第二話 笑って何が悪い 前編

 ある日の登校中のこと――。


「あ、そういえば、亜由美に聞きたいことがあるんだけど」


 隣を歩いていた友人に、私は「うん?」と首を傾げた。

 周防爽(すおうそう)――ウルフカットの髪形に加え、名前の通り爽やかな顔つきの女子生徒だ。小さい頃から水泳をしているその体は、見事に均整がとれていて、イケメン的な外見も相まって男子より女子人気が高い。

 友達になったのは中学一年の時だが、その頃から先輩後輩問わず女子のファンがいた。そして今も、まだ高校一年だというのに既にファンがいるらしい。凄い女の子だ。


「どしたの?」

「最近、深山さんと仲良いよね? なんで?」


 爽の質問内容に、思わず喉から『え』に濁点が付いた変な声が漏れた。


「な……仲良く、見える?」

「うん。気付いたのは昨日だけど、雰囲気変わったのは……もうちょい前かな?」


 具体的な日数を思い出そうとしているのか、爽が「んー」と視線をさまよわせる。


(そうか……。ママになって事件から、もう一週間か……)


 そう思うと、自然と遠くを見てしまう自分がいた。

 この一週間の間、かなり大変だった。

 皆の前ではいつもと同じクールで孤高な美少女の深山さんだが、昼休みは放課後に二人きりになった途端、甘えん坊の『いっちゃんモード』に変貌する。

 何かにつけ「ママー」と抱き着いてくるし、ご飯は絶対に「あーん」を要求するし……ようは私にべったりになるのだ。

 ……まぁ、それは分かっていたことだし、私もママになると約束した手前、頑張ってその役に徹して、甘やかしてはいる。それに学校の中でのことなので、甘やかすと言っても出来ることは限られているから、体力的には特に疲れるようなことはない。

 だがしかし。

 同い年のクラスメイトを自分の子ども扱いして甘やかすというのは……。


(精神的に疲れるんだよなぁ……)


 最初の一日、二日は平気だった。正直「ああ、これぐらいなら……」と思ったくらいだ。

 でも、それが二日、三日……毎日続くとなると、思った以上に心にクるのだ。

 美少女を甘やかすだけの簡単なお仕事でしょ、と思うお方がいれば、一度試しにやってみればいい。「ママァ~♪」と言いながら、ベッタベタに甘えてくる同い年の相手をするのは、相手の見た目がどうとか関係なく、イケナイことをしているような気分になるから。

 ……というか。


「待って、爽。そもそも、なんで仲が良いって思うの?」


 あの日に部室で交わした『二人きりの時だけ』という約束は、しっかり守っているはずだ。

 休み時間の教室ではもちろんのこと、廊下や移動中でも、お互いに出来る限り親しい感じは出ないように気を付けている。

 そもそも私はC組で、爽は隣のD組なのに。


「あー、なんて言うんだろう……。ちらっと見ただけだけど……二人の空気?」

「空気?」

「うん。亜由美がって言うより、深山さんが、だけど」


 深山さん側の空気……余計に分からない。


「深山さんってさ、いつも静かで誰とも喋らない、クラスメイトに対しても、一線引いてますって感じなんでしょ?」

「うん……」

「なのに最近はさ、気が付いたら亜由美の方をちらちら見てたりするんだよね」

「いつ!?」

「休み時間とか、あたしが亜由美に会いに行くことあるでしょ。その時とか。あたし達のことが気になる~って気配を出して、こっそり見てるんだよね」


 それは……全然気付かなかった。たぶん私の方が、意識して深山さんとの接触を避けていたから気付かなかったんだろう。


「爽の勘違いとかではなく……?」

「あれは絶対気にしてる。しかもこう……嫉妬的な感じ?」

「いやいや、嫉妬って」


 笑って誤魔化してはみたが……十分あり得る。


「ほら、あるじゃん。仲良しの相手が、自分の知らない人と喋ってるのを見たら、『いや、別にいいんだけど、何話してるのかな? あ、ほんと、全然気にしてるわけじゃないからいいんだけどね?』みたいな」

「具体例どうも」


 私が肩を竦めると、爽はなぜか得意げに胸を張った。褒めちゃいないよ。

 でも確かに。あの深山さんなら、今の爽の小芝居そのままのことを思っていそうだ。

 私なんかに母性――いや、ママ性? を求めるほどだ。

 嫉妬とまではいかなくても、ママとお話ししたいけど人前で甘えるのは我慢してるのに……ぐらいは思っていそう。……それが嫉妬か。


(だからって人前でママごっこ解禁にして『いっちゃん』にさせるわけにはいかないし、さすがに本人もならないだろうしなぁ……)


 しかしクラスの違う爽が気付いたくらいだ。本物のクラスメイトなら、もっと気にしている人がいるかもしれない。下手をすると関係がバレる可能性もあるかも。

 どうしたもんかなぁ、と考えているうちに、時原高校に到着していた。

 校門を過ぎて昇降口へ。そして靴を履き替えていると。


「――あ」


 思わず呟いた私に、先に上履きに変えた爽が振り向いた。


「どした?」

「……あー……スーパーの大安売りっていつだっけ、と思って」

「相変わらずだねぇ」


 咄嗟の嘘を本当だと思ってくれた爽がカラカラと笑う。

 私も爽に合わせて笑い一緒に教室へ向かいながら、今思い付いたばかりの案について心の中でガッツポーズを取っていた。

 深山さんが私と爽のことを気にしているなら、彼女をこっちに引き入れればいい。分かりやすく言えば、深山さんと爽を友達にしてしまえばいいんだ。

 上手くいけば、これが切っ掛けで深山さんに新しい友達も増えていくかもしれない。

 それで寂しさが薄まれば、私がママを続けなくても良くなる……かもしれない!


(深山さんのためにもなるし、私のためにもなる……)


 まさに一石二鳥。

 私は爽のクラスである『一年D組』の前で彼女と別れると、急いで自クラスの『一年C組』に向かった。教室に入り、クラスメイトに挨拶する。その声で既に登校していた深山さんがこちらに気付き、私にしか分からない程度に目元を緩めたのが分かった。


「……(ちょっと来て)」

「……?」


 私のアイコンタクトに眉をひそめながら、深山さんが立ち上がった。


      §


「イヤ」

「え~~~……」


 たった二文字の、しかし力強い口調で先ほどの案を即却下された。

 意気込んでいたせいか、脱力感が強く、思わずその場に蹲ってしまった。

 私が深山さんを連れ出したのは、屋上へ続く扉の前だった。昼休みであれば、屋上に出る生徒が来てもおかしくはないけど、まだ登校時間の今はさすがに誰も来ない。


「どうして嫌なの、悪い話じゃないでしょ? いっちゃん、お友達欲しくないの?」

「欲しくない」


 潜め気味の声で尋ねる私を見下ろした深山さんが、きっぱりとした答えを返してきた。


「欲しくないって……ママ、嘘つく子は嫌いだな~?」

「嘘じゃないもん」


 これまた随分ゆるぎない口調で言う深山さん。

 二人きりの今、深山さんは間違いなく『いっちゃんモード』だ。

 この状態の深山さんであれば、子供っぽい嘘をついて私をからかったりすることはある。しかし、この雰囲気は……。


「……いっちゃん、本気で言ってるの?」

「うん」

「そうなんだ……。でも、それは……寂しくない?」


 深山さんは小さく溜息をつくと、蹲る私の隣に、同じ格好で屈みこんだ。

 急に至近距離に来た深山さんの美貌に、思わず息をのんだ。


「あのね、ママ……。私の寂しさを埋めてくれるのは『ママ』だけなの。私が欲しいのは『ママ』なの。友達じゃないの」

「いっちゃん……」

「ママが私を心配してくれた、っていうのは分かるけど……ごめんね、ママ」


 世の中、友達はいらない、と公言する人はいる。

 私もどっちかと言えば、友達が多い方ではない。今でも繋がりのある、幼稚園の頃から知っている友人が数人。中学に入ってから親しくなった爽のような人が数人。そして今のクラスの中に二、三人。それぐらいしかいない。

 でもいくら友達が少ないとはいえ、完全にいらないと思ったことは無い。ケンカしたこともあるけど、それ以上に助けられたことだって何度もある。

 深山さんが言う『ママ』というのも、心のどこかで友達の延長線上――果てしなく先の方ではあるけど――だと勝手に思っていた。でも、違ったらしい。

 私の平穏はまだまだ戻って来ないみたいだけど……。深山さんには自分なり考えというか、スタイルがあるんだろうし……お節介だった部分は、ある。


「……うん、分かった……。私こそ、ごめん」

「ま、ママは悪くないよ!? 私が変で、悪いだけで……!」


 深山さんは少し慌てたように「ぎゅってするね」と言って、私に抱き着いてきた。


「うわっ!」「ひゃっ!?」


 屈んだまま抱き着かれたものだから、バランスを崩してその場に尻餅をついてしまった。

 深山さんも足を滑らせ、私の胸に顔を埋める形で覆い被さってきた。


「だ、大丈夫、ママ!? ごめんね……!」

「へ、平気平気」


 お尻は少し痛むけど、たいしたことはない。

 頭を撫でてあげると、深山さんの表情が心配から安堵へと緩んでいった。


「そろそろ戻ろっか。もうすぐチャイム鳴るだろうし」

「うん……。あ、やっぱりもうちょっとだけ……♪」


 私に合わせて立ち上がりかけた深山さんだったが、すぐにそれをやめて後ろから私に抱き着いた。肩に頭を預けて、頬ずりしてくる。


「こーら。朝からこんなに甘えてどうするの」

「う~……だって、またしばらくママに甘えられないもん」


 くっついている深山さんの頬が、ぷぅっと膨らむの分かった。

 昼休みまで待てないのかね。

 私が甘えん坊状態の深山さんに苦笑していると、


「ねぇ、ママ……。ママが紹介しようとしてた友達……周防さん? どういう人なの?」

「ん? どうって、だから友達だよ? 中学時代からの」

「……仲良しなの?」

「うん。友達の中じゃ、一番仲が良いかな。あっちは体動かすこと自体が大好きで、私とは趣味が違うけど、一緒にいて楽って感じ……え?」


 気が付けば、深山さんの目がジト目になっていた。なぜ?


「い、いっちゃ~ん……? 目が怖いよ~……?」

「……あの人、よくママといるから……私、好きじゃない」


 いかにも独占欲の強い子供が言いそうなことだった。

 まだ時間はあるし……この際、爽の言っていたことを確かめてみよう。


「いっちゃんさ……。私のことをちらちら見てたりする?」

「え……き、気付いてたの?」

「……私が誰かと話してるのが気に入らない、って気持ちはある?」


 これに対しては返事が無く、その代わり抱き着いている腕に力が込められた。

 爽の言っていたことが正解だったと証明された。お見事、爽。

 でもこうなってくると、深山さんの友達は欲しくないという言葉の意味も、少し深読みしてしまう。

 さっきは『深山さんは本気で友達がいらない人』なんだと思ったけど……。実はそうではなくて、『二人の間に入り込んでくる存在だから友達はいらない』と思ってる、とか?

 ……いやいや。さすがにそんなヤンデレではないか。

 私たちはあくまで、ママと娘、なわけだし……。


「……いっちゃん」

「なぁに、ママ?」

「……刃物使うときは、気を付けてね?」

「……? うん、分かった……?」


     §


 発端は、三限目の体育が始まる前の、着替えの時だった。


「……言おう言おうと思ってたんだけど」

「ママ?」


 バンザイの姿勢で椅子に座っていた深山さんが、肩越しに私を振り返り小首を傾げた。

 既に教室には私と深山さんしかいないので、ママと呼ばれても問題は無い。他の女子生徒はとっくに着替えてグラウンドに行っている。


「体操着に着替えるくらい、一人でやってくれないかな……?」

「やぁ~だぁ~。 ママにしてもらいたいの~」


 両手を上げたまま首をぶんぶんと振る深山さんの後ろで、私はがっくりと項垂れた。どうせ言っても無駄だとは思ってたけどね……。

 基本的に、深山さんが学校で甘えられるのは、家庭科部の部室で二人きりになれる昼休みと放課後くらいだ。

 しかしこの体育の授業前の休み時間は例外だった。

 深山さん曰く「ママにお着替えを手伝ってもらえるチャンス♪」だったらしい。

 作戦は次の通り。

 私と深山さんは他の生徒が先に着替え終えるまで、お手洗いに行くか、何らかの用事で席を外しているふりをして外で待機。

 そして休み時間が終わる少し前に教室に戻る。

 当然着替えていないのは私達だけとなり、残り時間で『ママといっちゃん』になるのだ。

 もし誰かが残っていた場合は、適当に誤魔化しつつゆっくり目に着替えを始めて、その人の退出を待てばいい。多少集合に遅れても、体育の小林先生は女性なので、「女の子だからね」と大目に見てくれる。


「でも毎回最後に着替えてると、そのうち怪しまれるかも」

「も~。ママ、気にし過ぎ」

「そうかなぁ……?」

「そうだよ。だからママ、は~や~く」

「……はいはい」


 深山さんのシャツを掴み、そのまま引っ張り上げて脱がせる。

 肌荒れの気配すらない、まるで赤ん坊のような綺麗な肌。シンプルな下着に隠された胸は、適度に大きく形も見事。無駄な脂肪の無い、それでいて柔らかそうなお腹。

 ……何度見ても羨ましい。どうすればこんな体になれるんだろうか? 生まれた時点で差を作ったのだとしたら、その神様を正座させて説教したい。


「どうしたの、ママ?」

「……何でもない。はい、もう一回ばんざーい」

「ばんざーい♪」


 ニコニコ顔で体操着を着せられる深山さんを見ていると、そのうち食後の歯磨きまでさせられるんじゃないかと思ってしまう。そこまでいくと介護のような気がするけど。

 続いてスカートを脱がせ、ハーフパンツを履かせる。女子生徒からはダサいと評される時原高校の体操着だけど、深山さんぐらいスタイルが良ければ格好よく見えるから不思議だ。

 最後に深山さんの長い黒髪をポニーテールに結んであげれば、お着替えは完了。


「これでよし、と。んじゃ行こうか」

「うん、ママ♪」


 深山さんと連れ立って教室を出る。

 普段ならこの瞬間に表情が切り替わる深山さんだが、今は休み時間終了間際ということで廊下に誰の姿もなく、まだわずかに甘えん坊が残っていた。


「ねぇねぇ、今日のお弁当って何?」

「ん? あー、えっと……っ」


 答えようとして、言葉を止めた。

 視界の端に人影が映ったような気がして、そちらに目を向ける。しかし誰もいない。


「どうしかしたの?」

「……うぅん、何でもない」


 気のせい、かな?

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