第20話 2日目の終わり
入部が正式に決定したその日から早速練習に参加させてもらえることになった。
入部初日はとりあえず他の新入部員と同じ練習メニューをこなした。ストレッチ、学校外周のランニング、筋トレなど、基礎的な体力作りメニューだ。ここでも思うのはやはりこの体はリアルチートであるということ。筋力、柔軟性、持久力全てにおいて桁が違いすぎる。俺は前世では部活であれだけ筋トレを頑張ったというのに。助走をつけてフルスイングで前原仁くんを殴りたい。
ストレッチは二人一組でやるメニューが多かった。先輩が二人一組を作るように言った瞬間のみんなの行動の素早さには目を見張るものがあった。特に、先輩がメニューを言う前からクラウチングスタートの姿勢で準備していて、先輩が「じゃあ、ふたり……」と言った瞬間に俺の方にロケットのように飛び出してきた女の子が凄かった。それにはさすがに周りの数人の子達もビクッとしていたが。俺はクラウチングスタートの子の努力の姿勢に感動して、その子とペアを組んでストレッチをした。
俺が開脚をして、その背中をパートナーから押してもらい上半身を前方に倒すストレッチでは、その子はこれでもかと体全体で密着して俺の背中を押してくれた。胸の感触は形容できない素晴らしさであったとだけ。
「はぁはあ……前原きゅん、もっと?もっといけるの?す、すごいよ前原きゅん……」
と言いながらしてくれたっけな。息を荒くしながらそんなことを言うので俺も少し調子に乗ってしまった。お礼として、俺が背中を押す番の時はその子の真似をして体全体を密着させてあげた。
「はぁはあ!前原ぎゅん!ばだし、ごの素敵な日のこと、一生忘れないがらぁああああ!ぁあああ!!!!」
その子は泣き叫びながら柔軟をしていた。乱暴してるみたいになるから叫ぶのは辞めてくれ。俺は決して無理矢理やったわけではないんです、良かれと思ったんです。
ちなみに名前は聞きそびれた。
とまあ、そんな愉快な一幕があったが俺は初日の部活をなんとか終え、今は片岡先輩と帰路についている。部活の後、美少女の先輩と2人きりで帰り道を共に出来る日が来るとはな。感動ものだ。
夕陽の照りでオレンジに着色された先生の髪の毛はなんと美しいことか。絵画の切り抜きのようだ。
「いやあ、まさか前原きゅんが弓道部に入ってくれるとは思わなかったよ!私すごく嬉しい!」
俺より少し前を歩いている片岡先輩は振り返り手を後ろで組みながら笑顔で言う。夕陽を背景にしたその姿は幻想的といっても過言ではない。
正直言ってむっちゃくちゃ可愛い。今夜私室にお邪魔してもいいですか?
「前から興味があったんですよ。それより、その前原きゅんって言うのやめません?恥ずかしいです」
ずっと気になっていたのだ。きゅんってなんだよ。
「可愛いと思うんだけどなあ」
「それでもダメです。仁って呼び捨てでいいですよ」
「じーちゃんは?」
「勘弁してください」
まだお爺さんにになったつもりはないぞ。もっとも今の俺が年老いたところで、ダンディなイケおじが出来上がるだけだとは思うけど。
「あははっ冗談だよ、じゃあ、仁ね」
そんな他愛もない会話を交わしながら、駅で電車に乗り込む。片岡先輩も電車通学なのだ。俺は大学へ自転車で通っていたため、電車通学はひどく懐かしく感じる。
「じゃあ、仁も私のこと下の名前で呼んでよ!」
「すみれ先輩、でいいですか?」
「うん、いいよ〜ばっちり!」
指でOKマークを作り手を突き出してくる。
すみれ先輩は元気がいっぱいだな。いっぱいすぎてその辺にこぼれてるぞ。歳上なのに何処か妹のように感じてしまうのは、この人の性格故なのか、俺の前世の年齢故なのか。
しかし、それにしても……。
「すみれ先輩は、僕みたいな男と話してても全然緊張してなさそうですね?」
そうなのだ。今まで喋ってきた女子達は皆例外なく俺と喋る時はどこか緊張している風だったのに、すみれ先輩はそんな雰囲気がない。これには少々驚かされている。
「そんなことないよ!すごく緊張してるけど、なんとか顔に出さずにしてるだけ。昔から人と喋るのが大好きだったから、コミュニケーション能力は高いんだ私!」
薄い胸を張りながらすみれ先輩は言う。おっぱいの大きさは俺は気にしないぞ。大きくても小さくてもそれは素晴らしく、人類の宝であることは間違いないのだ。
「なるほど、そういうことでしたか。田島先輩とは真反対のようですね」
「奈々ちゃん?」
「はい、今日の朝、中川先輩と田島先輩と一緒に登校したんですよ。その時田島先輩がすごく恥ずかしそうに僕と話すもので。多分人と話すのがあまり得意じゃなかったんでしょう。悪いことをしてしまいました」
俺は頭をかきつつ苦笑いしながら朝のことを話す。そうあれは気の毒だった。終始ソワソワしていたからな。俺としては仲良くなりたいのだが、喋るのが得意じゃない人にグイグイいくのは悪手だ。じっくりと距離を縮めていくべきだろう。
「奈々ちゃんが恥ずかしそう?人と話すのがあまり得意じゃない?うーん?んん?」
しかし、すみれ先輩はあまりピンと来ていないようだ。その後もウンウン唸っていたすみれ先輩だったが、突然「わかった!」と手をポンと叩いた。
「なにがわかったんです?」
「うん、あのね、奈々ちゃんはね〜人と話すのは別に苦手じゃないんだよ?」
「そうなんですか?」
朝のどもり具合が凄かったからてっきり苦手なのかと。所謂『コミュ障』というやつだ。
「奈々ちゃんはね、むっつりなの!」
「……はい?」
この話の流れにそぐわない単語の唐突な参入によって俺の思考が少しフリーズしてしまった。一瞬俺たちの会話が止まる。
今すみれ先輩はなんと言った?かたつむり?
いや、『むっつり』と確かにそう言った。間違いない。
「それは、むっつりスケベという意味ですか?」
なんとか会話を再開させることができた。俺が思考を巡らせている間、すみれ先輩は律儀に待ってくれていたみたいだ。
「そっ!多分朝から仁に会って興奮しちゃって、その場で色々妄想しちゃったんだと思う。それで、恥ずかしがってたんじゃないかなあ」
なん……だと?それは確かなのか?そんな恥ずかしがり方が有り得るのか?
「そうなんですか?」
「間違いないよ。奈々ちゃんなら最初は緊張してても話してるうちに自然な感じになっていくもん」
衝撃の事実が発覚してしまった。あの金髪ショートカットの勝ち気な顔立ちをしてる美人の田島先輩が、会話をしながら本人を前にえっちな妄想を繰り広げていただと?そんなの、そんなの……。
ごちそうさまです。
その後も俺達は様々な話題で盛り上がった。人とのコミュニケーションが好きと宣言するだけあって、すみれ先輩との交流はかなり実りあるものとなった。
どうやら俺の最寄り駅の方が学校から近いらしく、電車で別れを告げ、今は駅から歩いているところである。辺りは少し薄暗くなってきたか。ぼちぼち街灯が点灯し始める頃だろう。
しかし、それにしても。
「可愛らしい人だったな」
頬を緩めながら呟く。
弓道部に顔見知りが居てくれて本当に助かった。心強いことは間違いない。明日からの部活もより頑張れそうだ。
決意を胸に空を眺める。数える程しかない雲。この先何処までも続くであろう空。
今日は決意の日だ。実は一昨日も昨日も、死ぬ時の鮮明な情景を夢に見て深夜に叩き起されている。『死』というものがそれだけ俺の心に深く根付いているということ。だから俺は自重しないことを選択して、今日入部を決意したのだ。
俺の2度目の人生は、まだまだ始まったばかりだ。
このオレンジ色の空に誓って、俺は人生を楽しみ抜く……って。
「……ちょっと暗いな。今何時だろ」
のんびりと家に向かって歩を進めていると、辺りが思ったより暗くなっていることに気がついた。
俺は時間を確認するためにスマホの電源をつける。
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新着メッセージがあります。75件。
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「え!?」
メッセージが75!?
思わず吹き出してしまった。一体何がどうなったら短時間でこんなに溜まるんだ?
恐る恐るメッセージの内容を確認する。
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母さん:ジンちゃん今どこにいるの?
母さん:帰ってくるの遅くない?
母さん:返事をしてジンちゃん
母さん:ジンちゃん?
母さん:お願い、返事して
母さん:やだ、やだやだやだやだ
母さん:
母さん
母さ
……
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……。
母さんの『母』の字がゲシュタルト崩壊しそうだよ。ちなみに姉さんや心愛からも似たような感じのメッセージが来ている。それで3人合わせて75件ってことか。
しまったな。部活で帰る時間が遅くなることを伝えるの忘れてた……。家まではもうすぐだし走れば数分で着くけど……一応連絡を入れておくか。俺は急いで母さんに電話をかける。
プルル……『もしもしジンちゃん!?無事!?無事なの!?』
1コールにも満たない時間で母さんが出た。待機勢か?余程心配をかけてしまっていたらしい。まぁ母さんの俺への溺愛っぷりは凄まじいからな。一度死の淵に立たされた息子だ。ただ、その中身が全くの別人だと分かればどうだろう。……考えないようにしよう。
「う、うん。ごめんね母さん。今日帰りが遅くなることを伝えておくの忘れてたよ」
『そ、そっか……はわぁああ……とにかく無事でよかった……』
いや本当に申し訳ない。
「本当にごめんね。急いで帰るから」
『うん、待ってる。気をつけてね?』
母さんとの電話を切った俺は小走りで家まで帰り、3人に泣かれながら抱きつかれた。事情を問いただされ、部活に入ったことを言うとまた色々言われたが最終的には3人とも納得してくれたようだ。
自室でベッドに寝転んだ後よくよく思い起こしてみると、俺の帰宅が遅くなったという事態は、前世で言うとむちゃくちゃ可愛い女子高生が夜遅くなっても帰ってこない、という図なのだ。しかも男の比率がとんでもなく高い世界で、だ。
そう考えてみると、あのメッセージの溜まり具合も納得できる。前世と今世の差異は知識としては分かっていても、いざ直面すると認識するにはまだ慣れない。
「ふう」
大の字に寝転びリラックスを堪能する。
それにしても、学校2日目も濃い1日だった。前世の1年分くらいの濃度だ。願わくば、この先もずっとこんな日が続けば。
「……さて」
疲れたし、ご飯とお風呂を済ませて今日はもう寝るとしよう。
明日から忙しくなるぞ。
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