恐怖の宅配便
玄関のチャイムが鳴った。
微塵も心当たりがないので、とりあえずドアスコープを覗く。
ドアを挟んだ外側には、電子レンジほどの大きさのダンボール箱を抱えた、配達員らしき男が立っていた。
シャチハタを手に取り、玄関のドアを開ける。
「えっ…?」
男は、もうそこにはいなかった。誰一人、その場にいなかった。
ふと、足下に視線を移す。
荷物だけが、ドアの前に置き去りにされていた。
「何だよ…」
かがんで、荷物を両手で掴み、持ち上げたときだった。
(これ、部屋の中に入れちゃって大丈夫か?さっきの男、怪しかったし。中身、時限爆弾とかだったりして…)
俺は、時計の針のカチカチ鳴る音がしないか確かめようと、箱に耳を密着させた。
時計の針なんてしなかった。
代わりに聞こえてきたのは、中にいる何かが、もぞもぞと蠢く音だった。
「…生きてる!!」
俺は箱から頭を離し、両手で抱えたまま箱をじっと見つめた。
箸の先みたいな鋭い形の、青緑色の何かが一本、プスリ、と箱を突き破ってはみ出した。
「…うあああああああ!!」
俺は咄嗟に、箱を投げ出した。箱は乾いた音を立てて着地した。
箸は、最初の一本が突き出たところからさらに一本、また一本と箱の内側から生えてきた。それらの箸は一本一本が滑らかに動き、箱にできた破れ目を押し広げた。
箱の破れ目から、ついに中で蠢いていたものが這い出てきた。
その正体はサソリだった。全身が青緑色で、光沢を帯びていた。ニンジンほどの大きさの胴体に、ハサミのついた腕が一対、細長い足が四対、そして太く長い尻尾が一本生えていた。
腕は人間の人差し指ほどしかなく、先にくっついているハサミも三センチほどしかないものの、ショキン、ショキン、と音を立てて開閉していた。
腕とは対照的に長い尻尾は、八つほどの節にわかれていて、本来毒針があるはずの先端部分には、形も大きさもスケート靴の刃みたいな突起が一枚ついていた。
箸のように見えたものは、足の先だった。足は大型のカニのそれみたいに細長く、特に足の先は二十センチほどもあった。足どうしが擦れ合って、カチャカチャと音を鳴らしていた。
サソリは
次の瞬間、サソリは信じられない芸当を披露しはじめた。
サソリの尻尾の先にある刃が床に突き立てられ、キィン、と金属音を奏でた。
サソリは、刃だけを接地面にして、尻尾と胴体をまっすぐにして、直立した。
まるで子どもなんかがふざけて
尻尾だけで立っているサソリの高さは、小学校高学年の子どもの身長に匹敵した。
イクラの粒くらいの大きさの、真っ黒い目が二つ(本当はもっと多いのかもしれいが、パッと見で確認できる限りでは二つ)、サソリの頭の上についていた。
サソリはまっすぐ立ったまま、刃でガリン、と音を立てて、「右向け右」をするみたいに九十度右に回転した。
目が合った。
両腕のハサミが真上に持ち上げられ、ショキン、ショキン、と音を鳴らした。
サソリは刃を使ってシュイイン、と音を立て、数センチだけ俺のほうに近づいてきた。
「…うあああああああ!!」
俺は室内に避難しようとしたが、サソリから目を離すわけにいかず、そのせいで玄関のドアの取っ手を何度も掴み損なった。
シュイイン、シュイイン、ショキンショキン。シュイイン、シュイイン、ショキンショキン。
スケートみたいに刃を使って器用に滑り、サソリがじりじりと間合いを詰めてくる。
俺はやっとこさドアの取っ手を掴んだ。が、ドアを開けようとした瞬間、サソリが尻尾を二つ折りにして八本の足を着地させたかと思うと、馬のように足場を蹴って、俺に飛びかかってきた!!
「うおおおおっ!?」
俺は思わず、サソリを左腕で払いのけた。
同時に、左腕の前腕部分の甲に数本の鋭い痛みが走った。
「ぬううううううううっ!?」
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
見ると、俺の左腕を覆う黒い長袖がズタズタに引き裂かれていて、間から見える俺の腕には、三ミリはあろうかという深い切れ込みが四本、腕を巻くように横向きに入っていた。その切れ込みの一本一本から、どくどくと真っ赤な血が流れ落ちて、足元にボタッ、ボタッと垂れていた。
「アアアアアアー!!」
頭の中が真っ白になり、俺は思わず鳥のような叫び声を上げた。
ドアの取っ手を手放し、片膝をついた。
サソリは今度は、尻尾を使わずにトコトコと音を立てて八本の足で走ってきた。八本中、右側の四本には、俺の腕を引き裂いたときに浴びたであろう真っ赤な返り血が、べっとりと絡みついている。
俺に接近したサソリは、Uターンするのと同時に、今度は左側の四本の足で、俺の左足の
「ぐおおおおおおっ!!おおおおおう…」
カーキ色の裾の裂け目から、ペンキをこぼしたみたいに血が溢れてくる。
俺はもはや、立つことさえできなくなった。
サソリが三度目の襲撃を行おうと振り向いたときだった。
サソリを挟んだ向こう側に、人が現れた。赤紫色のエコバッグを左肩でぶら下げて、深緑色の杖をついて歩いてくる。
母だ。
「逃げろーっ!!」
俺は叫びながら、サソリを取り押さえようと覆い被さったが、サソリはするりと俺の両腕から滑り出して、再び、尻尾の先の刃を接地面にして立ち上がった。
シュイイン、シュイイン、ショキンショキン。シュイイン、シュイイン、ショキンショキン。
スケート選手みたいに滑って母との距離を少しずつ縮めながら、ハサミを鳴らして威嚇するサソリ。その背中が、メタリックグリーンの光沢を放つ。
サソリがあと五十センチというところまで母に間合いを詰めた、その時。
母が杖を振り上げ、サソリめがけて振り下ろした。
杖の先が、サソリの胴体に命中した。
風になびくチューリップみたいに、サソリはゆらゆらと左右に揺れた。脇腹が裂け、白いクリームのようなものがはみ出ている。
さらに母が、杖でもう一撃食らわせると、サソリはついに尻尾だけで立ってはいられなくなり、バランスを崩して倒れると、仰向けになって八本の足をばたつかせた。
そのメタリックグリーンの残像がのたうちまわるたびに、白いクリームが飛び散り、腐った桃のような甘ったるい悪臭を放つ。
続けて母が五回ほど杖でサソリを殴ると、とうとうサソリは動かなくなった。
全身の光沢が失われてただの黒ずんだ緑色になり、全ての足がもげてランダムな向きに曲がり、中身の白いペーストや糸くずみたいなものがむき出しになっていた。
ハサミのついた華奢な両腕と、逞しい尻尾の先端についた刃だけが、かろうじて原型をとどめていた。
サソリを討ち取ってからすぐ、母は救急車と警察を呼んでくれた。
おかげで俺は病院で手当てをしてもらって一命をとりとめたし、サソリの残骸も引き取って調査してもらえることになった。俺は配達員のことも警察に伝えたので、サソリが入っていたダンボール箱も、調べてもらえることになった。
サソリとの死闘から、三ヶ月が経過した。
傷口は塞がったものの、ケロイド状の白い跡が残っている。
配達員については、身元も動機も一切わからずじまい。何しろ警察によると、例のダンボール箱には、指紋をはじめとする一切の証拠が残っていないそうだ。
というわけで、配達員とサソリについては、現在も調査中、とのことである。
ただ一つ、新たに明らかになったことがある。
しかしそれは、俺にとっても、他のほとんどの人たちにとっても、非常に悪いニュースである。
俺が出くわしたのと恐らく同種と思われるサソリが、最近、日本各地で何匹も確認されているらしい…。
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