第11話 三国志の時代、武将は、矢を何本持っていたのか?
弓矢は、剣や矛などと比べるとデリケートな武器です。
幹の部分は、竹や柔らかい木などを重ねて、膠などで接着して作っています。
この膠は水に弱いためによく乾燥させる必要があること。さらに、水にぬれてダメにならないようにするために、漆で防水しているわけですが、それでも、限度があったわけです。もちろん、幹の部分で敵を叩くなどと言う使い方は論外でした。
さらに、弦も絹糸や牛の筋などが使われていましたが、これも、切れることがあるし、伸びきって使い物にならなくなることもありました。そのために、交換用の弦は常に持っていました。
そして、矢も複数装備していたことは間違いありません。
では、三国志の時代、交換用の弦を何本持っていたのか? 矢を何本持っていたのか? については、正確には分かりません。
ただ、唐の時代に李筌と言う人が著した「太白陰経」という軍事学の書物が参考になります。
この中に唐の時代の兵士の標準装備についての記述があり、弓兵についても書かれています。
これによると、交換用の弦は常時3本携帯し、矢は36本装備するのが標準だったようです。
三国志の時代も、同じくらいの数の矢を装備していたと考えてよいと思います。
そして、弓矢を携行するときは、むき出しのまま携行することはありませんでした。
弓は雨などに叩かれて濡れないように、弓袋と呼ばれる防水性の袋に包んでいました。
矢も羽の部分などは膠などで貼り付けられていますし、湿度によって、矢が曲がったりすることもありましたから、やはり、矢筒に入れるだけでなく、防水性の袋に包んでいました。
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