第四話 悩んで、話して、ケンカして 中編

 問題解決の糸口は、その翌日、思いの外あっさりと入ってきた。


「……は? 爽、今何て言ったの?」


 横断歩道の信号待ちをしていた私は、思わず目を見開いて隣に立つ爽に向けていた。


「顔怖っ。いや、だから、オンラインのリモート面談いいなーって」

「それだぁぁぁぁあ!」

「わっ、びっくりした!? 何急に!?」


 思わず叫んだ私に爽が驚き、周囲の人々からの視線が集まる。

 しかしそんなことが気にならないぐらい、私は興奮していた。

 脳汁が噴き出るとか、アドレナリンの大量分泌とか、言葉は聞くけど体験したことなかった感覚を、今まさに味わっている。ああ、これはスッキリするわ。お弁当作りのために早起きした体に残っていた眠気も綺麗さっぱり吹き飛んだ。


「それ! そのリモート面接! どうやってやるの!?」

「え? ああ、え~っと……パソコンとか、タブレットのカメラ使って――」


 詰め寄る私の勢いに、爽の背が徐々に仰け反っていく。

 私はパソコンとかに詳しいわけではないが、ようは親が学校に来なくても面談が出来るということだ。昨晩のニュースの中で、リモート面談ことを特集していたらしい。


「てことは、もう結構あっちこっちでやってるの?」

「増えてはいるみたいだけど、まだそういう機材とか環境がちゃんとしてる学校って少ないから、本格的に普及するにはまだみたい」

「うちの学校でも出来るかな?」

「さぁ、どうだろ?」

「これは確認してみないと……!」


 信号が青に変わり、鳥の鳴き声を模した音が流れ始めた。


「ごめん爽! 私ちょっと先に行く!」

「え、ちょ、亜由美!?」


 私は爽に謝るのと同時に飛び出した。

 少し薄れた横断歩道の白線を二本飛ばしの勢いで駆け抜け、そのまま他の通行人や、登校中の時原高校生徒を追い越して走り続けた。運が良いことに、次の信号は青、その次の信号もぎりぎりで青だったので、一気に渡り切った。

 学校の正門に辿り着いた時にはすっかり息が上がっていたが、爽から得た情報のおかげで気分は興奮状態を保っている。額から流れる汗を拭いつつ昇降口に向かい、急いで上履きに履き替えた。慌てる私を奇妙な目で見る他の生徒たちを無視し、自分の教室へ。


(いた……!)

「っ……!?」


 既に登校していた深山さんは自分の席に座り、一限目の予習らしいことをしていたが、教室に入ってきた私の様子に気付き、わずかに眉根を寄せた。

 今すぐに深山さんをどこかに連れ出し、リモート面談のことを教えてあげようと思ったが、やめておいた。教室の皆が私に注目してしまっている今、こっそり二人きりになるというのは難しい。


(昼休み、楽しみにしてて……!)

「……?」


 アイコンタクトの意味は分からなかっただろうが、私が何かしらを伝えようとしていたのは分かったらしく、深山さんは戸惑いつつも小さくコクリと頷いた。


     §


 そして昼休み。

 私は家庭科部の部室で深山さんとお弁当を食べながら、問題の件を切り出した。


「オンラインで、面談……?」

「そう! っと」


 驚きで固まった深山さんの手から落ちた箸を、咄嗟に空中でキャッチ。そのまま深山さんの手に握り直させた。


「どう? これならいっちゃんのお母さんも面談出来るでしょ?」

「……」

「何しろ学校に来なくていいんだから! パソコンでもタブレットでも、なんならスマホでも出来るんだって! いやー、私も今朝初めて知ったけど、びっくりしたよ♪」

「……そう、なんだ」

「爽からその話を聞いた時、思わず叫んじゃったもん! これだー、って」


 私は調子に乗って話しながら、その合間にお弁当を少しずつ食べていった。

 しかし深山さんはなぜか微妙な表情を浮かべたまま、手を動かそうとしない。もしかしたら母親が初めて面談に参加出来る可能性を知り、動揺しているのかもしれない。


「だから、いっちゃんから学校側にお願いしてみたらどうかなって。どうしても学校まで来る時間が無いんです、って。お母さんにも言ってみたら?」


 深山さんは少し俯くと、どうだと胸を張る私の顔色を窺うように、ちらりと視線を上げ――しかしすぐに、ふっと逸らした。


「――だよ」

「え?」


 何て言ったんだろう? 上手く聞き取れなかった私は、少し前屈みになり深山さんの顔を覗き込んだ。すると深山さんは能面のように感情の失せた表情で、


「お母さんに言っても無駄だよ」


 今度はしっかりと強い口調でそう言った。

 言っても無駄って……どうして?


「い、いや、いっちゃん? いっちゃんのお母さん、忙しいから来られないんでしょ? だけどこの方法なら」

「方法とか、そういうのは関係無いよ」


 深山さんは静かに首を振ると、止まっていた箸を動かし始めた。

 いつもなら嬉しそうに笑い、たくさん感想を言いながら食べてくれるのに。今日はその笑顔も感想も無い。ただ目の前にある栄養源を、必要だから摂取しているという雰囲気だ。


「そ……そんなことないと思うけどなぁ……? あ、も、もしかして、あれかな? いっちゃん、先生達にお願いするのが恥ずかしい、とか?」

「……ママ」

「あ、当たり? 仕方ないなぁ。それじゃあ私の方から提案」

「余計なことしないで」


 決して大きくはない、どちらかといえば小さな声。

 しかしその時の深山さんの声は、私の喉を詰まらせて言葉を途切れさせるのに、十分過ぎるほどの圧と苛立ちに満ちていた。

 他の教室や中庭にいる昼休みを楽しむ生徒達の賑わいが、遠く離れたこの部室内にまで、気味が悪いほどはっきり聞こえてきた。それほど、静かだった。

 いっちゃんモードの深山さんが、多少不機嫌になった姿なら見たことがある。深山さんが甘えようとして、私がそれを断った時など、子供っぽく頬を膨らませて怒ったりする。

 でもそれは本気で怒っているわけではない。深山さん的にはそういうやり取りもアリだとして楽しんでいる。

 だから――本気で苛立っている深山さんを目の当たりにするのは、初めてだった。


「あ……え、と……その……」

「――これ、もういい……」


 深山さんがお弁当と箸を机に置き、静かに席を立つ。そしてそれ以上何も言わずに、部室を去っていった。

 私は引き留めることも、声をかけることすら出来ず、部室のドアが閉じられるのを見ているしかなかった。

 深山さんの弁当箱の中身は、半分近く残っていた。

 いつも最後に食べるために残している好物の卵焼きは、丸ごと残っていた。


     §


「亜由美。今帰り?」

「あ……爽。うん」


 昇降口で靴を履き替えていると、部活終わりらしい爽が現れ、私の背中のポンと叩いた。

 そしてなぜか周囲を見回し、小首を傾げた。どうしたんだろう。


「深山さんは?」

「別に、いつも一緒ってわけじゃないよ?」

「まだケンカしてんの?」


 少々の驚きを含んだ爽の一言に、ぐっと息が詰まる。

 ――深山さんがお弁当を残した日から、今日で三日が過ぎていた。

 あれから深山さんとは、一言も言葉を交わせていなかった。同じクラスなので、毎朝登校すれば、嫌でも顔を見ることになる。……嫌でも、じゃない。気まずくても、だ。

 あの事があった次の日は、一応「おはよう」と声をかけてみたのだが、深山さんの方から無言で目を逸らされてしまった。イラっとしたが、当然という気もする。よく知りもしないのに他人の家庭事情に口を挟んだんだから。

 その日もお弁当は作ったのだが、昼になると深山さんはコンビニの袋を手にして早々に教室から出て行ってしまい、結局私が一人で食べることになった。

 そして次の日、つまり昨日も全く同じ光景が繰り返された。

 初めて知ったことだが、二日連続で手付かずのお弁当を持って帰るというのは……精神的になかなか辛い。捨てるのももったいないので、そのまま私の夕ご飯になるのだが、一人で家で食べるお弁当は、あんまり、というか全然美味しくなかった。


「早く仲直りすればいいのに」

「だから、ケンカとかじゃ……」

「それはケンカした人が言う、言い訳の第一位だよ」

「どこの誰調べ」

「世界の常識だよ」


 やれやれと頭を振る爽に軽く苛立ち、私は上履きを少し乱暴に自分の下足箱に入れた。明らかに八つ当たり的な行動だったのに、爽は特に気にする様子もなく、私と並んで歩きだした。


「ていうか、この時間まで残ってたってことは、家庭科部の活動はしてたんだ?」

「ん……まぁ……」

「一人で?」

「……うん」


 頷く私の視界の端に、爽の呆れ顔がちらりと映った。

 別におかしいことではない。深山さんが入部する前だって、活動してたのは私一人だけだったから、その頃に戻っただけだ。むしろちょっと懐かしい気さえする。

 ……なんてのは建前で。

 もしかしたら深山さんが来るかなと思って、待っていただけだ。

 来なかったけど。


「てことは、深山さんは先に帰ったんだ?」

「……多分ね」


 寄り道をするタイプじゃないから、学校から真っ直ぐ家に帰っているはずだ。

 間違っても先に私の家に行って、私が帰ってくるまでぽつんと待っている……なんてことはない。昨日も一昨日もこっそり「そうだったらいいのに」とか思っていたけど、そんな青春ドラマ的なことは起きなかった。


「ふぅん……。で、何があったん? って聞いてもいいヤツかな?」

「今さら聞く? ていうか、言えないし」


 リモート面談のことを話すとなると、深山さんの家庭の事情まで話すことになる。いくら相手が爽だとしても、さすがに勝手に教えるわけにはいかない。


「まぁ、深山さんはあたしのこと嫌いっぽいし、言わない方がいいか」

「嫌いってわけじゃないよ。苦手というか……やきもち的なあれってだけ」


 余計に分からなかったらしく、爽が訝し気に眉根を寄せた。


「まぁ……色々とあるんだよ、深山さんにも」

「ふぅん……。亜由美と深山さんって、プライベートなことまで教え合うぐらい仲良くなってたんだ」

「仲良くっていうか……一緒に部活してれば、普通だと思うけど」


 言い訳臭く言う私に対し、爽は「それもそうか」とからからと笑った。特に深く考えての発言ではなかったんだろう。

 それでも、私にはちょっと痛かった。


「で、さぁ? ……あの人って亜由美の知り合い?」


 突然、爽が話題を方向転換させた。

 あの人って誰だろうと顔を上げ、爽が指差す方を見る。

 校門の前で人待ち風を装い、しかし明らかに私を睨む――。


「……どうも」


 土井がいた。

 彼女から静かに漂う殺気立った空気を感じているのか、他の下校の生徒が微妙に距離を取っている。出来ることなら私もそうしたいが、絶対に無理だろう。


「……何か用?」


 仕方なく声をかけると、


「聞く必要あります?」


 ピシャリと返された。……まぁ、確かにわざわざ聞かなくてもいいことだ。


「他の四人は? 一緒じゃないんだ」

「待っていたところに、栗原さんが来たんです。運良く」

「悪く、の間違いだと思うんだけど……」

「私にとっては、です」


 そう言うと土井は爽に会釈し、しかしそれ以上の反応は見せず、私の周囲を確認するように眺めた。


「……やっぱり、一緒ではないんですね」

「先に帰ったんだと思うけど。見てないの?」

「ええ。私がここに来たのは、美術部が終わってからなので」


 美術部だったんだ……。隠し撮りした深山さんの写真とかで、密かに肖像画を制作していそうで怖い。


「……早く深山さんと仲直りして欲しいんですが」

「……!?」


 あまりに思いがけない土井からの言葉に、私はぎょっと彼女の顔を凝視してしまった。言葉で表すなら、『驚き』ではなく『驚愕』だ。度合いが違う。


「な、何で……? むしろ逆じゃないの? てっきり、いい気味ですとか言って、鼻で笑われると思ってたのに……」

「栗原さんの中では、私はそういうイメージなんですか……よく分かりました」


 怒りを抑えたのか、土井が頬をひくひくっと震わせる。


「いや、ごめん……。でも、本当に何で? 私のことが邪魔だったなら、そっちにとっても都合がいいんじゃ……?」


 わざわざ呼び出して五人で囲むくらいだし。

 すると土井は、苛立たしげに鼻を鳴らして目を伏せた。


「確かに、栗原さんの言う通りです。でも……今の深山さんは、私たちが憧れる深山さんではありません」

「……前と同じだと思うんだけど」

「本気で言ってます?」


 すっと細めた目で睨まれ、私は反射的に目を逸らした。

 深山さんの様子が前と同じ――などと、思うわけがない。

 ここ三日間の立ち居振る舞いそのものは、以前と変わらない、クールで孤高の完璧美少女風を装っている。しかしそれはあくまで深山さんを遠巻きに眺める人達にとっては、だ。

 私から見た深山さんは、明らかに落ち込んでいた。

 朝に私からの挨拶を無視する時も、昼に一人で教室を去る時も、放課後に私を放って先に帰る時も。深山さんからは元気というか、生気というか、そういう気配を感じない。


「……分かっているなら、早く元の深山さんに戻してください」


 その土井の言葉に、「どうせ栗原さんが悪いんでしょう?」という心の声が重なって聞こえた気がした。土井ではなく、私の心の声かもしれないけど。

 その通りではあるし、私も早く元の関係に戻りたいとは思う。

 ただ問題は、深山さんがどう思っているかだ。

 いくら元気が無いとは言っても、いまだに私を無視するということは、今はまだ距離を置きたいということなのかもしれないし。そんな状態でこちらから強引に謝っても、逆効果な気がしないでもない。


「っ……何か言ったらどうですか? 以前あれだけ私達に対して強く」

「あー……ちょっといい?」


 それまで黙って聞いていた爽が、突然口を開いて土井の言葉を遮った。


「……何ですか?」


 新しい敵を迎え撃つように、土井が私から爽に視線を移す。


「いや、あたしも詳しい事情は教えてもらってないんだけどさ……。二人のことは、二人に任せておいた方がいいんじゃないかなって。友達のケンカが心配な気持ちは分かるけど、結局は本人同士の問題だし」


 ……正論、ではある。あるけど。


「ついさっきまで、爽もあれこれ口出ししてた気がするんだけど……?」

「そうかな? 色々聞いたりはしたけど、早く仲直りしたらって言ったくらいだよ」

「……だっけ?」


 首を傾げる私に「うん」と自信ありげに頷いた爽は、改めて土井に向き直り、


「だからそっちも――えっと」

「ああ……土井です」

「土井さんね。私は周防爽。……土井さんも、あんまり亜由美を責めないであげてよ。見ての通り、結構メンタルやられちゃってるし」


 初対面であるにもかかわらず、友達感覚の気安い口調でお願いされ、土井もやや面食らった様子だった。誰に対しても最初から距離を詰めるのが、爽の凄いところだ。成功するかしないかは別にして、だけど。

 しばらく私と爽の顔を見比べていた土井だったが、やがて「はぁ……」と溜息をついた。


「……分かりました。ですが、これだけは言わせてもらいます」


 分かってないじゃん。


「……? 何?」

「今の栗原さんを見るのは、深山さんだって辛いと思いますよ」

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