第二話 笑って何が悪い 後編
体育でのマラソンを終え、疲労の残る体で四限目の英語の授業を乗り切り、いざ切望していたランチタイム――のはずだったのに。
「――栗原さん」
深山さんが教室を出て少しの後。
二人分のお弁当が入った巾着袋を手に教室を出た瞬間、唐突に横合いから名前を呼ばれた。
足を止めて声の方を振り返り――私は「……誰だっけ?」と目を瞬いた。
そこにいたのは、ちょっと神経質そうな女子生徒だった。
ショートボブの前髪をヘアピンで留め、フレーム無しの眼鏡をかけている、レンズの奥の目は、本当は丸っこくて可愛い感じなのに、無理に細めているような感じ。身長もスタイルも私とどっこいだ。顔に関しては……うん、こっちもイーブン、だと思う。
口うるさい委員長という印象の女子だけど……クラスメイトではない。
「え、と……?」
「土井。土井ゆず季。隣のB組」
「はぁ、どうも……。私に何か用?」
「聞きたいことがあるんだけど、今からいい?」
「え~~~と……。私、ちょっと用事が……」
「――深山さん関係?」
突然言い当てられ、思わず返答に詰まった。
私のリアクションを肯定と受けった土井さんがにっこりと笑った――ように見せかけて、にやりと口の端を上げた。
何だろう、凄く嫌な感じの笑い方だ。まるで策に溺れた相手を馬鹿にするような……。
「悪いけど、ついてきてくれる?」
「……分かった」
深山さんの名前を出されては断ることも出来ない。
心の中で、先に家庭科部の部室で待っている深山さんに謝りながら、仕方なく土井さんの後についていった。
やがて到着したのは、こういう展開でよくある薄暗い校舎の裏――ではなく、なぜか広い中庭だった。当たり前だが、あちらこちらに昼食を取っている生徒の姿がある。
こんな衆人環視のど真ん中で何を始める気なんだろうと警戒していると、ふと、中庭の一角に集まっている数名の女子生徒たちに気が付いた。
人数は四人。木陰に集まり、全員がお弁当や購買のパンなどそれぞれの昼食を準備しながら、しかし視線はこちらを……というか私を見ている。正直、怖い。ホラー映画か?
「お待たせ」
そしてその女子グループに近づいた土井さんは、私を振り返り手招きした。
今さら、やっぱり遠慮しますとも言えず、諦めて肩を落とし、私もその輪の中へ混ざる。知らない人が見れば、仲良しグループに遅れてきたメンバーが合流しただけと思うだろう。
「それで、何の用? というか、どういう集まり? 全員初対面だけど」
「安心して。私達も栗原さんと話すのは初めてだから」
どうやら土井さんが中心らしい。安心する要素、欠片も無いんですけど。
「ああ、遠慮しないで食べながらでいいから」
「……遠慮します」
この状況で、じゃあ食べます、なんて言えるほど私は猛者じゃない。
それにこのお弁当は――。
「じゃあ、率直に用件だけ言うけど……。深山さんと距離を置いてくれる?」
「……は?」
「私達、深山さんに注目してるの」
そう言ったのは、土井さんではなく、私から一番離れた場所に座っていた女子だった。名前は知らないが、おそらく天然色であろう茶髪にちなんで『茶髪』と命名しよう。
「注目?」
眉をひそめた私に対し、今度は黒縁眼鏡の図書委員っぽい大人しい雰囲気の人が口を開く。このひとはそのまま『図書委員』に決定。
「分かりやすく言えば、私たちは全員が『深山さんのファン』なの……。別にファンクラブを結成しているわけじゃないけど……。お互いに深山さんの写真とか、手に入れた情報を交換し合って、彼女の綺麗な姿を遠くから見守ってるわけ……」
図書委員さんの声は、見た目通りお淑やかな声だった。
ただ……それは普通にストーカーでは?
というか、いくら誰もが認める超美人の深山さんとはいえ、世間的な立場は私達と変わらない、ただの高校一学生だ。そんな彼女に、こんな漫画みたいなストーカーグループ……もといファンの集いがあるとは知らなかった。
爽にもファンがいることは知っているけど、こんなグループ化はしていない。
「深山さんのファンってのは分かったけど……。だからって深山さんから離れてってのはおかしくない? 関係無いよね。あ、別に私と深山さんが仲良しってわけじゃ――」
「邪魔なの」
私の誤魔化しを遮り、少し高めの声で清々しいほどの直球を投げたのは、かなり小柄な女子だった。おそらく平均身長よりさらに低い。座っていても小さいのが分かる。身体的特徴を弄るのはマナー違反なので……その髪型から『ツインテ』と呼ぼう。
「私たちは、格好良くて素敵な深山さんを見るのが好きなの。いつも自分を貫いて、誰ともつるまない、孤高で気高い深山さんの生き方に感動したの。あんな完璧で綺麗な、物語の登場人物みたいな人いない……!」
ツインテちゃんは自分の箸が折れそうなほど強く握りしめて熱弁していたかと思うと、キッと私を睨みつけた。
「なのに、最近は妙に栗原さんのことを気にしてて、あの人の素敵な空気が薄まってる」
(知らんがな)
思わず心の中で関西弁が出た。そういえば深山さんに対してもツッコんだっけ……。たぶんお父さんが昔から大事にしている古いコント番組のDVDを、小さい頃から見ていた影響だろう。
「私としてはぁ、深山さんが一方的に栗原さんを気に入ったなら、仕方ないかなぁって思ってたんだけどねぇ……。でもぉ……栗原さんからも接触してるとなると……ねぇ」
ちょっと間延びした口調で喋り出したのは、五人の中で最も背が高い女子だった。
バレーボール部並みの高身長と抜群のスタイルをしている割に、全身から運動苦手オーラが出ている。上品で整った顔立ちといい前髪ぱっつんの姫カットといい、見るからにお姫様っぽいので、仮称は『姫』以外にない。
どうでもいいけど、このグループはローテーションでトークする決まりでもあるんだろうか? それぞれ言いたいことがあるんだろうけど、誰か一人が代表して話してくれた方が、話が早く済むと思うんだけど。
「栗原さん。三限目が始まる前――深山さんと一緒に教室から出てきたでしょ?」
そして再び土井さんのターン。
眼鏡の奥の目が鋭く光った気がして、一瞬ドキリとした。
そうか、あの時の人影は気のせいじゃなかったか……。
チャイム直前ではあったけど一応休み時間中ではあったし、まだ廊下に誰かがいてもおかしいことじゃない。それが目の前にいる、この土井さんだったわけだ。
「三限目……あ、体育の時ね。うん。ちょっと教室に戻るのが送れたから、着替えるのが遅くなってね。深山さんも同じだったんじゃない? でもそれって、そんなに変なこと?」
「それだけなら変じゃない。でも、教室から出てきた後、仲良く話してなかった?」
う。まずい、聞かれてたかな……?
「話の内容までは聞こえなかったけど、会話をしてたのは間違いないはず」
(オッケー、セーフ……!)
「そ、そりゃクラスメイトだし、黙ってたら空気悪いし……」
「あの時の深山さんは、私達が見たことがない表情をしてた。いつもの理知的で、孤独さと憂いを帯びた顔とは正反対の……だらしなくて、情けない顔」
「……ぁ?」
土井さん――いや、土井。なんて言った?
「深山さんにはあんな顔は似合わない。前みたいな孤高で気高い顔に戻ってほしい。だから、その原因らしい栗原さんには、深山さんから離れてもらいたいわけ」
「ふぅ~ん……なるほど……」
全員の顔を順繰りに見回し、私はふんふんと頷いた。
もちろん、納得したわけじゃない。するわけがない。
電気ケトルの中で水がお湯になっていくように、お腹の底で感情がこぽこぽと沸き立つ。
日常会話で使わない感じで例えてみたけど、何のことは無い。
今の気持ちを表す言葉は一つ。
怒り、だ。
喉元まで上がってきた怒気を、唇を窄めて「っふぅ~……」と外へと吐き出す。
そして出来るだけ自分を抑え、平静と苛立ちの中間ぐらいの表情を作って顔を上げた。
「あのさ……さっきも言ったけど、私と深山さんのことに、あんた達関係無いよね? 口出す権利あるの?」
私の怒りが伝わったのか、五人が気圧されたように息をのむのが分かった。
しかし土井だけは、私に負けまいと強気な視線を返してきた。
「栗原さんみたいな普通の人は、深山さんに相応しくないって言ってるの。分からない?」
「何それ。あんた達はあれなの? 誰かと仲良くなる時、自分に相応しいのは誰かなーとか考えて相手を選ぶわけ? めんどくさい。そんなの気が合うかどうかだけでしょーが」
私がじろりと睨むと、図書委員が困ったように目を逸らした。
「それに。私と深山さんは同じクラスなんだし、ちょっと会話するぐらい普通でしょ。それとも何? 深山さんと会話するには特別なチケットでも必要だったわけ? アイドルの握手券みたいに何かを買ったらついてくるの? もしかして購買でそのパン買ったら貰えるの?」
茶髪が持っている購買のパンの袋を指差すと、慌てたように背後へ隠された。
「だいたいね。私、深山さんと仲が良い、なんて一言も言ってないんだけど?」
「……白々しい。こうしてついてきた時点で、白状したも同じじゃない?」
食い下がるツインテに対して、私はあえて笑顔を見せてやる。
「ああ、ごめんね。私警察に職務質問されたら素直に全部答えちゃうタイプなの。いきなりで断れない雰囲気だったから、思わずついて来ちゃったんだー、あっはっは」
「く、栗原さぁん? 目が笑ってないよぉ……」
「生まれつきだからねぇ、諦めてぇ?」
口調を真似してみたが、姫は気付いていないようだった。
「……じゃあ、栗原さんは別に深山さんとそれほど親しくない、ってこと?」
「皆が思ってるような関係ではないですけど、何か?」
嘘ではない。
私と深山さんの仲は、土井達が思っているような関係とは違うんだから。
私の冷静を装った――装いきれたかはともかく――剣幕に他の四人が怯える中、土井だけはまだ疑いの目でこちらを睨み続けていた。
「なら聞くけど、どうしてそんなに怒るの?」
「は?」
「深山さんと仲が良いわけじゃないなら、怒る理由だって無くない?」
勝ったとでも思ったのか、土井の口元が緩み、他の四人も少し気力を取り戻す。
でも。
「土井さん達が思ってるような関係じゃないけど、怒る理由はあるよ」
「な――」
「だらしない顔? 情けない顔? 何それ。深山さんは笑っちゃいけないの? どんな感情の時も全部我慢して、格好つけた顔することしか許されないっての?」
怒鳴ってしまいそうになるのを必死に抑えていた。でもその代わりに目元が熱くなり、なぜか涙が出そうになった。
「あんたら何様のつもり?」
吐き捨てるように言って土井達を睨みつけると、さすがに今度は何も返してこなかった。
そろそろ部室に行かないと、深山さんが心配するだろう。
そう思って弁当を手に立ち上がった、その時だった。
「……栗原さん」
突然名前を呼ばれて振り向くと、一番近くの廊下の窓が開いて、そこから深山さんがこちらを見つめていた。突然のご本人登場に、土井達がわたわたと慌て始める。
「み、深山さん……。何やってんの?」
「栗原さんを、探してて……そうしたら、中庭にいるの見えたから……」
「ああ……そ、そうなんだ。ごめん、ちょっと色々あって……。でももう終わったし、今から行くから先に戻ってて」
「……分かった」
深く追求することはせず、深山さんは小さく頷くと歩き去っていった。
んー……これは、タイミング的に聞いてたかも。
「……じゃあね」
土井達の顔は見ずに、一応一声かけてから校舎の入り口へ向かう。
当たり前だけど、返事は無かった。
§
「――ママ!」
部室に入ってドアを閉め、振り返った瞬間、いっちゃんモードの深山さんが胸に飛び込んできた。
「っとと……。遅れてごめんね。お腹空いたでしょ」
抱き止めた深山さんの背中をぽんぽんと叩きながら尋ねる。
「え? う、うん。それはそうだけど……」
「よし、じゃあ食べよう。今日のは美味しいよ~」
私は手近な椅子を引き寄せて並べると、強引に深山さんを座らせた。弁当を包んだ巾着を机に置き、いそいそと開いていく。
「そ、それより、ママ! さっきの人達」
「平気だって。意味分かんない言い掛かりをつけられただけ。ちょっと強めに言い返したら、すぐ黙っちゃったから」
「ちゃんと聞いて!」
……くそう、誤魔化せなかったか。
珍しく強めの口調で言われ、私は巾着袋を開く手を止めた。
すると深山さんは私に向き直り――深々と頭を下げた。
「……ごめんなさい……栗原さん」
「どうして謝るの? それに、二人きりの時はママじゃなかったっけ?」
「真面目な話だから」
「別にいいのに。……で、何がごめんなさい?」
「だって……私のせいで、あんな……」
見たことがないほど肩を落とす深山さんを前に、私は「あのねぇ」と頭を描いた。
「深山さんは何も悪くないでしょ? あいつらが勝手に深山さんのイメージを決めつけて、それに合わない私に無茶なこと言ってきただけ。深山さんは信仰の対象じゃないっての」
正論であるはずの私の言葉に、しかし深山さんは力なく首を振った。
「……元々は、私のせいだし……。最初から、友達を作ったり、クラスの人たちと関わっていれば……。今みたいなイメージ持たれてなかっただろうし……あんな人達も出てこなかったし……栗原さんが、邪魔者扱いされることだって……」
それはまぁ、そういう部分はあるかもしれないけども……。
というか、結構早い段階から聞いてたんだな……。きっとあの輪の空気が怖くて、出ていけなかったんだろう。
「じゃあ聞くけど、深山さんはそれが出来たの? クラスメイトに自分から挨拶して、友達増やして、元気で明るい深山さんになれたの?」
「そ、れは……」
深山さんが視線を逸らして口ごもる。
「……深山さん、今朝言ってたよね。友達が欲しいわけじゃない、私が欲しいのは『ママ』だけだって。詳しくは聞かないけど、昔からそうなんじゃないの?」
深山さんは私とは目を合わせずに、少し躊躇いながらもコクリと頷いた。
「じゃあ、今になっていきなり変わるのは難しいでしょ。そりゃあ私だって心配だし、少しはクラスメイトとの距離を縮めた方がいいとは思うけど……。それも深山さんのペースでやればいいことだよ」
友達の輪を広げるのは良いことだと思う。学校でもそう教える。
でも性格的にそれに向かない人は絶対にいるんだし。
「栗原さん……」
「表情のことも気にしない。笑いたい時に笑って、泣きたい時に泣けばいいの。そもそも感情を顔に出すのが難しいなら、出さなくていい。自分の表情なんて、自分の自由でいいの」
「……本当に?」
「顔で全部を判断するような人は放っておいていいから。……ま、深山さんが女優を目指すなら、演技が出来た方がいいけどね」
「……」
「それから、私が邪魔って言われたことに関しては、本当に気にしなくていいから。あれこそあいつらの勝手な決めつけだからね。……まさかとは思うけど、あんなのを真に受けて、私と距離を置こうとか考えてた?」
どうやら図星だったらしく、深山さんの目が泳いだ。
まったく、この子は……。
「私が深山さんに相応しいかどうか、そんなの誰が決めるの? もし仮に決める権利があるとしたら、それは深山さん本人だよ。……どう? 私は深山さんに相応しくないの?」
「そんなわけない!」
食い気味に否定した深山さんが、髪を振り乱す勢いで首を激しく振った。後で綺麗に整えてあげないと。
「私は、栗原さんに……一緒に、いてほしい……!」
「ん。じゃあ今の関係継続ってことで、これで面倒くさい話はおしまい!」
私は話を打ち切る意味でパチンと手を打ち鳴らした。
「さぁ、お弁当食べよう。今日はリクエスト通り、チーズハンバーグだよ、いっちゃん」
「っ……ママ……ありがとう……!」
泣き笑いのような表情を浮かべた深山さんが私の首にぎゅっと抱き着いてくる。
その背中に手を回して優しく撫でてあげながら、ふと気が付いた。
……私、早くママ役を卒業したいって思ってなかったっけ?
それなのに今、自分から関係を続けることにしちゃったけど……いいのか?
(……ま、いいか)
思うところが、無いわけではない。というか、結構ある。
一方で、深山さんへの愛着というか、母性的なものが芽生えている気がするのも事実だ。
それに、前にどこかで聞いたことがある。
人間は誰かとハグをするだけで、日頃のストレスが軽減するらしい。
(……本当かも)
「ママ、何か言った?」
「ん? いや、何でもない。さぁ、食べよ」
「うん♪」
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