これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも清水の寺

「あほみたいや。」


今日も一人、はるこは佇む。清水寺へと続く、仁王門の階段で。

あれから逢えるはずもないのに、毎日放課後にそこに訪れていた。そして、辺りが夕闇に包まれる頃までずっと座っている。

観光客は次々と清水寺に訪れては帰っていく。

あ、さっき見た人だ。あー、もう帰るのか。

じっと、そしてぼうっと見つめながら。


何をしているのだろうか。

相手は絶対に来ないのに、来るはずはないのに。

どこかで期待している自分が馬鹿みたいだ。でも、待っていれば逢えるような気がして。

不思議だけれど、逢えるような気がしてならなくて。

ずっと待つ。


今日は日曜日。

いつもより人が多い。それはそうだ、ここは京都を代表する観光地。

自分にとっては、何よりつまらない場所。

でも今は、何より大切な場所。


はるこは、桜の木を見つめる。もう葉桜になってしまった。このまま桜が全て地面に落ちてしまう頃には、この思いも消えていくのだろうか。忘れられるのだろうか。


「あほくさ。」


大体、こんなに人が多ければ探し出すのさえ困難だ。

なんの確証もなく待ち続けたが、もう潮時なのかもしれない。

そう思って階段から降りようとした時だ。


「貴女、ずっとそうして待っていたの?」


聞き覚えのある声がする。

はるこは震えながら振り返る。こんなに春の日差しは暖かいというのに、震えが止まらない。


「面白い子。」

「逢えた・・・。また逢えた・・・。」


そこには、あの時出逢った美しい少女が立っていた。

私服だったから雰囲気は少し違うが、間違いない彼女だ。

はるこは、立ち上がる。まだ震えは止まらない。


「どうして、ここに・・・きはったん・・・ですか?」

「どうしても何も、“清水寺で逢いましょう”と言ったのは、貴女。あれからずっと気になっていたの。逢える確証はないのにね。馬鹿みたいだけど、来てしまったわ。」

「おおきに・・・ありがとう。」

「どうしてお礼を言うの?面白い子。」


少女は相変わらず不愛想だが、それでも美しい。

彼女は誰よりも美しい。葉桜も満開の桜に変えてしまうほど。


「あ、あの・・・。」

「何?」

「嫌やなかったら、名前・・・教えてくれはりますか・・?」


すると少女は暫く考える。

断って去っていくかもしれない。

少し怖かったが、彼女は考え込んだ後に答えてくれた。


「私は、橘 小町。歳は・・・17歳。高校三年生ね。一応聞くけど、貴女の名前は?」


あまりにも嬉しくてなかなか名前を言うことができない。

すると少女・・・小町は、はるこを訝し気な顔で覗き込んだ。


「貴女、私の名前馬鹿にしてる?古臭い名前だって。」

「え・・・!?いえ、そないなことは・・・。」

「だって、黙り込んでいるから。人に言わせておいて言わない気なの?」


以前逢った時は気にならなかったが、彼女は少し高圧的だ。

かといって、年上なのだし何も言うつもりはないが。

はるこは言葉を詰まらせながら言う。


「私は、宝井はるこ。高校一年生です。」

「貴女も古臭い名前。大体そうじゃないかって思っていたけど、年下だったのね。」


逢いたかった人が、今ここにいる。それだけでも奇跡のようなのに。名前も知ることができた。そんなことが起るなんて。

はるこは感動のあまり、また次の言葉が出てこない。

それにしびれを切らしたのか、小町は苛立ちながら言った。


「で、何をするわけ?呼び出したからには何をするか考えているのでしょうね。私を呼び出して何をするつもりだったの?」

「そ、それは・・・。」

「何?」


「逢いたかったからです。もう一度、逢いたかったからです。だから、あの言葉をゆうてしまいました。」


突然、告白に似た言葉を口にされ、小町は少し固まった。

だが、すぐにいつもの冷静さを取り戻して話し出す。


「変なの。やっぱり面白い子。」

「じゃあ、貴女さんは、どうして来はったんですか?」

「私・・・?そう言われると、分からないわ。でも、来ないといけない気がしたから。」


運命なんて言葉は大げさ。

偶然、もう一度逢えた。

それだけだ。しかしそれだけで、はるこの胸は高鳴りそのまま倒れてしまいそうだ。


「つまり、何もするプランがないのね。じゃあ、私が決める。清水寺を案内して。この前は気もそぞろだったし。」

「え・・・!?」

「私より詳しいのでしょ?もっと、誰も知らないようなこと教えて。折角だから。」

「もう少し、一緒にいてええんですか?」

「駄目なの?」

「いえ、私でよければ!!」

「やっぱり、面白い子。えっと・・・宝井さんだっけ。」

「あ、はるこでいいですよ。」


しかし、小町は一刀両断する。


「え・・・嫌よ。どうして、貴女と馴れ馴れしくしないといけないのよ。」

「そ、そうですよね・・・。」

小町の言うことはもっともだが、やはり落ち込む。

「私のことも、橘さんって呼んで。私、名前で呼ばれるの嫌いだし、逢ったばかりの人に呼んで欲しくないから。」


はるこは頷く。

名前で呼ぶつもりは最初からなかったが、改めて言われると辛いものがある。もう一度逢えたからといっても、それだけだ。これも、当たり前のことだ。

運命なわけがないから。うまくはいかない。


「どこへ連れて行ってくれるの?」


だが、今は葉桜だし、特に景色がいいわけでもない。

変わった所。

そこで、はるこは思いついた。


「随求堂に行きませんか?真実の闇を体感しましょ。」

「・・・何それ。」


意味の分からないまま小町は、はるこに連れらていく。

三重の塔近く、そのお堂はひっそりとある。はるこが言うだけに清水寺の舞台に比べて人はかなり少ない。


「ね、ねぇ・・・真実の闇って・・・何?私、何されるの?」

「言葉の通りですよって。」

「ちょっと待って。それ怖いところなの?何か出てくるの!?」

「いや、だから真実の闇なだけですやん。」

「・・・・・・!?」


小町は明らかに怯えている。先ほどか、高圧的な態度なくせに、何が起こるか分からない場所と、はるこの意味が分からない言葉にかなり怯えていた。


「何も怖いことあらしまへんよ、暗いだけ。」

「それが、何か分からないから嫌なのよ。」

「暗いとこ歩くんです。数珠を頼りに。そうしたら大きな石がありまして。それを石に触れたら願い叶いますんよ。それだけですわ。」


はるこの言葉に小町は悪寒が走る。


「本当にそれだけ・・・?」

「へぇ。」

「あと・・・そんなことで願いって叶うの?」

「そ、それは・・・お寺やからちゃいますか?」

「意味がわからない。これに関して面白くないわ。」


文句を言いながら小町は、はるこに続いてお堂の中に足を踏み入れる。


「ひっ!!」

「どないしはったんですか?」

「暗い暗い暗い暗い暗い!!」

「だから真実の闇ですよって。」

「度が過ぎる!!黒い黒い黒い黒い!!」


小町が怯えるのも無理はない。

ここは、全く光が入らない。

目など役に立たない。

まさに・・・真実の闇。

どこもかしこも黒一色。


しかし、はるこは別に怖くないらしく、数珠をたどって歩く。


「待って!!ちょっと、止まって!!」

「いや、止まると後がつかえますやん。」

「貴女を捕まえないと無理よ!!」


そう言うと、小町は思い切り後ろからはるこに抱き付いた。

「・・・っ!?」


はるこは、驚く。

小町の暖かさが伝わってくる。あの美しい人が・・・全ての時を止めて自由に動かすことのできる・・・あの人が。自分に抱きついている。状況はあまりロマンティックではないが。抱き付かれているのに変わりはしない。

自分の鼓動の高鳴りを聞かれたらどうしよう。顔も熱くなってきた。こんなに中は涼しいのに。一人熱い。

どうしようか、死ぬほど・・・嬉しい。


だが、しかしだ。


「あの・・・橘さん。」

「何よ!!」

「あの・・・私の胸・・・掴まないでくれまへんか?あと、ほんまに・・・言いにくいんですが・・・橘さんの胸も私の頭に・・・当たってますよって。」

「!?」


嬉しいのか悲しいのか。はること小町の身長差が生み出した、奇跡。いや、悲劇。


「やめて!!」

小町ははるこを突き飛ばした。が、やはり身長差のせいでその手ははるこの頭を直撃する。

「きゃっ!!」

はるこは数珠につかまったので転びはしなかったが、あまり大丈夫ではない。

美しい憧れの人に抱き付かれて、胸を掴まれて、頭を殴り飛ばされた。

「ご、ごめんなさい!宝井さん、どこ!?」

はるこは、なんとなく当てずっぽうで小町の手を繋いだ。


「宝井さん、離さないでよ。」

「でも、数珠もたないと意味があらしまへんで・・・。」

「いいのよ!私は数珠より、宝井さんと手を繋いで歩く方が大事!!」


嬉しくて舞い上がりそうな言葉だが、あくまでもこの状況が生み出したことである。

連れてきてよかったような・・・いけなかったような。


「光が・・・見える。」

やっとのことで、二人は現世に戻ることができた。

小町は息切れしながら太陽を仰ぎ見る。


「あの、ところでちゃんとお願いしたんですか?」

「したわよ!!一刻も早く出れるようにってね!!」

「すみまへん。そないに怖がるとは思わんくて。」


頭下げるはるこをチラチラ見ながら、小町は口を開く。

少し怒鳴りすぎたと反省したのだろう。


「宝井さんは、何を願ったのよ。わざわざ行くからには、何かお願いしたのでしょう?」

「私は・・・。」

「何よ。」


「・・・逢えますようにって。橘さんにもう一度逢えますようにって願いました。」

「・・・・・・。」


暫く二人は黙り込んだ。

お互い何を言えば、正解なのか、この場を和ませられるのか分からなかったからだ。


桜は地面に散ってしまっている。

観光客の足に踏まれて。

あの美しく咲き誇っていた姿が見る陰もない。


願ったところで、偶然はもう起きないだろう。

少しだけ咲き誇れて楽しかった。

少しだけれども美しい世界を見られて嬉しかった。

でも、やはりこれは運命の出逢いでは決してないから。

桜は散るし、踏まれる。


「帰りましょか?お店でアイスでも食べましょ?帰ってしまう前に・・・少しだけ休みまへんか?」

「・・・そうね。」


「はい、どうぞ。」

清水寺の参道で、はるこは二人分のアイスを買ってきた。小町はお金を出そうとしたが、怖がらせたお詫びと言ってはるこは受け取らなかった。


「冷たい。」

「そりゃ、アイスですから。」

「でも、そういう当たり前がわからない。私、こういうのしたことなかったから。」

「・・・橘さん?」

「貴女、私にいつも色々教えてくれるのね。」

「大したことじゃありやしまへん。」


小町は、はるこの顔を見つめて微笑む。

こんな表情、見たことがなかった。

今までたくさんの人の笑顔を見た。

でもこんなに美しい笑顔は出逢ったことがあるだろうか。

優しく穏やかで。輝いて見えて。

行ったことがないのに、きっと教会に佇むマリア様とはこのように美しいのだろうと思った。

今まで触れ合ったことのない美しさだから。そう思った。


「付いてる。」

「え?」

「アイス。」


そう言うと、小町ははるこの口元に付いていたアイスを親指で拭った。

そしてその親指を舐める。


特に意味はないのだろう。

だが、はるこにとっては大いに意味がある。

親指を舐める小町の姿は、あんなに清楚な美しさを持っているのに、いや持っているからこそ、とても色っぽく艶やかだ。


思わず見惚れて、そして動揺して、はるこはアイスを地面に落としてしまった。


「ちょっと!何してるの?もったいない。」

「え?あ、すんまへん・・・。」


それから、小町は云々と言っていたが、あまり覚えていない。


そして、別れ際。

はるこは、以前貰ったハンカチを小町に渡す。


「これ、ありがとうございました。ちゃんと、洗っておりますよって。」


これを返して。

全てを返そう。

もしかしたらなんてもうやめよう。

逢いたい、その一心だったが。

運命なんてない。

また、なんてない。


それでも彩を与えてくれて、桜色に彩られた季節を見せてくれた、貴女。

でも、桜はもう散った。

地面に落ちて散ってしまった。


「いいの、持っていて。もし、本当に返す時が来たら貰う。それまで持っていて。」

「え・・・?」


小町は言いにくそうに、下を向きながら口を開く。


「清水寺で逢いましょう。」


はるこは一瞬、小町が何を言っているか理解できなかった。

すると、小町はもう一度言う。


「清水寺で逢いましょう。桜は散ってしまったけど、今度は新緑の季節。また、綺麗な色を私に見せて。でも黒色はもうやめて。」


桜は散った。

だが、また咲く。

新たに美しく緑に色づいて。

また、季節は巡る。

色を変えながら巡る。

春は巡る。


「清水寺で逢いましょう。」


はるこは、目に涙をいっぱい溜めてそう返した。


清水寺で逢いましょう。


それは二人の合言葉。

もう一度、二人でまた逢おうという合言葉。

さよならは言わない。


清水寺で逢いましょう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る