邪神と悪魔


 畑を、道を、家を、生命が溢れる緑が覆い尽くしている。

 確かに私の地元は田舎だが、ここまで酷くはなかった。これではまるで廃墟だ。しかし人工物が苔むすでもなく窓が割れるでもなく、人が生活していたであろう痕跡がそのまま緑に埋もれた町を見て首を傾げる。言語化できない違和感があった。

 丁度建物の角から人が出てきたので声をかけてみた。

「すみません、少し、お伺いしても良いですか」

 しかし尋ねた二人もこの町に着いたばかりで状況を把握できないまま探索中だったらしい。

 青年が言う。

「昔の知人を訪ねて来たのですが……この様子ではもう居ないかも知れませんね」

「同級生ですか?」

「いいえ。幼馴染でもないです」

 不思議な返答だ。

 歳は二十歳頃だろうか。彼は少し困ったように笑う。その隣に立ってこちらを睨んでいるーーように見える女性は双子だろうか、よく似た顔をしていた。

「この辺りに鈴さんという人が住んでいたと思うのですが」

「鈴……」

「えっと……岩瀬、だったかな。岩瀬鈴さん。知らないかな」

「それは、多分祖母です。私の祖母の旧姓が、岩瀬でした」

「なるほど、お孫さんでしたか。そう言われれば、少し面影がある。

 おばあさんはお元気ですか」

「……」

 久しぶりに帰ってきた地元で、やっと会えた人が偶然にも血縁者を探している事に何かしらの縁を感じなくもなかったが、果たしてこの人達は何者なのだろう。

「……数年前に、無くなりました。貴方達は祖母とどういう関係だったのでしょう」

「おや。肩の力を抜いてくださいお嬢さん。

 鈴さんから“昔話”を聞いていませんか?

 僕はカシギ・S・ユークリッド。そして彼女は妹のナユタです」

 カシギとナユタ。祖母の話の中によく出てきた二人だ。

「しかし困りましたね。鈴さんに探し物を手伝って貰おうと思っていたのですが」

 夜空のような深い青色がこちらを見る。じぃっと、こちらから言葉を引き出そうと見つめてくる。くらくらと惹きつけられる感覚を振り払い、地面を強く踏み締めて視線を返す。

「話をする時は、変な小細工無しでお願いします」

「おやおや」

 カシギは笑いながら「参りました」と両手を挙げた。

「そうですね。ではまずこの地域を治める【神様】の居場所まで案内してください」

 悪魔が神を紹介しろだなんておかしな事を言うものだと思いながらも、町に着いたばかりの三人で探し物をしても見つかる可能性は低い。

 警戒しながらも言葉に従うことにした。この地域の三つの町にかかる山の上、山神神社まで案内する。そういえば悪魔は神社に入れるのだろうか。

 長い石の階段を登り切り、清涼な空気で満ちた境内に入るなり不快な表情をするナユタと何かを払い落とす仕草をするカシギ。やっぱり相性は良くないようだ。

 竹箒で境内の掃除をしていた少女が私達に気付いてこちらに歩いてくる。さらりと流れる艶やかな黒髪、中学の制服からすらりとのびた手脚、凛とした佇まい。

「……貴女が“山神様”ですか」

「ええ、山神の娘、夏子よ。ようこそ、と言いたいところだけれど、悪魔がうちに何の用かしら」

「貴女の治める地にて、最近起きた異変についてお伺いしたいのです。この通り、敵意はございません。ええ、微塵も」

 そう言ってカシギは空っぽの両手を広げて見せた。

「ふぅん……まぁいいでしょう。立ち話もなんだし、お茶くらいは出すわ。律も来なさい」

 案内された部屋は社務所の物置になっている一室だった。

「お互いの為にも本殿への案内はしないわ。テキトーに座って」

 四人の真ん中に急須と湯呑みを置いて夏子さんも座る。

 お祭りで使う道具や埃を被った古い生活用品、槍や刀剣も置かれている。普段見られる場所ではないのでついつい見回してしまったが、神と悪魔の話はすぐに本題へ入っていった。

「ズバリ言うけどここ数年異変だらけよ。町が緑に呑まれるわ、妖怪の活動も活発になるわ、他所の得体の知れない神を祀る新興宗教は出てくるし、神を訪ねてくる悪魔なんてのも来るし、どうなってるのか聞きたいのはこっちよ」

「そうですね。この地域や神社の事は割とどうでも良いので、さっき言った新興宗教について教えてください」

「……したら追い払ってくれる?」

「追い払えるかは分かりませんが、そこに僕たちの探しものがあるかもしれないので、多少は協力しますよ」

「祖母の話じゃ“ヒース”を手に入れるのは諦めたはずだけど」

「別に諦めるなんて一言も言ってないですよ。一時的に様子を見ていただけです。

 それに、今回探しているのは“ヒース”ではなく“やみの子”です」

「闇?病み?」

「闇なら心当たりがひとつあるわ。さっき言ってた新興宗教のひとつが祝詞や読経のように唄を捧げるタイプで、闇をうたっているのよ。

 “闇より出し我らが神は、悪しき者を討ち倒す”──って。まぁ解釈によってどうとでもとれるけど」

「うた、ですか」

 夏子さんの話をふむふむと聞いて何かを考えるカシギが、ちらりと私を見て笑いかける。

「ところで律さん、歌は得意ですか」

「え、嫌。この流れ絶対乗っちゃいけないやつじゃない!? そんなに得意じゃないし!」

「おや残念。

 ところで夏子さんはなぜその歌を知っているのですか?」

 そういえばそうだ。まさか夏子さん自ら潜入捜査?!

「うちによく来る子がね、監視屋と情報屋を営む兄妹なのよ。だからちょっと頼んでみたの。そこで歌われている歌詞カードも入手してきてくれたわ」

 そう言って夏子さんは後ろの戸棚から取り出した紙を見せてくれた。夏子さんが口ずさんだ一節のほか、読めない言語の文字列もある。

「これは…」

 カシギとナユタがじっくりと歌詞を眺める。この謎の言語が彼らには読めているようだ。

 読み終わったのか、ナユタが苦々しく吐き捨てた。言語化するのが難しい発音だったけれど、雰囲気からして悪態をついたのだろう。

「貴方達はこれが読めるのね」

「そう、ですね。どちらかと言えば僕らの言葉に近いものです」

 カシギがとても残念そうな表情で言う。

「とある悪魔を崇め讃える文言なのですが……ダークン・オスクーロ。魔界より追放されし同胞殺しの闇の子。ええ。全く神とは成り得ない存在です」

「へぇ。何でも受け入れるイメージだったけど、そっちの世界にも追放とかあるのね。でもそんな奴がこっちの世界で、しかもこの町で崇められているなんて……」

「ダークン自身が歌を広めたとは考えられにくい。彼の側に誰か、助けとなる人がいるのでしょう。“カミサマのお気に入り”が」

「ふぅん。カミサマのお気に入り、ねぇ」

 夏子さんはすぅっとお茶を飲み干して言った。

「カシギ、ナユタ、偽りの神を討ち倒してくれるかしら」

「代わりに貴女の大切なものをいただきますよ」

「──可能な限り望むものを与えましょう」


 カシギと夏子さんが交渉中は外に出ているように言われたナユタと私。とくにすることもなく流れる雲を眺めていた。

 玉砂利の音に振り向くと、社務所の奥、住居棟から背の高い青年が出てきた。

「こんにちは」

 挨拶すると、ぺこりと会釈して本殿へ入って行った。黒い着物だったけれど、神職さんだったのかな。

 穏やかな風が吹き抜けていく。

 ずっとだんまりだったナユタが口を開いた。

「律、あんたは鈴みたいに話さないの?」

「え?」

「聞こえてないの? 風の声、とか」

「うーん。おばあちゃんから受け継いだけど……使ってない。周りにも、喋れる人いないし。情報も天気予報も、アプリがあるし。

 夏子さんがね、言ってたの。必要だと思うその時まで力を封じておくのもアリ。いつでも使えるように、思い出せるように、ここにしまっておくわねって」

 鞄に結びつけてある山神神社の御守りを撫でる。必要な時なんて来なくて良いと思いながら。

「ふぅん。あんたも“カミサマのお気に入り”なのね」

「そう、かな。うん。そうかも。私だけじゃなくて、町の人みんなが好きなんだよ。

 夏子さんはみんな好きだし、みんなも夏子さんが好きそういう町……だった」

 どうしてこんな状態になってしまったのだろう。

「あんたにとって、今はまだ“必要な時”じゃないって事ね」

「ん?」

 ナユタはまたそっぽを向いてしまった。


 ゲームアプリで暇つぶししていたらカシギが出てきた。話し合いは終わったらしい。

「ではナユタ、律さん、行きましょうか」

 ん? なんで私も呼ばれたの?

「聞きましたよ。鈴さんから風と話せる力を受け継いだと。ぜひ! 存分に! 活かしてくださいね」

 使うどころか一緒に行くつもりもなかったんだけどな。

 簡易的な地図を夏子さんから受け取り、三人で山を降りた。

 向かったのは西の町駅前の雑居ビル。そこは周囲が緑に呑まれ廃墟となりつつある中でいまだに人の集まりがある場所だった。

「さて、行きましょうか」

「待って待って! こういうのってしばらく外から様子見たりするもんじゃないの?!」

「そんなまどろっこしいことしてられないわ」

「大丈夫ですよ。貴女には悪魔が二人もついているのですから」

 イケメンに微笑まれたって騙されないんだからぁっ!!

 入口で揉めていると、中から出てきた人に声をかけられた。

「あら、入信希望者?」

「ええ、チラシを見て」

 カシギがさっき拾ったチラシをひらひらさせながらにこやかに答えた。

「ようこそ。どうぞこちらへ」

 カシギとナユタに物理的に背中を押されながら私も中へ入る。

 怪しげな飾りや像の類が飾られているのかと思っていたら、意外にも暗幕で囲われただけのシンプルな部屋だった。

「私ね、神様に出会ったことがあるのです」

 勧められるままパイプ椅子に座り、お茶の入った紙コップを受け取る。

 素直に飲もうとすると、こっそりカシギに止められた。

「暴漢に襲われていたところを助けられまして……ええ、よくある話かと思うでしょう。だけどそれがとても人間業とは思えない光景でして、ここにいる人のほとんどが同じような体験をしているのです」

 “カミサマ”は暗闇から突如現れて、悪しき人を喰い去る。

「まるで野菜を刻むように軽やかに、四肢を切り落として食べるんですよ。私も初めはバケモノが出たと思いました。しかしもう一人、黒衣の少女が現れて言ったんです。「カミサマ、戯れはほどほどに」と」

 ああ神様ならば人の道理が通じないのは仕方がないなと彼らは頷くが、私からしてみれば彼らが嬉々として語るこの状況は十分異様な光景だった。

 助けを求めるようにカシギを見るが、まだニコニコと話を聞いている。

「そろそろお祈りの時間です。よろしければ参加していってくださいね」

 そう言って手渡された歌詞カードは、神社で夏子さんに見せてもらった物と同じだった。

 信者による耳馴染みのない言語での合唱の合間にこっそりカシギに尋ねてみた。

「どうしてさっき、お茶を飲まないように言ったの?」

 口のつけられていない紙コップはいまだ私の手の中にある。

 素朴な疑問をぶつけたら、恐ろしい答えが返ってきた。

「人間にとって毒となるものが入っていたからですよ」

「でも周りの人みんな飲んでたし、カシギ達も……」

「彼らは既に手遅れでしたし、僕達は悪魔ですよ。この程度では影響は出ません」

 穏やかな笑顔でとんでもない事言うなこの人。

「毒を持っているのなら警察に届けないと」

「無駄ですよ。この町で警察が機能してると思いますか? それに、ただの人間に魔力検知はできませんよ」

 ……まりょく?

 カシギ曰く、紙コップの中のお茶に微量ながら魔力を感じるらしい。周りの人も似たような魔力を持っているが、このお茶を繰り返し飲んだ影響で、実際はただの無力な人間の集まりだそうだ。

 合唱が終わり、カシギがこのお茶がどこで作られているのかを尋ねれば、“聖女様”が月に一度届けに来ると言う。

「ぜひお会いしたいものですね」

 カシギがそう言うと、信者たちはわぁっと各自の持っている情報を出してくる。

「魔女の薬草茶よりお兄ちゃんの“毒”の方がよく効くみたいね」

 ナユタがぽそりと呟いた。

 わたしの話を聞いてくれ!俺の話もだ!と賑わっていた室内が段々静かになっていく。

 カシギが一人ずつ話を聞く度に、信者は恍惚の表情で静かに下がり、まだ話していない人に場所を譲る。

 一体何が起こっているの?

 信者達と談笑して、充分情報を引き出したカシギ達は、静かになった教会を出た。

 私も慌てて後を追ったけど、扉の向こうにもう二人の姿は無かった。

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