第三話 初めてのお泊り 前編

 土井達の一件から数日後の放課後――。


「……ねぇ、ママ」

「うん? なぁに、いっちゃん?」


 下校を告げるチャイムが鳴る中、荷物をまとめていると深山さんが遠慮がちに口を開いた。


「ママ、今日はこの後、何か用事ある?」

「用事? いや、別に無いよ?」


 もし私が帰宅部であったなら、授業が終わってから町の方に寄り道してみたり、ということもあったかもしれない。今だって、家庭科部なので遊びに行く体力は十二分にある。しかしさすがに部活が終わったこの時間から、無目的にぶらぶらする気にはならない。


「そ、そっか。じゃあ、おうちに帰るだけなんだ」

「いっちゃんだってそうでしょ。……あ、もしかして、どこか寄り道したいとか?」


 ついに来たか、と思った。

 土井達のことがあって以来、深山さんはますます私に甘えるようになっていた。

ママを始めたばかりの頃は、いっちゃんは小学生くらいの設定なんだろうなと思っていたけど、最近はさらに低年齢化したのか、幼稚園児ばりに「ママぁ、ママぁ♪」と甘えてくる。

 だからそのうち学校内だけのプレイでは我慢出来なくなり、学外でも……とか言い出す気がしていた。


「よ、寄り道、っていうか……」

「私は別にいいけど……今からだとあんまり遊べないよ? それに学校の外だと、常に人がいるから、部室でする時みたいに甘えさせてあげられないし」


 とはいっても、深山さんだってそれぐらいの分別はあるだろう。おそらく学校の外でするなら普通の友達のふりをして、こっそり手を繋ごうとする、くらいかな。


「そ、そうじゃなくてね……あの、ええっと」

「……? どうしたの? ちゃんと言わなきゃ、ママにも分かんないよ?」


 荷物をまとめ終え、深山さんの方を振り返る。

 何がそんなに言いづらいのか、もごもごと口ごもっていたが、やがて意を決した様子で胸の前で拳をきゅっと握った。


「わ、私……ママのおうちに行ってみたい……!」

「………………え?」


 予想外の単語に、一瞬思考が止まり、まばたきの回数が激増する。……何だか懐かしい。始めて深山さんから「ママになって」と言われた時も、似たような感じだった。


「わ、私の家……って、なんで?」


 さすがにママになって発言よりはインパクトが薄かったため、すぐに頭が再起動。当たり前の疑問をする私に深山さんは、指先をもじょもじょとさせながら、


「な、なんでって……まだ、ママと一緒にいたいから……」


 猫背気味に丸めた体、自然と私より下にくる真っ赤な顔、そして不安そうに揺れる瞳での上目遣い――。

 その破壊力たるや、いっちゃんモードの深山さんに慣れた私でも、胸に大ダメージを受けるほどだった。


「ぐっ……! ず、ずるい……」

「……? 何が?」

「あ、いや、こっちの話……」


 バクバクと急激に速度を増した心臓を落ち着かせるように、胸を抑えて深呼吸を数回。


「駄目かな、ママ……?」

「だ、駄目ってことはないけど……」

「じゃあ、おうち行ってもいい……!?」


 わずかな希望の欠片にすがり、深山さんがぐいと詰め寄ってきた。


「う~ん、でも……いっちゃんが喜びそうな物とかは無いよ?」

「う、うん、大丈夫! ママがいてくれるだけでいい!」


 脳震盪を起こすんじゃないかと思うほど、何度も首を縦に振る深山さん。そんなに必死にお願いするほど、私の家に来たかったのか……。


「……はぁ、分かった。いいよ、おいで」

「っ~~~、うんっ!! ありがとう、ママ♪」


 顔いっぱいの喜びを見せて抱き着いてきた深山さんの頭を「はいはい」と撫でる。……そういえば土井達のことがあってから、ハグの予告をしなくなったな……。別にいいけど。

 その後、深山さんが荷物をまとめるのを待って部室を後にした。

 職員室に鍵を返して昇降口で靴を履き替え校門へ向かう。その間、やはり他の生徒たちからの視線を向けられていたが――それも以前よりは減っていた。


「……やっぱり楽だわ~」

「うん」


 土井達のことがあった後、私は考えた。

 深山さんとの関係は、ママのこと以外なら周囲に知られても問題ないのでは、と。

 変に隠そうとするから深山さんとの関係を疑われ、土井五人衆に絡まれることになった。なら絶対秘密のママ情報は伏せて、私と深山さんが普段から会話をしたり、一緒に過ごしたりしていてもおかしくないと周囲に思わせればいい。

 だから私は『深山さんが家庭科部に入部した』という情報を解禁にした。

 解禁というか、そもそもの話、私は隠していたつもりも無かったんだけども……。

 どうも後から知ったところによると、深山さんの生徒人気を考えた先生たちが気を回して、「部活動の妨げにならないように」と、入部したことを隠していたらしい。

 情報が知れ渡ったことで、深山さん効果で家庭科部への入部希望が増えるかも――なんて思ったけど、そんなことは無かった。恐れ多くて逆に近づきにくいらしい。


「そういえば、あれから土井さん達は……?」

「ああ、それがぜーんぜん。何にも絡んでこなくなったよ。深山さんには?」

「一人でいる時は、たまに見られてたりするけど」

「土井レンジャイは懲りないなぁ……。一回、深山さんがガツンと言ってみれば?」

「……怖いからやだ」

「だろうねぇ……。ま、遠くから見てるだけならいっか。……でも、もし何かされたらちゃんと言ってよ?」

「うん。ありがとう、マ――栗原さん」

「どういたしまして。……あ、そうだ、忘れてた。ちょっと寄り道するけど良い?」

「……?」


     §


「八竹商店街……?」


 ほんのりと夕暮れの色になり始めた空を背景にしたアーチ型の看板を見上げ、深山さんがそこに記された名前を呟いた。

 八竹(はちたけ)というのは、この場所の名前だ。八竹町。

 そしてここ、八竹商店街は昔からここにある、地域で一番大きな市場……一番と言っても、他に商店街が無いだけなんだけど。

 それでも野菜、果物、鮮魚に精肉など、代表的な店舗が軒を連ねている。他にも花屋にお茶屋、ゲームショップに喫茶店、和菓子屋、洋菓子屋、酒屋、惣菜店、服屋……まぁとにかくたいていの店がある。良いように言えば、超絶地域密着型の青空ショッピングモールだ。

 全国でシャッター商店街が増えているらしいが、ここはまだまだ活気がある。


「寄り道って、ここ?」

「うん。晩御飯の材料をね。買わなきゃいけないなーと」

「スーパーとかは? そっちの方が安いんじゃ……」

「あー……全国チェーンのスーパーはあるけど、ちょっと距離があるから。気になる商品を安売りしてる時しか行かないかな。それに、小さい頃からこっちを使ってるから」

「小さい頃から……」

「そ。だから店の人とも知り合いで、よくおまけしてもらえるし♪」


 個人店が持つ強みが「おまけ」文化だ。

 スーパーはイベントや安売りで、大勢のお客さんを呼ぶことが出来る。でも一人一人のお客さんに対して「おまけしといたよ♪」なんてことは出来ない。人情万歳だ。


「ふぅん……。それで、何を買うの?」

「とりあえず鶏肉と野菜をいくつか。あとは……ちょっとお惣菜を見てみようかなー、って感じで……。あ、深山さんが気になるお店があったら、寄ってみても良いよ?」

「う、うん……。晩御飯も栗原さん――ママが、作ってるの?」

「そうだよ。ていうかママって……」


 この辺りにも時原高校の生徒は住んでいる。若者向けではない商店街で、利用者として見かけることは少ないけど、今は学校帰りの生徒が通り道として使っている可能性はある。


「まぁいいけど、外だから一応気を付けてね? なるだけ小声で。ね?」

「……うん。分かった、ママ……♪」


 ひそひそ会話がお気に召したのか、深山さんが目元だけでふっと笑った。

 深山さんをお供に商店街の中を歩いていく。買い物に来たおばさん達の間を縫って進んでいると、あちこちの店から元気のいい呼び込み声が聞こえてきた。

 そのほとんどが私を知っている人達なので、呼び込みに交じって「亜由美ちゃん、お帰り!」だったり「あーちゃん、元気かぃ!」という、私に向けられた言葉もあったりする。もちろん私も店の人たちに笑顔で手を振ったり、「元気だよ」と返したりする。

 そして商店街を始めて訪れる深山さんに対しては、その美貌に対する驚きと羨望の視線が向けられていた。……学校の時より凄いかも。


「……ママ、人気者なんだ」


 深山さんの呟きが聞こえた。嫉妬ではなく、純粋に驚いているらしい。


「知り合いだって言ったじゃん。挨拶ぐらいするよ。――すいませーん」


 精肉店の前で声をかけると、カウンターの後ろにいた坊主頭のおじさんが振り向いた。


「あいよ。おお、亜由美ちゃん、お帰り。――お、そっちの子は?」

「友達だよ。深山一華さん。クラスメイトで、今からうちに遊びに来るの。えーと、鶏むね肉を五百と、合い挽きミンチを――」

「っは~、凄い綺麗な……。もしかして、芸能人してたりする?」

「え!? い、いえ、してません……! ごめんなさい……!」


 初対面のおじさんに人見知りを発揮した深山さんは、慌てて首を振り私の後ろへ隠れた。


「おじさん、やめてよ。うちの子、恥ずかしがり屋なんだから。ねー、いっちゃん?」


 あえてママっぽく言う私に、深山さんが無言のままコクンっと頷く。

 肉屋のおじさんは「悪い悪い」と笑うと、私の注文した品を用意し始めた。ミンチを計る時に、気持ち多めに包んでくれた。これぞおまけ文化。やったぜ。

 そして代金を渡して去ろうとした時――。


「あ、ちょっと待ちな。ほれ」


 そう言っておじさんは、揚げたてのコロッケを二つ、カウンター越しに差し出した。

 肉屋のコロッケ……。それも揚げたてとなると、それはもう、この世で最も美味な総菜の一つだ。小さな頃から数えきれないほど買い食いしたせいか、その衣を見ただけで涎が出る。


「やった♪ ありがとう、おじさん♪ ほら、いっちゃんもお礼言わなきゃ」


 こういうことが初めてらしく、深山さんは受け取ったコロッケとおじさんを何度も見比べていたが、


「あ……ありがとう、ございます」


 少し緊張気味に頭を下げた。そしてコロッケを口元に運び――。


「ぁ、む……。っ……熱っ……けど……美味しい……!」

「ははっ、そりゃ嬉しいね。しかし亜由美ちゃんが友達と一緒にってのは珍しいなぁ。いるとしても、たいてい爽ちゃんなのに」


 爽の名前が出た途端、深山さんの肩がぴくっと反応した気がしたけど……うん、気のせいだろう。……まだ嫌ってるのか、この子は。


「失礼な。爽以外にも友達いるよ」

「ははは、そりゃそうだな。っと、いらっしゃい!」


 新たなお客さんに声をかけられ、おじさんがそっちを対応し始めた。


「じゃ、コロッケありがとう、おじさん。――行くよ、いっちゃん」


 肉屋のおじさんに何度も頭を下げる深山さんを促して、次の店へ向かう。

 夢中になってコロッケを食べ終えた深山さんは、「ほぅ……」と満足そうに息を吐いた。


「美味しかった?」

「すっごく……。あんなに美味しいコロッケ、初めて」

「そうなの? ハウスキーパーさんが作ってくれたりしないの? そっちの方がプロって感じがするけど」

「ん……うちに来る人は、揚げ物はしてくれない。日持ちする料理をいくつか作ってくれるぐらいで、それの繰り返し。オーダーしておけば、色々対応してくれるらしいけど……」


 ハウスキーパーなんて利用したことが無いから詳しいシステムは分からないが、今のを聞く限りだと本当に作業って感じだ。仕事だから当然なんだけど、でも――。


「……いっちゃん、その料理が好きじゃないの?」

「……うん」


 今日までに分かったことの一つに、深山さんは食べ物の好き嫌いが無い、というのがある。

 私がお弁当を作るようになって、深山さんが食べなかったことは一度も無い。どんな食材でも平気らしく、多少味付けに失敗していたりしても美味しそうに食べてくれる。

 それなのにキーパーさんの料理が好きじゃない、という。仕事として注文されて作るんだから、味は美味しいはずなのに。

 ……なら味の好き嫌いではなく、その人達の作る料理自体を嫌がっているってことか。


「どうして? 私のお弁当はいつも喜んでるのに」

「仕事で作られる料理と、ママが作ってくれる料理は全然違うもん」


 深山さんの表情や口調からして、お世辞とかではなさそう。よく分からないけど。


「じゃあ、いっちゃんが一番好きな料理って何なの?」


 考えてみれば聞いたことが無かった。

 いつもお弁当の中身については、卵焼きやハンバーグといったはっきりしたリクエストがある。しかし「特にこれ」といった物は知らない。単に舌がお子様なのか、それともそういう嗜好なのかは分からないが、子供っぽい物が好きなんだとは思うけど……。

 深山さんはにっこり笑うと、しかしこっそり私の手を握り、


「ママの作ってくれるお料理なら何でも好き♪」


 そう言った。


「……ぅ……あ、ありがと」


 手が熱くなったのは、深山さんの手が子供のように温かいからだろう。

 ……不意打ちは、ずるいよね、うん。


「ママ、次はどこ行くの?」

「へっ!? あ、ああ、えっと……野菜かな! その後は……お菓子見に行こうか。私あんまり食べないから、いっちゃん用に買ってあげるよ。 あはは……はぁ」

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