猫の手を借りた結果(月光カレンと聖マリオ9)

せとかぜ染鞠

第1話

 春の嵐に吹きとびそうな洗濯をとりこむのに,雑役のキヨラコが苦労している。近づいて手を貸そうとすれば身構えて後退する。「マリオさまに御用ですか――お呼びして参ります」

「私ですよ」

「え?……マリオさまですか! 申し訳ございません」頭をちょこんとさげる。「時折出入りしている下男の方かと思いまして……」

「下男……ですか?」

「はい。さようでございます。物を運んだり高い場所へのぼったりするとき手伝ってくれる――ほら,先日も,信者さんの御寄進くださったお米やお野菜を,納屋まで移してくれたではございませんか」

「あれは私です。私は下男など雇ってはいません――あなたの裁量で雇われたのですか」

「とんでもございません! マリオさまに無断でそのようなこと!……では下男など出入りさせてはいらっしゃらないのでしょうか?」

「ええ……必要ないのでは?」

 キヨラコが顔を綻ばせた。「私ではお役に立てないことが多く,力のある男の方を新しくお雇いになったのかと存じておりました」

「力仕事は私がします。常々申しているように無理な仕事は遠慮なくおっしゃってください」

「はい,マリオさま!」十代の娘らしく元気に返事する。「でしたら――できるだけお早くお帰りになってください。実は猫の手も借りたいほど忙しいのでございます。この数日,地下室の整頓を致しておりますもので」

 丘をのぼりきった地点で,白杖をつくキヨラコを教会へ帰らせた。

 視界に海が広がっている。舌先で硬口蓋を打ちならせば,鮫たちが群がり波間に整然と列をなした。本土まで連なる鮫の橋を渡る途中で,水飛沫を散らせて近づくモーターボートを認めた。

 怪盗月光カレンとシスター聖マリオという二つの顔をもつ俺さまの宿敵でもあり信者でもある三條さんじょう公瞠こうどう巡査が船上で黒髪を輝かせている。離島の教会へとむかっているのだ。今日は午後から非番とか言っていた……

 海へ潜って三條の目から逃れた。

 街のデパートに入るブランド“私だけのヒーロー”でオーダーメイドのワンピースを受けとったあと,キヨラコに喜んでもらいたいという気をはやらせながら,エスカレーターに乗った――真っ赤なTシャツを着た集団が鉄塊を投げすてる!

 傾斜するエスカレーターが蛇行を描きつつ踏板がばらばらにはずれた。爆裂音が立て続けに響く。無数の人が上から降り下へと落ちていく――

「レッドキャッツだ! テロが起こったぞ!」誰かの叫び声に店内は混乱を極めた。

 地下1階フロアへ落下する寸前に数回転して着地するなり,赤子や児童を何人か抱きとめた。その脇を老若男女が掠めて落ちる。

 俺さまだって全員は無理だ……

 水っぽいものを啜りながら,赤のテロリストを追いつめて全員を締めあげた。

 腰を抜かした警備員の眼前に,意識のないテロリストたちを山積みする。「手を貸したつもりだが――」

 銃声が鳴りひびき,テロリストたちの頭が次々と撃ちぬかれていく。背後で老いた男が拳銃を構えていた。

 拳銃を蹴りあげ男をねじふせる。昭和時代に世を騒がせた反社会的勢力のリーダー照栗鼠てろりす鵜兎うとだった。

「頼む,後始末させてくれ」照栗鼠が懇願した。「9階のイベント会場にいる政治家たちだけ狙うつもりが,一般市民まで巻き添えにしてしまった……馬鹿バカ猫の手を借りた結果がこうだ……」

「考えが甘すぎたな。俺たちは所詮,の下だよ」照栗鼠の腹部に拳を突きいれた。

 血に染まったワンピースを海に浮かべれば瞬く間に揉みくちゃにされて消えた。手土産はなしだ……

 鮫たちが丸めた背を頻りにつつく。「分かってるよ――多忙なのに人にいつまでもつきあってられないよな」

 離島へ帰るなり,そら寒い気持ちに襲われた。やけに人が多い。身を隠しながら教会へ辿りつけば,礼拝堂の扉に紙切れが挟まれてある。


   鼠が出た拍子に僕が驚き,地下室の戸棚を倒してしまいました。

   何事もありませんでしたが ,念のため 隣島の竜宮病院にてキヨラコさんに 検 

  査入院していただくことになりました。誠に申し訳ございません。  三條公瞠


 三條め,よくもキヨラコを危ない目に遭わせたな!――

 キヨラコもキヨラコだ! 多忙だからといって役に立たない青二才なんぞ頼りにするから入院するような羽目になる!

「三條猫の手を借りた結果がこうだ!」

 竜宮病院の壁を這いあがり,窓から病室内に侵入した。

 キヨラコはベッドに横たわり眠っていた。

 病室へ誰かが入ってきた。三條と担当医師だ――愕然とした! 

 白衣を纏うその男は紛れもなく黒医くろい滋薬じやくだった。

「本当ですか!――」三條が滋薬に迫った。「本当にキヨラコさんの目は見えるようになりますか!」

 滋薬が人差し指を振った。「私にかかれば,何でもありません――報酬として1億円を御用意いただきますが」

 キヨラコが地下室の片付けで三條の手を借りた結果,無免許天才医師と出会うことが叶った。滋薬は免許のない医療行為によって罪に問われて以来,行方を晦まし久しく動向の知れずにいた医学界のレジェンドなのだ。俺はキヨラコの目を治すために彼を捜しつづけてきたのだった――

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