清水寺で逢いましょう

夏目綾

久方の光のどけき春の日に しづ心なく桜の咲くらむ

季節は春。

舞台は山紫水明の地、京都。


遅咲きの桜が咲く麗らかな日に、宝井はるこは浮かない顔。

浮かない顔で、五条坂を女学生の列に並びながら無心で歩く。いや、無心は間違いか。鬱々として歩く。

春の日の光は暖かく、はるこを包み込む。いや、それも間違いだ。照りつけられて歩く。


「何が楽しいて、こないな坂、上らなあかんのやろ。」


はるこはいよいよ憂鬱だ。

五条坂は京都に数ある坂のうちでもなかなかの傾斜である。

それを歩く。

女学生の列の中、早歩きもできない、ゆっくりも歩けない。ただただ、同じ速度に合わせて歩いていく。


この先ほどから陰鬱な顔をしている少女の名は、宝井はるこ。京都市内の女学園に通う高校一年生だ。

背は小柄。別にパーマをかけているわけではないがふわふわのセミロングの髪。顔立ちは・・・可もなく不可もなく。ごくごく普通の女子高生。


何をしているのかというと・・・所謂、校外学習。折角入学したのだから学園のある京都を学ぼう・・・といったところだ。

とはいえ、学園自体も東山区にあるので特に目新しいものもない。しかも学園からずっと徒歩でここまで来ている。


「こんな観光地、今更・・・。いつも見とるやろ。」


坂は文句と比例して続く。

ようやく長い坂を上り切り、文句も終わりかけてきた頃、見えてきたのは朱色の仁王門。

それをくぐると、教師は自由行動をしろだの帰る集合時間はこれだの言った。

自由なら、もう来なくていいのでは?

そんな疑問は愚問だ。


はるこは、特に何を目指すわけでもなくうろつく。

中等部からの友人の小嶋桜子は置いてきた。もう誰とも話すのは面倒だ。長年の付き合いの桜子ははるこの性格をよく理解していたので、彼女もまたはるこを放置して違う友人たちと行動を共にしていた。


ため息混じりではるこは一人歩く。

そして清水の本堂にある舞台にやって来た。

もう定番の所に来るなら定番のスポットに行くしかない。もはや自暴自棄である。


こんなに日の光が差し込んでいるのに、はるこの目に映るのは灰色の世界。

別に歩き疲れているからではない。最近はいつもそう。

失恋に失恋を重ねたせいかもしれない。好きになった女学生は大体、はること別の女学生が好きだったり、近くの男子校の子と付き合っていたりと諸々。

いや、でもこれは失恋の問題だけでもないな、もっと別の・・・。


そう思って舞台から京都市内を一望しようとした時だ。


一陣の風がはるこの頬を切り裂くように吹いた。


「桜が・・・。」


舞台の下に咲き誇る桜の木々から花びらが舞いあがった。

高台から眼下に広がる京都の街に散っていく。桜の雨が街に降る。


さくら、さくら。東山も京都タワーも。

卯月の空は見わたす限り・・・さくら、さくら。


はるこは息をのんだ。


桜の隙間。はるこは気がつく。

舞台の手すりにもたれかかり佇む少女が一人いる。


「・・・・・・?」


はるこは目を細めて彼女を見つめた。


するとその瞬間、また風が吹く。


黄金の光が少女に降り注ぐ。彼女の輪郭が浮かび上がる。

少女のショートの髪が風に靡く。桜色の風を纏いながら。

天高く青い空が広がる。少女の空を見上げる姿は凛として。


艶めく唇、透ける肌。切れ長の瞳は・・・際立つ高い背は・・・細長い手足は・・・。


全て美しい。


彼女から世界が色づいて見える。


世界には二人だけだ。

二人だけが彩の中心。

灰色の世界が二人から彩に満ち溢れていく。


彼女に逢わなければならない。


逢わなければ、また色が消えてしまう。


「あ、あの・・・どうしはったんですか?一人で。」


気が付くと、はるこは彼女に話しかけていた。


「え・・・?」


少女は振り向く。

先ほど見た通り、間近で見ても彼女は美しい。

口元に黒子もある。メイクもしているのかも。

何にせよ絵に描いたような人だ。


自分で話しかけたもののはるこは暫く何も言えなくなってしまう。

すると少女は、ため息をつきながら口を開いた。


「迷子になっちゃったみたい。途方に暮れてた。」

その言葉でハッと、はるこは我に返る。

「迷子・・・ですか?」

「そう、この年になって。迷子。」


標準語で話すが、彼女の制服は確か京都市内にある高校のものだ。

そして、おそらくはるこより年上。勝手な想像だけれど。


「校外学習でここに来たのだけれど、この景色に見惚れていたら完全にはぐれた。私、清水寺って来たことなくて。京都に来て一年がたったくらいだし。どうすればいいか分からなくて、途方に暮れてた。」


成程。全て合点がいった。

だったら。


「私、一緒に探しましょか?」

「え・・・?」

「私、京都の人間やし。ここにもよく来とりますから。」


すると、少女は暫く考え込んだ。

それはそうだ、見ず知らずの人に話しかけられて。一緒に探すなんて。怪しすぎる。

これは断られるな。

そうはるこが思っていると、少女は意外な答えを出した。


「・・・そうね、その方がよさそう。」

「・・・!!」

「お願い、一緒に探してもらえる?」


はるこは嬉しくて少女の手を取った。だが、そこまでは許していないようで彼女は、その手をほどいた。

当たり前である。

当たり前なのに、はるこは少しショックを受ける。


とりあえず気を取り直して、二人は歩き始めた。

みんなで歩いているならすぐに見つかりそうなはずだが、この観光客の数だ。まぎれているのかもしれないし、行き違いになったという可能性もある。


二人で境内のあちこちを探す。

探す中で彼女は物珍し気に、これは何をするところ?これは一体何?など質問をしてきた。

はるこは分かる範囲で答えてあげる。時々、確信の持てない適当な答えも混ざっていたけれど。

その度に彼女は声こそ上げないが目を輝かせる。彼女の移ろい行く表情はどれも美しい。


そんな時、少女の手のひらに桜の花びらが舞い落ちる。


「桜・・・。」

「どないしはったんですか?」

「私、こんな景色初めて見た。舞台から桜が見えて色が広がるの。それに見惚れていたら、はぐれたわ。桜がこんなに綺麗だなんて思ってもみなかったから。」


それは、はるこもである。

こんな桜、こんな景色は初めてだ。


「もしよかったら、もっとええ場所から見てみます?桜。」

「そんなところがあるの?」

「少し歩きますけんど。見まへん?」


少女は少し考えたのち、頷いた。


そして二人は歩き出す。

花びらはひらひらと舞っている。そこだけが色がついている。

振り返ると、少女はずっと美しく色づいている。

はるこの世界は、桜と少女だけが鮮明だ。


暫く登ると朱色の塔に着いた。

肩で息をしながら歩く少女に手を差し伸べる。だか相変わらず、少女はその手を取らなかった。


「こんなところで何が見えるの?」

「子安塔から見える舞台は綺麗なんですよ。」


少女は、そこから舞台のある方向を見た。


そこからは舞台が一望できて、その向こうに三重塔が見える。目の前の桜越しに遠くの桜が見える。


「桜色。緑色。青色。舞台。塔。人。全部違う色だわ。」


今日は風が強い。

桜が舞う。花吹雪だ。

少女は真上にある桜を見る。舞い踊って空に吸い込まれていく桜、そしてそれはそのまま遥か彼方にある舞台の下の桜と混ざり合う。


「桜の雨が降る。世界が染まる。みんなこうして色づいていくのね。」


彼女の言うことは抽象的だ。

だか、はるこは彼女の言葉の意味が全て分かる。


世界は色に染まっていく。

色づく。


桜と貴女で、私は色づく。


そんな時、少女が小声でこう言った。


「・・・ありがとう。」


「え?」

「いえ、別に。それよりごめんなさい。付き合わせてしまって。私、集合場所でずっと待つことにするわ。いつか、みんな来るでしょう。」

「集合場所はどこなんです?」

「それは・・・どこだったかしら?」

「・・・・・・。」

「何よ。」

「なんでもあらしまへん。」


時々彼女は素っ頓狂だ。

とはいえ、本当にどこに行ったのか。

はるこは彼方に見える舞台を見つめた。


「・・・・・・ん?」

すると清水の舞台に団体が見える。

彼女と同じ制服の。


「何・・・?」

「あの、あれやしません?」

「あ・・・・・・。」

「さっきいたところですやん。」


少女は恥ずかしそうな顔をしたが、それを悟られまいと平常を保った顔に戻る。

しかし、その顔をはるこはしかと見ていた。その顔は美しいというより可愛らしいものだった。


「その・・・色々迷惑かけて、ごめんなさい。」

「いえ、見つかってよかったです。」


そう言うと、少女はじっとはるこを見つめた。

その美しい顔で、そのような瞳で見つめないで欲しい。


出逢った瞬間のことが悟られそうで怖い。

彼女と自分の間に見えた世界のことは絶対に言えない。

いきなり逢った少女このような不思議な感情を抱いたなど。

絶対に悟られたくない。


きっと彼女は何も思っていないだろうから。


思いつめるようにはるこが暗い顔をしていると。少女がはるこの顔を覗き込んだ。


「ごめんなさい、こんなに汗をかかせてしまったわね。」

すると、少女はハンカチを取り出してきて、そっとはるこの額を拭う。


「え・・・?」


少女の手がはるこ触れる。ハンカチ越しに触れる。

彼女の手は動いているのに、時が全て止まっている。

息をするのも忘れた。


そして少女はハンカチをはるこに渡したところで時は再び動いた。


「私、もう一枚持っているから、あげる。」

「で、でも!」

「他人の汗を拭いたものを持てというの?」


それもそうだが、しかし。

はるこが呆然としていると、少女は去ろうとした。


「・・・それじゃあ、私は行くわ。」


これで彼女とはもう逢えないのか。

巡り逢えたのに、この美しい人と。


もう二度と・・・。

また世界は色褪せてしまうのか?


「清水寺で逢いましょう。」


はるこは気づくとそんな妙な言葉を口走っていた。

勿論、少女も妙な顔をする。


「・・・・・・?」


だが、彼女はその言葉をこれ以上追求することなく、はるこに一礼すると去っていった。

去っていった彼女の後姿をはるこはずっと見つめる。


そういえば少女の名前も聞いていない。

どんな人かも短い時間では分からない。

何も分からない。

聞けばよかったのに。

でも聞けなかった。


ハンカチを握りしめると、桜の香りがした。

出逢った時もこの香りがしていた気がする。

出逢った時も。


どうして、あんなことを言ってしまったのだろうか。


こういうのを一目惚れというのか。

だが一目惚れというには、もっと尊い感情だしもっと馬鹿みたいな感情。


桜の香りが、はるこを包む。

桜の花びらが、はるこを包み込む。


・・・また逢いたい。


この感情の正体が分からないはるこだが、これだけ分かった。それだけしか分からなかった。


「清水寺で逢いましょう。」


二人が知っている場所。唯一の接点。


そんなこと言っても、彼女に二度と逢えるはずがないのに。

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