朝日は肉球のかたち

ささたけ はじめ

夢と現実の使者

 どこか意識の遠いところで、お決まりの電子音が繰り返し流れている。

 毎日毎日繰り返し聞くその音は、陽の光よりも早く私に朝の訪れを実感させる。


 ――ぴと。


 私がまなこを開くその前に、頬に何か柔らかいものが触れた。一度ならず二度、三度と、確かめるようにそれは繰り返される。うっすらと目を開いてみると、そこにはもはや見慣れた光景が待っていた。


「にゃーん」


 その声の主は、キジ色の毛色にトラ柄の模様が入った私の愛猫、九助きゅうすけであった。彼はゼロ距離で私の顔に鼻を近付け、熱心にこちらの様子を窺っている。

 九助は、私が妻と結婚した際にともに暮らす家族となった、連れ子ならぬ連れ猫だ。現在十五歳とは思えぬほどの食いしん坊であり、毎朝私に朝食をせがんでくる。

 彼は食事に関する記憶と学習能力がずば抜けており、私のアラーム音=朝ごはんの合図と認識しているようである。そのため、アラームが鳴っても私が身を起こさない場合には、こうして柔らかく小さな手で私を起こしてくれるのだ。

 このように、私は毎朝の起床に猫の手を借りている。人間としては少々情けないかもしれないが、私の起床時間は妻よりも早いため、このような静かな手助けが今はとてもありがたい。


 いつまでも包まれていたい布団の誘惑を振り切り、私は身を起こす。待ってましたと言わんばかりに、九助はご飯皿の前へ座ってスタンバイする。規定量のカリカリをお皿に入れると、彼はわき目もふらずに食らいついた。

 その様を確認して、私はあくびを噛み殺しながら自分のパソコンデスクへと向かう。

 窓の外へ目をやると、空はまだ灰色の夜明けに覆われていた。

 現在、時刻は午前五時半。

 ここ最近の私はこうして早起きをし、出勤までの時間を使ってカクヨムへ投稿する作品を創作していた。仕事と家庭を維持したままでやりたいことをやるならば、犠牲にできるのは睡眠時間のみである。妻の睡眠を阻害せぬようあつらえた静音キーボードを叩いて、今日も物語を生み出すのだ。

 気合を入れて、KACのお題の消化に向かう。さて今回のお題は――と確認してみると。


 9回目お題 「猫の手を借りた結果」


 思わず笑みがこぼれる。

 私にとってはすでに、朝のこの時間こそが「猫の手を借りた結果」そのものである。

 このお題を設定した方がどんな思惑であったのかは知らないが、現実に猫の手を借りている人間がいるとは思いもすまい。

 そう、事実は小説よりも奇なのである。

 もしもこの時間が報われて、小説家デビューでもできようものならば――私はきっとこう言うだろう。


「猫の手を借りた結果、小説家になりました」


 その日のために、私はキーボードを叩こうとした――矢先。


「にゃーん」


 いつの間にか九助が足元に来て、何かを要求してくる。

 おそらくは、ご飯を食べ終わったから今度はかまえと言ってきているのだろう。しきりに頭をこすりつけながら、足元を行ったり来たりしている。彼は食いしん坊で甘えん坊なのである。

 おいおい、私は創作をするために早起きを――などと言ってはみるものの、猫に言葉は通じない。江戸時代には「猫は十年も生きれば人語を解し、二十年で化け猫になる」などと言われたそうだが、九助に関しては十年以上生きても「ごはん」以外の言葉を解している様子はない。

 しかたなく膝に抱き上げ背中を撫でてやると、彼は嬉しそうにゴロゴロとのどを鳴らしながら丸くなる。

 キーボートを打つ手がか完全に止まったところで、このままでは九助が化けるのが先か、私がデビューするのが先か判らないなと苦笑する。


 けれど。

 このままならなさもまた、猫と暮らす醍醐味なのである。


 化け猫を飼うのも一興だ。

 だから末永く元気で生きて欲しい。

 そうして私に夢を見続けさせて欲しい。


 そんな私の気持ちはつゆ知らず、九助は私の膝の上で寝息を立て始めた。私に手を貸す九助は、私を夢から覚ましながらも、新たな夢を見させてもくれる、夢と現実うつつの使者である。

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朝日は肉球のかたち ささたけ はじめ @sasatake-hajime

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