第参拾壱話 君とまた巡り逢う時〈四〉



 朔夜サクヤたち双子にとってトモエは、誰よりも身近な忠臣であり誰よりも近くに寄り添ってくれた幼馴染だった。初めに顔を合わせたのは、朔夜たちが七歳、巴が十二歳の時、昇殿しょうでんの許された巴を実母の揺籃が紹介してきた。緊張した様子で表情を硬くする巴の姿を御簾越しに初めて見た朔夜は、持前の人懐っこい性格で御簾を退けて巴の前に座って震える手を握った。その行動に巴だけでなく、赫夜や揺籃は驚愕した。


『っ朔夜様!?』

『殿下! 何をなさいます?!』

『朔夜!』


 慌てて巴が手を引こうとするのを朔夜はやんわりと止めると、周りの制止も聞かずに自己紹介を始めた。


『はじめまして、僕は朔夜。これからよろしくね、巴』

『っこ、光栄です!』

『ふふ。僕ね、もう一人お兄ちゃんができたみたいで嬉しいよ』


 その言葉にいの一番に反応し、ぷっくりと血色の良い頬を膨らませて朔夜の首に巻き付いたのは、女児の恰好をした赫夜だった。日に焼けない真っ白な顔を膨らませて巴相手に必要のない嫉妬心を抱く目で睨まれたが、特に怖さは感じなかった。むしろ微笑ましい。


『えっと…』

『おいお前! 朔夜は“俺”の弟だからな。お前になんて絶対にやらないからな!』

『もぉ…赫夜ったら。何言ってるの?』


 極めつけにべーっと舌を出す不貞腐れた赫夜に、朔夜は困った表情を浮かべながらもその頭を撫でて宥めた。子供の幼い嫉妬心に巴は年上として落ち着いた返答をした。


『…赫夜殿下、私は官吏です。お二人を守るのが勤めです、勿論それは赫夜殿下のこともです』

『……お前が? “俺”たちを?』

『はい』

『勿論です、殿下。巴は私の息子ですので、約束を違えることはございません。それと殿下、一人称は“わたし”ですよ』


 気を付けてくださいまし、と諫める揺籃の言葉にプイッとそっぽ向いた赫夜だったが、その視線は真っ直ぐに巴に向けられていた。いつの間にかその瞳からは嫉妬心は消え、次に疑心に変わった。


『…ほんとに?』

『はい、この命に代えても』

『……ふぅん』


 巴の言葉に嘘偽りのないことを念入りに確認した赫夜は、朔夜の首に絡めていた腕を解くと跪く巴の前に座って顔を突き合わせた。そして呆然とする巴の額に人差し指を押し当てて唱える。


『—— “かしこき龍神ながら、守り給え、さきわえ給え。その忠に曇り無きを証明せよ” 』


 赫夜の唱えたことばによって巴の胸元は淡く光り出し、そこから取り出されたのは一本の小太刀。その刀身は黒い鞘に収められ、柄の色は赤、そして柄の先には金色の房の付いた、とても美しい見た目の小太刀だった。勿論、巴本人の私物ではない。初めて見るものだった。


『…これは?』

『“神器じんぎ”だよ。君の魂に宿る忠誠心から。君がそれを振るう時、君が忠誠心に反することをするならばその刃はお前に向けられるだろう。ただし、お前が忠誠心に基づいて振るうのならば、それはどんな敵でも倒せる』


 人間の魂から造られる『神器じんぎ』は限られた武官や領主にしか許されない代物であり、まだ昇殿したばかりの巴が手に出来ること自体が有り得ない。そのため受け取った巴はそれをどう扱えばいいのかしどろもどろしていた。自分の魂の一部だというのに、まるで他人の物のように扱う巴に思わず笑みが零れた赫夜は先程とは打って変わって優しい表情で教えた。


『ふっ、そんなに慌てなくていいよ。…そうだ、それになまえを付けてあげなよ。これから君の相棒になるんだから』

『なまえ…、銘ですか…』


 ならば、と巴が貰ったばかりの小太刀を撫でながら名付けたそのなまえは…。



 そのなまえは…、



「―― “山茶花さざんか”!!」


 朔夜は思い出した小太刀の名前を叫んだ。その声に応えるようにひとりでに浮かび上がった小太刀は鞘を抜き去ると、その刀身は真っ直ぐ朔夜と巴に向かって飛んできた。そしてそれは、持ち主である巴の背中に深々と突き刺さった。その痛みを鈍くも感じ取った巴は咄嗟に朔夜の首を掴んでいた手を離してしまい、その隙に朔夜は巴から距離を取った。


「…よくやった、山茶花」


 そう呟いた朔夜は、自分がまだ巴にとっては“主の括り”であることを再認識した。赫夜が昔取り出した神器の小太刀『山茶花さざんか』は、もし巴が忠誠心を誓うあるじに危害を加えようとした場合、その刃は罰として己に返ってくるようになっていた。それを思い出した朔夜は一か八か、山茶花のなまえを叫んだ。

 しかし既に赫夜の鬼神きしんと化している巴の頑丈な身体はその程度の傷では倒れることを知らず、手探りで小太刀の柄を掴み取るとそれを引き抜いて乱暴に床に放った。刺された傷はあっという間に塞がり、傷一つなくなった巴は今一度朔夜の姿を捉えると、獣のような唸り声を上げて再び襲ってきた。今までの鬼とは違い、顔見知りが相手だと一歩下がってしまう朔夜を見兼ねて両袖から飛び出した水虬みずちは、自己判断で襲い掛かる巴の両腕にそれぞれ絡みつきその動きを封じようとした。だが、赫夜の鬼道によって鬼神となった巴の力は予想以上であり、水虬の赤い紐を強引に引きちぎると振り上げた拳を朔夜に向けて放った。千切れた水虬では防ぐことはできず、代わりに受け止めた朔夜の交差した両腕がミシミシ、と嫌な音を立てながら軋み、拳の威力によって軽い朔夜の身体はいとも簡単に吹き飛んだ。


「っ六花! 朔夜!」


 青葉がその軌道を目を追い、朔夜の身体が穴の開いた紫微宮しびきゅうの屋根から外へ飛び出していったのを見て慌ててその後を追った。しかしその眼前に立ち塞がるのは青葉に払い除けられても尚立ち向かってくる僧兵たちの群衆であり、それらの存在を前に煩わし気に舌打ちする。


「…っどけ。今度は本気で首、狙うぞ?」


 少し右に傾いた首がコキ、と鳴ったその音と共に襲い来る青葉の底知れぬ殺気に僧兵たちが足を止めたその瞬間、巴に引きちぎられて無残にも床に落ちた朔夜の水虬たちがひとりでに浮かび上がると、それは飛ぶ弾丸ように僧兵たちの間を縫って飛び交う。その動きに視力が追い付かない僧兵たちがふと自分たちの持つ薙刀に視線を移すと、ほぼ同時にその場にある薙刀の刃に見覚えのない亀裂が走り、動揺した持ち主の少しの震動で薙刀の刃はボロボロと崩れ去っていってしまった。

 戸惑う僧兵たちを前に青葉は辛うじて目で追うことができた朔夜の水虬たちの軌道の先を凝視し、僧兵たちの足元に力なく転がる二つの刃が力尽きて光の粒になって散る様から「行け」と言われていると感じ取り、愛刀を鞘に収めるとそのまま振り返ることなく僧兵たちの間を縫って紫微宮から無事に脱出した。


 その一連の流れを傍観していた瓊音ヌナトは期待していた僧兵たちの不甲斐なさに呆れた溜め息をつくと、まず最初に心配したのは未だ眠り続けている赫夜の御身だった。


「赫夜様! 御怪我は…、ないようですね」


 よかった、と安堵して赫夜の胸に縋り付く瓊音だったが、不意にその頬に一滴の“雨”が降った。ぽたり、と頬を伝って落ちたほんのり温かいその感触に瓊音が顔を上げるとそこに映った光景に目を疑った。

 それまで眠る赫夜の表情が著しく変わることなどなかったが、今の赫夜は閉ざした瞼の裏から一筋の温かい涙を流しながら、静かに微笑んでいた。その笑みはその昔欲した、片割れに向けて浮かべられたその笑みによく似ていたのだった。それに気づいた瞬間、朔夜への激しい嫉妬と羨望で顔を真っ赤にして瓊音は立ち上がった。そしてその最悪な機会タイミングでやって来てしまったのが、いつも運がない須玉スダマ


「…うわ、なにこれ。随分と派手にやられましたね」

「…来るのが遅いわ。どこで油を売っていたの?」

「いやぁ。ここ数日の御遣いで疲れてたので、ちょっと昼寝を…」


 一切悪びれる気のない須玉の明け透けな発言に瓊音は血管が一本切れそうになるのをなんとか自制し、そこで惚けている僧兵たちを連れて朔夜たちの後を追えと指示する。


「…もういいわ。須玉、そこの僧兵役立たずたちと巴を連れて、今すぐに朔夜の捜索に行きなさい。見つけ次第、私のもとに連れていらっしゃい」

「あー…まぁ俺はいいけど、?」


 須玉にそう指摘されて瓊音がその方向を向くと、先程まで朔夜を圧倒するほどの動きを見せていた鬼神の巴が手足を脱力させて俯いたままその場に立ち尽くしていた。まるで壊れた玩具のようなその姿を見るのは、瓊音を含めて初めてではない。


「…やはり防衛本能のみでしか動けないか。本来主人の命令で動くものですもの、仕方ないわね」


 つい先頃まで尋常ではない動きを見せていた巴は実際のところ、殆ど無意識に鬼神としての“本能”に従って動いていたに過ぎなかった。十年前に怒りに狂った赫夜が呼び起こした無数の鬼神たちの中に紛れていた巴は、生前から赫夜との繋がりが深かった巴の力は他の鬼神とは比べ物にならなかったが、当の赫夜が昏睡状態これでは宝の持ち腐れというものであった。主人からの“霊力”と“命令”を受け取ることのできない鬼神など、精々防衛装置くらいにしか使えなかった。目の前に都合よく現れた朔夜の気配が消え、戦闘態勢を解いた巴の姿に溜め息を付きながら再度須玉に命ずる。


「…仕方ないわね。須玉、巴は置いて捜索にあたりなさい。絶対に見つけ出すのよ」

「はぁい」

「しっかりやらないと… わかってるわね?」

「…はいはい、謹んでやらせていただきます」


 無駄に念押ししてくる瓊音の熱量に飽き飽きしながら返事した須玉は動ける僧兵たちに声を掛けながら言われた通り、巴が投げ飛ばしてしまった朔夜の捜索に向かったのだった。


 しかし、須玉は東天紅門とうてんこうもんの正門をくぐったその瞬間、振り返って僧兵たちにとんでもないことを告げた。


「…はぁい注目。君達、もう帰っていいよ」

「え! さ、捜さないんですか!?」

「いいんだよ。どうせもうこの国にはいないだろうし」


 須玉にそう指摘されて大半の僧兵たちは確かに、と納得してしまった。しかし一部の首を傾げる僧兵に向けて、須玉は懇切丁寧に説明してあげた。


「…はぁ、あのねぇ。あんなに痛めつけられて満身創痍の状態で、まだのこのこ陰陽国ここを歩いているような奴なんているわけないだろ? もう一人がピンピンしてるんだから、恐らくもうこの国から出てしまってるはずだ」

「で、ですが、それも込みで捜索しないと後で瓊音様になんと言われるか…」

「やだよ、面倒だもの。それに君達だってさっきの傷がまだ癒えてないでしょ? 俺がうまく言っておくから、さっさと休みな」


 本心は自分がさぼりたいだけの須玉だが、そのなけなしの気遣いの言葉に心打たれた僧兵たちは涙ぐみながらお礼を言うと彼の言う通りその場から走り去っていった。そんな屈強な彼等の背中を見送った須玉は、先程から自分の頭上をずっと旋回するように飛んでいる一羽のからすの存在に気づき、そっと自分の左腕を差し出した。そこへ導かれるように降り立った鴉は随分と須玉に懐いている様子で頬ずりをして甘えてくる。


「おー…、久し振りだな。最近相手してやれなくて悪かったな、空晶クウショウ


 甘えたな鴉――空晶クウショウの嘴の裏を撫でると、気持ちよさそうに鳴き声を上げた。その足に括り付けられた伝書の存在に気づいた須玉がそれを開いて見た瞬間、須玉の表情はみるみるうちに曇っていった。


「げ…。まったくはいつも本文より小言の方が多いな」


 伝書の内容にげんなりしながらも返事の伝書を空晶の足に括り付けると、「頼んだぞ」と言って腕を振り上げて飛び立たせた。そして振り返ることなく遠くの空に向かって飛んでいく空晶の姿を見送りながら、ちらりと近くの瓦礫に視線を向けながら独り言を呟く。


「あ——、一つ


 どこに向けるでもないその独り言の裏で、瓦礫の奥でゆらりと影が過ぎ去ったのだった。



 ❖ ❖



 朔夜は頬を撫でる冷たい夜風に揺り起こされ、いつもより重みの感じる瞼を開いた。ぼやける視界に映ったのは穴の開いた天井から覗く星々の輝く紺青の夜空に浮かぶ満月。一切欠けることないその姿で朔夜を見下ろしており、その冷たい月光は惨めな朔夜の姿を照らし出していた。自慢の髪も顔もぼろぼろで身体じゅうのあちこちが痛んで指一本動かす気力すら残っていない朔夜は、唯一動く眼球で周囲を観察し、まだ鈍い思考回路で自分の今の状況を必死に整理した。

 ゆっくりと動いた眼球は朔夜が今倒れている廃墟と化した長屋を映し出す。この長屋には目立った焼け跡はなく、どうやら十年間捨て置かれたせいで風化して廃墟となったようで、あちこち壁や天井が穴だらけではあるもののまだ内装は綺麗な方だった。その長屋の汚れた畳の上で朔夜は、少しずつ意識を失う前の出来事を思い出していた。自分に殺意を向ける瓊音ヌナトの顔、多勢に無勢で襲い来る僧兵たちの姿、自分を六花リッカの指先、固く瞼を閉じて眠りつく赫夜の姿、そして…。


「っともえ、どうして…っ」


 朔夜の首を土色の手で締め上げ、焦点の合わない攻撃的な顔で睨んでくる懐かしいその顔を思い出し、朔夜は独り涙した。まだ首にはあの指の感触と体温が残っている。鬼神には他の鬼とは違い少し低いが体温があり、そのぬくもりがより一層巴の残り香を強めた。もはや止めることのできない涙をぽろぽろと流す朔夜を心配するように、突然青葉が顔を覗き込んできた。


「――おい大丈夫か?」

「…青葉か。無事でよかった」

「おう。お前の神器じんぎに助けられた、ありがとう」


 青葉のお礼に特に身に覚えはなかったが、巴に引きちぎられて宮城に置き去りにしてしまった水虬みずちの存在を思い出し、きっとそのことだろうと思い当り小さく頷いた。その水虬も今は朔夜の魂に戻っており、随分と破壊されてしまったため暫くは使い物にならない状態になっていた。朔夜はなんとか持ち上げた右手を胸元に添えると、ありがとう、と声に出さずに水虬にお礼を言った。


「青葉、ここはどの辺りだ? まだ陰陽国なのだろうか?」

「あぁ、結構飛ばされててな。ここは大体宮城の西側の廃屋だ」

「…そうか。身体が無事なのが奇跡だな」

「いや。それは

「え…?」


 そう言って青葉が親指で指さした方へ視線を向けると、廃屋の開け放たれた出入口の柱に凭れ掛かってこちらを観察している扶桑フソウの姿があり、朔夜は驚きの声を上げる。


「な、なんでここに…?」

「ちょっとな。粗方の事情は青葉から聞いたが、それよりも朔夜。?」

「…身体?」


 唐突に扶桑からそう指摘され、朔夜の身体は思い出したかのように臓腑を痙攣させ、突然咳き込んだと思えば口の中は血の味でいっぱいになった。きしきしと痛む胸を抑えて横向きになった朔夜の口から吐き出された尋常ではない血の量に青葉はギョッとして、扶桑を問い詰めた。


「っおい! これはどういうことだ!?」

「六花の身体が、二人分の魂を収めているせいで悲鳴を上げてるんだ。短時間であれば問題ないが、最近長時間身体を借りていたことは?」


 扶桑の質問で青葉が思い当ったのは、陵光領りょうこうりょうに入る前の辰巳川たつみがわでの一件である。六花の正体を隠すために二日間ほど朔夜が身体を借りていた。その影響だと気づいた青葉は、朔夜にすぐに術を解くよう叫んだ。


「朔夜! これ以上は六花の身体が危険だ。術を解け!」

「っ…わかった」


 青葉の言う通りこれ以上六花の身体にいてはまずい、と感じた朔夜は震える指先で首のツギハギを引き抜いた。そこから溢れ出した“黒”と共に朔夜の輪郭は流れ落ち、代わりに荒い呼吸ながら気を失って眠る六花の姿を現れた。そして減っていた巾着の重みが戻ったその中のものを青葉は取り出して、六花のすぐ側に置いた。白骨の首は表情がなくともどこかまだ落ち込んでいる様子だったが、扶桑にお礼を告げた。


「ありがとう、扶桑。僕が軽率だったよ、まだ大丈夫だと高を括って六花の身を危険に晒した」

「いや、陵光領で指摘しなかった俺も悪かった。暫くは使っても一時間ほどにしておけ」

「…そうだね」

「一番の打開策は朔夜の“本当の身体”を取り戻すことだな」


 これ以上六花の身体に負担を掛けるわけにはいかない朔夜は扶桑に言われて頷くも、実際に朔夜は自分の身体の行方をまったく知らなかった。六花とあちこちで情報収集をしたものの有益なものは殆どなく、頼みの綱であった青葉の父“青林セイリンのもとにも朔夜の身体はなかった。もはや当てのないまま困った様子の朔夜に、扶桑は自分が抱えているある情報を開示した。


「…一つ、俺に心当たりがある」

「何?」

「十年前の当時のことは知らないが、反乱の事後処理は青林セイリン殿と玄冬ゲントウ殿の二人が行ったらしい。特に陰陽国関係者の埋葬について担当したのが、玄冬殿だ」

「おじい様が…、まさか!?」

「青林殿のところになかったのであれば、考えられる行き先は玄冬殿のところしかない」

「…北の、執明領しつみょうりょうか」


 朔夜は次の目的地を定め、青葉もそれに同意した。二人の様子から今すぐにでも向かおうと、扶桑は提案した。


「なら善は急げだ。さっき周辺を見回ってきたが、どうやら躍起になって朔夜を探している者はいないようだからな。今の内にさっさとここを出よう、六花は俺がおぶる」

「すまない、頼んだ」

「ついでに俺も一緒に北へ行く」

「…いいのか?」

「あぁ。乗り掛かった舟だ、このまま放り出して帰ったらヒヨドリに怒られる」


 よっぽど一緒に暮らしている老女が怖いのか苦笑いしながら眠る六花を背負った扶桑は、青葉に一枚の防寒具を投げ渡した。北の地に行ったことのない青葉はその厚手の羽織に首を傾げる。


「…こんなに着込む必要あるのか?」

「何言ってるんだ。今の時期、北は大雪が降り始めるんだ。油断してるとあっという間に凍死するぞ?」

「有難く使わせていただきます!」


 自身が凍死した姿を想像して震えた青葉が貰った羽織をギュッと握り締めて朔夜をやや乱暴に巾着の中に収めると、先に歩き出した扶桑の背を追った。

 揺れる巾着の中で朔夜は過ぎ去っていく故郷の姿を思い浮かべながら、静かに別れを告げた。


「…さようなら、行ってきます」





 そして時は遡り、まだ町には活気があり、民は忙しなく行き交い貴族は優雅に牛車で行き来する往来を抜けて、宮城の大門を通り過ぎて禁裏の門をくぐれば、紫微宮しびきゅうを通り抜けて華やかな香りの漂う御所の中、白髪の美しい女の腕に抱かれた二人の赤子の姿に、宮城は大きな喜びに包まれていたのだった。



『おめでとうございます! 朔夜様、赫夜様、新たな烏兎の誕生でございます!』

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