コミカライズ記念番外編 野人皇妃 三話

 旅行といっても、まさか途中で野宿なんて出来るわけがない。私がやりたくたって周囲が許してはくれない。


 道中の予定は帝都を出る前から綿密に定められていた。ルートやその日の宿泊場はもちろん、休憩場所まで事前に決めてあるのだ。そもそも日程は大分ゆったりと組まれていて、余程のことがない限り狂うことはないと思われる。


 休憩場所は必ず村か町。そこにある町長や村長、あるいは代官の家を使用した。一日前に騎士団や官僚たちが乗り込んで、住んでいる者を追い出して屋根裏まで確認した挙句、私の侍女たちがお部屋を整えて私も迎えるのだ。


 で、私の滞在時間はせいぜい二時間。私は休憩なり食事なりをして町や村の有力者、いれば代官の挨拶を受けて、すぐに出発する。


 住んでいる人たちにとっては大迷惑だとは思うのよね。私は別に野原でだってトイレも出来るし、なんなら食事なんて畑から芋を持ってきて焼いて食べても良い。でも、皇妃がそんな事をしたら皇妃の権威に関わってくるし、私に何かあったら町や村ごとこの世から消されてしまうだろう。


 皇妃というのは簡単に人々の運命を捻じ曲げる事が出来る存在なのだ。その事を思えばいくら私でも勝手なことは出来ないのである。


 休憩でこれだから、宿泊場所は更に大騒ぎになる。


 直轄地のあちこちには、歴代の皇族が築いた離宮がある。皇帝が直轄地の巡察に使っていたものや、皇族の誰かが趣味で建てたものまで様々な理由でいろんなお屋敷が建てられているのだ。


 これを整備して宿泊所にするんだけど、離宮によっては長年放置されたりして管理が行き届いていないものもあったようだ。


 なので私の巡察旅行が決まってから、帝宮の整備などを担当する官僚が派遣され、状況の確認が行われ、帝都から大量に職人が派遣されて突貫工事で整備が行われたそうだ。私はその予算の額を見てびっくりしたんだけど、場合によっては建て替えに近いくらいの修繕が行われたみたいだから。費用が嵩んでも仕方がないだろう。


 私に一切の不満を抱かせないように、私の事をよく知る上級侍女が呼ばれて細かなチェックが行われ、私が庭園を散歩したいと言い出すかもしれないので、帝宮の庭師が派遣されて庭園の再整備を行い、食事はもちろん内宮でいつも私の食事を作ってくれている料理人が調理を行う。


 ちなみに食材は帝都から送られてきた厳重にチェックしたものを使用する。食べ慣れないものを私に食べさせる訳には行かないからである。水でさえ身体に合わないと困るから帝都の水を運んで使うのだ。


 なんとも過保護なことで、私は別にそこまでしてくれなくても良いのに、と思ったのだけど、これも皇妃である自分の立場を慮れば口には出せなかったわね。


 一日目の宿となった離宮はそういうわけでまるで内宮の自室にいるかのように違和感のない状態になっていて、むしろ旅情を感じられないくて残念なくらいだったわね。


 でも、一日分南に下っているから気候も少し違うし、庭園には見慣れない花があったり。窓の外に見える風景は帝都とも故郷とも全然違って、私の心をワクワクさせてくれた。やっぱり旅っていいわね!


 この離宮には二日滞在した。これは予定通りで、私を休養させるためという名目だったけど、実際には私がこの離宮の周りを視察したいと望んだからだ。


 なので私は到着翌日には馬車に乗って農村地域の視察に向かった。本当は騎馬で向かいたかったけど、この時はみんなに難色を示されたのだ。まぁ、まだ機会はあるしね、ということでこの時は諦めた。


 まだ一日くらいしか帝都から南に下っていないのに、気候はかなり温暖になっている気がする。畑を見るにつけ故郷にはやたらとある芋畑はあまり無く、根菜の類が多いようだ。畑の土は黒く、よく肥えていて、魔力が十分に行き渡っていることを窺わせた。


 実際、報告された収穫量は安定していて。納税もきちんとされている。まぁ、帝都からそれほど遠くもない土地なので、代官もまだまともに仕事をしているとみえる。


 途中であった村長町長の様子も、見かけた農民や町民の様子も明らかに余裕があって、街道の整備状況も良いようだった。私が来るから慌てて整備したのかもしれないけどね。


 私はこの地域の状況には満足して、次の離宮に向けて南に出発した。


  ◇◇◇


 馬車はゆるゆる進んだ。正直、暇すぎて困ったわね。


 なので私は、帝都出発前に侍女たちと練っていた計画を実行に移す事にした。


「本当にやる気なんですか? 妃陛下?」


「当たり前じゃないの。なんのために準備をしたと思ってるの」


 侍女はもちろん、警備の騎士たちにも根回しをして、セルミアーネの内諾まで取ったのだ。その代わり「バレないように。バレたら二度とやらないように」と皇帝陛下に念を押されちゃったけどね。


 ということで、私は休憩場所で着替えをするというタイミングで、私のドレスを侍女のマルメイラに着せた。彼女は背丈や体格が私に似ているのだ。


 で、私は騎士の鎧を身に付ける。御前試合の時に着た例の騎士の正式甲冑だ。護衛の騎士の何人かは甲冑姿で私の馬車に付き従う事になっている。馬は根回しをした騎士が何食わぬ顔で用意してくれた。


 つまり私はマルメイラを影武者にして、騎士の中に紛れ込んだのだ。


 特に疑われる事なく、私は難なく入れ替わりに成功した。まぁ、誰だあの小さな騎士は? と思う兵士もいたと思うけど、騎士たちには根回しをしてあるから大丈夫。騎士たちは私の事をよく知っているから「妃陛下なら大丈夫だろう」と笑って許してくれた。


 ただ、それでも万が一の事がないように、一人で行動しないように。護衛の騎士から離れないようにとはお願いされたわよ。


 だけど馬上からだと馬車からよりも景色はよく見えるし、広いし開放的だしで、私は非常に満足だった。護衛の騎士たちと一緒に斥候という名目で少し行列から離れたところまで馬を駆けさせたり、馬に乗りながら騎士の携行食を食べたり皮袋から水を飲んだりもしたしね。


 数時間そんな風にして進んだ後、次の休憩で私はまたマルメイラと入れ替わった。マルメイラは困った顔をしていたけどね。アリエスも呆れ顔で「妃陛下? くれぐれもお怪我と日焼けだけはなさいませんように」と言った。この娘、最近エーレウラに口調が似てきたのよね。


 そうして色々やりながら丸一日進んで、私達は次の宿泊場所になる離宮へと入っていった。


  ◇◇◇


 この日の宿泊場所の離宮は、離宮というよりお城だった。


 あちこちに尖った塔が林立しているタイプのお城である。こういうお城は本来は要塞であり、尖った塔は見張りに使う楼閣なのだ。高い見張り塔が欲しいからああいう形になっている。


 しかし、この離宮を建てたのは二百年くらい前の皇妃であり、彼女は単なる別荘としてこれを建てた。当然実戦の事など考えていない。もうその頃には国境は遙かに遠ざかっていたし、ここは平和な直轄地だからね。


 なので真っ白な塔が、尖り青い屋根を被って幾つも立ち並ぶこのお城は、単純にその皇妃の趣味で建てられたのであって機能的な事は何も考えていないらしい。こういうお城ってロマンチックな雰囲気あるからね。


 ちなみにこういうお城の形式は現在では廃れてしまっている。理由は、不便だからだ。軍事要塞としては優れているのかも知れないけど、高い丘の上に建って城壁に守られているこういうお城は、狭いし出入りも大変なので統治者の館としては不向きなのである。


 なので帝宮は城壁では囲んでいるけど、中に建っているのは壮麗なお屋敷だ。規模は普通の貴族屋敷の何倍もあるけど。ちなみに聖域にある一番最初の帝宮だったといわれる建物は、もっと古い形式の無骨な石がむき出しの要塞である。今は蔓草に覆われているから、外からは緑の山みたいに見えるんだけどね。


 結構急な坂道を上ってお城に入る。もっとも私は歩いている訳ではなく馬車に乗っているから別に坂がどうだろうと関係無い。これを建てた皇妃も同じ事を考えたのだろうね。それよりも見栄えと眺望が大事だったのだろう。


 実際、最上階に用意された私の部屋(内部は七階建てで、魔法を使用したエレベーターを使用して上る)からの眺望は本当に素晴らしく、私もアリエスも他の侍女も窓にへばりついてキャッキャと騒いでしまったわよね。


 何しろ、丘の上に七階建ての城が建っているのである。そこからは南に向かって平野が広がって行くのだけど、それが夕日に照らされて波打つように輝いているのだ。


 そして街道が延びてその周辺に村とか町があるのが見えるんだけど、それが金色にキラキラと輝いて本当に綺麗だったのだ。そして日が暮れると、そういう村や町にポツポツと灯りが点る。私は椅子を用意してその様子を飽きずに眺めたのだった。何代か前の皇妃陛下、偉い。よくぞこのお城を建ててくれたわ!


 と私はこのお城を随分気に入ったので、ここには五日間も滞在した。もっとも、気に入った理由は眺望以外にもある。


 実はこのお城には緊急脱出用の抜け道があったのだ。


 凝り性のその皇妃様が、ロマンを求めてお城に抜け道を造らせたらしい。だけど多分だけどご本人は一度も使わなかったんじゃないかと思うのよね。というのはその抜け道は、七階にある皇妃の部屋から狭い螺旋階段をグルグル回って降りて地下まで潜り、岩がむき出しのジメジメした地下道をかなり歩かなければならない。最終的には階段を上って森の中の岩壁に偽装された扉に出るのだ。


 最初にこの抜け道の情報を知って、試しに探検してみた時にはアリエスやマルメイラも連れて行ったんだけど、彼女達は七回分の螺旋階段を降りるだけでクタクタになってしまっていた。しかしながら私はこの素晴らしい抜け道に感動を禁じ得なかった。素晴らしい!


 これなら何食わぬ顔をしてお城を抜け出せる! 影武者にマルメイラを置いておけばかなりの長時間抜け出しが可能だろう。そして何より、森の中に抜け出せるのが良い! 狩りが出来る!


 私は有頂天に踊り始めてしまったので、アリエスは早々に私の行動の制止を諦めたようだ。彼女は直ぐさま護衛部隊の隊長である騎士に連絡をして、私が抜け出す時は出口の扉の前で待っているようにと要請していた。


 なので私は抜け出す前に護衛隊に一言言付けて、それからマルメイラと入れ替わる。そしてそれから狩猟服に着替えて狩りの道具一式を抱えると、一目散に抜け道の螺旋階段を駆け下りるのである。そして地下道も猛ダッシュして出口の扉をドカンと開ける。するとそこには命を受けた騎士達が待っているという寸法だった。


 なんでそんなに急ぐのかといえば、このお城でも私は周辺の代官や町長村長との面会や周辺の視察の仕事が入っていて、食事会や夜会なども行うためそれほど自由時間が無いからである。一分一秒でも長く狩りをするために大急ぎで抜け道を駆け抜けた訳である。


 その甲斐あって、私はここでの滞在中三回も狩りをする事が出来た。事前にどんな獲物を獲れるのかは下調べしてあったけど、流石にそれだけでは狩りは出来ない。なので地元の狩人協会から狩人を派遣してもらって、その人に森の様子や状態をレクチャーしてもらいながらの狩りになった。本当は自分で時間を掛けて森を解析して行くのが楽しいんだけどね。今回は時間がないから仕方がない。知らない森は危険が一杯だからね。


 狩人は、弓や短槍を持って走り回り、木々を飛んで渡る私をまさか皇妃とは思わなかった様だったわね。本職の狩人にしては騎士が守ってるから、どこかの貴族のおてんば娘のお忍びくらいに思ったらしかった。私は彼とその狩人協会に後日厚い恩賞を届けさせたわよ。


 見たことも無い植物や、鳥や、動物が沢山いる森の中は実に楽しく、私は珍しい獲物を何頭か仕留めてそれはもうご満悦だった。


 特に私の故郷や帝都の森にはいなかった「虎」と出会った時には興奮したわね。狩人は「あれはダメだ! 逃げろ!」と叫んだんだけど、こんな未知の大物と出会って逃げられる私じゃないわけよ。私はむしろ喜んで虎に立ち向かった。


 いやもう熊よりも素早くトリッキーで、さすがのこの私が防御一辺倒になる場面もあったけどね。熊ならスピードで翻弄出来るんだけど、虎の奴はとにかく早くて、爪も鋭くパワーも凄い。苦戦したなんてもんじゃなかったわよ。騎士が加勢しようとするのを押し止めて、私は久しぶりに血沸き肉躍る戦いを満喫した。


 最終的には私は弓で動きを鈍らせた所を短槍で急所を突いて仕留める事に成功した。狩人は「信じられない!」と叫んでいたけどね。虎は騎士団出現案件なのだそうで、狩人が仕留めるなどほとんどあり得ない話なのだとか。実際、この時に仕留めた虎は近辺で家畜を食い荒らしていた個体だそうで、私が仕留めてくれて随分と助かったらしい。私が騎士だったら勲章モノだという事だった。


 ちなみに後でセルミアーネに虎と戦った話をしたら、ちょっと固まってしまっていたわね。彼は独身時代に虎退治に出撃した事があるそうで、その時は五人掛かりで負傷者を出しながらの討伐になったのだそうだ。


 私はそんな感じで久しぶりの狩りに大満足した。狩りのためなら時間を作るために早起きをするのも厭わなかったし、帰りに七階まで螺旋階段を駆け上がるのも苦にならなかったわよ。


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PASH UP! にて毎月第一第三金曜日にコミカライズが更新されます! https://pash-up.jp/content/00002548 それに合わせて更新していきますのでよろしくお願いしますね!

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