閑話 お披露目式騒動裏話 フーバル視点
私はフーバル・メルべアン。騎士だ。
騎士にも色々あるというのは既に承知だと思うが、私はいわゆる騎士の中でも平均か平均以下の騎士だと思う。
私の父も騎士だった。そもそもは子爵家生まれの三男だったそうだが、当然家督は継げず分家も無理であったため、騎士になって家を興して独立したのだ。
家を興すと言っても騎士は一代で終わりの地位である。子孫には引き継げないのだ。なので騎士になるのは貴族身分から平民身分に落ちないための一時的な方便と見做される。そこから出世して子爵になってちゃんとした貴族になる事を目指すのである。
だが、残念ながら話はそう簡単ではない。騎士は確かに手柄を立てる機会が多くて出世し易いのだが、それでも全ての騎士が平等に出世の機会に恵まれる訳では無いのだ。
つまり、要領の悪い我が父は出世の機会に恵まれず、出世出来なかったのである。未だに現役だが百人長止まり。子爵になるには概ね千人長にならねばならないから、多分もう無理だろう。
もっとも、これは父がとりわけ無能だという事を意味しない。野心を抱いて騎士になった者のほぼ半数が、騎士階級から脱することが出来ずに終わるものなのだ。
父は若くして、自分は出世出来そうも無いと諦めたそうだ。そして人の紹介で平民の商人の娘だった母と結婚した。貴族に留まるつもりなら何とか貴族の娘と結婚しただろうから、これは父が引退したら貴族も辞めて平民落ちするつもりだった事を意味する。
そうして平民落ちする騎士は多い。元騎士は力も強く武芸にも優れているので、貴族の門番や商人の用心棒、あるいは地方の貴族領で私兵を鍛えるために雇われたりする。職場には困らないのだ。
住んでいる場所は帝都の平民中流階級が住むアパートメントで、暮らしぶりも平民とほとんど変わらない。騎士や男爵は実家の助けがなければ、これが普通である。冠婚葬祭、出産や子育てなどで近隣住民との協力関係は必須なので、お貴族様だと威張る事も出来ない。
私はそんな父の家に生まれ、平民同然、というか平民として育った。騎士であり貴族なのは父だけ。私はこのまま育てば平民なのだから平民として育って当たり前なのだ。父が騎士なのは知っていたが、近所での扱いは単に力が強くて役立つ男、という感じだったので、特権意識など持ったこともない。
そうして私は十三歳まで育ったのだが、ここで人生の転機が訪れる。父が言ったのだ。
「お前は騎士になれる」
どういうことかというと、父は貴族の家系であり、魔力を持っているから騎士になれた。騎士になるには一定以上の魔力が必要であり、どうやら私にはその魔力が備わっているようなのだ。
正直、私は面食らった。私は母の実家の小さな商会で見習いとして働くつもりだったからだ。しかしながら商人見習いよりも騎士の方が当然だが高給だ。稼ぐ事が出来る。我が家は長男の私以下、男ばかり三人兄弟だった。家計は楽ではない。
私が騎士になればかなり家計が助かる筈だ。私が騎士になる決心をした最大の理由がそれだ。自分が貴族になる事は意識しなかった。私は十三歳、成人の際に騎士になり、騎士団長から貴族の証である銀の指輪を授かった。
騎士になって初めて知ったが、魔力がある者は力が平民よりも遙かに強くなる。父の怪力の理由がここで初めて分かった。魔力があればあるほど外見を裏切った怪力を発揮するようだ。そして魔力は肉体の鍛錬や戦いを熟している間に強くなる事もあるらしい。
私の魔力は騎士として最低レベルだった。そもそもそれほど魔力の高くない父と、魔力の無い平民の母の息子であるから仕方が無い。私は騎士見習いとなり先輩騎士に付いて懸命に訓練に取り組んだ。
セルミアーネと出会ったのはその頃だった。
第一印象はやる気の無い騎士だな。というものだった。薄茶色で艶のある髪で、青い瞳も印象的な美男子。そして大柄で力も強く(つまり魔力も多く)当時から素質は非凡な騎士だと思われてはいた。
しかしこれがあからさまにやる気が無い。真剣味が無い。最低限の訓練はちゃんとやるのだが、それ以外の訓練は出来るだけやるのを避けているのが見え見えだった。模擬剣での打ち合いの訓練などは明らかにわざと負けて試合を終わらせるなどして、教官の先輩騎士によく怒られていた。
私とセルミアーネは同い年。同期の騎士は二十五人いたのだが、我々は彼を「大きいだけのでくの坊」だと陰で馬鹿にしていたものだ。だけど当時、訓練場の庭に座って空を見上げていたセルミアーネの姿を覚えている。それを見て私は、何か悩みがありそうだな、とは思ってはいた。ただこの頃のセルミアーネは他人とあまり深く関わらないようにしていて、私は彼とあまり話したことも無かった。
見習い騎士の俸禄が加わって、我が家はそこそこ裕福になった。別に生活ぶりは変わらないが、生活に困っていない平民の方が珍しいのである。そういう意味で我が家はようやく貴族らしくなったと言える。
さて、私は厳しい見習い期間を終え、ようやく一人前の騎士として扱われる正騎士になった。十六歳の時だ。
正騎士になったばかりの私たちに初めて与えられた任務が、その年の成人のお披露目式に出るご令嬢方のエスコートだった。
貴族は、正式には皇帝陛下にお披露目を行い、陛下から貴族身分の証を頂くものなのだそうだ。ただ、慣例的に騎士身分で成人する場合は騎士団長が皇帝陛下の代理で指輪を授ける。
そのお披露目式に出る貴族令嬢のエスコート役を新人騎士が務めるのだ。これは遥か昔からの慣習で、始まった理由は誰も知らないそうだ。エスコートする貴族令嬢を決めるのが抽選であるのも伝統だ。私のくじ引きの結果はご令嬢二十五人中二十五番目。貴族令嬢は身分順に一番上から順番なので、私は一番身分が低いご令嬢のエスコートのを仰せつかった事になる。
私は内心ホッとした。私は何しろ生まれも騎士なので、騎士団内部でも身分が一番低い部類だ。一応、騎士団内部では身分差は無い事になっているし、何より功績で平等に評価される事にはなっているが、そうは言っても同期には子爵家、伯爵家生まれもいるのだ。どうしても気後れしてしまう。
もしも身分高いご令嬢の相手になってしまったら、ご令嬢が身分低い私のエスコートにご機嫌を損ねるかもしれないとも思ったのだ。
ご令嬢の序列第一位である侯爵令嬢のエスコート役を引き当てたのはセルミアーネで、彼はそれについて何の感想も無さそうだった。いつも通り穏やかな顔をしていた。彼の生まれは確か子爵家なのでそれほど高い身分ではない筈だが。
そしてお披露目式当日。私はハイアット男爵令嬢の前に跪いたのだった。
この時私は当然知らなかったのだが、男爵令嬢がこの式に出席するのは異例な事だったのだ。お披露目式に出る権利があるのは貴族階級の新成人であることだが、先にも言った通り騎士階級は慣例に従って出ない。そして男爵家の子女もやはり出席を辞退するのが慣例だったのだ。
騎士や男爵は貴族階級の最底辺であり、そんな下位の身分の者との同席を上位貴族が嫌がるかららしい。そのお披露目式に、男爵になりたてで貴族社会の慣習をよく知らなかったハイアット男爵家が、ご令嬢をうっかり出席させてしまったのだ。
ハイアット男爵家は元々大富豪の平民の商人で、貴族に伝手を作って運動をして男爵になったのだそうだ。なまじの貴族よりも余程裕福な平民だったらしく、ご令嬢の着飾っている服や装飾品は非常に豪華だった。
豪華過ぎたと言ってもいい。明らかに男爵令嬢が着るレベルのものでは無かった。一生に一度のお披露目だからそうとう気張ったのだろうが、貴族社会は「分」を重視する。男爵令嬢に許される装いというものがある。ハイアット男爵令嬢の装いはその分を超えてしまったのだ。
そのため、ハイアット男爵令嬢の手を引く私の耳にも彼女を小声で非難する声が聞こえていたし、冷たい視線が向けられるのも分かった。浮かれているご令嬢やハイアット男爵夫妻には分からないようであったが。
ふと見ると、妙に人目を引く銀色の髪の令嬢がいた。隣にセルミアーネが立っている。ということはあれが序列第一位の侯爵令嬢だろう。堂々としたその姿と、輝くような美男美女ぶりに見る者は思わず感嘆の溜息を漏らしていた。
もっとも。その侯爵令嬢はエントランスホールから控え室に向かう間、大きな声でセルミアーネと話をして、大きな声で笑って今度は周囲から顰蹙を買っていた。なんだあれは。作法がなっていないにも程がある。男爵令嬢でさえ眉を顰めているくらいで、もしも彼女がこの場で最高位の侯爵令嬢でなければ注意を受けていただろう。
ただ、式典が始まり、青い絨毯の上を入場するのだが、あまりの荘厳な雰囲気にエスコート役の私たちでさえ怖気付き、ハイアット男爵令嬢などは涙目で震えている中、その侯爵令嬢はどういうわけかウキウキとしたような表情で、堂々と歩いていた。そしてセルミアーネも悠然とした態度で彼女をエスコートしている。私はその様子を見て震えるような心地がした。この時はなぜそんな風になったのかは理由が分からなかったのだが。
式典が終わり(階の上に上り、皇帝陛下の目の前に立つなど初めての経験だったので、口上を忘れて固まるハイアット男爵令嬢のフォローをしている場合ではなかった)。緊張し過ぎたせいでフラフラになりながら祝宴の会場へと向かう。会場の巨大なホールには私はもちろんハイアット男爵令嬢とその両親も口を大きく開けて呆然としてしまった。何という豪華さ、華麗さ、明るさであることか。
しかし、他の新成人の令息令嬢もその家族も、特に戸惑った様子も無く入場して行く。それを見て、ハイアット男爵一家はようやく自分たちが場違いな場所に迷い込んでしまった事に気がついたようだった。
しかし入場しない訳にはいかない。貴族最下位の男爵であるハイアット男爵家にとって周囲の貴族は全員格上だ。片っ端から挨拶に向かわなければならない。
しかし、挨拶を受けた貴族たちの態度は冷淡だった。あからさまに侮蔑的に扱われ、伯爵の中でも格の高い者達には、挨拶をしようとしても無視さえされた。カリエンテ侯爵などは他の貴族に取り囲まれていて近付くことさえ出来ない。
私も男爵一家も戸惑ったが、後から考えれば当然の反応だったと分かる。慣例で下位貴族は辞退するべき式典に出て、しかも令嬢のドレスは伯爵令嬢よりも豪華。これでは上位貴族が気分を害するのは無理もないではないか。
そうとは知らないハイアット男爵一家は、上位貴族に直接顔繋がりを作る貴重な機会である事もあり、めげずに積極的に挨拶回りを続けた。ハイアット男爵は元々が商人である。母の父が商人である私は知っているが、商人は積極的で強引だ。しかし社交の場では分を弁えない行為は何より嫌われる。
ハイアット男爵一家はあっという間にその場で孤立してしまった。エスコート役の私は途方に暮れた。貴族の階級社会には私も詳しくない。どうすれば良いのかなど分からない。そして致命的な破局が訪れる。
ハイアット男爵令嬢が何とか挨拶をしようと(貴族令嬢に友人が欲しかったのだろう)あるご令嬢に声を掛けた時の事だ。そのご令嬢はハイアット男爵令嬢に声を掛けられた事に激昂した。恐らく伯爵令嬢であった彼女は叫んだ。
「何の資格があってこの私に声を掛けるのですか! この無礼者!」
私も当然知らなかったが、貴族令嬢は初対面の相手(これは男女問わず)と話す場合、まず侍女同士を通じて接触して話をして良いかの許可をお互いに得て、そして改めて挨拶から始めるという迂遠な手順を踏むもなのだそうだ。もちろんこれは上位貴族にしか適用されない(ハイアット男爵令嬢には侍女もいないし)事なのだから、こちらが知らなくても当然である。
しかし伯爵令嬢はハイアット男爵令嬢を責め立てた。身分が桁違いに違うのだから一方的に詰られるのをこちらは黙って聞いているしかない。そしてエスコート役にして護衛の私も口出しは許されない。不敬の罰を受ける可能性がある。
もちろん、一方的に罵られるハイアット男爵令嬢は可哀想だと、私だって思った。しかし、所詮はお役目で付けられたエスコート役である。彼女に何の思い入れがあるわけでも無い。その彼女のために、下手をすれば死罪まである不敬の罪を犯す事は無い。男爵令嬢も少し我慢していれば良いだけなのだし。
と、私はそんな事を思ってただ罵倒されるハイアット男爵令嬢を見守っていた。いつの間にか相手は伯爵令嬢から、身形の良いこれも伯爵の令息と思しき者に変わり、その取り巻きらしき少年達がはやし立てている。見るに堪えない醜い悪意の充満する光景であったが、私はほとんど無感情に、今から思えば意図的に感情を遮断して、泣いてしまったハイアット男爵令嬢を見守っていた。
そこに突然閃光のように飛び込んできたモノがあった。
「こ~ら~っ!!」
怒りの声凄まじく飛び込んできた紺色と銀色のその輝きは、その勢いのまま伯爵令息にドロップキックを放ったのだ。
「女に手を出すとは何事だ!恥を知れ~!!」
キックは見事に小太りの少年に突き刺さり、伯爵令息はいっそ見事に吹っ飛んで地面を転がっていった。は? あまりにも社交の場に似つかわしくない光景に、その場の全員が唖然として目と口を丸く開いてしまう。そんな全員の注目を集めたまま、彼女は傲然と顔を上げて周囲を睥睨すると、恐らく私を含む傍観者にもまとめて叱責の声を叩きつけた。
「あんた達もよってたかって一人を苛めるとか、卑怯者が!」
うぐ……! それは私の心に深々と突き刺さった。卑怯者。私はこれまで弱いと言われても卑怯と言われたことは無かった。しかし、ここでの振る舞いは確かに卑怯呼ばわりされてもおかしくないものであったのだ。
銀髪の少女、よく見ればその姿はさっきセルミアーネにエスコートされていた侯爵令嬢では無いか。しかし人に跳び蹴りをかますその狼藉ぶりと侯爵令嬢が結び付かず、私は混乱する。侯爵令嬢はハイアット男爵令嬢を助け起こした。私は慌ててハイアット男爵令嬢を預かるために近付いた。そこに侯爵令嬢の厳しい金色の視線が突き刺さる。
「騎士なのに、守護を任じられた女性の危機に駆け付け無いとは何事か!」
侯爵令嬢からの容赦ない叱責に私はちょっと泣きそうになりながらも、一応は反論した。仕方が無かったのだと。
「は、いえ、その、身分が・・・」
しかし侯爵令嬢は私の弱気な言葉を一蹴した。
「あなたは戦う相手を身分で選ぶの?命懸けの戦いで、相手はあなたの身分なんて気にしちゃくれないわよ!」
思わず、背筋が伸びてしまった。まさにその通り。私が自分の身可愛さに任務を放棄したことは間違い無い。戦場でそんな事をしたら身分剥奪の上で縛り首だ。そんな事は分かっていた。分かっていたのに私は身分を理由に逃げたのだ。なんと卑劣な行為であった事か。なんと怠慢であった事か。私は激しく自分を恥じた。
「た、確かに・・・。申し訳ございません」
私が心からそう謝罪すると、侯爵令嬢は歯を見せてニッと笑った。その様子はなんというか、平民の威勢の良い女将さんのようだった。
「よし!じゃあ、ちゃんとこの娘を守るように!」
私は丁重にハイアット男爵令嬢の手を受け取った。
その後すぐに、侯爵令嬢は蹴り飛ばした伯爵令息の取り巻きやその護衛と大立ち回りを始めてしまった。その中で侯爵令嬢はあり得ないくらいの格闘能力の高さを見せて躍動していたのだが、私はハイアット男爵令嬢とその家族を待避させる事に専念していたのでその様子はあまり見ていなかった。
しかし、私はその侯爵令嬢と、彼女からぶつけられた痛い指摘を生涯忘れる事は無いだろうと思った。二度と、騎士に相応しからぬ卑怯な真似はするまいと。私は退場するハイアット男爵令嬢に自分の卑劣な振る舞いを心から詫びたのだった。
◇◇◇
散々で大変だったお披露目式のエスコートを終えて、私は気合いを入れ直して訓練に取り組む事にした。二度と任務を疎かにするまい。あの過激な侯爵令嬢に叱られるような真似は二度とするまいと思ったのだ。
そうやって日々の任務に取り組み幾つかの功績を残すと、上司の十人長や百人長が私を高く評価してくれるようになった。これまでは魔力の低い私は評価されないのだな、と思っていたのだが、どうやらそれは勘違いで、取り組み方が怠慢であると見られていたらしい。人の事を笑っている場合では無かったのだ。
同時に、同じように周囲の評価が変わっていった者がいる。セルミアーネだ。
お披露目以来、セルミアーネは見違えるように真面目に訓練や任務に取り組むようになっていた。その変わり様は別人かと思えるほどで、誰もが驚いた。そもそもセルミアーネは魔力も高く体格も良くて素質がある。あっという間に誰も敵わないほどに強くなって周囲を感心させた。大きな手柄を何度も立てて、すぐに十人長に出世した程だ。
彼には負けるが私も着実に功績を上げて、しばらく遅れて十人長になった。父はもの凄く喜んでくれた。このまま頑張れば千人長も夢では無いと言ってくれたが、私としてはそれはどうでも良いことだと思っていた。大事な事は二度と怠慢と卑劣のそしりを受けぬ事。騎士として誇りを持って任務に精励する事だった。しかしその姿勢が結果的に私の評価を高めてくれたのである。
やがて、セルミアーネが妻を迎えたという話を聞いたのだが、その相手がなんとくだんのお披露目の時大暴れした侯爵令嬢だ、というのを知った時には流石に驚いた。驚いたが納得はした。確かに、あの時並ぶ二人は非常にしっくり納まっていたからである。美男美女であったし、不思議な風格が二人にはあった。
しかしながらその一年後、セルミアーネが何と皇子であったという事が発表された時の驚きはそれどころでは無かった。どおりで高位貴族を上回るほどの強さを誇る訳である。この頃には私はセルミアーネと普通に話すくらいの関係にはなっていたのだが、セルミアーネは申し訳なさそうに身分を偽っていたことを詫びていた。
「このような事が無ければ、一生一騎士として生きるつもりだったのだが」
そう言っていたが、私はあの強さであるから彼が騎士団長になるのは確実だと思っていたし、騎士団長は国家の要職で伯爵相当だ。一騎士はそもそも無理だっただろう。伯爵になってまで身分を隠せるとは思えない。
セルミアーネは皇子になってからも、すぐ後に皇太子になってからも騎士の訓練場で訓練をしていた。これはそういう伝統だからだそうだが、セルミアーネは訓練の途中、たまに「ここが一番落ち着くな」と漏らしていた。やはり皇太子としての生活は職務も制限も多いのだろう。私や同期の者は話し合って、彼が気を抜けるようにあえてセルミアーネを皇太子として丁重には扱わず、同期の騎士仲間として乱暴に扱う事にした。その方が彼も気が抜き易いと考えたのだ。
セルミアーネが頑張っている事は私達にも刺激になった。私達は皇太子殿下の同期の騎士なのだ。その名誉に恥じない騎士にならなければなるまい。私は一層職務と訓練に励んだ。お陰で、私の魔力は次第に増えて伯爵家出身の騎士に劣らないくらいになっていた。
さて、セルミアーネは騎士の訓練場にほとんど毎日現れる(時間にばらつきはあるが)のだが、その時に何故か、煌びやかに着飾った女性を伴うことがあった。誰有ろう、皇太子妃つまりセルミアーネの妻でありお披露目の時の侯爵令嬢、ラルフシーヌ様だ。
どうしてまた皇太子妃殿下がこんなむさ苦しい騎士の訓練場に? と最初は不思議に思ったのだが、すぐに理由は判明した。何しろラルフシーヌ様は我々が闘う姿をワクワクした顔で目を輝かせて見ていたので。その姿とお披露目式の大暴れのアレを結びつければ、彼女が戦闘好きである事はすぐに分かった。何度か椅子から立ち上がって、何やらやろうとして、付いている侍女や騎士団長に押しとどめられているのさえ見たことがある。
このことについてセルミアーネは実に困ったような表情で言ったものだ。
「ラルフシーヌに我慢させすぎると大変な事になる。出来れば息抜きさせてやりたいが……」
大変な事、がどんな事かは私もあの大暴れの時に少し見た。あんな暴れを宮中でやられてはたまらないだろう。セルミアーネの苦悩は理解出来るものだった。
なのでこの後、ラルフシーヌ様が大熊退治に出陣なさったり、騎士の御前試合にこっそり紛れ込まれた際には「ああ、セルミアーネも苦労しているんだな」と思うだけだった。ただ、ラルフシーヌ様は想定以上の大活躍をして、次第に騎士達にはその本性が知れ渡り、仕舞いには妃殿下が何をしても騎士達は驚かなくなってしまったのだが。まぁ、おかげでセルミアーネとしては騎士に妃殿下の事を頼む時には楽にはなっただろう。
ラルフシーヌ様は私の事を最初は覚えていらっしゃらなかったが、ある日護衛の任務に就いた時に私の顔をマジマジと金色の目で見詰めて仰った。
「あなた、あの時の騎士だったのね? 気が付かなかったわ」
私は背筋を伸ばしてお答えした。
「僅かしかお会いしなかったのですから、覚えておられなくても仕方がありません」
「違う違う。そうじゃないわ。顔付きが変わっていたから気が付かなかったのよ。あの不抜けた顔をしていた騎士が、良い面構えになったじゃない」
そうラルフシーヌ様は仰って、あの時と同じように歯を見せてニヤッと笑って下さった。何よりの褒め言葉に、私は感動して胸が一杯になってしまった(ちなみに無作法な笑い方をした妃殿下は侍女に注意されていた)。
セルミアーネもラルフシーヌ様も私を信頼して下さり、セルミアーネが思いの他早くに皇帝の座に就いた後にだが、私は順調に百人長、千人長へと出世して子爵に叙せられる事になる。そして遂にはエムリアル様の後を引き継いで騎士団長に任命され、伯爵になることとなった。
それもこれも、あのお披露目の時にラルフシーヌ様に活を入れられたお陰だ。そう思えば、騎士団長としてラルフシーヌ様の無茶振りに振り回される事など何と言う事も無かった。皇太子ご夫妻の結婚の時に恩があり、ラルフシーヌ様もそれほど我が儘を言えなかったらしいエムリアル様と違って、私は妃殿下に借りしか無いので(妃殿下はそうは思っていらっしゃらなくても)妃殿下のご要望には逆らう術を持たなくて大変な事は大変だが。
◇◇◇
話は少し戻るが、百人長になった頃、私はハイアット男爵令嬢と結婚した。ハイアット男爵家としては騎士ではあるが有望な私への娘の嫁入りは願ってもない事であったらしく、大喜びで婚姻に同意してくれた。ハイアット男爵令嬢、ユリアとの婚姻の事情も、少しだがラルフシーヌ様に関わりがある。
私としては百人長になった頃、年齢も良いところなのでそろそろ結婚をと考え、下位貴族の社交に出た際にたまたまユリアと巡り会ったのだ。正直、ほとんど平民の騎士である私は、貴族に全く顔を知られておらず、社交にもほとんど出ていなかったから貴族令嬢に知り合いなどいない。いきなり慣れない社交に出てもご令嬢と踊るのも難しかった。
そんな時に壁の花になっていたユリアを見付けたのだ。どうも新興男爵の娘であったユリアは、結婚相手としては人気が無かったらしい(友人は多かったのだが)。
最初は私も彼女があの時の男爵令嬢だとは気が付かなかったのだが、少し見ている家に何となく面影を認め、思い出した私は彼女に近付き言ったのだ。
「私の事を覚えていますか? ご令嬢? あの時の騎士です」
ユリアもすぐに思い出して、驚いたようだった。私達は再会を喜び、ダンスを共にした。
私が職務でラルフシーヌ様と付き合いがある事を話すとユリアはそれはもう喜んだ。あの日以来、ラルフシーヌ様は彼女の英雄なのだ。
「ラルフシーヌ様が妃殿下になられた時は、ああやっぱり、あの方は凄い方だったのだと思ったの!」
そうして、ラルフシーヌ様の話で盛り上がり、私達の交際がスタートしたので、私達の結婚もラルフシーヌ様が繋いだ縁だったのだと思う。
ハイアット男爵家は裕福で、その支援で私の新たに興した家も私の実家も経済的な心配が無くなった。そして私が出世して騎士団長になり伯爵になった後に、私は各方面に働きかけ、ユリアの兄である男爵を子爵に押し上げた。ユリアの兄はやや軽薄なところはあったが、有力な商人である一族の能力を継いで有能な経営者であったから、子爵にしても問題は無いだろう。
勿論、新興の伯爵である私にそのような事が出来たのは、騎士団長が皇帝陛下の厚い信頼を受ける者であるからである。だからハイアット子爵家成立も皇帝陛下と皇妃陛下のおかげなのだ。
騎士である自分を見詰め直し、出世する事が出来たのも、結婚も、両方ラルフシーヌ様が関わっている。そう考えると、あの大騒ぎだったお披露目の大騒動が私の運命を決したのだと思う。私はこれからも騎士団長として、皇帝陛下であるセルミアーネとラルフシーヌ様にずっと関わって行く事だろう。そして折に触れて、あのラルフシーヌ様の跳び蹴りシーンを鮮やかに思い返す事になるのだろう。
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