入社セレブレーション
「そろそろかな。じゃあ、目を瞑って」
仕事内容を聞かされた、あの後、謎に「そうですよね」と納得してしまって、一旦会話が終わった。と思えば、ここにある目に付くものを紹介された。
壁一面を覆う大きな本棚には、ボスのおすすめの本が並んでいる。机の上にはノートパソコンが置いてあって、これは人間界でも何処でも行きたいところに行ける、優秀なノートパソコンなんだと紹介された。さらにクローゼットにはボスの趣味と思われる洋服が入っていて、気に入ってくれた?とまくし立てるような説明の後に言われた。人殺しの仕事というインパクトを、誤魔化そうとしているのか、メリットを説明して、引き留めようとしているのか、考えても分からないけど。まあ、彼の一生懸命さは伝わった。
「最初から、気に入ってますよ」
彼の微笑みは素敵だ。
言われた通りに目を瞑る。何故、瞑るのかも分からないけど、両手をボスに握られながら、何処かへ歩いていく。何処でも何でもどうでも良い、彼がいればそれで。
「あっ、そこ段差!」
何かに足を取られ、体勢を大きく崩した。グラッと来たけど、支えてもらっているから、派手に転けはしなかった。
「んー、これじゃ面倒だね」
僕の体勢を水平に元に戻すと、ヒョイっと体を持ち上げられた。いきなりのことで驚いたけれど、体温を感じる。
「こっちの方が効率的だ。君は軽いから持ちやすい」
とまた歩き始めた。
お姫様抱っこされるとは、そして、意外と首がグラグラする。何か体幹を鍛えているみたいだ。それに気づいたのか、
「私の首に腕を回して」
と言われた。
とりあえず腕を伸ばして、ボスの首を手探りで探す。
「んん、それは私の顔だね。今は目を開けていいよ」
手を引っ込めて目を開けると、優しそうな顔をしたボスと目が合った。なんだかその目に惹き込まれそうだったので、すぐさまボスの首に腕を回して抱きついた。
「落とさないでくださいよ、ボス」
「さあ、どうでしょうか」
意地悪く言うから、さらに強くボスに抱きついた。人の温もりがこんなにも安心するものだとは知らなかった。
「結構遠いですね。何処に向かっているんですか?」
「知りたいかい?」
「ええ、とても」
「んー、仕方ないな。君にだけ特別に教えてあげよう。いま向かっているところは私の一番大好きなところだよ。とてもとても大好きなんだ」
その想起した情景に浸るように語る彼の声が、僕の心まで染み込んできた。
「すごい好きなんですね、その場所のこと。景色が綺麗とか、ですか?」
「うん、そうだね。景色が最高に綺麗だ。この世のどんな世界遺産だろうとあの景色には勝てないね」
次は自慢げな声だ。彼だけが知っている場所なのかもしれない。
「ええ、そんなところがあるんですか!?すごい楽しみになってきました」
「まぁ、私にとっては、だけどね。さあ、着いたよ」
と丁寧に足を地面に下ろしてくれる。
「もう目を開けていいよ」
目の前にはドアが一枚。
「さあ、中に入って」
肩を持つ彼に勧められて、不安と緊張と、楽しみを抱いて、ドアを開けた。
パンパパンッ!!
「「入社、おめでとう!!!」」
クラッカーを鳴らされて、出迎えるように祝われた。さっきまでのリビングが、華やかに飾り付けしてある。
「うわぁ、ありがとうございます!」
辺りを見渡して、すべて僕のためにやってくれたのだと思うと、湧き上がってくる何かがあった。
「ええなぁ、新入りちゃんは。こんなにもみんなに祝ってもろてぇ」
とキューさんが、僕を羨むように言ってくれた。謙譲の敬語みたいな優しい心遣いだ。
「ほな、席つこか」
とアムさんに肩を組まれ、お誕生日席みたいな席に座る。良かった、生きてて。
「ボスもほら、早く来てくださいよ」
ボスはサタさんに腕を捕まれ、席に着いた。
「ふふっ、さすがだね、君たちは」
ボスが一人一人を褒めるように、尽力してくれたみんなの顔を順々に見つめる。この人も楽しそうだ。何よりも大好きな場所だもん。
「ボス、乾杯しましょう」
「そうだね。新しい家族が増えたことを祝って、乾杯!」
「「乾杯!!」」
こんなに盛大に祝ってもらえたのはいつぶりだろうか。誕生日以外に記念日なんてなにもなかったし、誕生日さえもないがしろにしていた。小さい頃は気持ちがずっと高揚して堪らなかったが、今となってはその気持ちは消え果ててしまった。心が固まってしまった。これが大人になるって言うことなら、なんて無慈悲なのだろうか。こうやって、祝われている最中も周りを気にしてしまって、無邪気な子供のようには楽しめない。だが、ボスの言っていた言葉もよくわかる。この景色の中にいると自然と心が動く気がする。
「ん?リア、それ食わないのか?」
と僕のお皿に手を伸ばしてるルゼさん。
「あぁ、ちょっとお腹いっぱいになってしまって……」
「ふーん。じゃあ、貰うな〜」
この人の胃袋はどうなっているのだろうか。ダイニングテーブルいっぱいに皿で敷き詰められた料理が次々と彼の胃袋の中に消えていく。八割方は彼が一人で食べただろう。
「あっ、そうだ。明日、お前と渋谷に行くことになったから。よろしく」
仕事だろうが遊びだろうが、この誘いに断る余地もなく、「よろしくお願いします」と返した。
「ええなぁ、お土産こーてきてぇ」
ルゼさんの隣りに座るキューさんがルゼさんの腕を揺さぶりながら、彼女っぽく強請っている。
「そんな金ないわ」
とルゼさんは食べながらだが、朗らかに笑った。なんかいつの間にかキューさんとルゼさんが仲直りしてる。
「どう?楽しんでるかい?」
ボスが通りすがりにワイングラス片手に話しかけてきた。
「はい、おかげさまで。案外、近場だったんですね、ボス」
「予想に反して、準備の時間が長引いていてね。君を連れて歩き回ってたよ。ふふふ、楽しかった」
そのとき僕はずっと不安でしたけど。
「ボス!そろそろケーキ食べましょうや!」
アムさんが思い出したように声を上げて、すぐさま立ち上がる。
「うん、そうだね」
ボスもそのつもりで冷蔵庫の近くに来たんだろうけど、アムさんにケーキを運ぶ仕事を取られている。
そうか、あのケーキは僕のために。なんだかさらに心が温まる。
目の前に置かれたいちごのショートケーキ。プレートにはwelcomeの文字。何故、ここまで僕のためにしてくれるのだろうか。すごく疑問だ。でも、その理由は考えない方がいいだろう。また悪い方向に行ってしまわぬように。
アムさんがケーキを切り分けみんなに配り終わった。
「美味そうやな。ほな、いただくとしよか」
とケーキを美味しそうに食べ始めた。それに連れられてみんなも食べ始める。
「約束通り、半分貰うぞ」
「ちょい待ってぇよ。はい、あーん」
ルゼさんとキューさん、この二人、本当に仲良いな。付き合ってんのか?キューさんがルゼさんに、自分のケーキの三分の一くらいをフォークで切って、食べさせようとしている。それを何の違和感もないように口を開いて、食べさせてくれるのを待っているルゼさん。
「あはっ、騙されてやんのぉ」
そのケーキの乗ったフォークは、ルゼさんの口の目の前を掠めるように横切り、キューさんが自ら食べた。煽ることができて満足気な顔を、ルゼさんにここぞとばかりに見せつけている。
その隙に、ルゼさんがキューさんにバレないようにケーキを残りの三分の二をごっそりと持っていった。
「……うわぁ、うちのケーキがぁ!!」
とキューさんが気づいた頃には、もう遅く、そのケーキはルゼさんの口の中へと隠されていた。
「ルゼ、お前やろなぁ。うちのケーキ取ったんはぁ」
「ふぃふぁん(知らん)」
口いっぱいにケーキを詰め込んでいるにも関わらず、白を切るルゼさんを見て、キューさんがルゼさんのケーキに手をつけようとした。二人でケーキの争奪戦を始めた。
「アムさん、いつもはあんな感じなんですか?あの二人」
「そやね。仲ええよな、ホンマに。なぁ、ユンさん、わいのいちごいるか?」
アムさんは依然として、あの二人のことは気にも留めていない。フォークに刺さったいちごを差し出されて、首を横に振るユンさん。それにしても、ユンさんってすごい無口で無表情な人だな。しかもちょっと不思議な人だ。人間やめたいTシャツなんか着てる。最初に会ったときはまともな服装だったのに。
「リアが知らんのは当然やけど、ユンさんってめっちゃおもろい人なんやで!」
声高らかにそう言われて、
「そうなんですか。まぁ、なんとなくはわかる気がします」
と苦笑しながら答えた。アムさんとユンさんって、いかにも対照的な性格じゃないかな、と見た目や言動からも、かなり想像つく。混ぜるな危険じゃないかと。が、違いすぎて逆に仲良くなる感じかもしれない。
「やろ?でな、ビッグフットちゅうUMA知っとるか?」
「ええ、知ってますよ。森に住んでるゴリラみたいなやつですよね?」
「せや、それな実はユンさんが作ったやつなんや!もう、誇らしいわぁ!」
自分の功績のように語るアムさんを、ユンさんは一瞥して、またケーキをつっついている。ケーキに警戒心を抱いているようなそんな感じだ。
「えー、それ本当なんですか?」
ユンさんを見ながらそう言うも、
「ホンマやって。今度見せたるよ」
とアムさんに答えられる。
「楽しみにしてます」
というと、良い子だと、愛犬を可愛がるように、頭を乱雑に撫でられた。その後に、アムさんがいちごだけ抜き取られたケーキをユンさんから貰っているのを見た。ユンさんって、不思議な人だ。
ダイニングテーブルを囲むように座るみんなをぐるっと見回した。サタさんとボスも楽しそうに会話してる。なんとも賑やかだ。こういう家族団らんみたいな、楽しいっていう感情、久しぶりに感じた。
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