コミカライズ記念番外編

コミカライズ記念番外編 野人皇妃 一話

 皇妃になった私は忙しい日々を送っていた。


 ……ええ。本当に忙しいのよ。忙しいんですわよ。


 無茶苦茶に忙しいのよ!


 ちょっと本気でキレそうになるくらい、皇妃になってからの私は忙しかった。覚悟はしていたけど想像以上だった。


 私の毎日のスケジュールは大体こんな感じになる。


 まず朝起きると湯浴みをして身支度を整えながら今日の予定を聞く。それからセルミアーネと食事をしながらエーレウラと社交の打ち合わせをする。


 食事が終わったらドレスを着て朝の社交に出る。これまでは本館まで出向く事もあったけど、皇妃になってからは離宮区画までしか出ない。


 お茶会は皇太子妃時代はダラダラ午前中一杯使う事も少なくなかったけど、皇妃になってからは二時間程度で引き上げる事がほとんどになった。


 というのはこの後、午前中の公務が待っているからだ。私はお茶会が終わるとそのまま本館と離宮区画の境目にある皇帝府の皇妃執務室に向かう。


 そこでベック以下執務室のみんなから今日の執務予定を聞かされ、山のように積まれた書類に立ち向かう。


 お昼になると昼食を摂るために内宮に戻る。この時、お姉様や有力貴族夫人をお招きして昼食会という名の社交を行うことが多い。


 昼食会が終わったら午後の公務だ。ひたすら書類を処理し、場合によってはセルミアーネや大臣と話し合い、ベック達に指示を出す。


 場合によってはお茶会を挟む。お茶会は遊びではなく政治的な根回しの為に必要なのだ。これでも上皇妃様が手伝ってくれているから、社交の頻度は減らせているのである。


 そして夜には夜会である。その準備のために一度内宮に引き上げて夜会ドレスを装備しなければならない。夜会も皇妃の立派なお仕事だ。疎かには出来ない。


 ……そして忙しい時は夜会が終わってから執務室なり内宮で書類の処理や検討をする。つまり残業である。


 就寝はいつも深夜になる。


 ……忙しすぎるでしょう! なんなのよこれは!


 どこの仕事中毒患者ですか! 息抜きどころかよそ見をする暇もないじゃない! いくらなんでも酷すぎる! 私の青春を返せ!


 と言いたいくらい本当に毎日毎日大忙しだったのだ。恐ろしいことに上皇妃様も皇妃時代は同じようなスケジュールをこなしていたということで、更に凄まじい事に私が嫁に来るまでは社交の頻度がもっと多かったのだそうだ。超人か。


 ただ、上皇妃様曰く「私は政務をそれほど請け負ってはいませんでしたから」との事だった。私ほどは政務に時間を取られなかったということだ。


 私は皇妃として主に皇帝直轄地の管理運営を請け負っていた。


 帝国における皇帝直轄地とは、主文字通り皇帝が直接治める領地の事である。


 主に帝都周辺の広大な地域がそれで、ここはどこの貴族の領地でもない。皇帝の領地なのだ。帝国は帝都の辺りから興り、周辺に向けて領地を広げていったのだけど、その際に貴族の領地は新しく手に入れた外側の土地に移封していったので、真ん中が空いていってそれが皇帝直轄地になったのだ。


 国境の周辺には公爵侯爵などの大貴族を置き、その内側に伯爵子爵領が置かれるのが帝国の領地配置の基本だ。これは、大貴族が肥やした領域に新興貴族が入れば、魔力の少ない貴族でも領地を維持し易くなるからである。


 ただ、私の実家のカリエンテ侯爵領を見れば分かるように、この三百年程は帝国領がほとんど拡大していないので、公爵侯爵領も移封されていないのが現状である。


 皇帝直轄地は皇帝の土地な訳だけど、これは何も皇帝が巨利を貪る為に独占している訳ではない。新たな子爵が出た場合、皇帝はこの直轄地から土地を分け与えるのである。そのためにプールしてあるのだ。


 なら、貴族になりたい、子爵になりたいと願う者はいくらでもいるのだから、直轄地は次々と分け与えられてその内無くなってしまうのではないだろうかと思うのだけど、それがそうはならないのである。


 魔力の問題があるからだ。貴族は土地を授かると、魔力を奉納して土地を肥さなければならない。しかし、子爵辺りの魔力に乏しい者たちではこれが中々に困難なのだ。領地経営に失敗して破産、家名と領地の返上に至る例が非常に多いことは以前に話したわよね。


 つまり、帝国貴族の魔力量に対して。現在の帝国の領域は広過ぎるのだ。そのため、魔力不足で十分に土地を肥やせていない貴族領も多いらしく、功績を立てても領地の加増を求めず、金銭や宝石での褒美に変える例も多いらしい。


 その結果、貴族に切り分けきれなかった広大な土地が皇帝直轄地として残される事になったわけである。


 帝宮の礼拝堂や神殿からから魔力を奉納すると、一応は帝国全土に魔力は行き渡る。ただ、帝都から遠離れば遠離るほど効力は弱まるようだ。この辺のシステムが私にはいまいち未だに謎なのよね。魔力が直接土地を癒すのではなく、魔力を受け取った土地神が地を癒して下さるのだという意見もあるらしい。


 帝都で魔力を奉納すると、主として土地が肥えるのは帝都の周辺地域だということになるのだ。皇帝直轄地を帝都周辺に集め、魔力の少ない貴族の領地を直轄地から切り分けるのはそういう事情がある。


 皇族の魔力は多いけど、皇帝直轄地は広大なので魔力奉納は大変だ。今は上皇様、上皇妃様、セルミアーネと私で奉納してるのでまぁまぁ余裕があるけど、完全に上皇様達が引退してしまったら大変だろう。その時にはカルシェリーネが奉納出来るようになっていればいいけど。


 そして、魔力的な問題だけではなく、直轄地には人が大勢住んでいるのだから、その民衆の面倒を見なければいけない。つまり政治が必要なのだ。


 その直轄地の政治全般が私に任されたのである。


  ◇◇◇


 私は故郷で、お父様の領地代官だった父ちゃんの仕事を助けて、代官補佐みたいな仕事をやっていた事がある。


 私は当時暇だったので、父ちゃんの仕事を積極的に手伝い、馬を駆ってカリエンテ侯爵領内を駆け回って仕事をしたものだった。


 そういう経験があったから、私は皇妃として仕事をしようと考えた時に、それはカリエンテ侯爵領よりも無茶苦茶に広くて人はたくさん住んではいるけど、領地経営という意味では同じだと考えた直轄地管理を引き受ける事にしたのである。


 でないとあまりの激務でセルミアーネが死んじゃうと思ったからね。皇帝陛下の職務は軍事、帝国全体の政治、貴族間の利害調整、貴族の相続に関わる調整、外交など多岐に渡る。これに直轄地の面倒まで見させたら、真面目で手を抜くことをしないセルミアーネは過労死してしまうだろう。


 夫を助けるのは妻の役目だ。出来ることならなんでもするわよ。そう思って引き受けた皇帝直轄地の管理運営だったのだけど、それが予想を遥かに上回る膨大な仕事量だったというわけだった。


 いえね、予想をしていなかった訳じゃないのよ? なにしろ広さにしてカリエンテ侯爵領の五十倍。人間は一千倍くらい住んでいるらしい皇帝直轄領だもの。それは故郷の面倒を見るようにはいかないだろうとは思っていた。


 でも、皇帝直轄地の各地には、皇帝府から派遣された代官がいて、彼らが管理地域の面倒を見ていてくれる。


 だから私は代官が上げてくる報告を確認して承認印鑑を押すだけなんじゃないか、なんて甘い事を考えていたのだ。最初は。


 ところがこれが、そうはいかなかったのだ。理由は代官の仕事が極めていい加減だったからである。


 代官は男爵が務める事が殆どだ。子爵以上は自分の領地を治めるのだから、当然よね。子爵が務まる魔力持ちなら帝国としては子爵になってもらった方が良い。代官には魔力が無い者がなる。


 そして代官は騎士だった者で出世し切らなかった者、魔力が低くて子爵は無理だったような者を男爵に叙した上で、引退後の職として与えられる事が多いらしい。


 なので、言ってしまえば代官は政治の素人なのだ。それはそうよね。引退までは一生懸命に戦いの訓練に励んでいた者ばかりなのだから。


 引退後の余生を田舎で送ろうとか、代官と言いながら自分も農業に勤しもうとか。それくらいの気分で赴任している者が多いのだ。もっと酷い者になると、田舎に行きたくないから現地の者に代官業務を押し付けて、自分は給料をもらって帝都でのんびり暮らしていたりする。


 一応は代官業務のマニュアルがあって、最低限の講習を受けてから現地に赴くんだけど、その程度で政治が出来るなら苦労はしないのよ。


 その結果どうなるかというと、例えば租税の徴収なんかはその地域に割り当てられた最低量を徴収して帝都に送るだけ。後は知らんぷり。いや、送ってくればまだ良い方で「今年は不作だった」と宣って予定量の租税を送ってこない代官も珍しくない。


 月に一度の現地状況の報告など酷いもので「何もなし」と送って来てくれればまだマシで、催促しても送って来ない者なんていくらでもいたわよね。どう考えても嘘の災害報告で補助金をせしめようとする者もいた。


 こんな有様でよくもまあこれまでやって来れたものだ。皇族と帝国政府の予算はこの皇帝直轄地からの税収で賄われている筈なんだけど大丈夫だったのかしら? と思ってしまうのだけど、皇帝直轄地は広いし魔力が十分奉納されているから肥沃だ。適当な経営でも唸るほど儲かっているから問題ないのである。


 それにしたってあまりにもあまりの話に、私は呆れ次に激怒した。何よこれ! どうしてこんないい加減な事がこれまで罷り通って来たのよ! あんた達本当に代官なの? 代官といったら父ちゃんくらいが普通なんじゃないの? あんた達、父ちゃんの爪の垢でも煎じて飲ませてもらいなさい!


 私は怒り狂って改善を決意し、皇帝直轄地の状況の精査から始めた。見てなさいよ! 私が来たからには、こんないい加減な事はもう許さないんだからね!


 ……と張り切って職務に取り掛かった私は。


 たちどころに理解した。どうしてこんないい怪訝で適当な経営が罷り通って来たのかを。歴代の皇帝陛下、皇妃様がこのような事を見逃して、恐らくは見て見ぬふりをして来たのかを。


 直轄地の精査をすべく、いろんな資料を取り寄せただけで、皇妃執務室はパンクした。いや、本当に。部屋の中に入れなくなったのよ。部屋の中にギュウギュウに書類が押し込められてしまって。


 これでもまだ直轄地の全体からすると五分の一くらいの台帳なのだ。私は愕然とした。とりあえず書類を置くのに本館の大広間が一つ必要だった。しかも集めたからには調べなければならない。私はベック達、皇妃室直属の官僚達と共にこれに立ち向かい。……断念した。無理。これ。


 つまり、皇帝直轄地は広過ぎ、人が多過ぎ、隅々まできちんと管理しようとするとあまりにも大変過ぎるのである。


 なので、歴代の皇帝陛下は代官に丸投げして最低限の租税が確保出来れば(それでも十分だったので)それで良しとしてきたのである。代官、その下の町長、村長に任せておいて、問題が起こった時だけ対処する。税は直轄地全体として予定額に足りていれば良い。収められないのなら無理をする必要はない。便りがないのは無事の印。


 それくらい大らかな気分でないと、それ以外にもいくらでも仕事がある皇妃に直轄地経営など無理なのだ。私はほんの数ヶ月でそれを悟らざるを得なかったのだった。


 く、悔しい。


 無茶苦茶に悔しかった。私はこう見えても任された仕事は完璧にやりたい主義なのだ。それなのにセルミアーネが任せてくれた、しかも自ら「まかせといて!」と大見えを切って引き受けた大事な直轄地経営を、満足にこなす事が出来ないなんて!


 大いに凹む私をセルミアーネはいつも通り優しく慰めてくれた。


「別にいきなり上皇様時代を超える事はない。私たちはまだ皇帝、皇妃としては新米じゃないか。段々慣れ、そして段々良くしていけば良い」


 ウチの旦那はいつも優しいけど、甘えてばかりはいられない。全部が全部は無理でも、なんとか少しぐらいは改善したいじゃない?


 私は精査は諦めて、もっとざっくり、大まかに、直轄地の傾向のようなものを調べる事にした。産物とか気候とか大体の人口とかね。ついでに直轄地で獲れる獣も調べたけど、これは趣味だけではなく、獣が分かればその地域の土地柄が分かるからだ。


 そういう大まかな情報と、租税や代官からの報告を照らし合わせる。すると、代官たちの傾向が明らかになってくるのだ。


 大雑把に言えば豊かな地域の代官はいい加減で、貧しい地域の代官はちゃんとしているという傾向が見えてきた。租税をきっちり計算して、定期的な報告書を真面目に提出してくる代官は、直轄地中南部に多かった。


 直轄地中南部は大昔に大神獣である城亀という途方も無い大きさの亀みたいな奴が暴れた跡があり、そこは歴代の皇族が必死に癒してもまだ砂漠化から回復しきっていないのだ。そういう地域の代官は、もしも凶作になった時に帝都に救援を求める事を考えるから、普段から任地の管理をしっかりして報告もこまめにしているのだろう。


 それに対して豊かな地域は、なるべくなら皇帝に忘れてもらいたいとさえ思っているのだろう。皇帝が気にしない方が代官は好き勝手出来るからね。租税さえちゃんと払っていれば良いでしょう? てなものなのだ。


 となると、引き締めるべきは豊かな地域だという事になる。調べた結果、特に直轄地の西南部。温暖湿潤で農業生産力の高い地域に酷い代官が多い事が分かって来た。


 私はこの地域の改革に着手する事にした。


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PASH UP! にて毎月第一第三金曜日にコミカライズが更新されます! https://pash-up.jp/content/00002548 それに合わせて更新していきますのでよろしくお願いしますね!

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