第10話 弓矢は地域により異なる特徴があった。北の弓矢は強く、南の弓矢は弱かった?


弓は、銃器が登場するまでどの時代でもベストセラーの武器でした。

戦場で使う武器としての弓が登場したのは、春秋戦国時代よりもさらに古く商の時代ころです。日本は、そのころ、まだ縄文時代あるいは弥生時代でした。

その後、清の時代になるまで、弓は、戦場で使われ続けます。

中国に限らず、西洋でも、もちろん、日本でも同じで、銃器が登場するまで、戦場における飛び道具のメインの武器として使われていました。


弓は、幹と呼ばれる木の部分と、弦と呼ばれる糸の部分で構成されています。

中国の場合、弓の材料は、その地域により違いました。

例えば、北方では、竹が取れないため、柔らかい木を利用していたのに対し、南方では、竹がたくさんあったために、竹が使われていたようです。

弦も、北方では牛の筋、南方では絹糸が使われていました。

つまり、弓を見れば、その使い手がどこの出身なのかが、分かったということですね。


幹の部分は、竹や木をそのまま使うわけではなく、角、筋、膠、漆などを加えることにより加工します。

膠は接着剤として使われましたが、これは、水に弱いために、よく乾燥させる必要がありました。当然、戦場でも、大雨に叩かれで、びしょぬれになっては、弓がダメになってしまいます。

もちろん、水をはじくために、漆によって防水処置を施したわけですが、それでも、気候の影響を受けました。

例えば、乾燥している冬の間は、弓もよく締まっているため、その分、弓力が強くなるわけです。一方、長雨続きで、湿度が高い時期は、弓は弱くなります。

そうした性質があることは、古くから知られており、そのため、戦は、乾燥した時期を選んで行われたようです。

特に、北方民族はその傾向が強く、弓が強くしかも、馬が肥えている冬に南下していたとされています。


矢もその材料は、地域によって違っていました。

竹が取れる南方では、竹が使われましたし、北方では、柳、樺が使われていました。

矢は、シャフトの部分は、あえて、折れやすく作られていました。矢じりが敵の体内に残りやすくするためだそうです。

矢じりが体内に残ってしまうと、それが原因で、動けなくなったり、長く苦しむことになるわけで、残酷な話ですが、それが戦争というものでしょう。

羽の部分は、鳥の羽が使われましたが、これも、鳥の生息地域により違った特徴がありました。

北方では、鷲や鷹の羽が手に入りやすかったために、性能の良い矢を作ることができました。

南方では、鷲や鷹の羽が手に入りにくいために、鵞鳥の羽が使われたようですが、鷲や鷹の羽に比べると及ばなかったようです。


このように弓矢は、地域によって、違った特徴があったわけで、それだけでも大変面白い話だと思います。


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