やさしい猫

洞貝 渉

やさしい猫

 猫はやさしい。

 猫はやさしいから動かない。

 威圧しないように目も合わせない。

 いつだって下僕の好きにさせてあげる。


 下僕は猫のお世話をしたり、猫をかわいがることが好きだ。

 だからやさしい猫は、特別に下僕にお世話をさせてあげるし、かわいがらせてあげる。たまに猫の身体に顔を押し付けてフガフガ言っているのは嫌だけど、猫は下僕の好きにさせてあげる。猫は、やさしいから。


 やさしい猫は下僕のこともちゃんと気にかけてあげる。

 猫がお腹をすかせたタイミングや、猫がかわいがらせてあげてもいいタイミングをちゃんとわからせてあげないと、下僕がかわいそうだから。

 だから猫は、下僕が猫の目の届く範囲にいさせてあげるようにする。


 猫はやさしいから、下僕の様子もきちんと気にかけてあげる。

 下僕はさっきから動かない。

 動かず、変な物をじっと凝視しながら、うんうんと唸っている。

 下僕はあの変な物が怖いのかもしれない。


 哀れでかわいそうな下僕。

 猫はやさしいから、下僕に手を貸してあげないこともない。

 猫は変な物と下僕の間に入ってあげる。

 ほら、怖くないでしょ? 猫、かわいいでしょ? 猫、少しならかわいがられてあげないこともないよ?


「ちょっ、キーボードの上に乗らないで!」


 下僕が猫に遠慮した。

 下僕のくせに、生意気なことをする。

 でも、猫は怒らない。猫はやさしいから。


 しばらくして、下僕が変な物の前で頭を抱え始めた。

 ほら、やっぱり怖いんでしょ?

 まったくしょうがない下僕だ。猫がいないとなんにもできないんだから。


「どいてー。マウス動かせないから、お願いだからどいててねー?」


 下僕がまた猫に遠慮した。

 下僕はちょっと、自分の立場というものをわかっていないのではないか。

 さすがの猫も、そろそろ怒r


「あーはいはい。チュールあげよっか。こっちおいでー」


 猫はやさしい。

 猫はやさしいから怒らない。

 猫はやさしいからチュールを猫に与えることを許す。

 でも、その前に。


 下僕が変な物から離れ、献上物を取りに行った。

 猫はその隙に、変な物と対峙する。

 猫はやさしい。だから、下僕のためにわざわざ一肌脱いでやることにしたのだ。

 下僕はおおいに猫に感謝するといい。


「うわあお……あんた何やらかしてくれやがったんだよ……」

 献上物を持って戻ってきた下僕が感嘆の声を上げる。

 猫は下僕がいない間に変な物をやっつけておいたのだ。華麗な猫パンチを繰り出し、しっかりと上に乗っかって立場をわからせてやった。


 下僕は猫を抱っこして、変な物をじっと見ると、ん? という顔をする。

「あれ、ここの部分、これならこうすれば……」

 そのままのめり込むように変な物とにらめっこを始める。

 猫は身をよじって下僕の手から逃れると、忘れっぽい下僕にチュールの存在を思い出させるために一声鳴いてやった。


「ごめん、お手柄だけど少し待ってて」


 下僕はそのまま変な物と向かい合って動かなくなる。

 猫にご飯を献上したり猫を撫でたりするための前足をやたらと動かして、目がらんらんと輝いた。


 猫はやさしい。

 でも、優先順位というものは守らせなければならない。

 猫は変な物と下僕の間に、今一度身体をねじ込む。

 下僕は素早く猫を自分の膝の上に乗せ、片足で猫を撫で始める。


 猫はやさしいから、特別に撫でることを許してあげる。

「サンキューねー、後でちゃんと缶詰開けるから、ちょっとだけおとなしくしててねー」

 下僕がうきうきとした鳴き声を出す。

 猫はやさしいから、下僕の声に応えて、鳴き返してやった。

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やさしい猫 洞貝 渉 @horagai

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