ひとはいさ心も知らずふるさとは 苺ぞ昔の香に匂ひける

三条大橋。

はること小町の今回の待ち合わせ場所はそこだった。


「すんまへん!待たせてしまいましたか?」


三条京阪のある地下から慌ててはるこが階段をかけのぼって、小町の元へと走った。


「いいえ。今来たところ。」

「あれ?橘さんはどうやって来はったんですか?」

「車で送ってもらった。」

「じゃあ、ご家族の方にご迷惑おかけしたんやろか・・・もう少し橘さんの行きやすいところに・・・。」

「何を言っているの?車は家族が運転するものじゃないでしょ?」

「は?」


はるこは意味が分からず固まったが、小町は気にせず話を続ける。


「貴女も出かける時は運転手がいるでしょ?迷惑とかないわよ。それがその人の仕事だもの。」

「う、うんてんしゅ・・・?」

「いないの?じゃあ、誰が運転するの?」

「あ・・・ち、父が・・・運転しますんやけど。」

「あら、お父様は運転手のお仕事をされているのね。」

「いや・・・そうではないんやけども。」

「じゃあ、どういうことよ。」

「いえ・・・なんでもありまへん。」


運転手が車を運転する。

それはそうだけれども。

やはり、小町はどこか世間とずれている。もしかしたら彼女はとんでもなく・・・。


「ねぇ、今日は何色になるの?」


ぼんやりと考え事をしていると、急に小町に話しかけられて、はるこは我に帰る。


「うーん。そやなぁ・・・街の色?」

「まち・・・。」


そう言うと、はるこは小町の手を引っ張ると街中へ繰り出した。

小町は引っ張られる自分の手を見た。

馴れ馴れしくしないでほしいと振り払おうかと一瞬考えたが、やめた。

ここで突き放したら、元に戻ってしまう気がしたからだ。


「私も、変わらないと。」

「何か言いはりましたか?」

「いえ、別に。」


着いた先は商店街。

「何?ここ。お店がいっぱい。」

「寺町京極商店街。ちょっと歩きますか?」

「しょうてんがい・・・?」

「ま、まさかこれも知りよりませんの?」

「知っているような。知らないような。ごめんなさい。私、あまりテレビは見ないから。」


いや、商店街はテレビを見なくても分かるだろ。


という疑問は、もう小町には問わないでおこう。

はるこは、そう思った。


「ねぇ、この五月蝿いお店は何?」

小町はカラオケ店を指して言う。少し嫌な顔をしながら。

「え、カラオケですやん。」


首を傾げたまま小町が突っ立っているので、もう何でも好きなだけ聞いてくれと半ば自暴自棄になりながら、はるこは答える。


「音楽だけが流れて自分で歌うんです。」

「・・・それって楽しいの?お金を払ってまですることなの?」

「元も子もないこと言わんでください。楽しいですよ?入ってみます?」

「遠慮しておく。これに価値を見出せない。」

「さ、さよですか。」


その後も小町は歩いては止まり、これは何だの何をしているのだのずっと聞いてくる。

小町は今までどうやって生きてきたのか。

ずっと家にいたのだろうか。

そうとしか思えない言動である。


「街って五月蝿いのね。」

「あ、嫌でしたやろか?こないなところ連れてきてしまって。」

「いえ、楽しいわ。こんな賑やかな色なんて知らなかったから。普通の人はこうやって過ごしていたのね。」

「橘さん・・・?」

「気にしないで。それより、暑いし少し疲れたわね。どこか座るところないかしら?」


今は初夏だ。

確かに蒸し暑いしどこか涼しいところで座りたい。

折角、小町と一緒なのでそれっぽいことをしたい。

それっぽいとはどういう意味かは、はるこ自身もよく分からないが。


小町と一緒にいたい。小町と笑って話したい。

仲の良い友達のように?

恋人みたいに?


「ようわからんけど。」

「どうしたの?」

「あ、独り言なんで。それより、美味しいケーキと紅茶、飲みはりますか?」

「あら、この街にもティールームがあるのね。」

「てぃ、ティールーム?何やようわかりませんが、まぁそんなもんですわ。行きましょ!」


そう言って、はるこは京都市民の中では割と有名なカフェへと小町を連れてきた。

やはり小町は訝しげな顔をしていたが、無理矢理店内へと押し込んだ。


「おかしいわ。」


メニューを見つめながら小町は顰めっ面で言う。


「どうしてティールームにカレーなのよ。どうして和風ハンバーグがあるの?」

「いや、カフェですから。軽食くらいあるに決まってるやないですか。」

「そんな馬鹿なことあるはずがない。確かに軽食はあるけれど、私の行きつけのロンドンのティールームでは、もっと・・・。」

「ロンドンやかなんやか知りませんけど、ここは京都のカフェなんですから、そないなこと言われても。大体、橘さんはロンドンやのうて、京都のことが知りたいんですやろ?」

「そ、そうだけど。でも、和風ハンバーグはちょっと違う気がするの。」

「もうよう分からんから何でもええですよ。それよりケーキ食べましょ?」


小町がうんうん唸ったまま動かなくなってしまったので、はるこはメニューを奪い取って適当に頼んだのだった。

小町はやはりどこぞのご令嬢だ。しかもかなりの世間知らずの。

はるこは、そうに違いないと考えた。


「いちご。」

「ストロベリータルトと紅茶は・・・何でしたっけ?」

「アールグレイ。この香りは。」

「あ!それですわ。」


小町は、タルトをフォークでツンツンと突いたあと、一口食べた。


「どないですか?」

「意外と美味しい。」

「よかった!」


はるこは安心したのと美味しいと言われて嬉しかったという気持ちが混ざり合って、心から微笑んだ。

その顔を小町はじっと見る。


「どないしはったんですか?」

「楽しそうだなって思って。」

「あ、すみまへん。私が楽しなってもしゃあないですね。」

「いえ。いいの。きっと誰かと居て楽しいってこういうことね。きっといちごの色みたいに。貴女はいつもこの色を見ているのね。私は、何も知らない。知らないことが多すぎて虚しい。」


はるこは黙り込んだ。

小町の言うことはやはり抽象的で何かは掴めない。

だが、彼女にはそんな悲しい顔なんてしてほしくない。


「でも、橘さん。でも、今この色を見つけたやないですか。他のも知らなかったら、知りに行けばいいだけですやん。」

「・・・そうね。ごめんなさい。あまりにも情報過多で。少し追いつかなかっただけ。気にしないで。」

「そうや!橘さん、これを食べ終わったら、鴨川の河原に降りてみませんか?」


はるこが微笑むと小町は少し寂しそうに頷いたのだった。


それから二人は店を後にして、三条大橋の階段から河原に降りた。

そして、他の人に倣って等間隔を開けて座る。


「鴨川。」

「近くで見てみたかったんですよね。」

「ええ。私、みんなと一緒になりたかったから。でも駄目ね。今も私、川の色が分からない。みんなどういう色に見えているのかしら。」


それを聞いて、はるこは小町の素性が少し知りたくなった。

こんなこと聞いては駄目だとずっと聞かなかった。そんな関係ではないから。

だが、今は少しでも小町の気持ちを知って寄り添いたかった。


「あの、橘さん。」

「何?」

「橘さんは、もしかしてどこかのお金持ちのお嬢様なんですか?」

「どうしてそんなこと聞くの?」

「いえ、ただ・・・。」

「私があまりにも何も知らないから?」

「あ、その・・・気ぃ悪うしたらすみまへん。その・・・。」

「詮索するのはやめて。」


小町の言う通りそんなことする間柄でもないし、自分だって興味本位で言われたなら嫌だろう。

どうしてそんな軽率なことを言ってしまったのだろうか。

今、彼女にハンカチを返すべきなのかもしれない。

そう思っていると、小町はじっとはるこを見つめていた。


「貴女のいう通り。そういうのが所謂、世間知らずのお嬢様に映るのかもしれないわね。それ以上の素性は言いたくないけれど。でも、一つ言えることは。そうね・・・やっぱり、私は普通の感覚と感情なんてないのだと思う。」

「橘さん・・・。」

「だから、少しでも教えてほしい。清水寺で見せてくれたような景色と世界を。教えて欲しいの。」


そう言うと、小町は両側を交互に見た。


「早速、教えて欲しいのだけれど。みんな何を馬鹿みたいに等間隔で座っているの?ここに座るにはそういうルールがあるの?」

「あ、いえ。ルールはないんですが、あまり近寄りとうないんじゃないですか?」

「どうして?」

「私にもようわかりませんけど、恋人の空間、作っとるんやないでしょか?」

「なにそれ?」

「いや、私もようわからんて言うてますやん。もう追求せんとってください。」

「貴女にも分からないことってあるのね。」

「そないに全部知っとる人間もいないでしょ。」

「そういうものかしら。貴女が言うからそうなのかも。」


小町は川の水面を見つめた。

夕日が反射して光り輝いている。


「綺麗。もしかしたら三条とやらは、いちご色なのかしら。」

「一気に可愛い街になりましたね。」

「不正解?」

「そんなみんな同じ色に見えとることはないでしょ。そう見えとったらそれでええんですよ。」

「そうかしら。」

「そうは思いますけんど。」

「少しつまらない。」

「えぇ!?」


小町はくすりと微笑む。

それを見たはるこは口を開けたまま止まってしまった。

もう彼女の素性なんてどうでもいい。なんでもいい。

ただ、彼女は美しい。

京都の名所が全て揃ったところで敵わないほどに。


「ここに恋人が並んで座ってるって言うけど。じゃあ、私たちも恋人になるの?」

「え?ええええ!?そ、そういうことには!!」

「でも、私はそういう景色も見てみたいものだわ。」


小町ははるこの手にそっと自分の手を重ねた。


指先からも自分の心臓の音が伝わってしまうのではないか。

はるこの胸はそれほどまでに高鳴っていた。

ちらりと小町を見ると、彼女は遠くをずっと見つめていた。その輪郭が夕日で輝いて見える。


「清水寺で逢いましょう。」

「え・・・橘さん?」

「答えは貴女がこれから教えてくれればいい。だから、また・・・清水寺で逢いましょう。」


何の答えなのだろうか。

恋人になってもいいかという答え?

ただの景色のこと?

はるこの頭がフル回転したところで答えは分からない。

ただ、はるこの思いは一つ。


「清水寺で逢いましょう・・・これからも逢ってください。」


小町は、はるこに添えていた手をぎゅっと力を入れて重ね合わせた。


鴨川に吹く風は少し生暖かい。


いちご色。


そう思うとはるこは、この景色と風が全て可愛く思えたのだった。

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