第9話 正史三国志によく出てくる「戟」とはどのような武器か?


戟は、正史三国志において、矛と並び、ポピュラーな武器でした。

劉備が人を殴るとか、董卓が呂布を殴るとか、呂布が弓矢を射る時の的として「戟」を用いたという記述が見当たります。

「戟」と言うのは、今まで紹介してきた、「矛」と「戈」を組み合わせたものでした。

「矛」の部分で敵を突くことができ、また、「戈」の部分で敵を引っかけて、引きずり倒したり、首の動脈を切り裂くと言った使い方ができたようです。

三国志演義の呂布は「方天画戟」の使い手とされていますが、戟をモデルに製鉄技術を向上させてつくられるようになったのが槍斧の形状を持つ「方天画戟」ということができます。


正史三国志で、戟の使い手として特に知られていたのは、曹操の護衛官を務めていた「典韋」でした。

典韋は、戦場では好んで大きな双戟を持っていたと記されています。

この「双戟」というのが、二股の特殊な形状をした戟のことなのか?、戟を二本持っていたという意味なのか? については、はっきりしません。

しかし、正史三国志に特別な武器を使っていたことが記されるのは珍しいので、典韋がかなりの戟の使い手だったことは予想できます。

一方の呂布は、正史三国志には、戟の使い手だったという記述は見当たりません。

戟と呂布のエピソードとして知られているのは、劉備と袁術が対立して、袁術の軍勢が押し寄せた時に、呂布が仲介した時の話です。

呂布は、戟を地面にさして、

「小枝を射るから見ていろ。当たったら、和解して、袁術軍は引き上げよ。当たらなかったら好き勝手に戦えばよい」

と言いました。

小枝というのは、戟の「戈」の部分のことです。幅は数センチしかなく、アーチェリーで言えば、的の真ん中を正確に射抜く能力が必要になります。

しかも、金属ですから、矢を突き立てるのは、相当難しかっただろうと思われるわけですが、呂布は見事に命中させました。

そのため、袁術の軍勢が兵を引き上げたという話です。

この話は、呂布の弓術が優れていることを示すものであっても、呂布が戟の使い手であったことを意味しているわけではありません。

むしろ、呂布は、戟を的として使い捨てにしているくらいですから、接近戦の武器についてはこだわりはなかっただろうと思われるわけです。


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