秋風にたなびく池の水面より もれ出づる月の影のさやけさ
もう二度と逢うことはないでしょう。
小町からの言葉。
はるこの胸に突き刺さる。
だが、この原因は自分が作り出したし、そもそもその原因は小町だ。
小町とはるこの住む世界は違う。
どのみち、いつかはどちらかが悲しい思いをするだけだ。
「そう。悲しい思いをするだけなんや。私なんかが案内せんでも、小町さんならもっと優秀なガイドさんに頼めばええやろうし。」
何より庶民すぎる自分が悲しい。
大好きな小町と何一つ釣り合わない自分が悲しい。
「逢った方が悲しいだけや。」
「もう逢わない方がいいのだわ。逢ったら自分が悲しくなるだけ。」
小町は自分の部屋の窓から外の世界を眺める。
はることは所詮、住む世界が違う。
自分は特別視され、決してはるこの気持ちなど分かりはしない。
「はるこは、私より普通の友達と遊んだ方が幸せなのよ。」
どうして自由も何もないこんな家に生まれたのか。それがただ悲しい。
大好きなはること何一つ共感ができない自分が悲しい。
「でも、本当に悲しいって何なのかしら?」
「元通りの生活に戻ればお互い本当に幸せなんかな?」
「いいえ、愚問ね。」
「あほらし。お互い元の生活に戻るんが一番ええんや。」
夏は過ぎゆき。
9月。野分の候。
そしてそれは月が美しく見える季節。
はるこは下校中、店屋の前に貼ってあるポスターを何気に見た。
清水寺 夜間拝観。
「そっか、そないな季節になったんやなぁ。夜の清水寺なんか行ったら、小町さんは喜ぶやろうな。」
そしてその後、はるこは自分の愚かな言動を恥じた。
夜の清水寺で逢うなどと。
そんなつまらない行事に小町を誘うなんて。
喜ぶ?
あの令嬢の小町が?
庶民の楽しみをわかるわけがない。
二人で逢って京都を巡ったときの小町の顔を思い出してみたらわかる。
自分の顔を思い出してみたらわかる。
「・・・変やな。ずっと笑ってた気がする。小町さんは時々怒ってたけど。なんて言ってたっけ。」
はるこは五条の坂のふもとから清水寺を見上げる。
こんな距離では清水寺はもちろん何も名所など見えはしない。
だが。
「清水寺の四季の色。三条の町の美味しい色。下鴨神社の悲しい色。全部見える。小町さんとなら。小町さんがいないと。」
本当に悲しいとは何か。
下鴨神社では何故、小町は泣いていたのか。
きっとそれは。
はるこはそう思うと次の日の放課後、小町の制服の学校の校門で待っていた。自らの学校を変な理由をつけ早退してまでも。
清水寺で待っていたように。
メールでの連絡などはせずに。
しばらくして、小町が校門から出てきた。隣には同級生らしい少女がいる。
「小町さん!」
「・・・はるこ?」
はるこに気づいた小町は目を丸くして見つめたが、すぐにふいっと逸らした。
そして隣の少女の手を取って繋ぐと、そのまま行こうとした。
はるこは少し心が痛くなったが、それでも小町に届くように叫ぶように何度もこう言った。
「小町さん、大覚寺で私はいます。ずっといます。だから、大覚寺で・・・いえ・・・清水寺で逢いましょう?」
清水寺で逢いましょう。
そう何度も。
そして、その後ようやく待ち合わせの時間と場所のみメールでの連絡したのだ。
「あの子、何か言ってるけど。いいの? 橘さん。」
「・・・いいの。あんな子。私と釣り合わないもの。一緒にいたって何も楽しくないもの。何も。」
何も。
楽しくない。
それはいつの時の話だろうか。
小町は送られてきたメールをじっと見つめたのだった。
17時30分。
大覚寺で。
はるこは少し肌寒い夕暮れの中、ずっと小町を待つ。
この間まで明るかった時間帯だが、今はすぐ夕闇が訪れる。
闇は人を不安にさせるというが、本当にその通りだとはるこは思った。
今まで、小町と別れる時はまだ明るかったから。そんなこと思わなかったのに。
「・・・貴女、ずっとそうして待っていたの?」
聞き覚えのある声がする。
はるこは震えながら振り返る。この震えは秋の夕闇の寒さのせいではない。
「面白い子。全く笑えないけど。」
「逢えた・・・。また逢えた・・・。」
はるこは思わず小町に抱きついた。
小町はしばらく抱きしめられるままに立っていたが、スッとはるこを引き離した。
「あの・・・どうして、ここに・・・きはったん・・・ですか?」
「どうしても何も、 “清水寺で逢いましょう” と言ったのは、はるこよ。あれからずっと気になっていたの。逢える確証はないのにね。馬鹿みたいだけど、来てしまったわ。」
「おおきに・・・ありがとう。」
「どうしてお礼を言うの?お礼を言うのは・・・いえ、何でもないわ。で、何をするわけ? 呼び出したからには何をするか考えているのでしょうね。私を呼び出して何をするつもりだったの?」
「月を、一緒に観ませんか?」
はるこはそう言うと満面の笑みを小町に向けた。そして小町の手を取り引っ張って走り出す。
「ちょっと!? どういうこと? 何をしに行くの!?」
「ええから、ええから。行きましょ!」
全くもって、はるこのしたいことがわからない小町だったが、どういう訳か彼女もまた微笑んでいた。
はるこに連れられて着いた先は、大沢池。
そこには龍の顔がついた舟が浮かんでいた。暗闇に浮かび上がる舟の提灯の灯り。
平安時代にタイムスリップしたような景色。
「観月の夕べって言うて、月を眺めるんです。綺麗でしょ?」
「かんげつのゆうべ。」
小町は口を開けたまま、夜空を見上げると黄金の月の光が水面を照らしている。
そして、その水面には。
「月がふたつ。空にひとつ、水面にひとつ。ふたつあるわ。」
「あ、ほんまや。月が水面にも映ってますね。私、誘っといて何も気い付きませんでしたわ。」
「月って、ひとつだとずっと思ってたけれど。ふたつ存在するのね。知らなかった。今まで、知らなかった。ふたつあると、ひとつよりずっと明るい。ひとつよりずっと綺麗。」
「小町さんってやっぱり難しいことを言う人ですね。」
「難しくないわ。知らなかったことを言っているだけ。」
そう言うと小町は、ゆっくりとはるこの方を向いて微笑んだ。
月の光を受け微笑む小町の美しさは何にも例えようがない。
ただただ、はるこが見惚れていると、小町は散歩がしたいとはるこの手をとって歩き出した。
街灯が照らす道を歩く。途中、夜店もあった気がするが、はるこには小町しか見えていなかったし、小町もまた同様だった。
少し喧騒から離れた場所で小町は立ち止まる。そして木々の隙間から見える月を眺めた。
「小町さん、その・・・ごめんなさい。私・・・本当に馬鹿なことを。本当に楽しいことがわからなんで。今、やっと気づいたんです。」
「私もよ。普通を探してたし、普通がわからなかったけど。普通って探すものじゃないのね。私とはるこは、こうしてることが普通なの。普通なんてそんなものだったのね。私はこの普通が楽しい。」
「小町さんの言うことは抽象的すぎてようわかりませんが、今が楽しいって思うてくれて。幸せです。」
小町ははるこをじっと見つめた。
そして、彼女の頬に手を添えると顔を近づけた。
「はるこ、月が・・・きれいですね。」
「え・・・?」
急に何を?
そう言いかけた時、はるこの唇は塞がれた。
「ん・・・っ。」
目を開けていいものか、駄目なものか。はるこがぎゅっと目を閉じていると、小町はゆっくりと唇を離した。
そしてまた、じっとはるこを見つめる。
月さえも吸い込んでしまいそうな深い瞳の色。
小町ははるこの頬をなぞるように撫でた。
「はるこ、お願い。もう何処にも行かないで。お願い。これからも私と逢って。お願い・・・清水寺で逢いましょう?」
キスをされた。
見つめられた。
何処にも行かないでと言われた。
そんなこと後回しだ。
ただ、はるこが一番今思うことは。
「私も同じです。小町さん、これからもずっと。清水寺で逢いましょう。」
そして二人、月が綺麗な夜に泣きながら抱きしめあったのだった。
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