瀬を早み岩にせかるる鴨川の われても末に逢はむとぞ思ふ
「うーん、つまり。はるこは恋をしているんやね。とにかく美人やけどよく分からん相手に。」
たなびくカーテンから緑に色づいた木々が見え隠れする、季節は五月上旬。
はるこは学園の教室で頬杖をつきながら、友人の桜子と話す。
「桜子、どれもあっとらん。恋なのか分からんし、名前くらい知っとる。今度逢う約束もした。」
「じゃあ、いつ逢うん?」
「・・・聞いてへん。」
「連絡してみたら?」
「・・・聞いてへん。」
「・・・よう逢おう言うたね。」
確かにいつ逢うのかも明確に聞いていないし、連絡先も知らない。
でも、連絡先を聞いたらもう逢えない気がする。
二人はあの言葉だけで十分なのだ。
「これやったら、前と同じやな。」
季節は大体あっている。
もうここは毎日待つしかない。約束の場所で。
しかし、春の時より暑さが増している気がする。
それもそうだ。もう五月。京都ではもう暑い季節。
「あっつ。これからもしこの関係が続くんやったら、明確な日を聞かなあかん。」
「私もそう思う。気を遣うから。」
「・・・!?」
はるこは、慌てて振り返る。
橘 小町。
今日はスカートだ。先日はパンツスタイルだったのに。どちらも似合うけど。
いや、そんなことより。
「来てくれはったんですか?」
「逢おうって言ったから。いつ行けばいいか分からなかったけど。貴女はずっと待っていてくれたのね。」
「約束ですから。」
「そうね。」
小町は、はるこに手を差し出す。
「行きましょう?緑色の世界を見せて。」
はるこは微笑むと小町の手を手とって立ち上がった。
もちろん、小町は不愛想であったが。
二人は清水の門をくぐる。
そして、清水の舞台から街を見下ろした。
「緑色の世界だわ。季節が変わるとこんなに色が変わるのね。」
舞台は鮮やかな緑となった木々に囲まれる。
五月晴れの空。
真っ青な色と鮮やかな緑。時折、雲の白い絵の具を引きながら。
「清水は桜だけやないんです。この景色も綺麗でしょ?」
「えぇ。私、新緑の季節は知っていたけど、こんな色は知らなかった。」
そして、爽やかな風が二人に吹く。
はるこは、ちらりと小町を見る。
彼女には景色しか見えていない。
でも、はるこは違う。
貴女の唇のグロスの艶めきは、皐月の日の光より輝いて見える。
この新緑は、貴女の深い緑色のスカートが映える姿には劣る。
薫風よりも貴女の香りを漂わせて吹く風は爽やかで。
はるこには小町しか見えていない。
小町の見えている世界は鮮やかで、はるこの見えている世界もまた鮮やかだ。
「何?」
小町ははるこの視線に気づいたのか、怪訝そうに彼女を覗いた。
「あ、なんでもないですよ。気にせんとってください。」
「変なの。」
「せやけど、暑いですね。今日は一段と。」
「そうね。のども乾いてきたし。」
小町は手で自分を仰ぎながら言う。
はるこはその言葉を聞いて、あることを思いついた。
「お寺の中の茶店で一服しません?かき氷もあるんですよ。」
「かき氷・・・。」
二人は坂の途中にある茶店を訪れた。
「こんな古臭い建物・・・ちゃんとしたところでしょうね。」
「そないなこと言うたら失礼ですよ。ちゃんと営業してますで。」
確かにメニューの看板にはかき氷が描かれてある。
「橘さん、なんにします?」
「私、あまりこういうの食べたことなくて。」
「え!?ないんですか?」
「遠い昔に食べたような、ないような。」
少し思っていたが、小町はどこか浮世離れしている。
「じゃあ、ちょうどいいですやん。定番の苺にしたらどうですやろ。甘くていいんでないでしょか。」
小町はうーんと唸った。
「それ、定番なの?じゃあ、それにする。」
「で、どうして、あなたは白と小豆色の物体なのよ。」
「え・・・?ミルク金時ですか?私、甘いもんが好きなんです。」
「人に苺を押し付けておいて。」
「・・・すんまへん。でも、それも美味しいと思うんですが。」
小町は不満げに口にする。
「・・・結構いけるかも。」
「でしょ?そやからいうたんです。」
「でも、そこまで甘くない。」
小町はむすっとして、はるこのかき氷をじっと見つめる。はるこはそれに無言の圧迫を感じた。
「あ、あの・・・これ、食べてみはります?」
言葉にするのが嫌なのか無言で小町は頷いた。
「ほな、どうぞ。」
はるこはかき氷を差し出す。すると小町はまたむっとした。
「私のスプーンで食べたら味が混ざるじゃない。」
「は?」
「私は、このピンクの食べ物を食べているの。貴女は白と小豆色。混ざるじゃない。嫌よ。」
「・・・・・・。」
「何よ。」
小町の言うことは時々おかしい。それも浮世離れの一環だろうか。
はるこが考え込んでいると、小町は机を指で小突く。
「早く、私の口に入れて!!」
「は?」
小町は何を言っているのだ。さらにはるこは混乱する。
「なんでですか?」
「私、どういう比率でその白いのと小豆色の物体を混ぜればいいのか分からないからよ。」
やはり、小町の言うことは時々おかしい。
「早く、黄金比で入れて。」
「へ、へえ。それでいいんなら。」
はるこは小町の言うところの黄金比で、これまた小町の言うところの白と小豆色の物体をスプーンに乗せる。
「口、開けてください。」
小町は髪の毛を耳に掛けながら机に乗り出して、口を開ける。
こんなの今時の恋人同士でもしない。
目を閉じて口を無防備に開ける小町の表情はやはり色っぽい。
小町には悪いが、下品な言葉を使うなら・・・発情しそう。
そんなことを悶々と考えていると、また小町は人差し指で机をコンコンと突く。早くしろという合図だ。
はるこは、慌てて、だがそうっと彼女の舌に黄金比のかき氷を乗せてみる。
氷が溶けて小豆だけが彼女の舌に残る。
小町は目を開くと目線を上にして、舌に残ったミルクと小豆を味わっている。
「ど、どうでっしゃろ?」
「騙したわね。こっちの方が甘いじゃない。ずるい。」
「す、すんまへん・・・。」
罰ゲームにも似た茶屋での一休みを終え、小町は時計を見るとうーんと唸る。
「どうしはったんですか?」
「早くに来たから、まだもう一か所回れそう。どこか近くでいいところないの?」
確かに時間はまだ早い。
どこだろう。
「高台寺?うーん、少しちゃうなぁ。今の季節で見ごろなんは。」
「見ごろなんは?」
「あ!智積院。」
「ちしゃく・・・いん?」
「東山七条の。」
「そんなこと言われても分からない。連れて行って。」
かくして二人は智積院へと向かった。
バスでは二駅でそれほど遠くはないので、はるこは徒歩で連れていったが、小町は暑いだの遠いだの文句を言った。これから少しの距離でもバスを使おうと、はるこは反省した。
小町は類い稀なる美少女であり颯爽としたかっこの良い少女である。
誰よりも美しい。
だが口を開ければ、誰よりも高圧的で文句が多い。
初めて逢った時は、そんな人だとは思わなかった。
かと言って、嫌いにはならない。何が起ころうとも。
彼女は誰よりも鮮やかだから。
彼女がいなければ、はるこの世界は全て色を失う。
「ちしゃくいん・・・。」
二人は桔梗の紋の幕がかかった立派な門構えを見上げる。
「ここはツツジが綺麗なんです。中に入って見てみましょ。」
「つつじ・・・。」
小町は少しマイナーな観光地とあまりツツジを見たことがないらしく、今一つ理解できてないようだ。
それが、美少女の小町にしては幼く感じたので少しはるこは面白くもあり可愛い一面だと思った。
二人は、大書院の庭園を眺める。
小町が突っ立ていたので、はるこはスカートの裾を引っ張った。
「座って眺めた方がええですよ。」
「そういうものなの?」
幸い人が誰もいなかったので、後ろから見ようとはるこは言った。
「近くから見た方が絶対に良いに決まっている。」
そう言い切る小町を無理矢理はるこは引きずっていった。
「額縁みたい。絵みたい。」
「ね、綺麗ですやろ?」
後ろから見ると柱と柱の間から広がる緑と濃いピンクの景色は、絵画さながらだった。柱が額のよう。少し暗い部屋の中から光差す庭を見ると、その絵は何倍も輝きに満ちている。
「こんな色、知らなかった。」
無表情に見えて、淡々と言うように見えて、小町は何よりも感動している。
はるこにはそれが分かった。
「・・・ところで、どうしてこの池は緑に濁っているの?この色は好きじゃない。掃除してないの?」
そう言われて、はるこは自分も答えられなかったのでスマホで探してみる。
「なんやようわからんのですが、わざとらしいみたいです。」
「変なの。」
小町は智積院に疑問を残しつつも堪能したようだ。
時は15時を回ったところ。
「うーん。かき氷だけやとお腹空きますなぁ。なんか食べに行きまへん?」
「そうね。どこに行くの?さっきホテルがあったわ。私、海外でよく行くところだと思う。そこで・・・。」
「あ!七条京阪にハンバーガー店があったわ!!」
「は、はんばーがー!?」
「ハンバーガー。」
小町は無理矢理はるこに連れて行かれ、鴨川のほとりにあるハンバーガーの店に着いた。
「こ、これは・・・。」
「え、知りまへん?有名なファーストフード店。」
「聞いたことはある。見たこともある。食べたことはない。」
「嘘やろ!?そないな嘘つかんでええですよ!?」
「う、うそやない。」
やはり、小町はどこかおかしい。
しかし、それならば。
「じゃあ、ええ機会やないですか。食べましょ!」
小町は有無を言わさず、はるこに店内に押し込められた。
小町はなんでもいいから買ってこいと言うので、はるこは迷いながらも間違いがないはずのチーズバーガーを買ってきて小町に渡す。
それを小町は露骨に怪しんでいる。
「待って、私の食べたことのあるハンバーガーはもっと・・・。」
「ええですから、ええですから。」
小町ははるこに促されるままハンバーガーを食べる。
嫌そうに。
「どないですか?」
「・・・悪くない。脂っこいけど。」
「よかった。」
小町はそれから食べ続けた。それを見ると苦手な味ではなかったのだろう。
しかし、一口食べてはナフキンで口を拭く。それの繰り返し。
「あ、あの。」
「何?」
「そないに拭いて、面倒やあらしまへんの?」
「だって、ここ。ナイフとフォークがない。私、いつもそうしているから。だから気になって。」
「・・・・・・。」
「何よ。」
「いえ、なんでもありまへん。」
小町は、はるこをひと睨みする。
やはり、小町はおかしい。
浮世離れした美しさを持つ人はそういうものだろうか?
そんなことを考えていると小町の手が止まり窓の外を見つめた。
「鴨川・・・?」
窓の外には鴨川が見えた。
「なかなかおもろい場所に建っとるでしょ?この店。」
「鴨川・・・。」
「食べ終わったら出て見てみます?」
小町は遠い目をしてただ頷いた。
「これが、鴨川。」
「そうですよ。」
店を出て信号を渡り、橋の欄干で二人は鴨川を見つめる。
「私、鴨川が見たかった。きっとそれが、京都の人の普通だから。憧れていた。でもまだよく分からない。」
「普通だからそうなんちゃいますの?そないなことは分からんでもええですよ。」
「そうね、そうかもしれない。みんなにとって普通だからね。だからかしら、あまり川の色が分からない。私に分かる日が来るのかしら。」
小町はよく抽象的な言葉を発する。それが分かる時もあるし分からない時もある。これに関してはあまり分からない。
「ここは、下流ですから。また今度三条の大橋から見まへんか?」
「三条・・・。また逢うの?」
「あ、すみまへん。」
そうだった。
彼女と次なんて確証はないのだ。
ハンカチを返してさようならする日は、いつ来るか分からない。
だから、はるこはずっとハンカチを持っている。
「勝手に逢う気でおりました。」
小町はじっとはるこを見つめた。
鴨川に夕陽が反射して、彼女が輝いて見える。
いつでも彼女は輝いている。色鮮やかに。
自分はそんなに鮮やかな色ではない。彼女がいるから反射して色がついているだけ。
「私、その三条というところに行きたい。もっと色々見たい。色の溢れる京都を見たい。」
「橘さん・・・。」
「私、いつか彩りに満ち溢れたい。この景色みたいに色づきたい。色のある世界。それがきっと普通の世界。だから・・・清水寺で逢いましょう。」
貴女はもう輝いている。色づいている。
でも、もっと美しく色をつけて輝くなら。それを横で見ていいと言うなら。
何度でも言う。
「清水寺で逢いましょう。」
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