通り雨 雲のかよひ路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ
「この前は街だったから、自然のあるところに行きたい。」
小町が別れ際にそう言ったものだから、はるこは悩みに悩んだ挙句にここに来た。
「下鴨神社です。」
「しもがも。」
すれ違うのは少しどうかと思う、と二人はやっとスマホのアドレスを交換したのだ。
だが、それは待ち合わせのやり取りだけでプライベートなことは一切連絡しないという暗黙の了解があった。
「大きな神社ね。木々もたくさん。」
「有名なんですよ。」
「そうなの?小川もあるのね。」
「葵祭の斎王さんがこの川で身を清めるんです。なんかその他にも色々行事があるみたいですけんど、とりあえず綺麗にするところですわ。」
「あおいまつり。」
「まさか、これも知らんのですか?」
「それくらいは知ってる。ただここでそんなことをしていたのは知らなかった。」
「まぁ、そないなことあまり知っていてもどうってことないんですけどね。」
「そんなことないわ。私、少しでも知りたい。沢山のこと。」
小町は水の上にある社を見ながら言った。そんな彼女の顔を見て、はるこは思い出す。
「そういえば、みたらし祭りってありましてな、火を灯した蝋燭を持ってこの池に浸かりながらお社に供えるんです。一度行ったことがありますけど、夜なんでとても綺麗でしたよ。」
「きっと、幻想的なんでしょうね。行きたいわ。」
「あぁ、そないやったら連れて行けばよかったです。つい最近終わってもうたから。また行きましょ?」
「また?私は行ってないわよ。」
「あ?え?あぁ、これ標準語やないんかな?次は一緒に行こうって意味になるんかな。」
「また。そうね。私はまた今度、貴女と一緒に行きたい。貴女と見るその景色はきっと何より美しいものになるでしょうね。」
「橘さん・・・。」
「小町でいい。今なら許す。」
これは、良いことと受け取るものだろうか。自惚れだと恥ずかしいけれど。
はるこは、下を向きながらも口元が緩む。
「さ、早く連れて行って。はるこ。」
「はい!行きましょ、小町さん!」
二人は境内を歩きだした。
「小さなお社がたくさん。きっとそれぞれに神様がいて、それぞれにみんなの想いが詰まっているのでしょうね。」
「小町さんって時々、文学的なんですね。」
「そうかしら?そういうのが不思議だから言ったの。私は、クリスチャンだから。でも、色々な神様は知りたいと思ってる。」
そう言われて、はるこは思い出した。最初に出会った小町の着ていた制服を。
「そういえば、小町さんの制服。ミッション系の女学校でしたよね。確か。」
「ええ、よく覚えているわね。」
「はい。有名ですから。お嬢様が通う学校で。」
「お嬢様ね・・・あの制服を着ていたら、きっとみんなにはそう見られているのね。」
「あ、何かあかんこと言ってしまいましたやろか?」
「いいえ。貴女は何も悪くないから。それよりもっと、しもがもを見せて。」
小町は、お嬢様という言葉を何より嫌っているようだ。
やはり、彼女は。
いいや、小町の嫌がることは考えないようにしたいし言わないでおこう。
はるこはそう思って、何もなかったように下鴨神社の案内を続ける。
「これ、相生社です。」
「あいおい。何の神様なの?」
「縁結びです。下鴨神社はこのご縁で有名なんですよ。あの木を見てください。二本の木が一本に結ばれてますでしょ?」
はるこの目線の先には連理の賢木が祀られていた。
小町は感嘆の声をあげる。
「不思議。ここには不思議がたくさんある。」
二人はお参りする。
そこで熱心にはるこが願い事をしているようだったので、小町は彼女に問いかけた。
「何をお願いしたの?誰との縁を願っているの?」
「小町さんこそ。」
それを聞いた小町はしばらく考え込んだのち、微笑む。
「多分、はること同じよ。多分。」
「だとええんですが。」
「だと・・・ええわね。」
夏。
蝉の声が糺の森から聞こえる。
二人は森を特に会話が弾むでもなく歩く。
森の中は都会よりも少し涼しく感じた。
「森は久しぶり。」
「そうなんですか?」
「ええ、いつぶりかしら。昔、父と別荘の近くの森を歩いた気がする。」
「別荘?軽井沢とかですか?」
「いいえ。海外。どこだったかしら。どこの国の別荘に行った時かしら。もうそれすらも思い出せないほど昔ね。」
それほど海外に別荘を持っているというのか。
小町はもしかしたら、こんな庶民の自分といてはいけない人なのではないだろうか。
はるこは少し不安になった。
「でも、もう父となんて歩きたくない。私はずっとはること歩いて沢山の色を見ていたい。」
「小町さん・・・?」
「夏ね。他に比べて涼しいとはいえ、やっぱり暑い。」
「あ!カキ氷食べまへんか?」
「かきごおり。貴女好きね。また食べるの?」
「何度食べてもええですやん!」
「何度も。私、ずっと食べててもいいのかしら。」
「何を言ってるんですか?ずっとって、そないに食べたら頭が痛とうなりませんか?」
「そういう意味ではなくて。いえ、何でもないわ。気にしないで。」
小町は、はるこに案内されるまま、森の中にある茶房にやってきた。
そこでカキ氷を頼む。
座りながら森を小町は眺めた。
「不思議。こんなところでカキ氷が食べれるなんて。」
「何か、色見つかりましたか?」
小町はゆっくり首を振る。
「たくさん知ったし見た。どれがどの色だろう。」
「まぁ、今日はこれとか決めん方がええんかもしれませんね。」
小町はスプーンを置いた。
そして、はるこをじっと見る。
小町の瞳は不思議なもので、見つめられると吸い込まれそうになる程の深い色。
「小町さん、どないしはったんですか?」
「はるこは私と一緒にいて楽しい?」
「え・・・?」
急に核心をつかれることを言われ、はるこは少し戸惑った。だが、こんなところで誤魔化して、これからも誤魔化した関係にはなりたくない。
「楽しいですよ。小町さんと逢えて、色々なところに行けて。私は楽しいです。逢えてよかった。そもそも私、こないなことになるって思うてなかったですし。今、とても楽しいです。」
「よかった。」
「小町さんは?」
「楽しい。多分そういう感情になるのね。私、こんな気持ちになるのは初めて。はるこは、私に初めてをたくさん教えてくれるのね。」
「私だって初めてです。」
「何が?」
「何ていえばええんですかね。ようわかりませんが。」
小町はカキ氷をスプーンで掬うと、はるこの口の前に持っていく。
「あげる。」
「え?」
「口を開けて。あげる。」
「食べさせてくれるんですか?」
「そう。今度は私があげる。こういうの幸せっていうと思うの。私だって幸せになりたい。」
はるこは恐る恐る口を開けた。
小町は手を添えながら、カキ氷をそっとはるこに食べさせる。
カキ氷はすぐに溶けていったが、多分この味は一生忘れないだろうと、はるこは思った。
「幸せ。」
「小町さんは何も食べてはらへんでしょ?それは私の感情ですよ。」
「いいえ、違う。私は幸せなの。はるこも幸せ?」
はるこは頷いた。
「じゃあ、二人は幸せなのね。」
「そういうことになると思うんですが、あまり言葉にせんでもええと思いますよ。」
「そうなの?」
「幸せってそういうもんですから。」
小町はもう少し森を一緒に歩きたいと言ったので、また二人は糺の森を歩いた。
風が先ほどより生暖かい。雨の匂いが微かにする。
「雨が降るんちゃうやろか。」
「あめ。」
はるこの予想は的中し、帰る間も無く雨が降り出した。
夏の雨。
それは急に、激しく降る。
「あー!はよ、向こうに帰りましょ!!」
「・・・・・・。」
だが、小町は黙り込んで動かない。
「小町さん、濡れてしまいますよ!はよ帰りましょ。」
はるこは、そう言って小町の手を引っ張るが、それでも小町は動かない。
「小町さん!」
「帰りたくない。」
「そないなこと言われましても。これじゃあ・・・。」
そう言いかけてはるこは言葉を失った。言葉どころか動きもできない。
「こまちさん・・・?」
小町は、はるこを抱きしめていた。強く。この雨よりも強く。
「帰りたくない!ずっといて。ここにいて!」
「でも・・・雨に濡れて・・・。」
「そんなことどうでもいい。私は雨の色が知りたい。こんな悲しい色嫌よ。雨の色が幸せになるまでずっといて。私、帰りたくない。あんな家、帰りたくない。」
小町は一向に離してはくれない。
はるこは振り払うこともできない。
雨は止まない。
でも、夏の雨なんてすぐに上がる。
通り雨だから。
この雨が止んだなら、すぐに小町の気持ちも落ち着いて何もなかったように晴れ上がるのか。
それなら、止まなくてもいいものを。
でも、夏の雨なんてすぐに上がる。
「・・・小町さん、雨。止みましたよ。帰りませんか?」
「あがってしまったの?」
「多分。」
小町は力が抜けたように、スッとはるこを離した。そして彼女の両手をとりこう言った。
「ごめんなさい。私のせいで、こんなに濡れてしまったわね・・・。ごめんなさい。」
「そないに謝らんといてください。謝る小町さんは見とうありません。」
「こんな状態じゃ、貴女、家にも帰れないわね。私の家に来て。そこで着替えて帰って。」
「え!?そんな!!いいですよ!!」
「いいの。もういいの。ちょっと待ってね、電話して車を呼ぶから。」
小町は何やら電話をしている。
だが、片方の手はずっとはるこの手を繋いでいた。
しばらくして。
森を出た道路に車が止まる。
テレビで見たことしかないような、黒の高級車。
そこから一人の男性が降りてきた。
「お待たせして申し訳ありません、小町様。」
「遅い。」
「小町様、どうなされたのですか?このように濡れてしまって。隣の方は?」
触ろうとする男性の手を振り払うと小町は車に乗る。
「余計なことは言わないでっていつも言っているわよね。この子は私の大事な子。一緒に家に連れていってちょうだい。」
そう言って小町は、はるこの手を引っ張ると車に乗せた。
「あ、あの・・・小町さん、私は。」
「いいの。このままいてちょうだい。」
車が走り出したが、二人は黙り込んだままだった。
何を話していいのかもわからないし、どういう状況かも今ひとつ分からない。
はるこが窓の外を眺めていると高級住宅街に入ったらしく大きなお屋敷が並んでいた。
その中の一角で車が止まる。
ドアを男性が開け、二人は降りた。
「行きましょう。」
「あ、え、え?」
小町に連れられるまま、はるこは歩く。
途中、庭師のような人に何人か会ったが皆、小町に会釈する。お帰りなさいませと声をかける人もいた。
そして家へとたどり着いた。
家というよりお屋敷といった方がいいのかもしれない。
所謂、豪邸である。
小町がドアを開けて中に入ると、女中が何人かいた。
そして皆、一様に頭を下げて言うのだ。
「お帰りなさいませ。小町お嬢様。」
と。
「こ、小町さん、これはどういう・・・?」
小町はちらりとはるこを見たが、目線を逸らしてこう言った。
「はるこ、橘グループって知ってる?」
「え?あの世界中にホテルとか娯楽施設を持っている有名な橘グループでしょうか?」
「そう。」
橘グループ。
ホテルチェーンを基盤として、娯楽施設、百貨店を展開するグループ。
初めは国内だけではあったが、海外進出もはたし、今や世界の誰もが知る一流企業となっていた。
「もしかして、小町さん・・・。」
「私、橘グループ代表取締役社長の一人娘なの。黙っていてごめんなさい。」
恋焦がれる人。
一緒にいて何よりも楽しい人。
いつも逢う約束をしてくれていた人。
彼女は、住む世界はおろか何もかもがはること違う少女。
清水寺で逢いましょう。
そんな言葉などかけてはならない少女だった。
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