第五話 ごめんなさいと、少しの勇気 中編
(……気まずい)
不思議なもので、食事を始める前までは案外普通に話せていたのに、いざ食べ始めるとなぜか無言になってしまった。
だからと言って、深山さんから喋るのを待つというのは無理だろう。
こうしてお見舞いに来てくれたとはいえ、まだ距離を置こうとしている気がするし。
というか実際、以前と同じようにソファーで隣り合って座っているのに、私との間が微妙に空いているし……。
やっぱりここは私から話すべきだろう。
でも何を言えばいい? プリンが美味しいというところから話題を広げるか、それとも今日の学校で何があったとかを聞くか。無難なところではその二つだけど……。と、そこまで考えて、ふと少し気になっていたことを思い出した。
「……あ……えっと……聞いていい?」
「っ……う、うん……何?」
びくっと肩を震わせた深山さんが、ほんの少しだけ顔を私の方に傾ける。そんなにビクビクしなくてもいいのに。
「ど、どうして、来たのかなーって……」
「え……」
深山さんの顔から血の気が引くのが分かった。なぜか箸を持つ手もプルプルと小刻みに震えている。……なぜ? どうして来たのか聞いただけで――あ。
「違う違う! 誤解しないでね!? 全然迷惑とかそういうことじゃないから!」
「……ほ、本当に……?」
泣くのを堪えているかのように、喉が詰まったような声だ。私が何度も頷くのを見て、ようやく落ち着いてくれた。
危なかった。今のは私の言い方が悪い。あれだと、来たこと自体を責めているように受け取られても仕方ない。
「どうしてっていうのは、どうして私の具合が悪いのが分かったのかな、ってことで……」
「それは……す、周防さんに、教えてもらって」
「え、爽に?」
「うん。朝に偶然会って、その時に……」
まぁ、考えてみればそりゃそうか。個人情報にうるさい昨今、一人の生徒が休んだ理由を先生がわざわざ言うわけがない。となれば情報源は、残る一つしかない。
それに爽なら、私と深山さんのことを多少は知っているから、心配させないように教えていても不思議じゃない。
私が心の中で爽に小さく拍手を送っていると、深山さんが静かに箸を置いた。
「……私も聞いていい?」
「いいよ、何?」
「その……具合が悪くなった原因って、何……?」
「ああ、それね。いやぁ、それがちょっとしたドジって言うか。お風呂上りに色々考え事してたらそのまま寝落ちして、朝になったら体が冷えて体調崩してました、ってだけだよ」
これはチャンスだと思い、出来るだけ明るい口調で語ってみた。ここをきっかけに、また普通に話すことが出来ればと思っていたが、なぜか深山さんは表情を曇らせた。
「考え事って……もしかして、私のこと……?」
「へ!? あ、あー……チガウケド?」
自分でも呆れるほど硬い声が出た。
当然、深山さんも私の嘘に気付き――その目から涙が零れた。
「え……?」
「……ごめ――さ……」
深山さんの整った顔がくしゃりと歪んだ。
強く閉じた目蓋の隙間から涙が溢れ出し、握りしめた手やテーブルにぽたぽたと滴り、弾ける。
「っ……ごめ、なさ…い……ごめんなさい……!!」
「な、何が何が!? 何で深山さんが謝るの!?」
私は突然のことに戸惑いながら、ティッシュを探したが手近には無かった。極力物を置かないようにしていたことが裏目に出た。それならと寝巻の袖を引っ張って伸ばし、深山さんの頬を流れる涙を拭っていく。
「落ち着いて、ね? 深山さんは何も悪くないんだから……!」
どれだけ拭っても深山さんの涙は止まらなかった。それを見て私が余計に慌てると、深山さんも感化されたように何度もしゃくりあげ、激しく首を振った。
「そ……な、ことない……! 私があんな……ごめん、なさ……うあぁ~~~……!」
そして、とうとう天井を仰いで号泣し始めた。
わんわんと声を上げて泣きじゃくるその姿は、とても高校生には見えない。
涙や鼻水でぐしゃぐしゃになったその顔は、まるで親とはぐれて絶望した幼子だ。真っ赤になった顔を見て、この世の終わりのような泣き声を聞いて、どうしようもなく胸が締め付けられてしまう。
何をすれば分からないが、何かをしてあげたい。
軽くパニックになった頭で考え、出した結論は、
「ぁぁあ、もうっ……! いっちゃん! 泣かないの……!!」
深山さんを、強く、強く、抱き締めることだった。
「っ……!! くり、はらさ……!?」
「いっちゃんは悪くないって言ってるでしょ! 悪いのは私! いっちゃんの家のことなのに調子に乗って口を出した私が悪いの!」
「ちが……!」
私の言葉を否定したいのか、腕の中で深山さんが首を左右に動かす。涙か鼻水かは分からないが、寝巻の胸元が濡れた感触が伝わってきたが、そんなものどうでもいい。
「わ、たしが……悪いの……! 私が悪い子だったから……! 栗原さんに、迷惑を……」
「迷惑!? 熱出して倒れたこと? だったらそれはいっちゃんのせいじゃないよ。自分のドジだって言ったよね? 悩むにしても、ちゃんとベッドに入ってれば良かったんだから」
「でも……」
「それと!」
「っ……!」
食い下がろうとする深山さんを制し、彼女の頬を両手で挟むと強引に上向かせる。
そして軽く息を吸い込むと、
「――いっちゃんは、悪い子じゃないよ」
思いっきり優しい声で、そう告げた。
叱られると思っていたのか、反射的にぎゅっと目を閉じた深山さんだったが、やや間があってから「……え?」と声を漏らし、恐々と薄目を開けた。
「悪い、子じゃ……ない……?」
鼻先が触れそうなほど近くにある、深山さんの情けない顔を真っ直ぐに見つめ、私は力強く頷いた。
「うん。いっちゃんは、悪い子じゃない。本当に悪い子だったら、ケンカしてる相手のお見舞いになんて来ないよ。でもいっちゃんは、こうして来てくれた。だから、いっちゃんは全然悪い子なんかじゃない」
「でも……」
「でも、は無し。……そもそもケンカじゃないんだけどね。私が余計なこと言って、いっちゃんのことを傷つけちゃったせいでこうなったんだから……。うん、やっぱりどう考えても私が悪い。だから……ごめんね?」
乱れてしまった深山さんの黒髪をそっと撫でながら言う。
ようやく、謝ることが出来た。
あれだけどうやって謝るか悩んでいたのに、一度口にした後は、何回でも言える気がする。
「じゃあ……栗原さんは……私のこと、嫌いに、なってない……?」
「なってない。ていうか、なるわけないでしょ? どうしてそう思うわけ?」
「だって……周防さんには、連絡してたのに……私には、何にも言ってくれなかった……!」
そんなことを気にしていたのか……と苦笑しそうになり、私は慌てて口元の緩みを消した。
仲の良い相手が突然目の前から消え、その理由を自分以外の誰かにだけ教えていたら。しかもそれが、自分にとって唯一仲の良い相手だったら。
……確かにショックかもしれない。それが誤解だったと知るまでは、人によっては引きずってしまうだろう。
「心配させたくなかった、ってのもあるんだけど……。いっちゃん、学校で私のことずっと避けてたから……まだ怒ってるみたいだし……」
「怒ってない……! どうすればいいか、分かんなくて……嫌われてるかもって……」
「あのね……。嫌いになってたら、毎朝声かけたり、お弁当作ったりしないよ。でしょ?」
「それは……」
深山さんは頷きかけて、しかし無言で目を逸らした。
「まーだ疑ってるの?」
しばらく視線を泳がせていた深山さんだったが、顔を挟まれている状態では逃げることも出来ず、結局諦めておずおずと口を開いた。
「だって……栗原さんは、優しいから……。私みたいな変人でも……ちゃんと、受け入れてくれる人だから……」
「だから? 嫌いなのを隠して、何とも思ってないふりして、いつも通りにしてるかもしれないって? そう思ったの?」
返ってきたのは、数ミリ程度の首肯。
まったく、この子は……。
対人関係が苦手なくせに、思い込みがマイナス方向に激しすぎる。……いや、苦手だからこそ、経験値が足りないからこそ、より悪い方向に考えてしまうのかもしれない。実際、良いことを想像するより、悪いことを想像する方が簡単だし。
だから今の深山さんは、まだ私のことを信じ切れていない。
「あのねぇ、いっちゃん……。いっちゃんは嘘だって思うかもしれないけど」
その疑念を払うには、はっきり伝えて、分からせるしかない。
「私はいっちゃんのこと、好きなんだよ?」
深山さんがはっと息をのみ、その肩が小さく震えた。
しかしまだ私の方は見ようとはしない。
好きなんて言葉を堂々と口にするのはなかなか……いや、正直かなり恥ずかしい。
でも、私が以前、深山さんに言ったんだ。ちゃんと言わなきゃ分からない、と。
ならママとして、そのお手本にならなきゃいけないじゃないか。
「私、いっちゃんのママになって、いっちゃんのいろんなとこ見てきた。
皆の前だと格好いいのに、二人きりになった途端甘えん坊になるとことか。
頭を撫でたら凄く嬉しそうに笑うところとか。
用事があって離れようとしたら泣きそうになってぐずるところとか。
お弁当で実は苦手な食べ物があっても我慢して食べてくれるところとか。
本っ当にたまにだけどワガママ言っちゃうところとか」
少しずつ、少しずつ。深山さんが私に顔を向けてくる。
やがて、泣き腫らした瞳が真っ直ぐこちらを向いた。
「いっちゃんの良いところも駄目なところも、いっぱい見てきたけど……私はそれ、全部好きだよ?」
「っ……!!」
一度は泣き止んでいた深山さんの目に、再び涙が盛り上がっていく。
「くぃ……は、さ……っ……」
苦しげに息を詰まらせながら、口をぱくぱくと開閉させていたが、
「っ~~……! ママぁあ……!!」
やっといつものように私を呼び、胸の中に思い切り顔を埋めてきた。
くぐもった声の「ごめんなさい」が何度も聞こえてくるが、私も今度は止めたりしない。
言葉は同じでも、意味は違う。
「まったく……泣き虫だね、いっちゃんは」
ぐずぐずと鼻をすすり上げる音を聞きながら、私は深山さんが泣き止むまで彼女の背中を叩き、頭を撫で続けた。
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