猫《Neco》取られそう《ToRare sou》
富士之縁
三高壁ドン事件
「今日から君たちも2年生だ。というわけで、とりあえず自己紹介でもしてもらおうかな。あ、名前と『よろしくお願いします』だけ言って終わらせるやつは禁止な。っつーわけで、俺が今年一年君たちの担任をやらせてもらう
そうにしか見えないが? と思わず言いたくなったが誰も反応していなかったので堪えた。窮屈そうにスーツを着ている30半ばぐらいの担任が、教室内の空気の冷えっぷりに気付いたのか慌てて生徒たちに指示を出した。
「自己紹介のハードルを下げるのも先生の仕事ってワケだ。というわけで出席番号順に頼むわ。まずは青田」
じわじわと自己紹介が始まる。
僕の名前は
今まで友達もほとんどいなかったので自分をアピールすることに慣れていない。いや、逆か。自分をアピールすることに慣れていないから友達が少ない。そもそも目立つのは好きじゃない。
ここでは無難なことを言うことが大事だ。
一芸を得意げに披露する人もいれば、名前と挨拶だけで済ませようとして先生から注意されている人もいた。
僕はどっちも嫌だから、適当なことでお茶を濁したい。けれど、こういう場面で何を言えば平穏にやり過ごせるのか思いつかない。
「次、高野ー」
先生に呼ばれて席を立つ。
視線を左右に動かすと、興味なさそうな人や、とても真面目に聞こうとしている人、ちょっと怖そうな人や賢そうな人……つまり、色々な人が視界に入ってきた。
割と人数が多い学校なので、知っている人はほとんどいない。
少しでもプレッシャーを和らげるために、明後日の方向に目線を向けているイケメンの方を見ながら口を開いた。
「ぼ、僕の名前は高野光です」
もう一言、何か絞り出さなければ……と逡巡している時に、ふと大切な家族のことが思い浮かんだ。
「ええと、趣味は、家の猫と戯れることです。よろしく」
猫は万人受けするし、ペットを飼っている人自体はそれなりにいるはずだ。
趣味としてもあまりに自然。
「猫の手も借りたい」という表現では、猫の手=あまり役に立たないもの、というニュアンスを感じなくもないけれど、今の僕にとっては天祐とも呼べるものだった。
形だけの拍手を受けながら下げた頭を持ち上げると、先ほどまで興味なさそうな様子だったイケメンがこちらをまじまじと見ていることに気付いた。
異様な圧を感じないわけではないが、気のせいだろう。
自己紹介を含め、色々なオリエンテーションや事務連絡が行われ、2年最初のホームルームが終わった。
ホームルームの前には始業式などがあり、午後には授業がないため、今日はもう帰るだけだ。
荷物の整理をしていると、
「三谷くん、マジでそれ好きだよね~」
「いいじゃねぇかよ、かわいいんだし。それに、今回は女じゃないからやましくもねぇ」
例のイケメン――
出口とは逆方向だし、三谷君のお友達っぽい人も教室のこっち側にはあまりいなさそうだけど……と思っていたら、三谷君が僕の席の横に立った。
今まで影の薄さを利用してイジメの対象にならないように努力していたのに、何たる不幸だろう。
チラリと視線を向けると、三谷君があからさまな作り笑いを浮かべた。
「高野クンさ、猫飼ってるって言ってたよね?」
「言いましたけど」
「写真とかある?」
「い、一応……」
「見せてよ」
「高野くんめっちゃビビってんじゃん。カツアゲみたいに見えるわ」
「それな~。三谷くんマジ過ぎ」
取り巻きたちの嘲笑が響く中、スマホに保存されていた画像を一枚見せる。
ラグドールがもふもふの毛並みを見せつけるようにゴロリと寝転んでいるだけの写真。
それを見た瞬間、三谷君の目の色が変わった。
「これは……!」
「えっと、もういいかな?」
「え~俺らにも見せてよ~」
女子たちは「かわい~」とお決まりのリアクションを取り、男子たちは「思ってたより普通の写真だな」と思っていそうな反応だった。それに引き換え、三谷君の反応は異質に思えた。
みんなが閲覧し終えた頃合いを見計らい、できるだけ申し訳なさそうな雰囲気を出しながら告げる。
「えっと、特に用がないなら僕は猫の世話があるから帰るね」
すると、スマホを持っていた手首を三谷君に捕まれた。
「俺んちさ、ペット禁止なんだよね。だから、明日の放課後、高野クンの家に行ってもいいかな?」
「だから」からの要求が何段飛ばしなんだ、と言いたくなる言葉だ。
「三谷ィ、悪い癖出てるぞ。サッカー部はどうすんだよ。今日は俺らとカラオケ行くためにサボるの確定してるのに、二日連続はマズイっしょ。顧問に怒られるんじゃね?」
「土日頑張ってチャラにするって!」
「三谷くん、本当に猫好きだよね。カラオケでもいつもそんな感じの曲歌ってるし」
手首に掛かる力が増し、
「てなわけで、明日からよろしくな」
あまりにも一方的に告げて教室を出て行った。
翌日の放課後。
宣言通り本当に家までついてきた。何なら途中でコンビニに寄って猫用のささみと普通のお菓子や飲み物を買っていた。
道すがら聞いた話だが、三谷くんはこれまでにも色んな人の家に猫を見るために行ったことがあるらしい。女子の家にも行こうとして、当時付き合っていた女子と喧嘩になったこともあるとか。
「ただいま……と言っても、人間は誰もいないんだけどね」
「玄関で待ってるってわけでもないのか」
「勝手に外出されると心配になるから、出来るだけ部屋から出られないようにしているんだよ」
玄関とリビングの間には猫が出ていきにくいように柵などが置かれている。
たまに突破されたこともあるが、玄関まで突破されたことはない。
扉を開けてパーテーションを動かすと、フローリングの西日の当たる場所に転がっている姿が目に入った。
「おお、本物のアナちゃんだ」
「え?」
確かに僕の飼い猫の名前はアナだ。それに、動画や写真を各種SNSに投稿していてそれなりに人気も出ているから、知られていること自体は不思議ではない。
だからといって、まさかクラスメイトにまで知られているとは思っていなかった。
「合ってるだろ? 有名っちゃ有名だし」
「うん、まあ」
顔の辺りや耳が焦げ茶のラグドールが、名前に反応してのそのそと動いた。
地中海を思わせるような瞳で来客を一瞥し、再び寝そべった。
この家は来客が少ない方だが、親の友達などが来ても大体はこういう感じで警戒しなければ相手にもしない。
「アナちゃん触っていい?」
「大人しい性格だと思っているけど、一応注意しなよ」
「んじゃ、早速」
長い毛並みの中に躊躇なく手を突っ込んでお腹を撫で始めた。
アナは、人間を便利道具にしか思っていなさそうな表情で無抵抗に身体を伸ばしている。
肉球なども触ってから、
「これ、触らせてくれたお礼ね」
と持参した猫用のエサを取り出した。
僕が皿を置き、三谷君が開封してアナが食べ、その様子を三谷君が撮影する。
「あ、ネットに上げるなとまでは言わないけど、個人情報を出したり個人情報がバレやすそうな実名とか高校名丸出しのアカウントとかは止めて欲しいかな」
「心配しなくてもそんなことしないって」
人間用のおやつを机の上に広げながら、
「高野クンも食べなよ。奢りだから」
「ありがとう」
猫の話や学校の話などをしていると、暇を持て余した様子のアナが三谷君の膝の上に飛び乗った。
にこやかに、かつ流れるように三谷君がアナの頭を撫でる。
談笑や撮影をしている内に一時間ほど経ち、親が帰って来る時間帯が近付いてきたことを伝えると、三谷君が荷物を纏めて立ち上がった。
その左足にアナが身体を寄せた。
飼い主たる僕には滅多にしないのに。何だろう、猫の目から見ても人間の顔の優劣が分かるのだろうか。
「おっ、もしかして名残り惜しいのかな?」
三谷君がしゃがみ込むと同時に、足からアナをひっぺがして抱きかかえる。
呆気にとられた表情の三谷君を横目に見ながら、
「アナ、お客さんが困っているだろう?」
「俺は全然困ってないけどなぁ。てか、見た感じ困っているのは高野クンの方じゃね?」
「あはは。まあね。高校に入ってから学校の人を家に上げたのが初めてだから、親がどう思うか気がかりで」
「いや、なんつーか……まあいいや。じゃあな。今日はありがとう」
幸い、アナはいつも通りの無表情でダラリと見送っていた。
翌日、下校しようとしたところを三谷君に呼び止められた。
三谷君の友達以外の人たちも、チラチラと僕たちの様子を窺っているようだ。
「高野クン、昨日聞き忘れていたんだけどさ、次、いつにする?」
予想外の言葉に耳を疑った。
「き、昨日ので満足できなかったのかい?」
「昨日は、満足したさ。でも、別に何回したっていいだろう?」
「三谷君は部活で忙しいと聞いたけど」
「月に二、三回ぐらいなら平気だって」
「しかし、僕のアナは三谷君をそんなに気に入ってないように思えたが」
「いいや。君のアナは陥落寸前だったよ。終盤はあんなに俺を求めていたのに、よく言うぜ」
「それは君の気のせいじゃないのか?」
「まさか。顔に出てたぜ、顔に」
じりじりと距離を詰められ、後退している間に背中が壁にぶつかった。
僕より一回り大きい三谷君が、逃げ道を塞ぐように壁に両手をついた。
予想以上の音に、身体が竦む。
吐息混じりの小声で、
「俺のモノになることを受け入れろ」
と呟くと、ついに教室から謎の歓声が上がり、女子が数名保健室に運ばれ、後に「三高壁ドン事件」としてクラスに語り継がれていく一件は完結した。
猫《Neco》取られそう《ToRare sou》 富士之縁 @fujinoyukari
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