大切なもの


 ふわり。空気が揺れた。顔を上げると、透き通る空色にうっすらと雲。

 ああ、良い天気だなぁ。

 廃墟となったビルの屋上、錆びた柵にもたれかかって目を閉じる。

「監視屋の……ミナト?」

 初めて聴く声に、目を開けて答えた。

「うん。監視屋の久留山湊だよ。君は?」

「……何でも屋」

 職業だけ答えた何でも屋の少年は、俺の頭から爪先まで視線を往復させて首を傾げた。

 俺も少年を眺めてみる。

 監視屋を始めてからいろんなものを見てきて、この地区にいるほぼ全ての人に会った。それでも見覚えがないということは、最近現われた仕事屋だ。

 歳は弟と同じくらいか。黒い髪は根元が白いが、脱色や染色をしているにしては艶がある。全く手を加えずにこんな色になる事もあるのだろうか。

「不思議な髪だね」

「……ミナトは、大切な人が傷付けられたらどうする?」

 華麗にスルーされた上に、とんでもない質問だ。

「どういうつもりで聞いているのかは分からないけど、俺が大切に思っている人達に手を出したら許さないからね」

「……」

 俺を見る目に表情の変化は無い。

 しばしの沈黙の後、自分自身の中で答えがまとまったのか、少年は小さく頷いた。

「何が正しいのかよく分からないから、聞いてみただけ」

「そっか。でもそう言う質問は安易に出さない方がいいよ。最近はこの辺りも物騒だし」

「……気を付ける」

 案外素直なようだ。

 何でも屋の少年は周囲を軽く見回してから、少し間隔を開けて俺の隣に腰を下ろした。

「もしかして、最近テオさんの所によく現れるっていう少年は君の事かな?」

「!」

 当たりか。変化は少ないようでいて、実は表情豊かだ。

「噂に聞いただけなんだけどね」

「……噂か」

「ただし、ただの噂と侮るなかれ、だよ。教えてくれたのは情報屋だからね」

「噂なんて不確かなものを売り物にする?」

「時には武器にだってなり得るよ」

 薄い影を落として、雲が流れていく。そういえば、少年が屋上に来た理由をまだ聞いていなかった。

「君はどうしてここに? 探し物でもあった?」

「監視屋を探してた」

「俺のこと?」

 何でも屋の少年は黙って頷いた。紅い目が、真っ直ぐ俺を見る。

「監視屋を、仕事が出来ないようにする。それが依頼」

 少年に悟られないように、ポケットの中に忍ばせてある武器に触れる。しかし、相手からは何の敵意も感じられなかった。

「……だったんだけど、この依頼は断る事にする。ミナトは悪い奴じゃなさそうだし」

「はぁ……」

無意識のうちに力んでいた肩から力が抜けた。

 髪だけでなく、中身も不思議な子だった。悪い子ではないようだけれども。

 しばらく二人で空を眺めていた。

 そういえば、名前を聞いていなかった。そう思って振り向いたら、少年の姿は無かった。現われた時と同様、いつの間にか帰ってしまったようだ。

「まるで猫だね」

 今度会った時にでも聞けばいいか。

 飛行機雲が伸びる空の下、鼻歌を歌いながら階下へ降りる階段に向かう。

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