第一話 ママといっちゃん、誕生 後編

 ――というのが、一週間前の話で。


「つまり……あの昼休みのことが切っ掛けだった、と」

「そう……!」


 深山さんがこれでもかというほど真剣な表情で、何度もこくこくと頷く。

 なるほど、なるほど。確かにあの時の私の行動は、ママっぽいと言えばママっぽい。


「だからって、ママになって、っていうのは意味がよく分からないなぁ……」


 いくら相手がママっぽい行動を取ったからと言って、同級生の女子生徒に「ママになって」なんて、普通頼むだろうか……?


「一応確認なんだけど、ママってのは、その……母親、お母さんってこと? 大人の人がお酒を飲む店で、女の店長をママさんって呼ぶらしいけど、そういう意味とは……?」

「違うよ。お母さんの方の、ママ」


 ですよね。分かってた。


「駄目かな、ママ……?」


 深山さんが縋るような目でじりじりと迫ってくる。


「や、駄目とかいう以前に、まだ理解が――え、待って。今ママって言った?」

「あ……! ご、ごめんね、ママ!」


 ハッと気づいて謝る深山さんだけど、また言った。


「もう呼んでるじゃん!」

「だ、だってぇ……! 私の中では、もう栗原さんはママなんだもん……!」


 だってぇ、じゃないよ。そんなの決め打ちじゃん。しかも深山さんの口調も、普段のクールなものからどことなく子供っぽいものになってるし。


「と、とりあえず一回落ち着こう……お互いに……」


 私が近くの椅子に座り、その対面の席をすすめると、深山さんは「うん、ママ」と呟き腰を下ろした。……ママ呼びはもうやめないのね。


「えぇと……何を聞けばいいのかな……。あ、そうだ。どうして、ママなの?」

「どうしてって?」

「いやほら……これがさ? 私と友達になって、とかなら分かるんだよ?」


 深山さんには友達らしき人がいない。いつ見ても、常に一人だ。

 それは別にネガティブな理由じゃない。

 彼女の場合、あまりに近づきがたい存在だからこそ、ぼっちになっているんだ。


「でも、母親になって、なんて……。よっぽどのことが無いと頼まないでしょ?」


 私が「ねぇ?」と首を傾げると、深山さんの肩からふっと力が抜けた。

 あれ……諦めてくれた……?


「……私、パパがいないの」


 唐突に深山さんが呟いた言葉に、私は何のことか分からず目を瞬いた。

 パパ――父親が、いない……?


「……どうしてって、聞いても……?」

「病気で死んじゃったの。私が小さい頃に……。顔は写真で分かるけど……もう、声も覚えてない」

「………………そう……。じゃあ、もしかしてお母さんも――?」

「お母さんはいるよ?」

「おるんかい!」


 思わず関西弁でツッコんじゃったよ! 関西人でもないのに!


「今の話の流れだと、てっきりご両親とも亡くなってるのかと思ったよ!」

「うちは、母子家庭」


 さいですか。


「本物の母親がいるのに、私がママになる必要無くない?」


 誰が聞いても正論のはずの私の言葉に対し、深山さんはその綺麗な眉間にしわを寄せ、


「あんな人、いないのと同じだもん」


 なぜか苦しそうにそう言った。

 いないのと同じ、って……。


「……どういうこと?」


 深山さんは小さく溜息をつくと、重々しく口を開いた。


「昔から、お母さん……ずっと仕事ばっかりなの……。家に帰ってくるのだって、寝に戻ってくるだけで、食事なんて一人でどこかで済ませてくるから、一緒に食べたことないし」

「そ、そうなんだ……」

「そもそも帰るのが面倒だからって、ホテルに連泊することだってあるし……。一年で顔を合わせるのって、数回あるかないか……」


 一年で数回!? それはさすがに……。


「じゃ、じゃあ……家事とか、どうしてたの? 幼稚園の頃は送り迎えだって必要でしょ?」

「ずっと派遣のハウスキーパーさんがやってくれた。でもあの人たちは、仕事が終わったらすぐ帰っちゃうし……。そうしたら、後はおうちに私一人」


 私が以前耳にした情報では、深山さんの家は、結構なお金持ちらしい。

 住んでいるのは、隣町にある高級タワーマンションだ。私も買い物で隣町に行った時に見たことがあるけど、いかにも「セレブが住んでます」みたいな、でっかい建物だった。

 他人の家庭事情にとやかく言うのはマナー違反だし、私にそんな権利は無い。

 今の深山さんの話だって、ありふれてる、とまでは言わないけど、珍しい話じゃない。俗にいう『親の愛を知らずに』というやつだ。

 だから……そんなに辛そうな顔しなくても……いいと思うんだけどな……。


「私は私のお母さんのことなんて、何にも知らない……。でも世の中の『ママ』っていうのがどんな人かは知ってる。絵本とか、テレビとかで、たくさん見たから」

「いやいやいや……それは理想像的なママであって、本物のママは人間なんだから色々と」

「そんなこと分かってる!」


 叫ぶような声で私の言葉を遮ると、深山さんはがばっと顔を上げた。


「でも、私はそんなママが欲しいの……! 優しくて、甘えさせてくれて、お料理が上手で、一緒にご飯を食べたり、お風呂で髪を洗ってくれたり、寝る時にぽんぽんしながら子守唄歌ってくれたり……悪い事したらちゃんと叱ってもくれて……! そんなママが……!」


 普段の深山さんからは想像できない熱い勢いに、私は少し圧倒された。


「な、なるほど……? でも、だからって私に――」

「栗原さんは、私の理想のママなの! あのお昼から一週間、私の中で栗原さんはずっとママだったの! こんな……クラスメイトをママに、なんて変だって分かってる。だから我慢してたけど……やっぱり無理! だから、お願い! 栗原さん!」


 深山さんは私の手を握り、


「私のママになって!」


 改めて、そう言った。


「う、うぅ~~~~~ん……」


 これは、困った……。

 つまり深山さんは、カテゴリー的には、極度に拗らせたマザコン……なんだろう。

 しかも本当の母親ではなく、自分の中にある理想像としてのママに対するマザコン。

 深山さんの家庭事情には同情するけど、理想的なママになってほしい、と言われても……それは私には荷が重いというか……難しいと思う。


「えぇぇと、その……も、申し訳ないんだけど……」

「――そう言えば、ママ……栗原さん」


 急に深山さんの口調が変わった……いや、元に戻った。

 瞳の中にあった叱られる直前の子供のような不安も消え、私が知るクールで格好いい女子高生『深山一華』の顔になる。


「な、なんでしょう……?」

「ここ、家庭科部だっけ? さっきから誰も来ないけど」


 急に話が変わったけど……何だろう。


「ああ……うん。実は部員が少なくて、廃部になるって話があって……。誘ってくれた先輩はいたけど、今は受験生だから来てないし……ちゃんと活動してるのも私だけ。だからせめて、あと一人ぐらい欲しいんだけどねぇ」

「うん。知ってる」

「……じゃあ何で聞いたの?」

「確認しただけ。栗原さん、今、あと一人欲しいって言ったでしょ?」

「言ったけど……え、待って、まさか」


 この状況でその話のフリ方、嫌な予感しかしない。

 そして深山さんは私の予感を肯定するようににっこりと微笑み、


「ママになってくれるなら、私が入部する」

「やっぱり……!」


 予想通りのことを言われ、私は思わず項垂れた。

 そりゃ、私としては家庭科部を廃部にはしたくない。

 そんなに思い入れがあるのか、と言うと……無かったりする。

 でもそれとは別に、この部はいろいろと便利なのだ。部の備品は使い放題なので、簡単な手芸品ならお財布を傷めずに作ることが可能。しかも部費で色々食材を買って、家では作らないような料理やお菓子も作って食べられるという……。

 とにかく、色々と利用させてもらっているので、廃部は避けたい。

 でも……だからと言って、同級生の『ママ』になるのは……。

 しかも、もしこの交換条件をOKした場合、今後の部活動は私と深山さんの2人きり。つまり部活の時間が、イコールで『深山さんのママになる時間』になってしまう。


「どう? これならわざわざ人目を避けてママにならなくて済むけど」


 そうなんだけど……ん? 今変なこと言わなかった?


「人目を避けて、って……もしこの条件でOKしなかったら、人が見てないところで無理矢理ママにさせるつもり……?」

「うん」

「じゃあOKしようがしまいが、私がママになるのは決定ってこと!?」

「うん♪」


 優雅に微笑む深山さん。

 今まで彼女に対して持っていた『クールで格好良くて孤高の美少女』というイメージが、爆破解体されるビルのように一気に崩れ去っていく。今回のお願いをされた時点で基礎部分はもう崩れていたけど、その外観――外面的なところも、綺麗さっぱり崩壊した。

 怖い……。その綺麗な笑顔からは、『どんな手を使ってでもこいつをママにしてやる』という執念すら感じる。


「………………………………はぁ」


 しばらく考え、私は答えを出した。

 どっちにしてもママ扱いされるなら、少しでも自分に利がある方を選ぼう。


「決まった?」

「……ぜっっったい、二人きりの時だけだからね?」

「っ……うん、ママ♪」

「ちょ!?」


 一瞬にして無邪気な笑顔に変わった深山さんが、私の胸に飛び込んできた。

 反射的に抱き止めてしまった私の胸に、深山さんが「ん~♪」と言いながらぐりぐり頭を擦り付けてくる。


「いきなりそんな……! 深山さん、一回離れて――」

「いっちゃん」

「は?」


 深山さんは私の胸に顔を埋めたまま、不満そうな上目使いでこちらを見ていた。


「深山さん、とかヤダ。いっちゃん、って呼んで」

 深山一華だから、いっちゃん。確かに母親なら、小さい自分の娘をそう呼ぶかな……。


「い……いっちゃん……?」

「なぁに、ママ♪」


 母娘らしい呼び方が嬉しいのか、深山さんの目は眩いほどに輝いていた。

 悔しいけど可愛い……。というかママって、どんなふうに喋るんだっけ?


「えっと……い、良い子だから、一回離れようか? ね? 急に抱き着くから、ママびっくりしたよ」

「えー? ぎゅってするのだめー? いっちゃんとママしかいないよ?」

「そ、そうだけど……駄目じゃないけど……。とにかく、いきなりは駄目。分かった?」

「はーい」


 少し残念そうにしながらも、深山さんはハグを解いてくれた。

 なるほど。ちゃんと説明すれば言うことを聞くタイプの子らしい。私史上、生まれて初めての子育て(?)だから、甘えん坊でも素直な子なのは助かる。


「じゃあ、ママ。ぎゅってするよ、って言ってからならいいの?」

「そ、そうだね……。ちゃんと言ってからなら。……約束、できる?」

「うん♪ 約束する♪」


 元気に頷くと、深山さんは私の方にずいっと頭を差し出した。


「……? どうしたの、いっちゃん」

「ちゃんと約束したから、なでなでして?」


 そうか……普通、良い子にはご褒美あげるもんね……。


「え、偉いね、いっちゃん。よしよし」


 深山さんの黒髪を、流れに沿って優しく撫でる。

 ……凄い。今まで友達の頭や、親戚の子の頭を触ったことはあったけど……こんなに手触りが良い髪は初めてだ。撫でていると、私の方まで気持ち良くなってくる。


「えへへ……♪」


 私を見上げた深山さんが、にっこりと笑う。

 ……同じクラスだから、深山さんの顔は何度となく見てきたけど……こんなに嬉しそうに笑う人だったんだと初めて知った。

 あの昼休みでさえ、それほど表情は変わらなかったのに、今ではコロコロと表情が変わり――まるで感情を隠さない無邪気な子供のようだ。

 とその時、下校時間を告げるチャイムが鳴り響いた。


「っ……! は、はい! 今日はここまで! もう下校しなきゃだから!」


 その音でハッと我に返った私は、深山さんの頭からパッと手を離した。もう少しでなでなでの虜になるところだった……!


「え~! もっとママと一緒にいたい!」

「わがまま言う子は、もう甘えさせてあげないよ?」

「うぅ……!? わ、わかった……」


 いかにも渋々といった感じで頷いた深山さんだったが、何かを思い出したように「そうだ」と顔を上げた。


「あ、あのね、ママ。お願いがあるんだけど……」

「お願い? 何?」

「明日のお昼なんだけど……」


 お昼? お昼がどうした……ああ、そういうことね……。


「お弁当?」

「っ……! う、うん! ママと一緒に、お弁当食べたい! 駄目、かな? あ、材料のお金はちゃんと払うから……!」


 お弁当は毎日作ってるし、一人分増えたところでそれほど手間ではない。料理の材料費も出してくれると言うのなら、断る理由は無い。

 でもそれ以前に――そんな必死な目でお願いされたら、ママとか関係なく断れないよ。


「……分かった。良いよ。作ってあげるから、一緒に食べよう」

「本当に!? ありがとう、ママ♪」

「食べたい物はある? それとアレルギーがあったら教えて」

「それは大丈夫。食べたいのは……卵焼き。ママの卵焼き、凄く美味しかったから……」

「オッケー、分かった」


 私が荷物を持って部室を出ると、深山さんもその後をついてきた。

 職員室に部室の鍵を返すついでに、深山さんに入部届を描いてもらい、顧問の遠藤先生に渡す。他の先生たちも含め、全員が「どうして?」と呆気にとられていた。

 しかしその時の深山さんは皆が知る完璧女子に戻っており、「家事や料理を覚えようと思ったので」とクールな表情で返していた。誰ですか、あなた。


「深山さんって、どっちが素なの?」


 職員室を出て昇降口に向かいながら尋ねてみた。

 普段見せる顔と、私だけに見せる顔はあまりに違う。


「どっちも、だと思う。普段は別に演技してるわけじゃないから。ママ――栗原さんといる時は、自然とああなるし」

「あれが自然なんだ……」

「今だって、手を繋ぎたいのを我慢してる」


 深山さんが急に声のトーンを落とした。

 ……本当だ。深山さんの左手が、うずうずしてる。

 誰もいなければ繋いであげてもいいけど、今は下校中の他の生徒がいるから仕方ない。

 それにしても……改めて、注目されてるな、深山さんって。

 今まで深山さんは帰宅部だったので、遅くまで学校に残っていることが無かった。だから部活をしている生徒からすれば、この時間に深山さんに出会うことが驚きなんだろう。しかもいつも一人なのに、今日は隣に私という謎の不釣り合いな女子がいるし。

 昇降口で靴を履き替え校門に向かう間も、私と深山さんは好奇の視線を浴び続けた。

 今まで、彼女はずっと一人でこれに耐えてきたのか……。


「深山さん……凄いね」

「……急にどうしたの?」


 意味が分からず首を傾げる深山さん。おそらく小さい頃から同じような環境にいたから、もう慣れているんだろう。


「いや、別に……。私は歩きだけど、深山さんは」

「電車。だから……ここで」


 ちょうど校門を出たところで、深山さんは私を振り返って目礼し。


「じゃあ、また明日」


 そう言って、駅の方向へと踵を返した。


「うん、また明日ね」


 ――いっちゃん。


 かなり小さい声だったが、深山さんの耳には届いたらしい。

 ほんの一瞬だけ深山さんの足が止まる。しかしすぐにまた歩き始めた。それきり振り返らないので、私も反対方向へ。

 色々考えたいことはあるけど……とりあえず、商店街に寄っていこう。明日のお弁当用の材料を買って帰らないと。


「さーて……卵焼き以外、どうしよっかな」

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