恐怖の作者(中編)

貝沢の怪談が一通り終わったあと。


数秒の沈黙ののち、石田が口を開いた。

「…うん、何というか、あのトンネルが激ヤバだってことはわかった。とりあえず、友達には風邪気味だって嘘ついときゃ誘ってこないだろ。幽霊にしろでっかいムカデにしろ、会いたくはないからな」

どうやら、肝試しに参加する気は失せてしまったようだ。

「あれ、そういえばこの部屋、なんか寒くないですか?」

そう言って身震いする沖野。

「そう言われれば確かに…変だな、暖房ついてるのに」



その日を境に、貝沢が怪談を得意としている、という評判はじわりじわりとバイト連中の間で伝わっていった。

最初はバイトリーダー二人と、社会人・大学生の者達の間だけで。


「…バラエティ番組でよくやる、依頼人の家にお邪魔して金庫を開けさせてもらう企画。あれって実は、お蔵入りになってしまうことも少なくないんですよ。半年前お笑いのライブを見に行って聞いた話なんですが、ある芸人が…」


「…彼は確かに見た。金庫の奥から毛むくじゃらの腕が飛び出してきて、鍵開け職人の左腕をがっちり掴むのを。そして、力一杯引っ張るのを。職人は金庫の扉にしがみついてかろうじて踏ん張ってはいるが、靴下を履いた両足は畳の上で今にも滑りそうだ。芸人が職人を羽交い締めにして引っ張るが、びくともしない。そうこうしているうちに…

一瞬、相手が引っ張るのをやめた。そのせいで勢い余って、職人と芸人はバランスを崩して後ろへひっくり返る。それがいけなかった。…気が緩んだ隙を突いて、例の腕は職人を金庫に引きずり込んだ!そして扉がバタン、と閉まって…ダイヤルがひとりでに回った…」


噂はやがて、高校生達の耳にまで入る。だが十一時まで残っていられない。そこで、近所のファミレスに集合して、休日の貝沢をわざわざ呼び出した。


「…そのデパートの四階には絵画を展示するスペースがあったんです。納涼企画として“呪いの絵画展”なるものを八月頃やったそうで…その中に一枚、黒いドレスを着た生気のない女の肖像画があった。だがある日、女の姿だけが綺麗さっぱり消えて、ただの風景画になっていた…」


「ピンクのパーカーを着た女が一人、体を上下に震わせながら、低い声でラップのようなものをを歌っている。その歌詞はこうだ。


『…昨日審判は下された。もうお前達は逃げられない。全ての運命さだめは決められた。もうお前達は逆らえない。昨日審判は下された。もうお前達は…』


その繰り返しだ。だが、急に女は歌うのをやめ、顔にかかっていた長い茶色の髪を左手でそっと後ろに払いのけた。あらわになったその顔は


…例の絵画の中から突如消えた、あの女にそっくりだ!


女は体全体をおもむろに大きくひねると、一番近くにいて撮影していた女性に襲いかかった!振り上げた右手には、血の付いたナイフ!そして…」


貝沢の怪談がここまで人気なのは、話術でも内容でもなく、彼の人物像そのものと存在感のおかげだった。彼自身の容姿や声質も十分薄気味悪いし、何より彼は怪談を語るときだけ、目がマジになるのだ。普段は虚ろで頭の悪そうな目をしているくせに、このときだけ妙に圧倒的な勢いと力が籠もる。

そして彼自身、実は怪異をもたらしている、という疑惑も持ち上がり始めた。貝沢が怪談を終えると、なぜか決まって部屋の温度が五度下がる。石田が室内温度計を確認したところ、きっちり五度下がるという法則が確かにあるのだ。



とうとう、貝沢の評判は角三にまで知られることとなった。

「その日は貝沢さんの怪談が…あっ」

女子高生のうちの一人が、皿を拭きながらうっかり口を滑らせたのだ。



ある日、退勤を切ってさっさと帰ろうとする貝沢を、角三は呼びとめた。

「おい貝沢、お前今日ちょっとここに残れ」

またどやされると思ったのか、貝沢はびくりと震え上がったが。


「お前、怪談が得意なんだってな」


最初にこの職場で披露したのと同じ怪談を貝沢が語って聞かせると、やっぱりスタッフルームの温度は五度下がった。


「なるほど。確かにお前は怪談の達人だな。よし、では今日から約束してほしい。同じシフトに入ったら毎回、最低でも一つは怪談を聞かせてくれ。ただし、他のやつらに話したことのないものだけ。すでに誰かに聞かせた話はアウトだ。…どうしたんだ、いつもみたいにメモ取れよ、今俺が言ったこと」

「あ、はい…ええと、まずシフトが同じ日は最低でも一話は怪談を話すこと。それから、他の人に聞かせた話はしないこと。ですね?」

「ああ、それでいい。じゃ、楽しみにしてるよ」

そう言って、角三は親指を立てた。

「ありがとうございます」

貝沢は、深々と頭を下げて、部屋をあとにした。



…だが。

角三は、ある一つの悪巧みを腹に隠していた。

決して貝沢を気に入ったわけでも、認めたわけでも、そして怪談に興味を持ったわけでもなかった。



角三は“飲食チェーン店の店長”という立場に危機感を持っていた。いくら正社員とはいえ、環境はブラックだしいつリストラになるかわからない。それに、自分より若い連中たちは積み立てナントカだのといった経済的な知識に詳しい。駅の近くの書店で呼んだある本には、副業のススメが書かれていた。そこで、角三も副収入を得ようと決意したのである。

だが副業といっても、手作業で何かを作ったりするのは時間がかかりそうだし、角三は手芸や工作はあまり得意ではない。かといって、ネットの広告を作ったりするだけのデジタルのスキルはない。動画配信は機材がいるし、イメージよりも実際やってみると大変だという。

だが、ふと考えると、動画配信の“広告収入で儲ける”という切り口だけは、悪くないように思えた。同様に広告収入が得られる、機材がいらないやり方はどこかにないものか…

貝沢を雇ってから一ヶ月が過ぎた頃のある日。わりと客がまばらで暇だった。食洗機でコップをまとめ洗いしている女子高生に、さりげなく話を振ってみる角三。

「最近、動画とかアプリで儲けてる人多いけど、君達ぐらいの世代だとみんなやってるのかなあ。広告収入ってやつ」

「あー、まあ私は動画とかは得意じゃないんで、ネットで小説書いてますね。って言っても、閲覧数あんまりないから儲かってませんけど」

「小説?文章を書いて、載せるサイトがあるのか」

「ええ」

「それ、どこのサイト?」

「あー、それはちょっと。知ってる人に読まれるとハズいんで」

家に帰ってすぐ、角三は黒のノートパソコンを開いた。そして“小説 広告収入”と検索し、トップに出てきた投稿サイトを開いてアカウントを作成した。

…さて、何を書こうか。

読書をしたことは今までに何度もあった。が、そのほとんどは実用書だ。物語なんて、国語の教科書か試験くらいでしか読んだことがない。

他の投稿者の作品に目を通す。が、異世界転生だのバトルだの恋愛だの日常だの、ジャンルが多岐に渡りすぎて、どういうのを書けば正解なのかわからない。

こうして、せっかく作ったアカウントは放置されることとなった。



…が、今は違う。

今の角三おれには貝沢あいつがいる。

金の卵を産む家畜がいる。

止まっていた歯車はもう、動き始めている。


仲良くしようぜ、相棒。



角三はシフトを調整し、自分と貝沢が閉店後まで残れる時間を増やした。

貝沢は約束通り、店じまいの作業が終わると、少なくても一話、多いときは三話の怪談を聞かせてくれた。

角三は真剣に聞き入った。聞き続けた。自分の小説のネタにするためだけに。

話が終わって、貝沢が恭しく頭を下げて店を出ていくとすぐ、角三は聞いた話をメモした。


子ども狩りを行う作業員の話。

紫色の火球が、空から降ってくる話。

ある村に伝わる、トチノキの祟りの話。

人間をさらって生け贄にする化け物の話。

ゴミ捨て場にケラトサウルスが現れる話。

雑誌の中の人間が、腕を突き出して掴んでくる話。

仏壇の下の扉を開けたら、地獄のような場所に繋がっていた話。

目玉が爆発し、歯をカチカチ鳴らしながら追ってくる駅員の話。

尻尾で立って人を襲う、足の尖ったメタリックグリーンのサソリの話。

路地裏に入っていった友達が、凄惨かつ異常な光景を目にして戻ってきた話。

人が住んでる気配のない屋敷に肝試しに行って、二度と帰ってこなかった少女の話。

貝沢の中学時代、奇行に走ったクラスメートの女子が、そのまま行方不明になった話。

高校時代、何者かによっていつの間にか黒板に書かれていた、未知の記号が混じった数式の話。

音楽室の椅子の上に、誰のものかわからない靴下が置かれているのを見て、気絶して保健室に運ばれた貝沢が、悪夢を見てうなされた話。


それらをメモして、持ち帰って、並び替えて、組み合わせて。

一話ずつ、物語を完成させていく。


そうして角三は、八つのエピソードを執筆した。


だが、本格的に収益を得るには。

もっとたくさん書かなければ、箸にも棒にもかからない。


もっとネタが必要だ。



角三が小説を書き始めてから、九ヶ月程度が経過したある日。

店を閉めて、おしぼりの入ったダンボールを倉庫から引っ張り出してきて開封し、仕出しの作業をしているときだった。

「あの…非常に言いにくいんですが」

貝沢が、申し訳なさそうに話を切り出した。


「ここでのバイト、来月でやめようと思うんです」


角三は耳を疑った。


嘘だ。よりにもよってこんなときに。

きっと聞き間違いだ。


「ほら、やめるときって一ヶ月前には伝えないといけないじゃないですか」


聞き間違いじゃない。

こいつは、

やっと金づるとして使えるようになってきたってときに、

俺の前から逃げようとしている。


…させるか。


「おい」

ドスの効いた角三の声が、厨房の床に響く。


「お前、無責任すぎないか?」


「え…?」

貝沢はきょとんとしている。怪談話をしているとき以外は極端に間抜けな顔をしているが、今この瞬間の彼はいつにも増してアホ面だ。

しかしそのは、角三の目には、ナメ腐った計画犯のドヤ顔としてしか映っていない。


「え、じゃねえよ。お前…


…何のために、今日まで店に置いてやっていたと思ってる?」


貝沢の両目が見開かれ、ただでさえ青白い顔が余計に青くなる。


「ふざけんじゃねえ!!お前を雇ってるせいで、こっちは最低限の業績出すのに必死だったんだぞ!!お前と同じ時間に入ってるだけでワンオペ同然、いやお前が邪魔なせいでワンオペより酷かった!!それでも一発当てるのに利用できるからって我慢してやっていたのに、とうとうお前ときたら尻尾巻いて逃げる気か!!冗談じゃねえ!!ぶっ殺す!!」

「いえ、ですから私は、今の職場ではお役に立てていないと自覚して、職場の皆さんのためにも、そしてお客様のためにも」

「うるせえ!!ぶっ殺すと言ったら、ぶっ殺す!!役に立ってない自覚があるなら、死んでわびろお!!それがお前にできる、唯一の謝罪だあ!!」

「で、でも私はもう一年以上勤務していますから、特に理由なくやめてもいい規則のはずで」


規則。

この状況で、絶対に口にしてはいけない言葉。


「何が規則だ、このマニュアル人間が。いや違う、マニュアル通りにすらできないクソ無能人間、いや人間ですらねえクソ無能ゾンビが」


包丁を手に取る。


「死ねやああああああああ!!!!」


貝沢に飛びかかり、床の上に押さえつける。


振り上げた包丁を、


目の前の男の胸に突き刺す。


ブツリ、と肉の繊維の切れる音がする。


刺した包丁を引っこ抜く。

傷口から、赤い汁が噴き出してくる。


抵抗しようと掻きむしってくる細長い腕をかき分け、何度も何度も刺す。




…ふと我に返る。


貝沢は冷たくなって、もう動かなくなっていた。

黄色いはずのユニフォームは赤く染まり、真ん中が真っ二つに裂け、白い脂肪の無数の粒と、ピンク色のプルプルしたものがあふれ出している。

鮮血は、死体の顔まで飛び散っている。


「あ、ああ、どうしよう、本当に殺しちまったあ…」

角三の手が震える。

返り血が潤滑油となって、包丁が、ぬるりと滑り落ちる。


いくら殺した張本人とはいえ、角三はもとはといえば普通の男。

こんなにぐちゃぐちゃになった死体を目の当たりにして、落ち着いていられるわけがないのだ。




視界の隅で暖簾がひらりと揺れた。




…誰かいる!!


瞬時に視線を、暖簾の隙間に向ける。


客席と客席の間をジグザグに、蹴躓きそうになりながら、店のユニフォームを来た誰かがドタドタと走って行く。


見られた。


人を殺すところを!


そんな馬鹿な!!

シフトはちゃんと調整したはず。俺と貝沢以外、今日は最後まで残っているやつなどいるはずがないのに!!

こんな閉店時間過ぎに、間違えて出勤してきた馬鹿がいるというのか!?


「待てっ」

立ち上がって追いかけようとするが、貝沢の血のせいで足を滑らせる。

「うおっ…」

転倒した角三は、よりによって貝沢の胸の傷口に左手を突っ込んでしまった。

「うわああっ!!」

触ったことのないものの感触。


同時に、


カラン


店のドアが開く音がする。


店から逃げていく目撃者の姿は、どうやら痩せぎすの男で、


どことなく、貝沢に似て見えた。




スケート選手みたいに両足を横滑りさせながら、角三は殺人現場となった厨房を、暖簾をくぐって抜け出した。

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