コミカライズ記念番外編 野人皇妃 二話

 とは言っても、この地域をきちんと治めるべく書類を精査したり詳しい調査を行おうなどと考えれば、それは先だってのような殺人的な仕事量を生んでしまう事になる。


 それは避けたいのよね。私だって人間だもの。これ以上忙しくなったら過労死してしまうわ。少しは気分転換する時間だって欲しいしね。皇妃になってから狩りに行く時間だってほとんど取れていないのだ。


 考えた末、私は人をやって現地を調査させる事にした。書類を取り寄せるよりその方が早いと思ったからだ。私は官僚を何人か選抜して、直轄地西南部に派遣することにした。


 ところが、これも上手く事が運ばなかったのだ。


 まず、視察官を派遣するので受け入れ準備をするように、という通知を出したら、代官達から激烈な抗議が返ってきた。直轄地の統治は代官に一任されている筈で、それを監査するなど前例が無いというのだ。


 私は呆れかえった。あんた達の仕事が不十分だと思うから視察するって言ってるんじゃないの。前例が無いから現状がこんな事になってるんじゃないの。私は断固として彼らの抗議を受け付けず、視察官の派遣を断行した。


 ……視察官は酷い目に遭ったらしいわね。代官は極めて非協力的で、視察官に宿すら用意せず、視察の案内もせず書類も用意せず、現地の農民への聞き取りさえも妨害しようとしたらしい。


 私は激怒した。あんたたち、皇妃の命令をなんだと思ってるの!


 視察官の言う事には、代官は現地でまるで上位貴族のように振る舞っているのだそうだ。それはそうよね。直轄地で特に豊かな西南部の収益は、そこらの伯爵家よりも余程大きくなる。それをろくに納税もせずに自分勝手に使っているのだとしたら、それは裕福になって当たり前だ。


 要するに代官は直轄地を思い切り私物化しているのだ。男爵は一応世襲出来る。なので代官もかなりの者が世襲していて、事実上その管理区域を自分の領地としてしまっているのである。


 子爵以上の領主は、自分の魔力を一生懸命奉納して、土地を肥やして何とか収益を上げるべく奮闘しているというのに、男爵に過ぎない代官が、皇帝一家が一生懸命に奉納した魔力にただ乗りして伯爵よりも裕福に暮らしているとなると流石に笑えないわよね。


 しかしそれにしても困った。代官によっては視察官の管理地域への立ち入りを許さないなんて事もあり、調査は遅々として進まなかったのだ。困った事に、私のこういう行動は貴族達からも評判が悪いようだったのだ。


 何故かというと、代官の政治に対する強い干渉は、貴族の領地に皇帝が干渉する事に繋がるのではないか? と危惧する貴族が結構いたからだ。なんで? 代官と貴族は違うわよね? 皇帝直轄地は皇帝の土地だけど、貴族の土地は貴族のものだもの。


 しかしながら、代官の統治に皇妃が注文を付ける事が許されるのなら、貴族の統治に皇妃が干渉するのが許されてもおかしくないという理屈は、特に貴族的にはおかしなものでもないらしい。


 ……それって、貴族達も統治において相当後ろ暗い事をやってるって話よね。帝国では、それこそ旧マルロールド公爵領のように酷い事をやってでもいない限り、貴族領は貴族の自治に任されるのが基本だ。


 しかし、私はこれまでも平民を無用に虐げた領主貴族を強く罰するよう先帝陛下に上申した事があり、それで実際に取り潰しになった家もある。それは勿論、その貴族が貴族に許される度を超えて悪事を働いていたと、先帝陛下が認定したからなのだけど、そういう前例から私は貴族の自治に干渉するタイプの皇妃だと見られているらしかった。


 後ろ暗いところのある貴族は私に干渉されることを強く恐れているようなのだ。直轄地の改革が終われば次は貴族領の綱紀引き締めに掛かるのではないか? と思われているみたいなのよね。


 そんなだから私が直轄地の代官の統治に干渉するのは良く思われなかったのだ。そんな事を言われても困る。当面、私の職務は皇帝直轄地の統治なのだから。仕事をきっちりやるためには、関係のない貴族の誤解などに構ってはいられない。


 私は反対の声を押し切って直轄地の各地に視察官を派遣したのだけど、どうにもこうにも上手くいかなかった。そして貴族達からの反対の声も大きくなる一方だった。これはもしかすると、貴族達に代官達が働き掛けて、反対の声を上げさせてる可能性もあるかもね。裕福な代官なら困窮している領主貴族に援助が出来るだろうし。


 私は次第に怒りを募らせた。ふざけるんじゃないわよ!


 この私のやる事に逆らってタダで済むと思ってるの! 故郷にいた頃なら私に逆らった奴はふん縛って木から吊るすか、首まで水に沈めて三日放置の刑にしてやったものよ!


 こうなったらもう人に任せてはいられないわ! この私が自ら乗り込んで、代官達に天誅を喰らわせてやるわー!


 ……と私は叫んだのだけど、それが難しいことは重々承知していた。なにしろ私は皇妃なのだ。うかうか帝都の城壁の外に出られるような立場じゃないのだ。


 ちょっと息抜きに帝宮の庭園を散歩するのにも十数人の護衛が付き、帝宮内の狩場で狩りをする時なんて森全体を騎士たちが厳重に囲むのよ(まぁ、先の戦争の時に刺客に襲われた事を考えれば過剰な警備だとは言えないのかもしれないけど)。


 そんな私が何日も離れた直轄地を直接視察に行くなんて無理よね……。


 でも、私はどうにも代官達の振る舞いに我慢が出来なかった事もあり、一応は皇帝陛下に、セルミアーネに話を持って行ったのだった。


  ◇◇◇


「いいよ」


 私の相談に、セルミアーネはあっさり許可を出した。言い出した私の方が驚いて硬直したくらいだ。


「……いいの?」


 私が疑いつつ問うと、セルミアーネは再度頷いた。


「事情を聞けば、それは代官達に有無を言わせぬ立場の者が行くしかないと分かる。皇帝の足元たる直轄地がそれほど腐敗しているというのは由々しき事態だ。それを是正するのは立派な職務だ。行ってくると良いよ」


 ……セルミアーネの言葉に、私はブルっと震えた。ほ、ホントに? ホントに出掛けてもいいの? 帝都の外に出てもいいの? え? え? ホントに?


 私が興奮し始めた事が分かったのだろう。セルミアーネは端正な顔をニコッと緩めた。


「ずっと忙しかったんだ。少し息抜きをしてくると良いよ。大丈夫。仕事で行くんだからね」


「み、ミア!」


 私は皇帝執務室で、しかも公務中だというのに、皇帝陛下を愛称で呼んで、おまけに抱き付いてキスまでしてしまったのだった。


 私の興奮も無理もないものと思ってもらいたい。私は皇妃になってから、帝都どころか帝宮の外にさえほとんど出ていないのだ。


 一応、帝都の近いところの直轄地の街には即位の祭典の時に、顔見せに出たんだけど、その時は物凄く大きな馬車から一回も降りなかったからね。景色を見る余裕もなかった。その後はほとんど帝宮から出てもいない。


 私は元々外を駆け回るのが好きで、お日様の下で過ごすのが好きなのだ。それが毎日毎日宮殿の中で書類と格闘しているのである。仕事だから仕方がないけれど、フラストレーションは溜まるわよね。


 それに、直轄地についての報告を読んでいると、農作物だとか獲れる獣だとか、耕地や森の様子が描かれていて、それを想像すると行ってみたくてたまらない気分になる事があるのだ。


 私は内宮に帰ってから報告書に書いてあった興味深い記述についてセルミアーネに話した事があって、おそらくその時に目を輝かせていた私の事を見て、彼は私が直轄地の視察に行く事を許してくれたんだと思う。


 彼は皇帝になった今でも私の事を大事に気遣ってくれるのだ。私にストレスが溜まらないように配慮して、気分転換の機会をくれたんだと思うのよ。


 もちろん、私の考える直轄地改革の重要性を理解してくれたからでもあると思うけどね。


 それにしても……。


 やったー! ヒャッホウ! 素敵! 最高!


 私は大興奮だ。皇帝陛下のお墨付きで視察旅行に出られる! 目的地である直轄地西南部までは馬車で三日の行程だ。結構な旅行になる。


 流石に結婚した時のように騎乗で行くわけにはいかないだろうし、野宿なんてもっての外。狩りだって出来るかは分からない。


 でも、行ったことの無いところに行き、見た事のない町や村を見て、会った事のない人と会えるのは間違いない。視察なんだから農地や森や市場に行く事は出来るだろう。それを考えるだけでも心が躍ったわね。


 私は大興奮しつつ侍女達に準備を指示した。別に私一人ならバッグ一つでも良いんだけど、どうせそういうわけにもいかないんだろうからね。


 アリエスやクローディアは驚いていたけど、侍女長のエーレウラは驚きも慌てもしなかったわね。どういう事なのかと聞いてみると、エーレウラはいつも通り淡々とした様子で言った。


「皇帝陛下が直轄地を巡察する事は珍しい事ではありませんから」


 なんでも、先帝陛下も時折、直轄地を巡察していたのだとか。ただ、先帝陛下の場合は本当にただ回るだけで、各地の代官に歓待されて帰ってくるだけだったようだ。


「回ることで陛下のご威光を直轄地に行き渡らせるのが目的でございましたから」


 つまり陛下自ら出向くことで「皇帝は直轄地をちゃんと見ているんだぞ」と威圧していたのである。それだけで綱紀を引き締める効果は大分あったらしい。


 後はやはり先帝陛下の気分転換の意味合いもあったようで、これと帝国軍の軍事演習を先帝陛下は楽しみにしていらしたそうだ。先帝陛下は結構アクティブな人だからね。上皇になった今では騎士の訓練に混ざって騎士をビシバシ鍛えているとかいう話だもの。


 なので皇妃たる私が直轄地を巡察するのはそれほど驚くような話でもないのだそうだ。歴代の皇妃の中には直轄地のいろんなところに離宮を建て、それを巡ってろくに帝都に帰っても来なかった方もいるとか。帝国も千年くらい続いていれば色んな皇帝や皇妃もいるものね。


 なので意外にテキパキ話は進んだ。私は一応は上皇妃様に相談したんだけど、上皇妃様は呆れたお顔をしながらも「皇帝陛下が許可を出したのなら良いのではないですか」仰った。私が不在の間の社交界の管理も請け負って下さった。


 皇帝陛下が許可を出し、上皇様ご夫妻も異議を唱えなければ皇妃たる私の行く手を阻む者はもういない。私が直轄地西南部の巡察を発表すると、大きな話題にはなったけど、反対意見は出なかった。流石に皇帝と皇妃の決定に意義を唱えるのは不敬過ぎるからね。


 という事で私は一ヶ月掛かりで準備を進めて、夏も終わろうかというある日、帝都から巡察旅行に出発したのだった。


 皇妃の旅行なので当たり前だけど、それはそれは大袈裟な隊列となった。


 まず、私の乗る大きな大きな馬車。旅行用なのでそれほど華美なものではないけど、それでも美しく装飾されている。いざとなったら中を寝台にも出来る仕様で、なんなら私が望めば車内をフラットなベッドにして、私は寝ながら移動出来る。


 その他に、私の侍女七人が乗る馬車が二台。ちなみにアリエスのみは私と同じ馬車に同乗している。それとベック達私の部下が乗る馬車が一台。


 そして私のドレスだの装飾品だの、あるいは宿で使う食器類や布団やシーツ、お風呂用具その他もろもろが積まれた馬車が三台。つまり馬車は計七台にもなる。


 これを騎士二十名を含む百人の兵士が護衛する。騎兵が百人というのはちょっとした戦力だ。これではどんなに欲深かな野盗集団だって襲撃する気にはならないだろう。まぁ、襲撃してきたら私も喜んで戦うつもりだけどね。


 予想以上の仰々しい行列に、私はちょっと不満顔になってしまう。これではろくに外も見えないし、ちょっと寄り道して、森で狩りをしてから行こう、なんてことは出来そうもない。私がそう漏らすとエーレウラはなんとも言えないため息を漏らした。

 

「妃陛下。今回の巡察は遊びではございませんよ?」


「分かってるわよ」


「本当に分かっているならそのような事をお口から出さないようにして下さいませ」


 エーレウラはピシャリと言った。が、彼女は私の事がよく分かっている。あんまり厳重に禁止すると、なんとか抜け道を見つけようと無茶をするのが私であるとバレているのだ。なので、エーレウラはこう付け足した。


「現地に着いたら色々見て歩く予定なのでしょう? そうすれば中には徒歩や騎乗で視察をする場面もあるのではないですか?」


 それもそうね。私は機嫌を直す。現地に着いてしまえば少しはお作法を緩めて、自由に振る舞える場面があるだろうからね。何とか上手い言い訳を考えて狩りをする機会を作らなくては。そう思って荷物の中に狩りの用具一式も忍ばせたんだからね。


 ちなみに、今回はエーレウラは同行しない。巡察中の侍女長代理にはアリエスが任命された。アリエスは驚愕していたわね。ただ、私はエーレウラと話し合って、エーレウラ引退後はアリエスを侍女長に昇格させると決めていたので、その予行演習の意味もあるのだ。


 出発の際、セルミアーネは私を抱擁しながら「楽しんでおいで」と言った。彼は完全に休暇旅行に出す気分のようだ。かくいう私もカルシェリーネに「お土産に綺麗な珍しい鳥の羽を獲って来るからね」と約束した。私もこの時はほとんど旅行に行く気分だったわね。


 帝都市街を進んだ馬車が、帝都の厚い城壁にくり抜かれた帝都の南門をついに抜けると、私は解放感のあまり「ヒャッホー!」と奇声を上げてアリエスに怒られたのだった。


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PASH UP! にて毎月第一第三金曜日にコミカライズが更新されます! https://pash-up.jp/content/00002548 それに合わせて更新していきますのでよろしくお願いしますね!

 

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