コミカライズ記念番外編 野人皇妃 六話
私とアリエスはどんぶらこーどんぶらこと流れていった。
とりあえずは何も出来ない。アリエスはぐったりとしていたし、私も水を吸ったドレスのせいで万全ではない。
水の流れは結構早く、時には渦を巻いて危ないところもあった。そういう時は私はアリエスを抱えて必死に水を蹴らなければならなかった。
延々川の流れに乗って流れ下る。ずっと上を向いているから、太陽が動くのが良く分かったわよね。お腹が空いたけどどうにもならない。水はいくらでも周囲にあったけど、見るからに茶色いお腹を壊しそうな水なのよね。背に腹は替えられないから少し飲んだけど。
朝方に落ちて、太陽が中天を過ぎ、そして再び下がり始める。空が少し色付いてきてしまった。私は流石に焦り始めた。
夜になったら救援は明朝まで期待出来ないだろう。水温は高いとはいえ、人間は水に浸かっているだけで体力を消耗するものだ。私はともかく、アリエスの体力が保たないかもしれない。
どうにか陸地を見つけて上陸したいのである。そう思って周囲をずっと見回しているのだけど、岸は全く見えない。焦りは禁物。この私ですら体力は無尽蔵ではない。私はジリジリとする思いを宥めながら、流されつつ必死の思いで周囲を観察した。
そしていよいよ、空の一方がオレンジ色に染まった頃、私は視界の端に緑色の塊を見付けた。木だ! 森だ!
これが最後の機会と考えた私は、決意した。アリエスを抱え込んで水を蹴る。足が少しでも動かせるように、流されながらドレスは少し裂いてある。それでも服を着たままの二人分の人体を動かすのは並大抵の力では足りない。
ましてアリエスはほとんど気を失っている。彼女の顔を水の上に出させ続けなければならないのだ。つまり手が使えない。
しかしここを逃したら夜になってしまう。私は全ての力を使い果たすくらいのつもりで必死に水を蹴った。
ギリギリ流される前に間に合った。足が水底に付いた時には心底ホッとしたわよ。私たちはどうにか陸地への上陸に成功したのだった。
アリエスを抱え上げて既に薄暗くなりつつある陸地に上がる。人家がある事を期待したのだけど、見える範囲に灯は見えない。探している余裕は無さそうだ。
地面は砂地で、木々がかなり生えていた。流木がゴロゴロ転がっていて、乾いたものには火が付けられそうだ。気温は高いけど、濡れた服を着たままでは身体がすぐに冷えてしまう。それに、野生動物に暗闇で襲われてはこの私でも対処に困る。火が必要だ。
もちろんだけど着火装置なんてない。アリアエスが起きていれば火の精霊魔法を使えるかもしれないけど、私では使えない(火の神様のお力を借りる事は出来るけども、そんな事したらこの辺一体が火事になってしまう)。
私はとりあえず枯れ木を集めると、スカートをたくしあげ、太腿の所に手を伸ばした。
そこには折りたたみナイフがバンドで留めてあったのだ。こんな事もあろうかと、というやつだ。刃渡が指の長さの倍くらいの折りたたみナイフで、狩人時代に使っていた山刀に比べればおもちゃみたいなナイフだったけど、あるのとないのとでは全然違う。
こんなもの、普段から持ち歩いている訳ではないけど、この旅行中は一応はずっと携えていたのだった。アリエスには変な顔をされていたんだけどね。普段と違う旅先だもの。警戒するのに越したことはないと思っていたのだ。備えあれば憂いなしだ。
刃を起こす。ちゃんと普段から油を差して手入れしているから、水に浸かってしまったけど錆びたりはしていないようだ。私はナイフで枯れ木を削り始めた。細かく細く。手の平に乗るくらいの削り屑を作る。
次に適当な棒状の枯れ木を選んで、両端にドレスの裾を割いた紐を結び付けた。そしてもう一つ、少し太めの枯れ木を選ぶ。
よし。準備を終えた私は太めの枯れ木をと十字になるように細い枯れ木を当て、足で太い枯れ木を抑えつつ、細い枯れ木に結び付けた紐を左右交互に引っ張った。つまり細い枯れ木を太い枯れ木に、ノコギリを挽くように擦り付けたのである。
素早く、力強く。ギコギコと音を立てながら私は左右の紐を引っ張って枯れ木同士を擦り付けた。息を止めて手の動きのスピードを上げて一気に擦る回数を増やす。
すると、枯れ木から焦げ臭い匂いが漂ってきた。もう少しだ。私は「うりゃー!」っとばかりに枯れ木同士をゴリゴリと擦り合わせた。
そして、パッと紐を離すと太い枯れ木を倒し、木同士が擦り付けられて摩擦で黒く焦げた所に木屑を被せる。すると、木屑から白い煙が起こり始めた。
私は煙に顔を近付けてふーっと息をそっと吹き掛けた。すると、煙は大きくなり、小さな赤い火がチロチロと起こり始めた。成功だ。私は細い枯れ木を積み、それに火か付いた事を確認すると、その上にドンドン枯れ木を積んでいった。
しばらくすると、太い枯れ木にも火が回って大きな炎になる。私はホッと息を吐いた。上手くいった。枯れ木がもっと水を含んでいたらここまで上手く火が起こらなかったかもしれない。運が良かったわ。
焚き火が十分に大きくなったら、アリエスを運んで来て火の横に寝かせる。
そして私は容赦なくアリエスの侍女服をひっぺがし、彼女を丸裸にした。濡れた服のままでは身体が冷えてしまう。
彼女を裸にしたまま私は彼女の服をきつく手で絞った。そして、一番吸水性の良い下着で彼女の身体と髪を拭う。そして上着だけを彼女の上から被せた。他のシャツとかスカートとか下着は枯れ木を組んだ即席の物干し台で干す。
やれやれ。アリエスの呼吸は穏やかだったし、震えている様子もなかったので大丈夫でしょう。日が暮れても気温が落ちる感じはしないので、焚き火の側に入れば身体が冷え切ってしまう事もないはずだ。
私は安心して、今度は自分のドレスをポポポーンと脱ぎ捨てた。素っ裸になる。ああ、せいせいした。髪も解いて絞り、下着で拭って水気を落とした。ドレスも絞ったけど、もうボロボロで使えないわね。勿体無い。
私は着ていた服を焚き火の横に干すと、素っ裸のまま偵察に出掛けた。ほとんど日は落ちてしまったけど、何とか周囲が見える内に状況を掴んでおいた方が良い。人家があるなら助けを求めたいし。
しかし、周囲を探索し始めてすぐに判明した。人家などない。
なぜなら私たちが流れ着いたここは、川の中の中洲だったのだ。五分もあれば一周出来てしまうくらいの。ただ、少し高くなっていて木も結構生えていたから、そう簡単に水に沈むことはなさそうだけどね。
むぅ。これは困った。一難去ってまた一難だ。短時間しか見ていないからあれだけど、見た感じ人が上陸した気配は全然ない。漁師が造った小屋でもないかしらと探したのだが、足跡すらなかった。
流木の枯れ木以外、役立ちそうなものは何もなかった。食べられそうな木の実とかないかしらと思ったのだけど、ありそうもない。うーん。お腹が空いたんだけどなぁ。
そうこうしている内にとっぷりと日が落ちてしまった。流石の私でも暗闇の中で未知の猛獣にでも襲われたら対処出来ない。素っ裸だしね。
私は諦めて焚き火の所に戻り、アリエスの横に寝転んで彼女を抱きしめるようにした。裸で抱き合うと人間てすごく暖かいのよ。アリエスは少し身体が冷えているからね。暖めてあげないと。私はアリエスを子供のように胸に抱きながら、ウトウトと眠りに落ちたのだった。
◇◇◇
翌朝、起きたアリエスが裸で抱き付いている私にたまげて「きゃー!」と叫んで目が覚めた。
いけないけない。流石の私も警戒していたつもりでしっかり熟睡してしまったようだ。まぁ、昨日はかなり体力を使ったしね。しかしお陰で目覚めは爽快だ。
「おはよう。アリエス」
「な、なんで妃陛下が抱きついてるんですか! なんで私も妃陛下も裸なんですか!」
アリエスはなんだか顔を真っ赤にして叫んでいた。何を騒いでいるのかは分からないけど、元気になったのなら良かったわ。
実際、風邪も引いてなければ水を呑んだ後遺症もないようだった。意外に頑丈ね、この娘。
私は彼女に状況の説明をした。船から落ちて流された事。何とかここに上陸出来たけど、ここは大河の中の孤島で、どうやら人が頻繁に上陸するような場所ではないこと。それと食べ物が簡単には手に入らなそうなこと。
説明を聞いたアリエスはいきなり泣き出した。
「も、申し訳ございません! わ、私のせいで!」
うわーんと泣いてしまったアリエスを慰める。
「そんな事を今言っても仕方がないでしょう。それより肝心なのはこれからよ。救援を待つにしても、その間の水と食糧は確保しないと」
私はアリエスを励まして、とりあえず二人で中洲の隅々までを探索する事にした。何か役立つものがあるかもしれない。
と「じゃぁ行きましょう」と立ち上がり掛けて、アリエスに手を引っ張られた。
「妃陛下! まさかその格好で行く気ではありませんよね!」
その格好とは、一糸纏わぬ素っ裸の事だ。もちろんそのつもりだったけど?
「い、いけません! 妃陛下ともあろうものが!」
「平気よ。誰も見てないもの」
「そういう問題ではありません!」
アリエスが泣いて頼むので、私は仕方なく下着だけを着た。つまりブラとドロワだ。アリエスは抵抗した。
「ドレスも着てください!」
「嫌よ。もうボロボロだし、こんなの着てたら戦えないじゃない」
「ダメです! お願いです!」
泣いて懇願するアリエスに根負けして、私はドレスを裂いて作った布を、胸と腰に巻いた。一応、下着は見えなくなったわよ。これで良いでしょう? おへそは見えているけどね。
アリエスは侍女服の上着だけを着て、私たちは中洲探索に出発した。とはいえ、さっきも言ったがごく狭い中洲だ。探索するほどのことはない。中洲の周りはドウドウと音を立てて流れる茶色い濁流で、対岸も他の島も見えない。
アリエスは呆然としてしまっているけど、私はそんなもんだろうと思っていたから気にもしない。いずれにせよ、救出を待つ以外手がないのだ。
しかしながら救援を待つにしても、食料と水はどうしても必要だ。水は川の中洲なんだから周囲にいくらでもあるんだけど、こんな濁った水を飲んでお腹でも壊してしまったら、この状況では命に関わるだろう。
私は木立の中に入った。木々は概ね広葉樹。つまり大きな葉が茂っている。私はなるべく大きな葉っぱを引きちぎった。それを重ねて織り込んで即席のコップを作った。後で木を抉るなりしてちゃんとした器を作らなければダメね。
「アリエス。これに朝露を集めなさい」
「朝露?」
「木の葉や草に水滴が付いているでしょう。それをこのコップに集めるのよ」
幸い、周りは河で湿度は十分だ。夜と昼の温度差で木々の葉にはたっぷり朝露が付着していた。それを即席のコップに集めていく。朝露は河の水よりはまだしも清浄だ(木の葉に付いている汚れとかはあるけどね)。
私は即席コップに溜まったそばからまずアリエスに飲ませた。彼女は昨日溺れている。それを吐かせたのだから水分が足りてない可能性があるのだ。彼女は「妃陛下が先に!」と抵抗したが、私は有無を言わせなかったわよ。幸い朝露は豊富で、それほど水には苦労しなそうだ。
問題は食料よねぇ。案の定、中洲には木の実などなかった。
河なんだから魚はいると思うけど、こう濁っていては潜って追いかけられるとは思えない。釣りをしようにも、道具がない。そうねぇ。糸はドレスを解して取れば良いし、針も、ドレスに付いている装飾品(ちなみに、流されている内に少なからぬ宝石を失った。勿体ない)を分解すれば何とかなると思うけど、餌がないのよね。虫をなんとか捕まえれば……。
なんてことを考えながら唸っていた、その時だった。
「ひ、妃陛下!」
アリエスが叫んだ。私は首を傾げる。
「なに? アリエス」
アリエスを見ると、彼女は河の方を向いて釘付けになっていた。
「あれ! あれを!」
んー? 私はアリエスの指が示す方を見てみた。河が中洲に当たり、渦を巻くその岸辺に。なんだか大きな細長いものが転がっていた。何だろうあれ。さっきまであんあのなかったわよね。
と思ったら、その黒い塊が動き始めた。のそり、のそりと歩き始めたのである。は? なにあれ? 生き物なの?
アリエスは悲鳴を上げたが、私は逆に目が輝いてしまった。そう。私は今回の視察に出る前にこの辺りの生き物をワクワクしながら図鑑で調べたのだ。狩りのために。
その中に、確かにこいつはいた。河の中を主な生息域にしている生き物だ。この辺りでは珍しくない生き物だけど、故郷にも帝都周辺にもいない奴である。
体長は大きなものでは人間を三人分繋げたくらいにもなるらしい。ただ、今ここにいる奴はせいぜい私と同じくらいの長さに見えるからそれほど大きくない個体なのだろう。
背中は黒というか灰色。腹側は白というツートンカラー。ゴツゴツとした皮膚はナイフが通らないほど硬いらしい。四つん這いというか、這って歩き、長いしっぽをズルズルと引きずっている。あの尻尾の一撃には骨折するくらいの威力があるという。
しかしこの生き物の真の武器はあの大きな口である。全長の実に三分の一程にもなる大きな口には、鋭い牙がこれでもかというくらい生えている。噛む力も強力であれに噛まれたら人間など一溜まりもない。
水辺でボサっとしていた人間がこの生き物に襲われ、大口で噛み付かれた挙句水の中に引き摺り込まれる事は、けして珍しくはないのだという。水の中では騎士ですら勝つのは難しいという話だったわね。
水辺では最強の生き物の一角。河の王として君臨する、陸の熊、虎と並び称される大猛獣。
「ワニだ!」
私は思わず叫んだわよね。図鑑を見て、是非とも出会いたいと思っていた動物だ。もちろん実物を見るのは初めてだもの。それはテンションが上がっても当たり前よね。
「わ、ワニですか? あ、危ない生き物なのですか?」
「ええ。とっても強いらしいわ。大きい奴になると、騎士でも三人以上で戦う事が推奨されているそうよ」
「ひ! なんてこと! ひ、妃陛下! 逃げましょう! それほど足は早くなさそうですから、走って逃げれば……」
アリエスは悲鳴を上げたけど、私はワニから視線を外さない。ナイフを取り出して、パチンと刃を起こす。
「逃げる? なに言ってるの、アリエス」
うふふふふ。私は自分の瞳が赤く染まるのを感じながら笑顔が浮かぶのを止める事が出来なかった。
「あいつが今日の私たちの晩ごはんよ!」
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活き活きとしたラルフシーヌがとっても素敵だから是非読んで下さいね(*゚▽゚)ノ
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