閑話 ある日の夜会にて  ベリューティス視点

 私はブレイバル伯爵夫人ベリューティスと申します。年齢は三十五歳。夫との間に既に三人の子供がおります。


 夫は皇帝陛下にお仕えして大臣の地位を与えられております。通商や道路に関わる事を担当する大臣です。帝国はそれほど商業を重視しておりませんので、さして地位の高い大臣ではありませんが、大臣はせいぜい十人ほどしかおりませんから、その地位を得ているというのは皇帝陛下から格別の信頼を得ているという事です。ですから、我がブレイバル伯爵家は伯爵としてはかなり高い格を有していると見做されています。侯爵に匹敵すると言っても過言では無いでしょう。


 もっとも、我が家の格は皇帝陛下のご寵愛に拠っていますので、皇帝陛下のご不興を買えば直ぐさま暴落してしまう不安定さを有しています。後、皇帝陛下が代替わりなさった場合には大臣の地位を保てず、これも格を大幅に落とす危険をはらんでいました。血統的にけして一定よりも格が落ちる事が無い侯爵家とはここが違うのです。


 まぁ、私も夫も、格が落ちるなら落ちるで仕方が無いと思ってはいましたよ。ブレイバル伯爵家は元々は中堅くらいの伯爵家でした。それほど領地も大きくなく、義父の代には結構困窮していた時代もあったようです。それが夫がとある戦争の時にまだ皇太子殿下だった陛下に従って従軍して、その時に補給に関わる事に携わったのがきっかけで陛下の目に止まり、陛下が即位すると同時に大臣に抜擢されたのです。貴族嫡男は普通従軍などしませんから、夫も若い頃は血の気が多かったのでしょう。


 夫は抜擢して下さった皇帝陛下に感激し、それはもう絶対の忠誠心を持って粉骨砕身で働いていますよ。お陰で皇帝陛下の信頼は厚く、領地も段階的に加増されました。裕福になったのは良いのですが、領地経営よりも国政の方が大事な夫は領地経営には見向きもしませんでしたから、代わりに私が広大な伯爵領を経営しなければならなくてそれは大変でした。今では長男がかなり助けてくれていますから楽になってはきましたが。


 そんなわけで高位貴族として遇されている我が家でしたから、私にも夫にも社交の招待状は毎日毎日沢山届きました。社交は主に女性の仕事ですけど、男性にも男性だけの社交はありますし、夫婦揃って出る社交も有るわけです。特に夜会は夫婦揃って出るのが原則です。


 夜会と言ってもいろんな種類があります。中には夜会と言いながら昼から夜まで続く社交もあります。夜に掛かる部分があれば夜会として扱われる、と考えれば良いでしょう。


 夜会と言えば舞踏会を思い浮かべる方は多いと思います。実際、夜会の八割は舞踏会です。これは軽食やお酒を楽しみながら、男女でダンスを踊りながら交流するものです。ただ、舞踏会でもダンスを熱心に踊るのは若い方がほとんどで、ある程度の年齢を超えた方はあまり熱心にダンスはしません。私ももう、夫と踊るだけですね。希に親しい家の当主の方と挨拶代わりに踊る事もありますけど。


 これはダンスは基本的には男女の出会いと相性を計るために行われるものだからですね。ですから若い未婚の男女が踊るのが主なのです。そういう若い男女の方々のダンスを見て楽しむのが私達のような年齢の者の役回りです。私もそろそろ適齢期の長男を連れてくるために舞踏会に参加を致します。舞踏会にはお見合いの意味合いが強いわけです。


 ただ、貴族の結婚は政治ですから、お見合いをさせながら家同士の駆け引きが行われますし、そういう様子を見ながらどの家とどの家が繋がるのかで今後の貴族界の情勢を想像して、こちらの対応を考えたりも致します。そういう噂話で仲の良い夫人と盛り上がるのも楽しいものです。


 ダンスは若い方の出会いのためと言いましたけど、年嵩の方でも積極的にダンスを楽しむ方もいますよ。そういう方はダンスを「運動」と捉えています。貴族、特に女性貴族はいつもゆったりした動きを強いられ、碌に運動の機会がございません。なので舞踏会でのダンスは良い運動の機会なのです。


 そういう方は大きな動きのダンスを好みますから見れば分かります。回ったり跳ねたり、早くて難しいステップを踏むのです。一方、男女の語らいを主とするダンスは身を寄せ合ってゆったりとお互いの呼吸を確認しながら踊ります。既婚者が若い方と身を寄せ合ってダンスをしていたら、まぁ、浮気相手を探していると見做されるでしょうね。


 舞踏会は華やかですし、踊っている方々を見ながら噂話に花を咲かせやすいですし。それにダンスは貴族の基礎教養で誰でも出来ますからあまり嫌いな方はいません。ですから無難な社交として好まれているのです。


 これが観劇会とか、音楽会とか、あるいは絵画鑑賞会などの芸術を楽しむ系の夜会ですと、これは好き嫌いがありますし、センスも問われる難しい社交になります。晩餐会も良く開催されますが、食べ物も好き嫌いがありますからね。特に晩餐会では大体、珍しい食材や料理が目玉として振る舞われるのですけど、これが大体ゲテモノで困ってしまうのです。


 ですから私なども自分で夜会を企画する場合、余程のネタ、非常に有名な画家の絵を手に入れたとか、珍しい宝石を得たとか、滅多に手に入らない香水を手に入れたとか、そういう機会でも無いかぎり舞踏会を企画することになります。舞踏会は規模を調整し易いのも利点で、大規模な夜会の場合、お客様全員に楽しんで頂く事を考えると、やはり舞踏会が無難になります。


 ただ、舞踏会もただ普通に開催したのではいけません。趣向を凝らす必要があります。単に何も考えずに飾りつけて適当なお料理を並べただけですと「あの方はセンスがない」という評価になってしまい、瞬く間に噂になり、私も我が家も貴族界での評価を下げてしまう事になるのです。


 舞踏会を開催する場合、まずテーマを決めます。例えば春の一日に開催する場合、一番多いのが有名詩人の春の詩を選び、それに沿った飾り付けや曲を用意するのです。これをあえて真夏の詩を選んで「夏が待ちきれない」という趣向にする場合もありますけど、それはかなり上級者向けの冒険的な趣向になるでしょうね。


 季節に関係無い古典や、あるいは歴史的な事件、もしくは誕生日が近いお友達がいればその方の雰囲気をイメージした趣向を表現する場合もあります。あるいはお招きした高位の方のご先祖の功績を讃えるような趣向も考えられますね。いかにもおべんちゃらな趣向ですから、高位の方の性格によっては逆効果になりそうですけど。


 凝った趣向の場合は事前に出席者の方に「こんな雰囲気の衣装でお越し下さいませ」と招待状に書く場合もあります。「真っ白な衣装で」と指定された夜会では、雪の詩を表現し広間に真っ白な綿を敷き詰めてありましたね。


 そんな風にして様々な趣向を凝らすのが社交の(夜会だけではなくお茶会などでも)常識です。ですから開催するのは大変なのです。いえ、出席者も社交に出て主催の方の趣向にいち早く気が付かなければなりませんから気を抜いてはいられません。貴族婦人が暇さえあれば古典や詩の勉強をするのは主にこのためです。


 舞踏会を開催する場合、場所は二つ考えられます。自邸で開催する場合と、帝宮で開催する場合です。


 自邸で開催する場合は、これは非常に大変です。一から十まで我が家が準備しなければなりませんし、場合によっては飾り付けやテーブルクロスなどを全部新調する必要さえ出てきます。自邸開催の夜会は我が家の威信を掛けて開催するという意味合いがありますから、それこそ何ヶ月も前から周到に準備をして開催するのです。


 これが帝宮での開催ですと、事前に趣向を伝え、帝宮の侍女たちにお願いしておけば、飾り付けもその他食器なども帝宮の物がお借り出来ますし準備もあらかたやってくれます。帝宮の侍女は人数もいますし優秀ですからほとんど任せられてしまうのです。


 このため、夫や私や子供たちの誕生日ですとか、そういう記念日でも無い限りは、我が家の夜会はほとんど帝宮で開催いたします。帝宮本館をお借りするには使用料が掛かりますけど、それでも自邸で開催するより安上がりなのですよ。


 ですから帝宮では毎晩必ず夜会が行われております。しかも大体複数のお家が開催した夜会が違うホールで行われているのです。ですから私たちは毎日のように帝宮に上がる事になるわけです。


 帝宮のホールやサロンをお借りすることは、貴族であれば誰でも出来ます。騎士にも男爵にも可能です。ですけど、先ほども言いました通り、帝宮のホールには使用料金が発生します。これが下位貴族ではそう払えない事から、下位貴族が使用する事は少ないようです。


 帝宮は本館区画、離宮区画に分かれております。本館が公的な宮殿で、離宮区画が皇族方の私的な宮殿という事になります。貴族がお借りして夜会を開催するのは概ね本館区画になります。本館には数え切れないくらいのホールやサロンがあり、それを夜会の規模や趣向によって選んで貸し出して頂くのです。


 一方、離宮区画には皇族の方の許可が無い限り入る事が出来ません。私的な区画ですからね。ですからこの離宮区画で社交が開催される場合、ほとんどの場合は皇族の方の主催です。ですが、ごく稀に皇族の方をお招きする社交を開催する場合に、離宮区画の使用許可が下りる場合があります。そんな事は滅多にありませんから、大変な名誉ですし、許可されたお家は皇族方のご信頼を頂けているという証にもなります。


 更に、皇族の方がお住まいの離宮。皇帝陛下がお住まいの離宮を特に内宮と称します。こちらで開催される夜会は必ずお住まいになっている皇族の方の主催です。それは言わばご自分の家なのですから当たり前ですね。


 この皇族の方がお住まいになる離宮で開催される社交に出席することは物凄く名誉な事とされています。そもそも、毎日毎日お忙しい皇族の方が、ご自分の主催で社交を開催される事は滅多にありません。お茶会ですら月に一度くらいの頻度です。夜会に至っては年に一度か二度でしょう。これに招待されるという事は、皇族の方に格別に配慮されている事を意味します。それはもう、お呼び頂けただけで家の格が上がるほどの出来事です。


 私の夫は大臣ですし、皇帝陛下のご信任を得ています。ですから、皇帝陛下ご主催の内宮での夜会に招かれる事があるのですが、それはもう毎回大事件と言っても過言ではなく、何ヶ月も前から衣装や装飾品の準備を始め、様々な事の検討を重ねてから出席させて頂いております。他の家の方には羨まれる事ではありますが、本当に大変なのです。


 こんな風に一口に夜会と言っても色々あるわけですね。


  ◇◇◇


 口はばったい言い方ですけど、我が家は現在ではかなり高い家格のお家ですから、それこそ出られない社交はほとんどありません。内宮での夜会ですらほとんどの場合招待されます。筆頭大臣のマルロールド公爵主催の夜会も必ず招待状が来ます。エベルツハイ公爵家とはやや関係が遠いですが、それでも本館開催の夜会では必ず招待されます。ですからそれ以下の侯爵伯爵家主催の夜会に招待されないなんてあり得ません。


 なので私と夫は、出席する社交を選べる立場なのです。毎日毎日ごっそりと届く各種社交の招待状を並べて、この日はその社交に出るか検討するのです。


 お茶会などは招待状が数日前に届くような事がありますが(花壇に季節のお花が咲いたので見に来ませんか? というような親しい方からの軽いお誘いは日にちが近い場合があります。これに応じると親しさをアピールできますので、無理をして応じる場合もありますね)夜会の場合は最低一ヶ月前に招待状が届きます。内宮での夜会の場合は半年前です。園遊会などは年に二回開催が決まっていますから、招待状が来る前から準備を進めていますよ。


 出席する社交を決めたら、招待に応じる旨を返信します。この時、相手のお家が我が家よりも随分と格下だった場合は返信をせず使者の口頭で済ませたり「行けたら行きます」というような曖昧な返信を返す場合があります。


 正式に出席の返信を送ってしまうと、予定が変わって出られないとか、体調を崩して行かれなくなったとかいう時に困るからです。出席の返信をしてしまった場合は、何としても出なければ失礼になってしまいますからね。ちなみにどうしても不可能な場合は家中の者や親族を代理にします。それでも後で謝罪が必要な事態です。


 社交の予定が決まったら、それに向けて準備を整えて行きます。重大な社交の場合にはドレスを特に特注したり新たな装飾品を購入したりします。これは「主催の貴方のために特別に用意したのですよ」とアピールするためです。え? そんなの相手に分かるのかですって? 分かるに決まっているじゃありませんか。貴族は目ざといのです。


 もっと大事な準備は、その社交の目的と趣向を知る事です。社交には様々な目的があります。単なる交流会である場合もありますけれど、多いのは根回しですね。私の夫は通商に関わる事の大臣ですから、通商に関わる政策の根回し、大商人からの要望についての根回しのために私と夫を招く場合が多いです。それを出席メンバーから類推して、あらかじめどのようなお話をされるか検討しておくのです。


 夜会は特に政治向きの目的を持っている事が多いです。出席者も多いですし、夫婦揃っていますからどちらかが聞いておいて後で屋敷に帰ってから情報の共有が出来ます。なるべく夫婦で多くの方とお話しして、政治のための根回しをするのです。これを楽しいおしゃべりや噂話、ゴシップ話、おべんちゃらの間に混ぜ込んで婉曲にあからさまにならないような表現を意識して会話するのですから大変です。


 出席者の把握も当然重要です。身分と格をきちんと把握しておかないと、社交の場で失礼をしでかしてしまうかも知れません。社交の失点は格の上下に直結します。まして上位の方のご機嫌を損ねるような事があると後々まで響いてしまいます。


 この場合下位の方に失礼をしでかした場合、そのご本家や繋がりのある上位のお家との関係にも影響しますから、自分の下位の者であるから失礼をしても良いという事にはなりません。ですから、社交の前には出席者の関係図を頭の中に叩き込んでから出なければなりません。


 夜会の場合、手土産を持って行く事はほとんどありません。よほど近しい関係の方には季節の贈り物がてら持って行くこともありますが。これは夜会は出席者が多いので、手土産の管理が大変だからです。主催者の負担を減らすために持って行かないのです。


 夜会に出席する場合は夫婦同伴が原則です。無理な場合でも、既婚者が女性一人男性一人で入場する事は避けるべき事とされます。私の場合、夫が出られない場合は親族の男性、父ですとか叔父ですとかにエスコートしてもらいます。最近は息子にしてもらう事が多いです。


 未婚の場合は私の息子のように母親や父親と入場します。親夫婦が揃っている場合は後ろに付いて入るのです。まだ婚約者もいない息子の場合、親がいないと夜会には出られません。これには親の知らないところで勝手に恋人を作られないようにする意味合いもあります。


  ◇◇◇


 さて、その日の夜会は帝宮本館でブラーバン伯爵家主催で行われる舞踏会でした。ブラーバン伯爵は大領を統治する実力者で、我が家とはほぼ同格。そして、我が家とはあまり近くない、少し確執のあるお家でした。


 というのは、領地内に西と帝都を繋ぐ重要な街道が通っているブラーバン伯爵が、領地通過に掛かる関税を異常に高く設定しているのを、通商担当大臣である夫が再三下げるように要求しているからです。ブラーバン伯爵はその事で夫を嫌っているとの事でした。


 あんまり仲は良くありませんけど、お互い同格に近いお家でもありますし、通商に関しては夫もブラーバン伯爵も協力し合わなければならない面も多々あります。ですからお互いに社交で招き合い、関係が致命的に悪化しないようにしているのです。


 帝宮の本館の大車寄せで馬車を降りると、私と夫は腕を組み、その後ろに息子が従う状態で会場のホールに向かいます。案内の帝宮侍従がいますけど、別に案内が無くともホールの場所は知っていますよ。


 ホールの入り口で出迎えてくれるブラーバン伯爵ご夫妻とご挨拶いたします。


「お招きいただきありがとうございます。ブラーバン伯爵。御身に全能神の祝福がありますように」


「ようこそいらっしゃいました ブレイバル伯爵。貴方たちにも全能神の祝福がございますように」


 仲が微妙だなんて事はお互いおくびにも出しませんよ。二言三言会話をして、私たちは会場内に入ります。今日の会場は中規模のホールでスッキリした装飾です。全体に赤と黒と黄色をごちゃ混ぜにしたような色合いの布で装飾されていて、飾られている花は野草ばかり。嗅ぎ慣れない香も焚かれています。少し珍しい趣向ですね。私は記憶を探ります。


 ははーん。これはあれですね。サルガイという詩人が詠んだ夕暮れに不思議な幻想を見たという詩を現していると思われます。「西の空に彩雲が浮かび、草原が七色に染まる。次の瞬間赤黒黄の風が渦を巻き、私の心は天高く舞い上がる……」という部分でしょう。なかなか挑戦的な趣向です。


 そしておそらく、今回の趣向の大事な部分はこの飾られた野草でしょう。今回の主賓のお方は、華やかなお花よりも野草の方を好むというお話を聞いた事があります。それに原色のドレスがお好きですから、少し派手なこの装飾にも馴染むと思われます。


 既に五十人ほどの出席者が入っている会場が騒めきました。おそらく主賓のお方が到着したのでしょう。侍従が大きな声で紹介の呼び出しをします。


「皇太子殿下! 皇太子妃殿下! ご入来!」


 会場がワッと拍手に包まれます。その中を男女がゆっくりと入場してきます。


 背が高いお二人です。特に皇太子殿下は大柄ですね。「皇帝の青」という煌めくような青い色のコートをお召しです。華麗な金色の刺繍が首元や裾に複雑な紋様を描いています。秀麗なお顔立ちで、艶のある紅茶色の髪をしています。


 皇太子妃殿下は綺麗な銀髪が特に目を惹きます。生き生きとして大きな金色の瞳をお持ちで、大変にお美しい方です。今日は赤と黒のドレスをお召しです。主催のフラーバン伯爵夫人はしてやったりでしょう。赤黒黄の装飾に妃殿下のドレスは馴染みます。まるで趣向の一部のようです。


 いえ、これは恐らく。事前に妃殿下にこのようなドレスをお召しになって欲しいと、ご本人か妃殿下の侍女に要請していたのでしょう。そうでなければこうもピッタリな色合いのドレスにはならなかったでしょうから。


 これはブラーバン伯爵家としては「我が家は妃殿下に趣向に合わせたドレスを着て頂ける関係だ」というアピールになります。妃殿下との親密な関係を誇っている訳ですね。この時点でブラーバン伯爵家としてはかなりの得点を上げている訳です。


 皇太子殿下と妃殿下がお入りになり、貴族諸卿の挨拶を受けられます。こういう時は身分順で、今回は侯爵家が二家参加しておりましたから、私たちはその後になります。伯爵の序列的には我が家は最高位ですからね。


 ちなみに、主催のブラーバン伯爵家は皇太子ご夫妻が入場される前にご挨拶を済ませておりますからこの順番には入りません。


 私と夫は両殿下の前に進み出て礼を致します。本来は跪くべきですが、社交の場ではほとんどの場合略式の礼をします。男性は右手を胸に当てて、女性はお腹で両手を組み、ゆっくりと頭を下げます。腰から直角に。


「皇太子殿下。皇太子妃殿下。ご機嫌麗しゅう。ザラムエル・ブレイバルとその妻べリューティスでございます」


 これが正式な面談ではもっと長々としたご挨拶を致しますが、社交の場合はこの様に簡単なご挨拶で済ませます。後ろがつかえていますからね。皇太子殿下も妃殿下も軽く頷くだけです。


「ああ、息災か? 伯爵」


「皇太子殿下のおかげをもちまして」


 夫と皇太子殿下が言葉を交わす横で、私は妃殿下と言葉を交わします。


「ブレイバル伯爵夫人、ご令嬢は元気?」


「妃殿下のおかげをもちまして。すっかり良くなりまして、元気に走りまわっておりますよ」


 先だってのお茶会で妃殿下にお会いした時、七歳の私の娘が風邪を引いておりました。その事をお話ししたのを覚えていてくださったのでしょう。妃殿下は麗しく微笑まれて仰いました。


「そう。良かったわ」


「ありがとうございます」


 ご挨拶が終わり、私たちは両殿下のご前を次の者に譲ります。ご挨拶が終わると夜会はようやく本格的に始まります。私と夫は曲が始まると、真っ先に踊り出して三曲踊り終えました。舞踏会でダンスをしないわけには参りませんのでサッサと済ましてしまったのです。


 そして私と夫は離れてそれぞれの社交を始めます。ちなみに息子は既に離れて若い独身の子女を交流を始めています。あんまりとんでもない女性に引っ掛からなければ、私も夫も息子の意思を優先する方針です。良い女性と縁が結べると良いのですが。


 私が友人の夫人とお話をしていると、会場に華やかな空気が漂いました。


 見ると、皇太子殿下と妃殿下がダンスを踊り始めるところでした。身体を密着させ、優雅に踊り出します。なにしろお二人は物凄い美男美女ですから、それが仲睦まじい様子で踊っていると周囲が明るくなったような気すらするのです。


「何でも皇太子殿下は妃殿下を溺愛するあまり、絶対に愛妾を娶らないと断言なさったとか」


「まぁ、でもお二人はもう結婚して二年になるというのにお子がいらっしゃらないのでしょう? お子がこのまま出来なければそうも言ってはいられませんでしょうに」


 などという声がヒソヒソと聞こえます。どの家も皇太子殿下、妃殿下と縁を結びたいのです。その手っ取り早い方法は両殿下に愛妾や愛人を送り込む事でした。ですが皇太子殿下は愛妾をゴリ押ししようとした侯爵を社交の場で叱り付けた事があり、妃殿下は若い独身の者とは慎重に距離を取っておられるとか。


 ダンスを見ていればお二人がお互いを愛し合っているのは明らかでしたから、私も夫も一族の者を愛妾愛人候補として紹介することを早々に諦めていました。それに妃殿下はカリエンテ侯爵家出身なのですが、ご兄姉が非常に多く、しかも長姉はエベルツハイ公爵夫人です。両殿下の周りはカリエンテ侯爵一族がガッチリ周囲を固めているのですから、他所から愛妾愛人を送り込むのは難しいでしょう。


 皇太子殿下と踊り終えた後も、妃殿下は相手を替えて踊り続けてます。妃殿下はダンスがお好きです。活発な方なのでしょう。大きな動きや早い動きをお好みになるところを見ると、運動が好きなのだと思われます。


 妃殿下は独身の男性とは踊りませんので、必然的に貴族当主の方と踊る事になります。ですから夫も早々に妃殿下のお手を頂いていましたね。


 今回の夜会では十五家くらいが参加しておりますけど、もうお年で妃殿下の好むようなダンスがご一緒出来ない方もいます。そうなると人数が限られますから、夫も踊らざるを得なくなるのです。妃殿下と踊るのは名誉な事ですが、何か失態をすると大問題になってしまいます。ですから、ダンスがあまり得意ではない夫は妃殿下と踊りたくはないそうです。


 ダンスを終えると、妃殿下は私たちの方にやってきました。妃殿下はまだお若いですが、独身の男性と不用意に接しないようにしていますから若い方の集まりには参加し難いのです。それに、妃殿下に政治案件の根回しをしたがっているのは夫人ですから、妃殿下はそれを知っていて、夫人の集団の方にいらしたのでしょう。


 妃殿下は微笑みながらチラッと飲み物の置いてあるテーブルを見ました。それを見て目ざとい夫人がサッとテーブルからグラスを取って妃殿下に差し出します。


「ありがとうございます」


 と、妃殿下はグラスの一つを受け取って優雅に、しかし一息に中身を干してしまいました。多分あれはシャンパンだったと思うのですが、水みたいに飲んでしまいましたね。


 妃殿下をお迎えして談笑が始まります。こういう場合は全員が立ったままです。これは立ち話ということで重要な話はしません、という意味があります。妃殿下にキチンとしたご相談を持ちかける時にはお席や、もしくは別室をご用意するのです。妃殿下を身構えさせず、気楽にお話を聞いてもらおうという時はあえて立ち話を致します。


 主催のブラーバン伯爵が妃殿下に微笑みかけます。


「この度の趣向はお気に召しまして? 妃殿下?」


 妃殿下も微笑まれます。


「ええ。面白いですね。サルガイの詩を元にしたクワイスの絵画を先日見ましたけど、確かにあの絵には野草が描かれていました。あの雰囲気がよく出ていると思いますわ」


 周囲から感心の声が沸きます。流石は妃殿下。詩だけではなくそれを元に描かれた絵画もご存じとは。


「秋の不安を表現した詩ですもの。季節もぴったりですしね」


 妃殿下にベタ褒めされて、ブラーバン伯爵夫人が頬を紅潮させて一礼します。むむむ、これはいけません。ブラーバン伯爵家とライバル関係の我が家としては妃殿下とブラーバン伯爵家が近くなる事は歓迎出来ません。次に我が家が主催する夜会では、今回以上に妃殿下に気に入って頂ける趣向を考えるのが必須条件になってしまいました。


「そうそう。最近東の柊の若木は雪の花にご執心なんですってね」


「あら、雪の花は七番目の大門を潜りたいというご意向ではありませんでしたか?」


「でも柊も雪の花には相応しいと思いますわ。大門は少し高望みでしたから丁度良い落とし所かと」


 ご夫人方は若い貴族達の恋愛模様で盛り上がっています。解説しますと柊は柊の木を家紋に使っているサスダー伯爵。雪の花は帝国北部の雪の多い地方に所領を持つハサレン伯爵家の美貌のご令嬢。七番目の大門は序列七番目の侯爵家であるセレストルイ侯爵家。


 つまりサスダー伯爵のご嫡男がハサレン伯爵令嬢にアピールをしているのだけど、伯爵令嬢の方はセレストルイ次期侯爵に嫁入りしたいとの意向を前々から示していた。しかしサスダー伯爵も格の高い伯爵家だから、ハサレン家としても悪い話では無いですよね、という会話なのです。


 そして裏の意としてセレストルイ侯爵家はどうやらハサレン伯爵家から嫁を娶る気は無さそうだ、という事が分かります。これは話をしている夫人がセレストルイ侯爵の係累だからです。こっそり意向をリークしているわけですね。となると、今後の貴族界の派閥の傾向がこうなりそう……。と聞き流しながら私は無意識に考えております。立ち話でもこのような情報が流れていますから気が抜けません。


 その時、妃殿下がブラーバン伯爵夫人に話し掛けました。


「そう言えばアシュワーズの門はどうなっていますか?」


 私も思わず耳が動きます。我が家、というか夫の職務とも関係がある件だったからです。ブラーバン伯爵夫人がほんの少し顔をこわばらせます。


「……あの門が重いのは仕方が無い事でございます。我が表門でございますゆえ」


 しかし妃殿下はじっとブラーバン伯爵夫人を金色の瞳で見つめます。


「赤い鳥が門の前で鳴きましたのに、その様に仰るのですか?」


「しかし妃殿下。それでは私の宝石箱が軽くなってしまいます」


「門が開かれ流れが良くなれば、自然とまた重くなるだろう殿下は仰せです。私も同意見でしてよ?」


 妃殿下は微笑んではいますが少し怖い瞳でブラーバン伯爵夫人を睨みます。夫人は少しのけぞり、やがて目を伏せてボソボソと言いました。


「藤の離宮の意向は夫にも伝えます」


「ええ。お願いしますね。大丈夫です。けして悪いようには致しません」


 そして妃殿下は何事もなかったように他の夫人と話し始めます。ブラーバン伯爵夫人はわずかに肩を落としてしまいました。私は心の中で頷きます。


 今の会話は、ブラーバン伯爵領の領地関税が高過ぎるのでなんとかしなさい、と妃殿下が命じたのです。ブラーバン伯爵家は夫が再三要求したにも関わらず高い領地関税をほとんど下げようとしませんでした。おかげで伯爵領を通過する西への街道の流通が滞っていたのです。


 皇太子殿下は流通経済に明るいそうで、この件についてブラーバン伯爵に直接要請を出したそうです。殿下からの命令では従わざるを得ません。困った伯爵は今回の夜会で皇太子殿下の懐柔を図ったものと思われます。妃殿下のお好みに徹底して合わせた趣向もそのためでしょう。


 しかしながら妃殿下はブラーバン伯爵夫人の趣向を絶賛しながらも、この件に関しては譲るつもりが無い事をはっきりと示されました。しかしながら皇太子殿下が意見を公にされるのではなく、妃殿下が社交の場でやんわりと伝える事でブラーバン伯爵家への配慮を見せたのです。これでブラーバン伯爵家がなおも従わなかった場合、皇太子殿下はブラーバン伯爵を公で処罰する事になるでしょう。


 ちなみに、先ほどの会話で出たアシュワーズはブラーバン伯爵領の領都の名前。赤い鳥は皇太子殿下。宝石箱はブラーバン伯爵家の財政の意味です。


 私は今のやり取りを見てホッと致しました。というのは、今回の夜会の招待客を事前に確認して、ブラーバン伯爵がおそらくは皇太子殿下の懐柔のためにこの夜会を開催したのだろうと私と夫は予測していたのです。ですから、牽制のためにこの夜会に乗り込んで来たわけですね。皇太子殿下の改革へのご意志が固いことが分かって安心いたしましたよ。


 皇太子殿下は流通改革について意欲をお持ちです。この考え方は夫の考え方と合致する部分が多いです。この点をしっかり主張して皇太子殿下と協力して行けば、皇太子殿下が近いうちに皇帝位をお継ぎになった後にも引き続き夫が大臣の座を保てるかもしれません。


 その時、皇太子妃殿下が私の事をスッと見詰めました。金色の瞳が私の目をまともに射貫きます。私は思わず息が詰まる心地が致しました。妃殿下の麗しい唇が開きます。


「そういえば、ご嫡男はアシュワーズの花に興味がお有りのようですね」


 私はちょっとギクッと致しました。私は内心を押し隠しながらとぼけます。


「どうでございましょうね。若い内は移り気なものですから」


「隠そうとするほど火は表に出た時燃え上がるものでは? お家の都合に巻き込まれては可哀想ではありませんか。両家の和解のためにも良いご縁だと思いますけど?」


 私はうむむむ、っとなってしまいます。妃殿下はどうも何もかもご存じのようです。


 実は私の息子はブラーバン伯爵家のご長女と最近親密なのです。その、先ほども仲が良さそうに密着してダンスを踊っておりました。今も隅の方に座って語らっております。一応は目立たないようにしているようですね。


 なんで目立たないようにしているかと言えば、親同士の仲が悪いことを知っているからです。確かに、もしも二人が恋仲になっても、我が家としてはブラーバン伯爵家との縁談は現状ではちょっと受け入れがたいところがあります。


 しかしながら皇太子殿下の命令でブラーバン伯爵家が領地関税を下げて、結果的に夫の意向が通るのであれば、その後には恨み辛みを残さぬよう、今後の街道統治が上手く行くように両家が縁戚を結ぶ事は悪くない手段です。息子と先方が既に恋愛関係であるので違和感なく実現する縁談でもありますし。通商担当大臣である夫との関係を強化することは、街道から上がる収益が領地財政を支えているブラーバン伯爵家にとっても悪い話ではないのです。


 ましてこの縁談は今この瞬間に妃殿下の後押しを受けました。妃殿下のご意向という言い訳があれば、これまでライバル関係だった両家が突然結び付く事に疑問を持つだろう周囲に説明し易くなります。同時に、妃殿下のご満足を頂けて、息子夫婦への庇護が期待出来る事でしょう。


 私はそこまで考えてニッコリと微笑みました。


「そうですわね。妃殿下の仰るとおり。息子の気持ちを第一に考えようと思います」


 舞踏会は、大体踊る者が居なくなったあたりから退場する者が出始めます。頃合いを見て、皇太子殿下ご夫妻が退場なさいました。主催のブラーバン伯爵ご夫妻に挨拶をなさって、お二人は仲睦まじく腕を組んで退場して行かれました。お二人のお姿が消えると会場に無意識の溜息が流れます。皇族の方、しかも次代の皇帝陛下である皇太子殿下がいらっしゃる社交は流石に社交慣れした高位貴族でも緊張するのです。


 夫が来て疲れたように首を回しながら言いました。


「やれやれ。殿下に釘を刺されたぞ」


「あらまぁ。何ですの?」


「ブラーバン伯爵と和解するようにと。西の街道の発展には私とブラーバン伯爵の協力が不可欠だと仰ってな。殿下はどうも西の街道を本気で改革するおつもりだな」


 あらまぁ。皇太子殿下のその意向が、妃殿下からのあのご提案に繋がっているのでしょうね。それなら確かに息子とかのご令嬢のご縁には重大な価値が出て来ていると言って良いでしょう。私は思わずニンマリと笑ってしまいます。殿下と妃殿下のご意向を叶え、両家が一致して皇太子殿下のご意向の実現に動けば、息子の代でも我が家の未来は明るくなる事でしょう。


 私は軽く夫に耳打ちをします。夫は苦笑しました。それはそうでしょうね。昨日までの政敵と縁戚になろうという提案なのですから。ですが夫にもすぐにその利点は理解出来たようでした。


「それならば、未来の我が家の嫁君に挨拶をしておかねばなるまいな」


「そうですね。なかなか良さそうなご令嬢ですわね」


 私と夫は連れだって、何も知らないで楽しそうに談笑している息子とブラーバン伯爵令嬢の方へと向かったのでした。


 

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