自笑行為
僕が転んだ時、僕の母は僕の顔に傷がつくことを酷く心配した。手や膝の傷は別に何ともないのに、顔になると跡になるかもしれないと騒ぎ立てた。大して僕の顔が端正だったわけでもないのに、いや、だからか、これ以上マイナス値を増やさないように必死だったのかもしれない。
「リア、どしたん?その傷」
僕の右頬を指さして、アムさんが懐疑そうな顔をして、眉をしかめている。
「えっと、自傷です」
少し言い淀んだけれど、見え透いた嘘も付けなくて、仮面を割るように割り切って、幸せを表現する微笑みを見せた。
「ああ、自傷なん。納得やわ」
とコクコクと頷くと、また携帯型ゲーム機を操作して、僕から興味をなくした。僕の右頬には目の下から口端まで、縦に深く割いた傷がある。カッターで僕が切った。安心した。僕がちゃんと醜くなった。手首を切るよりも恐ろしかったけれども、切ってしまえばそれもまた愛おしい傷跡になった。
「リアぁ、リアの可愛い顔に傷がぁ、え、誰にやられたん?俺が殺しちゃるどぉ」
とキューさんには吃驚されて抱きつかれた。傷跡を触れるか触れないか程度に優しく撫でられて、痛々しい、可哀想に、みたいな顔された。
「僕ですよ、これ付けたの」
僕があっけらかんと答えると
「まじで!?」
とまた驚かれた。それから、何から聞こうかと口を歪ませ頭を悩ませてから、「誰のせいやぁ?」と、あくどくニタついて聞いてきた。
「ふふっ、全部全部僕のせいです」
「そんなわけない。傷付けられたから、傷が付いたの。自傷でも他害でも全部そうなってんの」
キューさんは僕を慈しむように背中を撫でてくれる。誰かに僕の見えないところを傷付けられたから、それが自傷に繋がって、目に見える傷となった。キューさんはそう言っているようだった。それはとても理解できるけれども、僕はその誰かを傷付けたくなくて嘘をつく。
「ただ好きなんです、自傷行為が」
「楽しいもんね、俺もやってたぁ」
なんて軽妙に腕をまくっても、そこに傷は存在せず、「あっ、ボスに『 困った子だね』って消されたんだったぁ」と思い出したようにモノマネも交えて笑っていた。
そっか、あの人は傷跡くらい消せるんだ。その事実がさらに僕の無意味さを際立たせた。
「これも消されちゃいますかね?」
「んー、ルゼ、What do you think?」
キューさんは助けを求めるようにルゼさんに話題を振った。ルゼさんは数秒間、僕の顔を見つめると、諦めたようにこう言った。
「リアは顔で売ってないから大丈夫だろ」
「はぁ?そうゆう問題?」
「は?お前が傷消されたのもそれが理由だろうが」
「えぇ?ちゃうしぃ、俺のはあれはあれで商売道具になり得たしぃ」
何でわざわざ食いつくんだろう、お互いに。そして、何でわざわざ律儀に反論もするんだろう。それなら最初から、意見なんて求めなければいいのに。
「ボスの美的感覚がどうかなんて俺が知るわけないだろ。サタさんに聞け」
というルゼさんの言葉で口論が終わり、キューさんは僕を連れて、僕とともに、サタさん探しの旅に出た。
「サタさーん、サタサタサタさーん」
リズミカルに呼ぶ姿は何処か、脱走した飼い猫を探す飼い主を想起させた。サタさんがいつもボスといる仕事部屋、鍵がかかっていて開かなかった。次にサタさんの部屋、書斎、キッチン、バスルーム、物置等々、何処にもいなかった。
「チャット入れときますか?」
「それは、つまんない」
意見を聞くのにつまるもつまらないもないと思うのだが、変な意地を張られて、それこそ機嫌を損ねられても困るので、今日一日はサタさん探しで潰れると覚悟した。そのとき、だった。
「キュー、リア、二人で揃って、どうかしたのかい?」
気配を全く感じなかった、いつの間にか背後にいる。間違いない、あの人の声、背筋が凍る。僕の左側に立つキューさんともに、ぎこちなく振り返りながら、僕は右頬にさりげなく手を当てた。日本人形のような不気味な笑顔。貴方の白い肌が一層、奇妙さを増している。脚がガタガタ、産まれたての小鹿みたく震えた。
「えっと、サタさんを探してまして……」
えへへっ、と誤魔化そうとしている胡散臭い笑顔で、でもキューさんは本当のことしか言ってない。
「サタなら、死んでるからいないよ」
何ともない、平気な顔で、死を言った。貴方は、僕が驚き戸惑っている方のが、不思議そうで、僕は、それが不思議だ。
「何で──」
「それよりもリア、頬杖なんてついて、何かお悩みごとかな?」
僕の右手に貴方は手を重ねて指摘し、ゆっくりとなぞるように動かして離した。僕の右頬の手を少しでもずらして、傷を顕にしたいみたいだ。けれども、僕は頑なにそれを拒んだ。この傷は僕には慰めになるが、貴方には傷としてそのまま受け取られる気がして、貴方の心まで傷つけてしまいそうだから。
「何でサタさんは死んでるんですか?」
「君はそれを知るよりも前から頬杖をついていたよね?」
僕の石つぶてのような攻撃はすぐさま弾き飛ばされた。僕が放ったよりも攻撃力が上乗せされて返される。それはもう弾丸みたいに。「私の前なのに、リアは頬杖かい?」なんて愉快な声が聞こえてきそう。
「ふふっ、不躾ですいません」
僕は、窮地に追いやられたとき、死んでしまいたい、と思うんだ。こんな軽い命、いつ捨てたって、どう捨てたって、構いはしない。僕にとっては、僕のせいで貴方を傷つけてしまうことのが、重大な問題であった。
「リアは、その、歯が痛くて、おそらく、虫歯かと」
キューさんは頭が回んない僕に代わって、必死な弁明の嘘をしてくれている。この人まで嘘つきの罪を負わなくてもいいのに、僕のせいで巻き込んでしまった。
「そうなの?ちょっと見せてよ」
その伸ばす手に、そっぽ向いた。でも接近されて、顔を掴まれてしまってはどうしようもなかった。
「そんなん、医者に見せれあ……」
逃げるための口実のような愚痴を言っていると、貴方の親指が僕の唇を割って入ってきて、「あーんして」と言いながら、僕の歯や舌を容赦なく触ってくる。これが何かすごく恥ずかしいというか、いやらしいというか。僕に対して、僕の唾液とか舌とかに対して、嫌悪の色を見せないのが、何とも、気狂いだと、貴方に対して僕は思ってしまった。
「何ともないようだけど、痛い?」
一通り見終わったところで、そう平然と聞かれた。「いい子だったね」なんて僕の唾液で汚れた手と反対の手で僕の頭をポンポンと撫でる。僕の身勝手な自己嫌悪で貴方を嫌ってしまいそうだ。
「うーん、ふふっ、心が痛いです」
「ん?カウンセリングもお望みかい?」
何でそんなに貴方は心底楽しそうに僕を診るんだ?冗談じみた心の痛さはまぎれもない本物で、それが貴方の心に共鳴して、苦しめてしまうというのに、貴方は僕と同じように自傷行為が好きなのか。
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