第六話 声を聞いて 中編
ドアの隙間からこっそり聞き耳を立てていたはずなのに。
気が付けば私は、怒りに任せて教室に踏み込んでいた。
突然の乱入に、福見先生と深山さんが目を真ん丸に見開いてこちらを振り向く。
「く、栗原さん!? 今、面談中――」
「分かってますすみませんごめんなさい、でも我慢出来なかったんで!」
「ぇ~~……」
私は、私の剣幕にドン引きした福見先生の元へ行き、先生を押し退けるようにして机に身を乗り出した。
ノートパソコンの画面に、一人の女性が映っている。
……なるほど、一目で深山さんの母親だと分かるほどに美しい女性だった。顔立ちも似ている。でも、それだけ。むしろ似ているからこそ、腹が立つ。
そして彼女も先生達ほど大袈裟ではないものの、いきなり画面に現れた私に少なからず驚いていた。
『っ……誰?』
「初めまして! いっちゃんと仲良しの、栗原亜由美です!」
『な、仲良し……?』
「そうです!」
私の力強い肯定に、深山さんのお母さんは呆れ交じりに溜息をつき、
『……栗原さん。あなたの今後のためにも言っておくけど、いくら友人でも、他の家庭の面談に口を出すのは非常識よ』
そこで話を終わらせようとしたのか、深山さんのお母さんの手がキーボードに伸び、
「それぐらい分かってます! でもさっきのあなたの態度も相当非常識だと思うんですけど!?」
私がそう言った直後、その手がピタリと止まった。
同時に画面の向こうの美貌が、不愉快そうにぴくっと震えた、ように見えた。
『……私の何が非常識だと?』
「分からないんですか!? 今何やってました!? 娘の面談ですよ!? 面談って、学校のこととか、家のこととか、色々話す場ですよね!?」
『だから?』
「なのにさっき、先生に何て言いました!? 成績のことだけ手短に、ですよ!?」
『……? それが?』
一体何が悪いのかといった風に眉をひそめられた。
「こ、の……!」
ただでさえ頭にきている状態だったのに、さらに追加で血が昇っていくのが分かる。同時に怒りが寒気のように体を包み、頭から足先までブルブルと震えだした。
以前、深山さんに勝手なイメージを押し付けていた土井達にも腹を立てたことがあったけど、今のこの怒りは間違いなくあの時以上のものだ。
「分かってるなら、どうしていっちゃんの話を聞いてあげようとしないんですか!?」
『……栗原さん。あなた、さっきの面談内容を聞いていたんでしょう?』
今さら誤魔化せることでもないので、私は「はい!」と大きく首を縦に振った。隣で福見先生が「駄目でしょ!?」とか言っていたけど、気にしない。
「盗み聞きしたのは謝ります、すみませんでした! でも――」
『だったら分かるでしょう。私は娘の話を聞いた。娘もそれ以上話そうとしなかった。それで終わり。……何かおかしいところがある?』
「大ありです! いっちゃんは、家庭科部に入部した、としか言ってません! それなのに、あなたは、『そう』としか言ってないんですよ!? おかしいでしょ!」
自分の声が大きくなっていくのを止められなかった。
たぶん、というか絶対に教室の外にも響いている。もしかしたら私の声に気付いた生徒が野次馬に来るかもしれない。でも関係無い。
『何がおかしいと?』
「自分の子供のことですよ!? それならもっと、学校の様子はどうだとか、部活でどんなことしてるとか、もっと知りたい、もっと聞きたいって思うのが普通でしょ! なのに『そう』の一言だけって! 普通なら『どんなことしてるの?』とか、お母さんの方から聞きますよ!?」
『それは、あくまで一般的な親子関係からイメージする、会話のパターンの一つでしょう。でも実際の親子関係というのは、その家庭ごとに違うの。あなたが思っているような仲の良い親子もいれば、その逆の親子もいる。中には暴力を振るい合うような親子だっているでしょう』
「そんなこと分かってますよ!」
私だって、世の中の親子、全部が全部仲良しだなんてお花畑なことは考えていない。親子間での悲惨な話だって、テレビやネットニュースで当たり前みたいに聞こえてくる。
深山さんのお母さんは、私との会話に疲れたのか呆れたのか、「はぁ」と小さく息を吐き、
『栗原さん……。分かっているなら、どうしてそんなに怒ってるの?』
「そんなの――」
と、答えようとして、なぜか言葉が止まった。
どうして怒っているかなんて、理由は簡単だ。
深山さんが可哀想だからだ。
私は深山さんのママとして、彼女と過ごしてきた。深山さんがお母さんに対して、何の期待もしていないと知っている。それでも彼女は心のどこかで、温かい家庭やお母さんとの会話を求めている。
家庭科部に入部したという、たったそれだけのことを口に出すのに、さっきの深山さんがどれだけ勇気を出したのか私には分かる。そしてお母さんからの、無関心過ぎる返事にどれだけ深く傷ついたかも分かる。
だから怒った。
深山さんの友達――いや、いっちゃんのママとして、傷つけられた彼女のために怒って、今こうして怒鳴り込んでいる。それで間違いはない。
……それだけ?
「――ママ」
消え入るような深山さんの声が聞こえた。
顔を上げると、今にも零れそうなほど涙を浮かべ、引き結んだ唇を震わせている彼女と目が合った。深山さんが泣く必要なんてない。泣くより、怒ってやればいい。私の話を聞いてよ、と。
それにどっちかと言えば、泣きそうなのは私の方で――。
そう思った瞬間、私を見つめる深山さんの顔が、私自身の顔に見えて――気付いた。
(ああ……そうか……)
馬鹿だなぁ、私は。
「――さい」
『……?』
「ちゃんと! 聞いてあげてください!」
その大声に、私以外の全員がびくっと身を竦ませた。
『っ……!?』
私は今にも漏れそうな嗚咽を強引に飲み込むと、胸の奥から湧いてきた気持ちを、そのまま吐き出した。
「お母さんと話したくても、もう二度と話せない人だっているんだから!!!!」
お母さんと、話したい――。
私にとって、それは絶対に叶わないことだった。
だってもう、いないんだから。
楽しいことがあっても、それを伝えて笑い合うことはない。
悩み事があっても、お父さんに内緒で相談することも出来ない。
テストでいい点を取っても褒めてもらえないし、ちょっとしたことで口喧嘩することも、連休中ににダラダラし過ぎて課題はやったのかと叱られることもない。
おはようも、おやすみも。
行ってきますも、ただいまも。
いただきますも、ごちそうさまも。
ただの一言、一文字だって、私がお母さんの声を聞くことは、もう二度とない。
でも、あなた達は違うじゃないか。
「あなた、は……生きてるじゃ、ないですか……!!」
まだお互い話すことが出来る。それが羨ましかった。
それなのに話そうとしない。それに腹が立った。
生きてるのに、どうして話を聞いてくれないの――と。
「ちゃん、と……話せる、うちに……っ! いっちゃんの、話……聞いて、あげて……!!」
駄目だ、泣くな、耐えろと。自分で自分に言い聞かせながら、必死に声を絞り出していたが――そこが限界だった。
鼻の奥がつんと痛くなったと思ったら、抑えていた嗚咽が一気にこみ上げてきた。
思いっ切り唇を引き結んでも、その隙間から情けない音として漏れてしまう。
「ふっ……ぐっ……はっ……ぅあ……うぅう……!」
視界が滲んで見えなくなる。机やパソコンのキーボードにぼたぼたと涙が零れ落ちた。もう出てくるなと思い顔を天井に向けたけど、駄目だった。手で押さえても、袖で拭っても、涙は止まるどころか次から次へと溢れ出す。
「お、母さ……! お……ぁ、さ……!!」
それまで怒鳴っていたやつがいきなり泣き始めたんだから、深山さんのお母さんだけじゃなく、全員が困っているだろう。
私だって泣くつもりはなかったし、今だってどうにかしたいとは思ってる。でも、
「っ、ぐ……えっぐ……! うぅ、はぁ、はぁ、はぁ……っ……ぁぁぁ~~……!!」
……ああ、無理だ。この涙はしばらく止まらない。
だって、お母さんがいなくなって、お父さんも忙しくて、一人で頑張るしかなくて、でも周りの人達に助けて貰って、寂しさを忘れて。
ずっと泣かなかった――いや、泣けなかった私の中に溜まり続けていた涙が、全部出てきてるんだから。
「ごめ……! いっ、ちゃん……! ごめんねぇ……! うぁぁあ……!」
お母さんに頑張りを無碍にされた深山さんが可哀想で、彼女のために怒った。
それは嘘じゃない。でも、深山さんのためだけじゃなかった。
自分のためでもあったんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます