コミカライズ記念番外編 野人皇妃 七話
私はナイフを持つとワニの所へ慎重に寄っていった。
「ひ、妃陛下! 冗談はおやめ下さい! 妃陛下にもしもの事があったら!」
大丈夫大丈夫。初めて見る相手だけど、ちゃんと情報は集めてきたから。図鑑と、後は騎士団の討伐報告なんかで。ワニはこの地方では代表的な害獣で、大型のものには騎士団が投入される事があるのだ。
ただ、ワニ自体は基本的には大人しい生き物で、あんまり人を襲うことはないのだという。それでも水辺に不用意に近付いて水の中に引きずり込まれたり、安易に攻撃して反撃を喰らって命を落とす例もある。田んぼに紛れ込んだ奴が好んで人を襲う例もあり、そういう奴は退治しなければならない。
戦った実例が多いので弱点も分かっている。超大型の個体でもなければ、このナイフだけでも十分に狩れると思うのよね。
私は腰に巻いていた元ドレスの布を外した。ドロワ姿になったわけだけど私は別に気にしない(アリエスは気にするだろうけど)。その布をグリグリねじっていって、細いロープを作る。ちなみにこの布は絹なので、極めて頑丈だ。
そのロープとナイフを持ち、油断なくワニに接近する。ワニはわれ関せず、という感じで日向ぼっこをしているようだった。危険を察知すると逃げてしまうかも知れない。私は慎重に接近し、ワニの後ろに回り込んだ。
そして気配を消して一気に忍び寄り、跳躍する。
ワニの背中に着陸するとそのままワニの頭、というか大きな口を両手でわしっと掴んだ。異変を感じたワニが暴れ出すのでお尻と脚で押さえ込む。む、凄い力だわ。
でも、鷲掴みにしたワニの口は死守する。この口が開いて噛み付かれてしまったらさすがの私も大けがをするだろう。でも、心配はご無用。ワニは食いつく力はもの凄いんだけど、口を開く力はけして強くないのだ。実際、私が両手で掴んでいるだけで開けない。もがくだけだ。
私は作ったロープで手早くワニの口をぎゅっと縛った。これでこいつの最大の武器である大口と牙は無力化したも同然。しかし、ワニは口を使えない事が分かると身を捩って暴れ出した。こいつの体長は私と同じくらいある。それが全力で暴れ出したのだから、さすがの私にも押え切れない。
私がワニの背中から飛び退くと、ワニは逃走を図った。水の方へだ。逃がすか今日の晩ご飯! 私は追い掛けてワニの尻尾を掴んでえいやー!っと引っ張った。かなりの重量だけど、そこは私の馬鹿力。ワニはズズズっと地面を引きずられ、水から離される。
「せぇのー!」
私は更に力を入れ、ひねりを加え、ワニを引っ張り更に転がした。ワニはたまらず仰向けになる。そこへ私は飛び掛かった。
ワニの背中側の皮膚は厚く、私のこんな小刀で切り裂けるかは分からない。でも、ワニのお腹側の皮膚は対照的に薄いのだ。
私はその白いお腹に飛び乗り、その大口の根元、首の所にナイフを突き立てた。そして大きく横に切り裂く。首は生き物の急所だ。動物ならここをやられれば大体死ぬ。赤い血が吹き出てくるが、その勢いはあんまり強くなかったわね。
ただ、皮膚も肉も固い固い。それに確実に首を半切断し気道と大きな血管を切ったと思うのに、動きが止まらないのよね。私は何度もナイフを突き込みお腹の所まで切り下げた。
ようやく動きが止まった時には私も血まみれになっていたわよ。ふー。やっぱり狩った事のない生き物は難しいわね。もう少し大きな山刀でもあれば、首を両断出来てもう少し早く仕留められたと思うんだけど。
「よし! やったわよ! アリエス!」
私は快哉を叫んでアリエスに向けて振り向いたのだけど、アリエスは、なんか地面に倒れていたわね。
「ど、どうしたの? アリエス!」
私は駆け寄ったのだけど、どうやら血まみれ戦闘シーンの刺激が強すぎて気絶してしまったみたいだった。まぁ、貴族令嬢は普通、動物を仕留めるシーンなんて間近で見ないものよね。私? 私は例外よ。
◇◇◇
アリエスが気絶している間にサクサクとワニを捌いてしまう。初めて捌く奴だったけど、トカゲの小さいのとかカメは捌いた事があったからね。あれと身体の構造は似たようなものだった。
本当は吊るしてぶら下げながら解体した方が血抜きも出来るし良かったのだけど、大過ぎるし適当な木も無いしで無理だった。とにかく小さなナイフしかないのだもの。凄く大変だったわね。ワニは皮膚も硬いし肉も固い。骨も太くて正直食べるところは多くはなさそうだった。
それでも、二人で食べるなら十分な量のお肉が取れた。私はその変の木の棒を拾ってきて肉の切り身を次々棒に刺すと、それを焚き火の横に立てた。ワニ肉の串焼きだ。他に料理方法がないのよね。
おまけに調味料が何にもない。塩さえない。塩がないと人間生きていけないので、あんまり長期にここに取り残されるなら塩の入手方法を考えないといけないのだけどね。手っ取り早いのは自分の尿を飲むことだって狩りの師匠は言ってたんだけど、それをアリエスに言ったら泣いちゃうかもね。
それでもジリジリ焚き火で炙っていると、良い匂いが漂ってきた。切り身から油が浮いて、それが砂にポタポタ垂れている。ちなみにワニ肉が食べられるのは確認済みだけど、生で食べられるのかは分からないから、入念に炙って火を通したわよ。
焼けたのでアリエスを起こす。
「アリエス! ご飯が出来たわよ!」
「……うう、妃陛下……」
アリエスは起きたものの、そのご飯とやらがワニの肉のあぶり焼きだと知って再び卒倒仕掛けた。
「わ、私は結構です! ひ、妃陛下だけでお召し上がりに……!」
「なに言ってるの? 貴女が毒味してくれなければ食べられないじゃない」
皇妃の食べ物は必ず毒味される。内宮でしっかり専属料理人に調理されても必須なのだから、こんな所での野生の動物の肉なら尚更だろう。アリエスは泣きそう、というか完全に泣いていたけども、私は毒味を名目に食べるように迫った。人間、食べないと衰弱して死んじゃうからね。
アリエスは泣きながらワニの肉をなんとか口に入れた。咀嚼しようとするけど上手く行かないようだ。
「どう?」
「……固いし、味がしません……」
私も肉を口に入れる。……まぁ、そうよね。何の調味もしていない肉だからね。味なんてしない。それにやはり固くて噛み切るのが大変だ。
「吐いては駄目よ。呑み込みなさい」
アリエスは私を恨みがましい表情で見たけども、私は容赦しなかった。彼女を生き残らせるためだ。私だって味のない肉を食べるのはそれなりに大変だったけど、生き残る為だと思って頑張って食べたわよ。何をするにもまずは体力。それには食事。お肉だ。
串焼きを二本(アリエスは何とか半分)食べると満腹にはなった。これでお腹を壊さなければ体力は回復するでしょう。アリエスは半死半生の表情だったけど、私は立ち上がると手を叩いた。
「さて、食べたら働きましょう!」
「な、何をしようというのですか?」
「まずは寝床ね。砂の上に寝たくはないでしょう?」
私はアリエスに手伝わせて、大きな流木を砂の上に立て、小さな流木を組み合わせてその上に木の葉や草を被せて即席の屋根を作った。暑い場所で直射日光を浴び続けるのは体力消耗に繋がる。あんまり日焼けして帰ったらエーレウラに怒られるだろうしね。
その中に流木を組んで草を積んで寝床を作る。アリエスは嘆いた。
「ここに泊まるのですか?」
「そうよ。何泊になるかは分からないけどね」
私の予想では、護衛の騎士やベックたちが今頃真っ青になって私達を探していると思うのよね。
ただ、私達はかなり流された。半日以上流されて、しかも河は大河だ。捜索は容易では無いはずだ。数日くらいここに泊まることは覚悟しておいた方がいい。それにはしっかりとした基盤を造る事だ。寝床、食料、飲料水。それと外敵から身を守る方法。ワニ以外にどんな猛獣がいるかも分からないからね。
私は寝床を完成させると、武器を作る事にした。こんな小さなナイフ一本では如何にも心許ない。
中州をくまなく歩くと、石が何個か見つかった。それを持ってくると、石同士をぶつけて叩き割る。
鋭利な割れ方をした石を磨いて尖らせたり刃を付ける。それを流木に蔓草で巻き付けて石槍と石斧を作った。これがあれば、ワニよりも少し大きな猛獣とも戦えるわね。それとドレスの切れ端と石で投石紐みたいな奴も作った。
私は満足したのだけど、アリエスがそこで恐る恐る言った。
「ひ、妃陛下。食料はその、ワニのお肉だけですか? そのなんとかお魚とか獲れないものでしょうか?」
どうもワニ肉がよほど口に合わなかったらしい。多分固かったんだろうね。貴族料理は柔らかいものばかりだからね。
アリエスのリクエストに応じ、私はドレスの切れ端から糸を抜き出し何本か束ねて少し強い糸を作った。そして先端にワニの内臓の一部を結びつけた。それを振り回して遠心力で茶色く濁った河の中に投げ込む。
すぐにググン! と当たりがあって、私は糸を思い切り引っ張った。すると結びつけたワニの内臓に手の平くらいの魚が食いついていた。少し毒々しい色合いの皮膚の魚だったわね。鋭い牙でしっかりワニの内臓に食いついていた。
私はそれを何回か繰り返し、すぐに数匹の魚を釣り上げた。何とも簡単だ。これならワニを狩るよりよほど楽ね。しかし……。
「……私達、こんな魚がいる河の中を流されてきたんですよね?」
「そうね」
多分、血の匂いに寄ってくる魚なんだろうから、怪我をしていたら危なかったかもね。
魚は捌いて内臓と頭を取り、火で炙る。他に調理のしようがない。変な臭みもなく淡泊な味だった。塩もないから味は薄かったけど、柔らかかったからアリエスには好評だった。なら、これをメインの食料にしましょうか。こっちの方が獲るの簡単だし。餌は釣れた魚を切り身にして、それを餌にすれば簡単に次が釣れた。
二日目はそんな風に過ごして、救助隊が来ないか気を付けて見ていたんだけど、その気配も無いまま日が暮れてしまった。作った寝床で、恥ずかしがるアリエスを無理矢理捕まえて抱きかかえて寝たわよ。
◇◇◇
翌日。目を覚ましたら水を集める。アリエスの精霊魔法で水も火も出せる事が分かったのだけど、この状況で魔力を使って体力を消費するのは避けたい。
石器が出来て木工は大分やり易くなったので、お皿とかコップとかを作った。まぁ、みたいなものレベルだったけどね。こういう即席の食器は狩りの野営の時によく作ったのでお手のものなのだ。
魚を釣って、捌いて、何匹かは干してみた。もしも天候が悪化した時に、釣りが出来なくなったら食料に困るからね。干し魚はかなり長持ちする保存食になる。ただ、塩がないからね。ちゃんと干し魚になるかは微妙だ。虫も多いから失敗する可能性の方が高いかもね。
アリエスは魚なんて捌いた事はないから手伝えない。彼女は水を一生懸命集めてコップに溜めた後は、ドレスの切れ端を縫い合わせてなんとか私の格好の改善をしようと試みていた。ソーイングセットが侍女服のポケットにあったらしい。
まぁ、確かに、救援隊が来た時に裸同然の格好で皇妃が出てったらまずいかもね。エーレウラとかセルミアーネに怒られるかも。そう思ったので私はアリエスの好きにさせていた。
ワニは残念ながらあの後は上陸してこなかったわね。それほど数がいないのか、河の岸辺寄りに生息する生き物なのか。後は中洲には鳥が結構渡って来ていたけど、即席で作った弓矢ではとても空飛ぶ鳥は狙えなかった。そういえばカルシェリーネは元気かしらね。あの子には鳥の羽をお土産にすると約束したんだった。
結局その日も救援は来なかった。アリエスは嘆き悲しんだけど、来ないものは仕方がない。私はこれはもしかしたら週単位、ひょっとしたら月単位ここで漂流生活を送る事になるかもと覚悟し始めていた。
事前に調べた感じだと、この辺のアリステル河は何本もの支流に枝分かれしていて網の目のようになっている。しかも結構頻繁に洪水を起こすので、きちんと地図にするのも難しいのだと聞いた。
下手をすると私たちは支流の支流くらいに流されている可能性もある。帝都から大勢の兵士を動員して、何隻もの船を出してくまなく捜索したって、ここまで辿り着くのがいつになるかなど検討も付かない。
楽観的に考えない方が良さそうね。なるべく長期に渡ってこの中洲で生活していけるように基盤を整えなきゃ。
そうなると、食料保管の方法をもっと考えなきゃいけないし、どうしたって魚やワニ肉だけでは栄養が偏るから、食べられる草でも生えてないか探してみないと。私の知っている食草はないから、一つずつ試してみるしかないだろう。
それとうーん。さすがにそろそろ塩分を摂らないとまずいと思う。魚は血抜きをしないで焼いているから、そこから少しは塩分が摂れているとは思うけど、足りるのかどうか。人間は塩分が足りないと動けなくなって死んでしまうらしいから。
……おしっこを飲むことをアリエスにどう相談しようか、なんて事を考えながら私は三日目のその夜もアリエスで暖を取りながら眠りに付いたのだった。
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活き活きとしたラルフシーヌがとっても素敵だから是非読んで下さいね(*゚▽゚)ノ
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