第四話 悩んで、話して、ケンカして 後編
「ん~~~~~~~~~~~~~~~~~~……」
リビングのソファーにだらりとうつ伏せになり喉を唸らせる。
お風呂から上がって、もうかれこれ二時間近くはそうしているだろうか。
既に夜の十一時を半分以上過ぎ、そろそろ日付が変わる頃だ。いい加減、明日のお弁当の下準備をした方がいいんだろうけど、やる気が起きない。そもそも作っても食べてもらえないし。
下校時、土井に言われた言葉が、家に帰ってからもずっと頭に残っていた。
「今の私を見るのは、深山さんも辛い……か」
そんなことはない……と思う一方で。
そうかもしれない……という気もする。
確かに毎朝顔を合わせるたびに、深山さんは気まずそうに目を逸らす。
でもそれは『私を見るのが辛い』から、なんだろうか?
そもそも、私が不用意に深山家のことに首を突っ込んで怒らせてしまったせいで、こうなってしまっているわけで……。
顔も見たくない、と思われているというならまだ納得しやすい。深山さんのママをやってきて、彼女がそんなことを思う人じゃないというのは分かっているけど。
「仲直り……仲直りぃ~……」
深山さんが私に対して思うことがあるなら――間違いなくあるだろうけど――無理矢理にでも捕まえて、「腹を割って話そう」と言えばいいのかもしれない。
でも、また家庭のことに口を出すのか、と思われたら嫌だし。もしそうなったら今よりさらに関係が悪くなる。そうなったら、完全に終わりだ。
深山さんと話すことも無くなり、当然ママとしてもお役御免に――あれ?
「ママ……やめたいんじゃなかったっけ……」
最初の頃は、部室で甘えられるたびに呆れていた。
ハグするのも恥ずかしかったし、あ~んをするのも照れ臭かった。
このお世話はいつになったら終わるんだろう、と考えていた。
でも、今は? 深山さんのお世話が嫌かと聞かれれば――そんなことはない。甘えられるのも甘やかすのも、好んでやっているわけではないけど、もう日常の一部だ。
ならママを続けたいのか、となると――。
「……んぁ~~~~~~……わっっっかんない……」
もぞもぞと寝返りを打ち、ひじ掛けを枕にして、電源のついていないテレビの黒い画面に目を向ける。テーブルのリモコンに手を伸ばし、スイッチオン。
映し出されたのは、音楽番組だった。しかもなぜかジャズ特集。
今の憂鬱で複雑な気分を癒すような、心地よいテンポの曲が流れてくる。特にジャズに興味もなく、途中からではあったが、不思議と聞き入ってしまう。
しばらく考えるのをやめて、その音色だけに集中しようと目を閉じる。
そして、湯冷めしたまま寝落ちした結果。
「……ぅ、ぅう……ぁ~、だるぃ……」
翌朝、見事に体調を崩したのだった……。
§ ✿
それは朝の登校時のことだった。
「――おはよう、深山さん」
校門を抜けて昇降口に向かっていた私の背中を、突然誰かが叩いた。
強い力ではなく、まるで友達に挨拶をするような、気軽なボディタッチ。他の人なら普通なんだろうけど、私には当てはまらない。友達なんていないから。
「っ……!? ……あ……」
驚いて振り向くと、そこにいたのはママ――栗原さんの友人だという女子生徒。
周防爽、さん。
「お……おはよう」
動揺を隠しつつ、最低限の挨拶を返す。
すると周防さんは明らかにホッとしたように、小さく息を吐いた。
「良かった、無視されるんじゃないかと思ったよ」
「……どうして?」
「だって、深山さんあたしのこと苦手でしょ? ほら、前にスーパーで会った時も、全然話してくれなかったし」
周防さんの言葉で、スーパーのアイス売り場で周防さんと出会った時の記憶が蘇る。
彼女と私、そして――。
栗原さんの顔が浮かんだ瞬間、ずきりと胸が痛み、無意識に手が胸元を押さえていた。
「ああ、ごめん。気にしないで。あたしって気が合う人と合わない人が、はっきり分かれちゃうから」
その遠慮のない性格のせいだと思う。
フレンドリーといえば聞こえはいいけど、私のような基本的に人付き合いが苦手な人からすれば、相性的には悪いとしか言いようがない。嫌いではないけど、自分からお近づきになろうとは思わないタイプ。
私の場合はそれだけではなく、周防さんが栗原さんと一番仲が良い人だから、という嫉妬もあるけど。
「……?」
ふと、その栗原さんの姿が見当たらないことに気が付いた。
栗原さんと周防さんはよく一緒に登校している。待ち合わせをする時もあれば、登校中に偶然合流してそのまま学校へ、ということも多いらしい。ただ毎日ではない。だから今日も後から来るか、もしくは先に登校しているのかもしれないが。
私の疑問に気が付いたのか、周防さんは「ああ」と頷き、
「亜由美なら、今日休みだよ」
「……え?」
思いがけない言葉に、私は思わずぽかんと口を開けたまま固まってしまった。
「……休み?」
「うん。なんか体調崩したんだって」
「そん……どうして、周防さんが知って……」
「本当は今朝、亜由美と待ち合わせしてたんだけど、家を出る前にメッセージが来てさ。見たら、具合悪いから休む、って。だから今日は、亜由美はいない。残念だったね」
「っ……。別に……」
別に、などと言って誤魔化したが――自分でもわかるほど、動揺していた。
あの日以来、栗原さんとは口をきいていない。
私が酷いことを言った次の日も、栗原さんは変わらずおはようと声をかけてくれた。お弁当も毎日作ってくれている。きっと仲直りしようとしてくれているんだろう。
本当は、私も栗原さんと話したい。
一緒にお弁当を食べたり、膝枕してもらったり、頭を撫でてもらったり、ハグをして背中をぽんぽん叩いてもらいたい。
またママと呼んで甘えたい。
それなのに私は、栗原さんから逃げ続けていた。
私が謝ればいい、というのは分かっている。
だけど、あんな拒否をしたうえに、せっかくのお弁当も残して、あげく無視を続けた私が今さら謝ったところでもう遅い。という不安……いや、恐怖がある。
もし栗原さんに無視されたらと思うと、怖くてたまらない。栗原さんはそんな人じゃないと思っているのに、昨晩は彼女に無視される夢を見たせいで、怖くてほとんど眠れなかった。
そして今、周防さんの話を聞いて、その恐怖が半ば現実として目の前にやってきた。
周防さんには病欠を伝え、私には何の連絡も無い。つまりは、無視。
そうされても仕方ない、とは分かっているし、私の自業自得だとも思う。
「……? 深山さん? おーい? 大丈夫?」
「え……あ、うん……。あの……栗原さんの具合、そんなに悪いの?」
「うーん、どうだろ? 体は強い方だと思うから、そこまでじゃないかもしれないけど……。心配なら、連絡してみれば? それか、サプライズでお見舞いに行くか」
「……お見舞い……」
その後、他の友達と話し始めた周防さんと別れて教室まで行くと、それまで楽しそうにお喋りしていたクラスメイト達が一瞬静かになり、その視線が私に向けられた。
いつものことだからもう慣れている。
気にせず自分の席に座ると、ほどなくして室内が元の賑わいを取り戻した。
一限目の準備をしていると、クラスメイト達のおはようという言葉が、嫌でも耳に入ってくる。羨ましい――とは思わない。友達からの「おはよう」はどうでもいい。
ただ栗原さんからの「おはよう」だけが聞きたかった。
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