を出ればいいと主張したのだが、母さんは『待ち合わせするっていうのが大事なの!』と力説し、その余りの勢いに気圧される形で意見を通されてしまった。母さんは先に待ち合わせ場所で待つつもりだったようだが、女の人にそんな真似をさせるわけにはいかない。無理矢理、俺が先に待ち合わせ場所で待っておく形で納得してもらった。これは男としての矜恃なのである。


 そんな経緯があり、母さんがやって来るまでこうしてぼーっと日光浴を楽しませて頂いている所存だ。

 本来ならば、有名ブランドの高級腕時計を片手に、お洒落なカフェでも嗜みながら、スマートにエレガントに待つ姿をお披露目するべきなのだろうが、生憎そんなキザな真似は苦手なのだ。まだ高校生1年生だしね。


「お」


 視線の端に、こちらに近づいてくる人影が写る。

 恐らく母さんだ。母さんは、今回のデートには気合いを入れているらしく、昨晩なんて遅くまで姿見の前で今日着ていく服を品定めしていた様子である。初デート前の彼女のようだ。


「母さっ……!」


 目線を逸らしながら気付いていない振りをしつつ、いきなり立ち上がり、初デート記念ということでサービスで抱き付こうとする。マザコンというなかれ。これは別に女として意識しているという訳ではなく、家族間の親愛の証だ。


 しかし、


「およっ?暇そうにしてたからいけるかと思ったけどもしかして脈アリな感じ?」


「え……?」


 俺に近づいて来たのは母さん……ではなく、1人の女性だった。目が覚めるような淡い金髪、それも芸術家が自ずから1本1本紡いだかのように美しい。当然ながら、惚れ惚れするような美女。前世ならばトップモデルとして天下を取れたであろう美貌。

 一拍、呆気にとられたのは仕方ないことだろう。しかし、俺はここで体勢を立て直す。


 んー……。


 またナンパか。

 飛び跳ねるくらい嬉しいし、普段ならこちらからお願いしてまで遊びたい程だ。が、しかし、今日は母さんとのデートなんだよね。それは全てにおいて優先されるべき事柄であり、約束を違えるのは許されないのだ。


「あ、すみません。人違いでした。人と待ち合わせしてるので今は遊べないです。また今度見かけたら誘ってくださいね」


 丁寧にお断りする。断るだけではなく、アフターケアも忘れない。第一印象とは、好印象を抱かせるのにあたって代用しがたい機会なのだ。

 それに、この世界にやってきてからというものナンパは1日に何回も経験するが、どの女性も簡単には引き下がってくれないのだ。何分も、時には何十分も粘って張り付いて来てしまうことがある。だから『また今度』と添えてお断りして、相手が諦めやすいように配慮しているのである。もっとも、それで引き下がってくれるような女の子は今までいなかったんだけど。

 もちろん可愛い子に言い寄って貰えるというのは感謝すべきことだしハーレムを目指す身としても願ったり叶ったりだろう。しかし俺にも予定というものがあるため、全てのナンパにホイホイ着いていく真似はできないのである。


 この女性のナンパを断るのも苦労しそうだ。


「そっかあ、それは残念。また今度遊ぼうね〜。それじゃあねイケメン君」


「え?」


「なんであなたが驚くの」


 けらけらと人当たりが良さそうな笑顔で疑問符を口にする美女。そんな姿も様になっていて、有名な女優なのかと疑わざるを得ない。


「……あ、いえ。その、余りに簡単に引き下がるものだったので」


 前述したように、遊びのお誘いに断りを入れたとしても女性は渋る。それが当たり前で、この世界の日常なのだと考えていたんだけど。

 それが、この目の前の女性はどうだろう。


「んー、他の人と待ち合わせしてるのに無理やり連れてったら可哀想でしょう。私は男の子は大好きだし遊びたいけど、それ以上に大切にしたいのよ」


 ブロンド美女は相変わらずの可憐な笑顔を浮かべ、そう告げる。

 その時気が付いた。この人は明らかに俺と距離を取っている。大抵の女の子はグイグイと距離を詰め、鼻先が触れそうになるまで近付こうとする。対してこの人は、意識的に俺と間を空け、俺に恐怖を与えないように心配りをしているのだ。

 その考えに至った時、彼女の目線が、声色が、姿勢が、全ての一挙手一投足が俺に配慮したものである事実を悟った。


 その瞬間、青空を背景にしたこの女性が途轍も無く壮麗に感じられて、心が震えた。


 これはハーレムを目指す者として見逃せない。稀有な人材だと言っていいだろう。この機を逸してしまえば、二度と出会わないかもしれない。今しかない。


「あ、あの!」


 この場を早々に去ろうと、踵を返す美女を急いで引き止める。


「ん、どしたの?」


「連絡先を、交換しませんか?」


「……私は大歓迎だけど、いいの?」


「はい。僕はあなたのことがとても気に入ってしまいました」


「っ!そ、そう。わかった、交換しよっか」


 人柄に感激して彼女の手を握ると少し驚いたようだが、最終的にニマニマとした笑みを顔に張りつけながら、快く了承してくれた。


 金髪美女と連絡先を無事交換する。

 彼女の名前は、近藤恵令奈こんどうえれな。年齢や職業は聞いてはいないが、いずれまたある次の機会に伺うとしよう。

 手を振りながら近藤さんと今度遊ぶ約束を取り付けて別れる。

 うん、こうした一期一会的な出逢いも大切にしなければな。


 俺は、俺が最低な行いをしていると自覚している。それでも俺はハーレムを目指すのだ。

 俺は人を愛すのが大好きだし愛されるのも大好きだ。自分を偽ることなく、愛す人に曝け出すというのはとても気持ちの良いものだ。それならば愛す人数も愛される人数も多い方が幸せであると俺は考えている。暴論だ、分かっている。でも、俺はハーレムを目指したい。

 なぜなら!




「男の夢ってのは、そういうものだろ?」




 俺君、さいてー。




* * *




「ジンちゃーん!」


 近藤さんと別れたすぐ後に母さんが到着した。正に紙一重というタイミングだった。なんなら母さんの視界に去り行く近藤さんが入っていたとしてもおかしくない。


 多少の冷や汗を流しながらも、母さんの服装に意識を向ける。


 白を基調とした生地に花柄をあしらったワンピース。その上に、灰色のテーラードジャケットを羽織り、大人気おとなげと無邪気を両立させたファッションだ。

 どこからどう見てもオシャレな女子大生にしか……。40歳を超えている筈だけど、どういう理屈だこれは。時が、止まっているのか?


「ごめんね!遅くなっちゃった!」


「ううん、全然大丈夫だよ」


 どうやら近藤さんの姿は見られていないようだ。よかった。女の子を何人も引っ掛けている俺が最低なのは嫌ほど自覚しているが、それでも母さんを大好きなのは本当だし、母さんを悲しませたいわけではないのだ。


「そ、そそれじゃあジンちゃん!デートに!行くよっ!」


 母さんはしどろもどろながらも、それはもう歓喜の色に顔を染め宣言する。

 この光景を目にして、一体誰が親子の関係だと思うだろうか。何処からどう見ても、美男美女カップルのデートなのだ。


「うん行こっか。じゃあ、はい」


 俺はふいにそう言って手を差し出す。少し照れるがこれは必須だろう。


「……?」


 母さんが理解出来ないと首を可愛らしく傾げる。フワリと揺れる髪が、甘い香りも加わって何とも艶めかしい。

 仕方ないな。


「デートなんだから手を繋ごうよ?ほら」


 焦れったくなった俺は、やや強引に母さんの手を取る。美女の手を握るなんて経験はまだ慣れないため手汗等が不安だけど。


「そおおおい!?い、いいんだね!?ジンちゃん、いいんだね!?」


 母さんの反応は相変わらず最高だな。

 この前の莉央ちゃんとのデートでは手を繋ぐまで頭が回らなかった醜態を終わってから大いに後悔したのだ。今回はそんなミスは犯さないぞ。


「いいよ。僕は母さんのことが大好きなんだから」


「だ、だだっ!?わた!私も!大好きだよ!なんならジンちゃんと結婚……もごっ!?」


 ……何を言い出すのかなママは。慌てて口を塞いで正解だった。色んな意味でアウトな発言だったぞ。倫理的にも外聞的にも非常にまずい。

 いや、別に嫌というわけではないんだが、息子にそれを言うのは前世の価値観が忌避するのだ。そう、嫌じゃないけどね?


「さ、母さん行くよ」


「むぅ……冗談だよ……」


 母さんは今の俺の行動が気に食わないようだ。頬に空気を溜め込み、『プクッ』と膨らませてる。

 そのリスのような愛らしい姿にワナワナとある欲望が芽を出す。俺はその欲望に従順に従い、母さんの頬を指でつついてみる。


「ぷすッ」


 何とも間抜けな音を出しながら母さんの頬から空気が抜けた。これはなかなかどうして形容しがたい爽快感がある。


「ん〜いい音」


「ジ、ジンちゃん!ばか!」


 口ではそう非難してくるが、見た所母さんはとても楽しんでいるご様子だ。

 周りにいる人たちは駅前でイチャイチャと捉えられてもおかしくない行動をしている俺たちを、というか母さんをむちゃくちゃ睨んでいる。そんな当の母さんはというと、何も応えていないようで『ふふん』と視線を返しているみたいだが。そうやって煽るのはやめなさい。


「じゃあこれからどこ行こっか?」


 俺は繋いでいた手の指を絡ませる。所謂、恋人繋ぎだな。その瞬間周りからの憎悪が高まったように肌で感じたが……まあ大丈夫だろう。いざと言う時なんて無いとは言い切れないが、母さんは俺が守るぞ。


「はう……わ、私に任せて。今日の為にプランを考えてきたんだよ!」


 おお、頼もしいな。じゃあ任せてみようか。本来なら男である俺がデートプランを提案するべきなんだろうけど、今世ではそうもいかないからな。女性の顔を立てるという面でもここは引き下がるのが吉だ。


「それは楽しみだね」


「うん!じゃあ行こっ!!」



* * *



 その後、母さんとはこれでもかと様々な施設に遊びに行った。どうやら母さんはこのデートのことをかなり楽しみにしていたらしく、プランを練るにも相当力を入れたらしい。本当に嬉しいことだ。


「ふふっ、大人の財力を見せてあげるよジンちゃん!」


 と意気込んで、高級レストランに出陣しお腹いっぱい料理に舌鼓を打ったのはいいものの、母さんの手持ちでは支払いが数百円足りず、さらにクレジットカードの有効期限が切れていたという事態に陥ってしまっていたため、結局俺がその分を支払った時には何とも言えない空気になってしまった。予想より料理の値段が張ったらしい。消費税って知ってるかい。母さんは顔を真っ赤にして俯いてプルプルと震わせていた。


 その後銀行に急行しお金を下ろし直した母さんは、


「つ、次はバドミントンしよっか!私こう見えて昔バドミントン部だったんだよ!そこそこ強かったんだよ!」


 そう得意げに胸を張っていた。

 そういうことなので、ボウリング場やゲームセンターなどの施設が一同に集まる複合施設に足を運んだ。


「ふふ、手加減してあげるから全力で来ていいよジンちゃん!」


 最初男である俺は手加減をしようと考えていたのだが、当の本人が自信満々にそう宣言するものだから、お言葉に甘えて全力でスマッシュを母さんのコートに叩き込んだ。


『ズパァンッ!!』


 初速に関して言えば、世界最速の球技とも称されるバドミントン。その名に恥じぬこと無く、今世のチートスペックの身体で、加減することなく打ち込んだシャトルは轟音を響かせながら母さんのコートに落下音を奏でた。


「……わ、私もちょっと本気出そうかな」


 『ごくり』と喉を鳴らした母さんは顔を引き攣らせながらも、気丈にそう呟いていた。冷や汗が頬を伝う姿が印象的だ。


 しかし、そんな強がりも。


『ズパァッ!』


「ジ、ジンちゃんもうちょっと優しく……」


『ドパッ!!』


「.....」


『ドゴォッ!!!』


「うぇ……うぇえええええん!!」


 調子に乗った俺に為す術なく瓦解し、三度スマッシュを打った時点で母さんはついに子供のように泣き出してしまった。


 ちょ、ちょっとやり過ぎたかもしれない。いい所を見せつけようとして、あろう事か母さんを傷付けてしまうとは。これが正に前世でオタクだった弊害である。女の子に華を持たせてあげるのは男の矜恃だろう。泣かせるなんて言語道断だ。


 そう心の底から反省した俺は、母さんの頭を撫でて頑張って、それはもう頑張って慰めた。


「わ、私弱くないもん……」


「うんうん母さんは強いね」


 そう、悪いのはこのチートスペックと付け上がった俺なのだ。母さんが手も足も出なかったとしても、それは仕方の無いこと。男女の価値観が逆転しているとは言え、身体能力の差はこの世界でも歴然。ことパワーに置いて、体の構造的に男性に優位があるのは間違いないのだ。


 その後も、母さんは色々あの手この手を使って格好つけたかったようだがことごとく失敗した。とにかく母さんがおっちょこちょいな性格である点と、余りに俺が高性能過ぎた点が原因だ。すんません。


 そして現在。


「うぅ……ぐすっ。私だってかっこいいって褒められたかったんだよ。私はこんなでもジンちゃんのお母さんだもん……」


「かっこいいかどうかはわからないけど、すごく可愛いかったよ母さん」


 待ち合わせ場所であった時計塔の下のベンチに戻ってきた俺は、座る母さんの頭を出来るだけ優しく撫で、精一杯の誠意をもって元気付ける。


「そ、そう?」


 お、少し嬉しそうだ。ここが勝負所か。初デートが悲しい気持ちで終わったら嫌だもんね。

 畳み掛けるように言葉を続ける。


「うん。さすが僕の母さんだよ、母さんの息子で本当によかったよ」


「ジ、ジンちゃん……」


「無理して格好つけようとする母さんも可愛くて好きだけど、俺はやっぱりいつもニコニコして俺を甘やかしてくれるいつもの姿が好きだな。そのままの母さんが、俺は大好きだよ」


 俺は母さんの髪を撫でつけつつ告げる。

 うーん、彼女ならまだしも母親を撫でるのは絵面的にどうなんだ?なんかこう、締まらない感じが否めない。俺はマザコンだったのだろうか。


「うぇ……ぐす。……ありがどうジンちゃん……こんないい子が生まれてきてくれて本当に私は幸せだよぉ……」


「大袈裟だよ、母さん」


「違うもん……」


 まぁこういうのも悪くは無いか。

 彼女でも母親でも、目の前の一人の女性を大切に扱う行為に差なんてある筈がないし、あってはいけないのだ。今はただ、この女性の事を想って、献身的に俺は俺を全うする。

 それがいい。



「あ、あれ!?仁!?母さん!?ふ、2人で何してるの!ずるい!」


 そんな時に、こちらを見て悲痛に叫ぶ黒髪の女性が1人現れた。この声質には聞き覚えがある。ありすぎると言ってもいい。


 あれは……姉さん、なぜここに?あーそうか、この駅は姉さんが大学通学に使っている場所だ。大学での用件が終わり帰宅する姉さんに偶然鉢合わせてしまったようだ。


「あ、茄林。え、えへへ。デートだよ」


「はい!?ちょっと、どういうこと!?」


「ふふんっ!羨ましいでしょ!」


 母さんと姉さんがわいわいと騒ぎ始めた。口を挟みたい気もするが、ここは静観を決め込むとしよう。


 俺を争う美女達を眺めるのは素晴らしいものだな。ぐへへ。

 という冗談はさておき、こう家族が仲睦まじい様子を見るのはとても心が安らぐ。異世界からの異分子である俺を家族として受け入れてくれているという実感が持てるからだ。俺は彼女達を騙しているようなものだからな。……せめて、もういない『前原仁』の代わり……いやそれ以上に彼女達を幸せにしたい。


 そう強く思う。


 未だに言い争う姉さんと母さんをぼんやりと見ながら、俺はそんな考えに耽るのだった。





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