コミカライズ記念番外編 野人皇妃 五話

 カラクリを知れば何のことはない。


 代官たちは管理地で買い上げた米を、海路交易で法主国に売っているのだった。


 法主国は食料生産能力が低く、帝国から食料を大量に輸入している。敵対を公言している国から国民生活の命綱である食料を輸入するというのはどういう了見なのか? と思わざるを得ないんだけど、そういう本音と建前の話は外交関係ではよくあることだ。


 法主国に食料を輸出する事自体は罪ではないのもの、流石に敵国である法主国に無制限に食料を売るわけにはいかない。なので帝国には法主国に輸出する食料品について年間量の制限がある。これを希望する領主に割り当てるのである。


 直轄地からの輸出が皇帝府に認可されていれば良いのだけど、認可されていなければ違法になるのだ。これは他のどこの貴族領でも同じである。マルロールド公爵領が食料を大量に法主国に横流ししていたのは、それだけでも立派な犯罪行為だったのだ。


 私が調べさせた結果、直轄地南部からの食料輸出は皇帝府からの許可を得ていなかった。というか、皇帝直轄地の収穫物は本来全てが皇帝の物である筈で、それを代官が勝手に購買して横流ししているなんて大問題なのである。


 まして法主国に売っているとなると、これは皇妃として看過出来ない。法主国が力を付ければまたぞろ帝国への侵攻を企むに決まっているからだ。法主国にとって異教徒の帝国を征服して至高神の教えの元に教化することは、法主国の国是らしいからね。


 ただ、問題はもう少し複雑らしい。直轄地はどこも海に面してはいない。法主国を始めとする外国にも接していない。直轄地の南はハイサイダー侯爵領で、その南が海になる。


 つまり直轄地から直接海路交易に乗り出すことは出来ない。海路交易はハイサイダー侯爵領が独占しているのである。


 そのため、直轄地の代官は管理地で入手した米を、ハイサイダー侯爵領に持ち込んで侯爵領の商人に売り、その商人が法主国や諸外国に売るという構図になっているようなのだ。それが分かって私はちょっと頭を悩ませた。


 ハイサイダー侯爵は帝国の重鎮である。帝国の南端という重要な領地を持ち、皇族とも強い血の繋がりを持つ。


 私の姉が嫁いでいる家ではないものの、早くからセルミアーネの皇位継承を支持してくれている家でもあり、現侯爵は大臣としてセルミアーネに仕えてくれている。


 そんな高位で重要な貴族が、直轄地の代官と癒着して不正な利益を貪っているというのは大問題なのである。


 しかしながら、ハイサイダー侯爵家をいきなり問責するのは難しい。侯爵家が領地の商人と代官の取引にどのくらい関わっているのかが分からないし、輸出されている食料がどの程度輸出規制に違反しているのかも現時点では分からないのだ。


 この状況で侯爵家の責任を追求すると、侯爵家とセルミアーネの関係が悪化しかねない。現状、セルミアーネはほとんどの貴族に支持されている状態だけど、ハイサイダー侯爵程の大貴族との関係悪化が貴族社会の潜在的な不満分子と結び付きでもすれば、夫の治世に大きな影を落としかねない。


 しっかりした証拠もなしにはハイサイダー侯爵の責は問えない。私は不正輸出について慎重に捜査して、直轄地の作物がハイサイダー侯爵領との境近くにある川沿いの港町に集められている事を突き止めたのだった。


 ボーメンという港町で、米の取り引きが行われているのは間違いないようだった。購買された米は、ハイサイダー侯爵領をほぼ素通りして(つまり侯爵領の市場に出ずに)そのまま外国へと輸出されてしまうようだということも分かってきた。そうならばもしかしたらハイサイダー侯爵はほとんど何も知らないかも知れないわね。


 私は自らボーメンの町に乗り込むことにした。


 みんなから反対されたけどね。ただ、私は検討した結果、自ら赴いた方が良いだろうと判断したのだった。


 ボーメンの町の場所は、非常に微妙な位置だったのだ。直轄地とハイサイダー侯爵領の境目の線上、と言うしかない位置にあり、皇帝もハイサイダー侯爵のどちらも領有を主張出来そうな町だったのである。


 言い換えれば、どちらから見ても辺境の位置にある小さな港町に過ぎないということでもあるんだけどね。しかしながらこの町に、例えば私が調査のために官僚を送り込むと「この町は直轄地に含まれる」と主張する事になってしまうかも知れない。


 それは、ハイサイダー侯爵にとっては面白くないことかも知れないのだ。ハイサイダー侯爵がボーメンの町を自領と認識していた場合、皇帝が侯爵領を侵犯したと考えるかも知れない。


 あくまでも可能性だけどね。こんな田舎の辺鄙な港町、ハイサイダー侯爵が認識していない可能性が高い。しかし、侯爵が積極的に不正に関わっていた場合、皇帝権力の濫用だと抗議して、不正の揉み消しを図るかも知れない。


 そういう危険性があるがために、私は自らボーメンの町に乗り込む事にしたのだった。皇妃である私は、全ての貴族領に立ち入る権限がある。いや、正式にそう決まっているわけではないけども、皇妃が自領に勝手に立ち入ったと皇帝に文句を言ってくる貴族はいない筈だ。


 私は宿泊地を出て更に南へ向かった。ボーメンの町まで半日程の行程だから、現地調査が長引けば町に泊まらなければならないだろう。そのため、侍女たちは私がボーメンに出向くのを大分渋った。十分なお世話が出来なくなると言って。


 ただ、アリエスは諦めたような顔をして、先に荷物と人を送ってボーメン町長の屋敷に私の宿泊場所を造るべく動いていた。彼女は言い出したら聞かない私の性格をよく知っているからね。


 何回か川を渡る行程なので、渡し船の準備もさせる。ただ、今回は予定外の行動なので、馬車が載せられるような船は流石に用意出来ない。屋根付きの船さえ用意出来ないと言われ、侍女たちは更に渋い顔をしてしまった。別に私は構わないけどね。


 そうやって準備を整え、私はボーメンの町の視察に出発したのである。


  ◇◇◇


 一面田んぼが広がる平原を貫くまっすぐな道をどんどん南に進む。日差しは強く湿度も高く、正直冷房魔法の効いた馬車の外には降りたくない気分だった。


 なのに川を渡る時には馬車を降りなければならない(馬車は違う船に馬と分離して載せる)のだからままならない。もっと北の方でならむしろ歓迎だったのだけど。


 船は結構大きなもので、十人は軽く乗れる。私の船には船頭とその助手、私とアリエス、それと護衛の騎士が五人乗った。侍女をアリエス一人しか付けなかったのは、なるべく護衛を多く乗せるためである。侍女と他の護衛は後ろに続く違う船に乗る。


 屋根が無い船なので、アリエスは大きな日傘を差し掛けてくれている。水の上だからか、日差しがなければそれなりに涼しくて、耐えられない程ではなかった。ただ、自分は日差しの下にいるアリエスは大変だろう。


 私は外出用のドレスを着ていて、日焼けを防ぐために大きな帽子と腕にはスリープを着用している。本当は動きにくいから嫌なんだけど、こんな南方の強い日差しの下で真っ黒に日焼けなどしたら、帝都に帰った時にエーレウラに噛み付かれかねないからね。


 川の流れは概ねゆったりとしていて、船はそれほど揺れなかった。私は平気だったけど、騎士や侍女の何人かは船酔いで気分が悪そうだったわね。アリエスもちょっと辛そうだった。


「気持ち悪いなら座っていても良いのよ?」


「いえ、職務ですから!」


 私は勧めたんだけど、アリエスは表情を引き締め直して断ってきた。それなら無理強いはしないけどね。


 川幅はかなり広くて、対岸にいる人の姿が判別出来ない程だ。流れは複雑だし、浅瀬もあるようで、船は船頭に操られて帆で風を受けながら真っ直ぐではなく何回か方向を変えつつ進んだ。


 水の色はミルクティくらいの色で、故郷の川に繋がっているとは思えないくらい濁っている。故郷の川は目を開けて泳げるくらい水が綺麗なのに。見慣れない大きな鳥が飛んでいたり、大きな魚が飛び跳ねたりもしている。


 ……そんな、見たことのない大河の風景に目を奪われながらぼんやりしていたのが良くなかったのかも知れないわね。この私としたことが、それが起こった時に全く対処が出来なかった。


 船が河の中央、流心に差し掛かった時の事だった。


 ガクン、と船が大きく揺れた。私は反射的に船縁を掴んだのだけど、船はそのまま左に向けてグググっと大きく傾いた。私は座っていたから良かったのだけど、護衛の騎士はみんな立っていたからたまらない。


「うわ!」「おおう!」


 などと叫びながら騎士たちは船から転落してしまった。騎士は護衛のために金属の部分鎧を付けている。いくら超人的な運動能力を持つ騎士でも、鎧を付けていては泳げない。


 騎士たちは必死に船にしがみついた。それでより一層船が傾いてしまう。船縁から水がザバっと入り込み、私でさえ慌てて姿勢を変えた。その時。


「あ!」


 と短い悲鳴が聞こえた。同時に私の頭上に日差しが降ってきた。日傘に遮られていたはずの陽光だ。思わず振り向くと、青い日傘が宙に舞い上がっていた。


「アリエス!」


 思わず私が叫んだ時には、侍女服を着ているふわふわとした金髪の女性、アリエスは、船からものの見事に茶色い水面に落下していた。水飛沫が上がる。


「アリエスーっ!」


 反射的に身体が動いていた。私は無我夢中で自分も水の中に飛び込んでいた。


 私は泳ぎは得意だ。故郷では泳ぎ回って魚を銛で突いて獲ったものよ。もちろん誰にも負けなかったわ。


 だからこの時もすぐにアリエスを助けて船に戻るつもりだった。


 ところが、飛び込んでしまってから気がついた。自分の格好にだ。この時、私はいつものドレスよりは多少は動き易いとはいえ、外出ドレス姿だったのだ。


 故郷で泳ぐ時には下着以外は脱ぎ捨てていた。そうしなきゃ泳ぎ難いもの。そう。服を着て泳ぐのは難しいのだ。服は水を含んで重くなるし、水の抵抗が増して手足が上手く動かなくなる。


 ましてピラピラヒラヒラフワフワしている貴族ドレスなんて、普通に身動きするのも大変なのだ。その状態で水に入ったりすればどうなるか。


 この私がなんとか水に顔を出すのが精一杯というくらいに泳ぎ難いのだ。これは計算外だ。しかしながら、私でもこの状態である。下手をすると泳いだことなど無いだろう、お嬢様育ちのアリエスは……。


 案の定、彼女はもがく事さえ出来ずに茶色い水面下に没しつつあった。こんな濁った水の下に沈んでしまったら二度と見つからないだろう。


 私は強引に水を掻いて右手を思い切り伸ばし、沈み掛っていたアリエスの首根っこを掴んで引き寄せた。途端に、二人分の重量を支えきれなくなった私はガボッと茶色い水の中に沈んだ。


 慌てるな! と心に言い聞かせながら、とりあえず私はアリエスを引き寄せた。既に意識が無いのだろう。アリエスはぐったりしていた。暴れられるよりは好都合だ。私はアリエスを背中から羽交い締めするようにして抱きかかえると、全力で足を蹴った。ドレスが! スカートが邪魔!


 何とか水面上に顔が出た。ブハッと息を吸い、アリエスを自分のお腹に乗せるようにして浮き上がらせると、彼女の顔を水面のギリギリ上に出す。


 確認は出来ないが、アリエスは既に水を飲んで呼吸をしていない可能性がある。このままでは死んでしまうだろう。仕方が無い。死ぬよりマシでしょ。私はアリエスの胸の下に手を回し、えいやと勢いを付けて彼女を全力で抱き締めて締め付けた。


 泳ぎながらやったからそれほど力は入らなかったけど、私の絞め技はイノシシを仕留めた事があるからね。本気を出せば華奢なアリエスの背骨は折れてしまうだろう。


 アリエスは私の馬鹿力で胸を締め付けられて口からびゅーっとばかりに水を噴いたわよ。次に「ガハ! ゲボ! ゲホ!」っと咳き込み始めた。よし。息が戻ったわね。


「大丈夫? アリエス?」


 私が何度か呼び掛けると、アリエスは何とか目を覚ました。


「……ひ、妃陛下?……」


 ぼんやりしているけどその方が都合が良い。私は彼女をお腹に乗せるようにしながら彼女に言い聞かせる。


「大きく息を吸って身体の力を抜きなさい。動かないように」


 溺れて暴れてしがみ付かれでもしたら、この私でも沈んでしまうだろう。故郷では何回か溺れた子分を助けようとして危ない目に遭わされた(そういう時はとりあえずぶん殴って引っぺがして、それから改めて助けた)ものだ。幸い、アリエスはまだ意識が朦朧としていて、素直に私の指示に従った。


 私も大きく息を吸って、身体を仰向けに浮かせる。手足を掻き続けていたらすぐに体力が尽きてしまう。身体を浮かせることだけに集中すれば、それほど体力は必要無い。水が温くて助かったわ。このまま救助を待てば良い。


 ……と思ったのだけど、重大な事にこの時私は初めて気が付いた。それまでは夢中でアリエスを助ける事に集中していたからね。私達が落ちたのだから、騎士や後続の侍女達がすぐに助けてくれる筈だと、私は思っていた。のだが、見回しても船の姿が見えなかったのだ。


 そう。河の流れが意外に速く、私とアリエスは流されてしまっていたのだった。遠くから私を探す声が聞こえる気もするけど、こちらはギリギリ浮いている状態だ。呼び返す事も難しい。そうこうしている内に私とアリエスはドンドン流されて、声もすぐに聞こえなくなってしまった。


 ……流石にこれは参ったわね。


 しかしどうにもならない。私はぐったりとしたアリエスをお腹に乗せる格好で漂流しながら、途方に暮れたのだった。


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PASH UP! にて毎月第一第三金曜日にコミカライズが更新されます! https://pash-up.jp/content/00002548 それに合わせて更新していきますのでよろしくお願いしますね!

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