第弐拾陸話 赤き大鳥の国〈五〉


 実は六花リッカたちは無事城の中に潜入後すぐに二手に分かれたのだ。

 これは扶桑フソウからの提案であり、隠密に長けた扶桑が情報収集して残りの二人で城のどこかにいるであろう『常夜衆とこよしゅう』を探す、というものだった。何故か城の内部についても詳しい扶桑につくづく胡散臭さしか感じなかった青葉アオバだったが、彼の言う事には一理あるため仕方なくその提案に賛同して二手に分かれた。

 まるで忍者のように一瞬にして姿を晦ました扶桑を見送り、顔を見合わす二人はその場にしゃがみ込んで小声で作戦会議を開いた。何せ二人が今いる場所は城内の物置のような狭い部屋であり、一枚扉を隔てたその向こうには敵がいる。慎重に物音は極力立てないように注意した。


「――さて、まずはここからどうやって出るか、だな」

「迂闊に扉を開けるのは流石にやめた方がいいよね」


 扉の向こうから足音すら聞こえないが、いつ誰が通ってもおかしくはない。ここは謂わば『敵の巣の中』なのだから。潜入したはいいものの、早速足止めをされて途方に暮れる六花が徐に天井を見上げたその時、木目ではない何かが見えた。それは、恐らく刃物か何かで削るように刻まれた、“矢印”だった。矢印それの先は六花から見て左側を指しており、その先を目を辿れば天井のとある一角の木片に小さく不自然な窪みを確認した。


「…ねぇ、あれってなんだろう?」

って、どれ?」


 六花が指さす天井の一部を見上げた青葉もその不思議な矢印の存在と、不自然な木片の窪みを発見する。そしてよくよく見れば、その木片のすぐ真下には予め用意されていたかのように丁度良い高さの木箱が置かれていた。あまりに出来過ぎた状況に警戒しつつも、青葉は自ら率先して木箱の上に昇りその上の木片の隙間に手を掛けた。軽く引くだけで簡単に外れた木片のその向こうを覗くと、そこには狭いながら天井を這って移動できる通路があった。随分と埃が降り積もっており、長らく使った人間がいないことを示唆していた。


「こんなに便利なものがあるなら教えておいてほしいよな」

「やっぱり扶桑はこれの存在も知っていたと思う?」

「思うね。そんでもって、意地悪でわざと教えなかったに決まってる」


 相も変わらず扶桑に対して良い印象を抱いていない青葉がそう言いながら先に天井裏に這い上がり、下で順番を待つ六花に手を差し伸べて引き上げた。埃が降り積もり所々には蜘蛛が巣を張り巡らせている狭い天井裏をとりあえず道なりに進み出した二人は、その末に辿り着く場所を知らない。

 四つん這いで慎重になるべく音を立てずに進みながら、青葉は天井板の下から聞こえてくる話し声に耳を澄ませる。どうやらここは廊下の真ん中辺りのようで、世間話を交わしながら歩く中年の下級武士二人の声が聞こえてきた。


「–––聞いたか? 例の一揆鎮圧の件」

「あぁ、鵺殿が画眉ガビ殿に命じてやらせたあれか。噂ではその一揆自体が鵺殿の捏造とか」

「滅多な事言うな。この領地くにで鵺殿の不興を買って生きていられる奴なんていないんだ」

「…今や、赤帝せきていなんかより大老殿の方がよっぽど威厳があるわけだしな」

「だが、鵺殿も御年六十。そろそろ孫に跡を譲るんじゃないのか?」

「孫? あぁ、あの出来損ないか。そうなれば、今よりは我々もやりやすくなるかもな」

「うまい具合にぽっくり、とはいかないか…」


 青龍である青葉にはあまり関係のない話ではあったが、その“鵺”というのが権力を持ち過ぎて、他の家臣たちからは疎まれていることはなんとなく理解できた。特に有力な情報はなさそうだと見切りをつけようとしたその時、噂話を語る方の相槌役をしていた方がハッと何かを思い出した。


「…そうだ、鵺殿といえば。またあの怪しげな黒装束の輩を招いていたぞ」

「なに。どこだ?」

「確か、この廊下を真っ直ぐ行ったとこの座敷にいるらしい」

「んじゃいっちょ見物にでも行くか?」

「いやなんでだよ」

「前に来てた黒装束が、珍しく顔を隠してない女だったんだ。それも結構な美人のな」

「節操なしが。奥方に言いつけるぞ」

「勘弁してくれよぉ」

「だが残念だったな。今回来てたのは、顔を隠していたから別人だ」


 完全に気の抜けた会話を聞きながら、その中に二人にとって有力な情報のみを取り除く。青葉たちの下を歩いて行った男達の去った方向と男の言葉を合わせて、青葉は自分たちが進むべき方向を導き出した。


「真っ直ぐ、か…。今の家臣等あいつらはこの場から踵を返したから、彼等とは反対側に進めばいいのか…?」

「たぶん…」

「…まぁなるようになるさ」


 持前の母譲りの“大雑把さ”で進み始めた青葉の背中に一抹の不安を抱きながらも、六花はその後を追った。



 ❖ ❖



 六花たちが天井裏を這っていた頃、城の奥のこじんまりとした茶室に通された客人 ——須玉スダマはドスドス、と不躾な足音を響かせてやって来る人物の姿を思い浮かべながら眉間に深い皺を寄せながら茶を啜って気を紛らわせた。しかし須玉の不機嫌の種はそんなことお構いなしに勢いよく襖を引くと、狭い茶室で一人待つ須玉の姿を見てにんまりと下品な笑みを浮かべた。


「――おぉ! 本当におったか」

「――不躾な音がすると思えばやはりお前か、“波山ハザン”」


 朱雀の両翼を表す赤い羽根を背負ったかみしも姿の大柄な男は許可もなく須玉の横を陣取ると、須玉のために用意されていたはずの茶菓子の芋羊羹を鷲掴んで頬張り始めた。失礼極まるその姿に怪訝な表情を浮かべる須玉は身を引いて距離をとった。尚も羊羹を頬張る男――波山ハザンは自分の前に茶がないことに誰に向けるでもなく愚痴を零した。


「おいおい、なんでお前の茶はあって俺様のはないんだ!?」

「知るか。欲しければ自分で用意しろ」


 仮にも客だぞ、と先程まで大鵬タイホウと接していた時の丁寧な口調を一変させ、奥底にひた隠していた本性を露わにして口調を乱した。須玉がこの男に会うのはこれが三度目だが、何度会っても必ずもう会いたくないと思わせられる、そんな男だった。

 この無礼で不遜な男――波山ハザンはこの城内で知らない者はいない、老中の一人であった。頭は悪いが武芸の腕には自信があり、武官として他の武士もののふたちを束ねる存在である。しかもこの男、大老“ヌエ”の甥でありその孫の大鵬とは従兄弟同士にあたる。しかし並べて見比べたところで、この二人に共通点なんて一つとして見つからない。これならば陰鬱な大鵬と話している方が幾分かマシだ、と心中でごちる須玉のことなどお構いなしに、唯我独尊を体現したような波山は須玉の手から湯呑を奪い取ると残っていた中身を勝手に胃袋へと流し込んだ。湯呑の底に残った抹茶の濃い部分まで飲み干した波山は、苦味に顔を顰めながら湯呑を畳の上に転がした。

 そんな波山の行動にも動じない須玉は何故この男がここに来たのかを尋ねた。


「…ところで私がここで待っていたのは鵺殿のはずだが、何故貴方が?」

「あぁ、義父殿おやじどのならなんか用があるつってな、先に接待してけって俺様が来た」

「…今のところ、お前に接待された覚えはないがな」


 もし波山の言うことが真実ならば、この男に接待役を任せたのは明らかに人選ミスと言えよう。老中の中で一番、接待という言葉の似合わない男に何故頼んだのか、と普段最適解以外の答えしか出さない鵺の理解不能な思考を推理してみるが、決して腹の底を明かすことのない男の真意など須玉にわかるわけもなかった。


「…何か他に理由はないのか? どう考えたってお前に接待は無理があり過ぎる」

「あぁ、そういえばな。双睛ソウセイの野郎が、城内で“法術の気配”を感じたっつってたな…」

「城内で? 朱雀の手の者は他の領の者に比べて法術者が多いとは聞いていたが、そんなことは日常茶飯事じゃないのか」

「いいや。今や法術を使える者は数えられるほどしかいない。名立たる者は皆、十年前に亡くなった。今この城で法術を使えるのは、義父殿おやじどの双睛ソウセイの二人だけ、と聞く」


 他の領に比べて武官の数の少ない朱雀軍の戦力の大半を補っている『法術者ほうじゅつしゃ』だが、その半数は十年前に陰陽国で命を落とした。そのため今残っている実力者は、大老の鵺とその側近で老中の双睛の二人のみ。その内の双睛が言うのであれば間違いはない、と納得する須玉はその法術の気配について考察した。


「その気配が鵺殿でも双睛殿でもないとすれば、この城内に正体不明の第三者がいるということか?」


 一体どこに、と呟く須玉に波山は何故か天井を指差した。その指の先を辿り、須玉も何の変哲もない天井の木目を見つめて首を傾げた。


「は、なに?」

第三者そいつらなら今、


 そう言った波山が掲げた指をグッと握り込むと、その拳を力いっぱい振り下ろして自身の前の畳を思いっきり叩きつけた。その衝撃で伝わる震動は並の人間では到底起こせない力で部屋中に響き渡り、その揺れでギシギシと不自然な音を立て始めた天井の一角が突然二人の目の前に落ちてきた。とある“おまけ付き”で。


「――いっ、てぇ…」

「――な、なにが起きたの?」


「………は」


 畳の上に落ちた天井の木片を下敷きにして波山と須玉の間に落ちてきたのは、二人の男女の子供だった。まだ十代の幼さの残る見覚えのない二人の子供の顔に唖然とする須玉と反対に愉快な笑みを浮かべる波山の二つの顔に囲まれ、落ちてきた子供の一方——青葉アオバは口端を引き攣らせた。


「…やっべ」




 老中の波山が城に入り込んだ侵入者二人を捕縛した、という報せは瞬く間に城内に拡散され、それに誰よりも動揺を見せたのは朱華ハネズの侍女の“雲雀ヒバリ”だった。

 混乱に包まれた城内を足早に進み朱華のいる部屋に向かう雲雀を引き留めたのは、同じように焦った表情を浮かべて彼女の腕を掴んだハヤブサだった。


「――っどういうことだ!?」

「隼…!?」

「こんな状況は聞いてないぞ。一体どういうことなんだ!?」

「私にもわからないの。こんな“計画”知らされていなかった…」


 廊下の端の人目に付かない物陰でこそこそとしながらも言い争う二人は、普段の様子からは想像できないほど狼狽しており、予想外の状況に雲雀がいの一番に案じたのは朱華の身だった。


「っとにかく、今は姫様の身の安全を確保しなければ」

「…これは本当に、?」

「……わからない」

「…わかった。今はとにかく状況を確認する。お前は一刻も早く、姫様を安全なところに」

「えぇ」


 取り乱した隼は一旦冷静になるとお互いに今すべき事を提示し、各自その場で別れた。情報収集に向かったであろう隼の背中を見送り、雲雀は朱華のもとへ急いだ。彼女がいるであろう居室は今進んでいる廊下の突き当たりを左に曲がればすぐそこにある。何百回も通った道筋を迷わず突き進み、目の前に立ち塞がる襖を勢いよく開け放ち、中にいると思われる幼い主君の名前を呼んだ。


「っ姫様——!」


 しかし、そこはもぬけの殻だった。


 いるはずの少女の姿が確認できなかった雲雀の脳内に過ったのは最悪の予想。自分の命よりも大事にしなければいけない少女の命がこの城内のどこかで脅かされているのではないか、という予想で頭がいっぱいになった雲雀は血の気の引いた真っ青な顔で駆け出した。城内の奥の人の気配の少ない廊下をひたすらに駆け回り、大声で朱華の名前を叫んだ。


「朱華様! 姫さま!?」


 激しく動いたせいで束ねた髪が解け、緩んだ簪から髪の毛がボロボロと崩れ落ちるのも気にせず走り回る彼女の背を、小さな声が呼び止めた。


「―――雲雀?」


 今他の何よりも聞きたい声が背後から聞こえてきたことで性急な動きで振り返ると、そこにはボロボロの様子の雲雀を心配そうに見つめる探し人の朱華ハネズが立っていた。普段冷静な雲雀の慌てふためいた姿に狼狽して伸ばした両手の行き先も定まらずオロオロとする朱華の姿を見て、雲雀は飛び掛かる勢いで抱き寄せた。そして触れ慣れた赤毛の存在を確かめるように撫でながら、安堵に声を震わせた。


「っよかった、よかった、無事で!」

「雲雀、ごめんね。心配をかけてみたいで」

「いいえ! 私こそ、取り乱して申し訳ありません」


 勝手に部屋を出たことを反省する朱華の頬を優しく包み込みながら、雲雀は掠り傷一つないことを確認してホッと胸を撫でおろした。

 そんな二人のやりとりを密かに朱華の後ろに控えて見守っていた二つの人影が雲雀たちに覆い被さり、その存在を雲雀に主張した。ふと陰った視界に雲雀が顔を上げれば、そこに立っていた二人の男の顔を凝視した。


「…っ貴方様は」

「――ご苦労だったな、雲雀」

「……ヌエ殿、双睛ソウセイ殿。何故ここに?」


 行方不明だった朱華と行動を共にしていたのは、大老のヌエと老中の双睛ソウセイ。二人とも、雲雀にとっては非常に危険な天敵である。上から見下ろす二人の影から朱華を守るように抱き締めると、雲雀は警戒しながらここに来るまでの経緯を質問した。


「…何故お二人が姫様と一緒に?」

「勿論、侵入者の報告を受けまして、一刻も早く姫様を安全な場所へお連れするためでございます」

「安全な場所、ですか」

「はい」


 雲雀の問いに答えたのは鵺の後ろに控えた眼鏡が特徴の双睛。鵺の側近として一番古くから城仕えをしている男で、鵺の優秀な頭脳であると同時に、彼に次ぐ『法術』の使い手でもある。正直、鵺に関わる人物を朱華に接近させることを雲雀は良しとしていなかった。

 どう見ても胡散臭い表面上の笑みを浮かべた鵺は、顎から伸びた長い髭を撫でながら警戒する雲雀に顔を寄せた。


「さて、ここでいつまでもこうしているわけにもいきません。早く姫様を安全なところへ」

「…それは私がやります。鵺殿は一刻も早く、侵入者をどうにかしてくださいませ」

「あぁ、それに関しては心配いりません。捕らえたのは儂の甥ですので、あれが処理してくれるでしょう」

「…?」


 鵺の言葉の意味を図り兼ねる雲雀が首を傾げる姿にスッと目を細め、後ろに控える双睛を耳元まで呼び寄せて彼女たちに聞こえない声量で耳打ちした。


「…の準備は?」

「は。既に済んでおります。要となる“霊石れいせき”は波山に渡してありますので、うまく処理してくださるかと」

「…そうか」


 すべてのことが万事順調、という言葉を聞いた鵺は笑みを深くすると、満足そうに立派に蓄えた白い髭を撫でた。

 目の前の二人の会話の内容を聞き取ることはできなかったが、得体の知れない恐怖を感じた雲雀は背筋の悪寒に身を震わせながら何も知らない朱華の小さな身体をギュッと抱き締めた。





 ……静かな城の奥で、不気味な呻き声が密かに響く。

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