閑話 皇太子妃殿下と宝石の話 ケラゼン視点
私はケラゼンと申します。宝石商です。皇太子妃殿下ラルフシーヌ様の御用商人を勤めさせて頂いております。
皇族の方の御用商人になるというのは、物凄く名誉な事でございます。
当たり前ですが、皇族の方々は買物になど出掛けません。当たり前ですね。これは上位貴族の方も同じです。買い物をする時には、お屋敷に商人を呼び付けて、商品を持って来させ、屋敷で吟味して購入いたします。
そのように呼び付ける商人のうち、特に契約を結んで貴族が庇護を与えた商人を御用商人と呼びます。何しろお屋敷に招き入れるのですから、信用出来ない者では困ります。ですから、貴族の御用商人になるにはまず信用が大事です。
信用とは、商品に対する信用、商人本人の信用の両方を意味します。商品の質が良いのはもちろん、商人の人格や口の固さも大事なのです。その信用を得るのは並大抵の事ではございません。
一代では無理なレベルですね。簡単にその過程を説明致しましょうか。まず、商人として誠実な商いを続け、とりあえず平民相手の商売で成功します。ここまでで既に大変困難である事は言うまでもありません。
続けて下位貴族との取引に漕ぎ着けます。そこで信用を確立して複数の下位貴族の御用商人の座を勝ち取ります。我が家はここまでに創業以来二代掛かりました。
下位貴族の間で信用を勝ち取れれば、上位貴族の間に我が商会の噂が伝えられ、上位貴族からもポツポツと取り引きの依頼が来るようになります。これに全力で対応し、気に入られればしめたものです。
上位貴族の御用商人の座を勝ち取れれば、それはもう商人としてはほとんど頂点に立ったと言っても過言ではありません。帝都に構えた店舗に上位貴族の紋章を掲げる事を許されます。そうなれば店の格は下位貴族としか取引の無い店とは一段違う扱いとなるのです。
我が商会は四代目、私の父の時にカリエンテ侯爵家の宝石御用商人に認定されたのです。なんと侯爵家の御用商人になれたと父が泣きながら喜んでいたのを覚えています。
侯爵家の御用商人ともなれば、平民ではいられません。御用商人になるという事は、言うなれば我が家が侯爵家の一族の端に繋がるという事なのですから。我が家には男爵の位が与えられました。私は貴族になったのです。
喜びに湧いた我が商会でしたが、喜んでばかりはいられません、上位貴族御用達の看板を維持するには品質の維持が絶対条件です。カリエンテ侯爵家の方々を満足させられなくなれば、たちまち御用達の看板は取り上げられてしまうでしょう。そうなれば我が商会はお終いです。商売的にも生命的にも。
私たちは宝石商ですから、仕入れる宝飾品の品質の維持が最重要課題となります。
帝都で他に入る宝飾品で最高のものは、実は帝国で生産されるものではありません。東の隣国である、帝国と敵対している法主国で生産されるものです。これは悔しいですが、宝石の研磨技術、繊細な細工仕事、芸術的なセンスの素晴らしさ。どれをとっても帝国産では太刀打ち出来ないのです。
ですから帝都の大きな宝石商会は必ず法主国との間に仕入れのルートを持っております。我が商会も三代前に上手く繋がりを作りまして、法主国から質の高い宝飾品を手に入れる事が出来ています。例え両国が戦争になっても塞がらないこのルートはもちろん極秘です。今では一つでは無く複数の法主国の仲買人、職人と繋がりがあります。
我が商会はその仲買人から宝飾品を買う一方、こちらからは宝石の原石や金や銀などの宝飾品の原材料を下ろします。宝石や金銀は帝国の方が多く良いものを産するからです。原石の段階でこちらでは質を見切っていますから、仲買人が職人に降ろし、それが製品になったら仲買人がまたこちらに売ってくれれば、こちらは質の良い製品を手に入れられるという寸法です。
ところが、これが往々にして上手く行きません。宝石はそのまま帰って来ず、質の悪いものと入れ替わっている場合があるのです。それに気が付かずにこちらが買い取ってしまうと大損を出してしまいます。なので仲買人から買う時には慎重に吟味しなければならなくなります。
これはどうしてそんな事が起こるのかというと、仲買人は複数の宝石商人と付き合いがありますから、質が高い製品は高値を付けた他の商人に売ってしまうからです。しっかりしていますよね。ですから、本当に良い石を法主国で仕上げて欲しい場合は、途方も無いお金を払って厳重な契約を結び、やはり途方も無い金額で買い取るのです。
仲買人もアレなのですが、これ加えて商売敵からの妨害も入ります。侯爵家の御用商人になった我が商会を妬み、取って代わろうと企んでいる商人は沢山います。原石業者を抱き込んで、質の悪い石ばかりを持って来させたり、店の者を買収して偽物を在庫に紛れ込ませたりと、油断も隙もあったものではありません。
それに加えて法主国の職人にも注意が必要です。彼らは預かった石を着服して、偽物と入れ替えるのです。これがまぁ、巧妙でして、数個あるダイヤモンドの中の一つをガラス玉にしてみたり、大きな傷のあるサファイヤにガラスを染み込ませて無傷に見せ掛けたり、水晶に色を塗ってエメラルドだと言い張ったりするのです。
これを複数の本物の中に混ぜられると、私共でもうっかりすると見逃してしまいます。もしも見逃した物を侯爵家の皆様に売ってしまったら大変な事になります。首が飛んでしまいます。物理的に。
正直言って気が休まる暇もございません。ですが侯爵家の御用商人の看板の威力は絶大です。我が商会は平民では大商人すら憧れる店となりました。私は男爵ですから、下位貴族のお客様には単に持ち込むだけではなく夜会を開催してその中で商品を陳列して売り込んだりも致します。侯爵家御用達ともなれば下位貴族の方々では容易に手を出せない価格帯の品揃えになりますから、皆様目を輝かせ、羨ましそうに商品を見て行かれます。おかげさまで我が商会は下位貴族の皆様からは一目置かれ丁重な扱いを受けるようになっております。何もかも侯爵家のご威光の賜物です。
私は三十歳で父の跡を継ぐと、まず大過無く商会を運営し、カリエンテ侯爵家の御用商人としての信用も保ち続けることが出来ました。侯爵夫人や沢山いるご令嬢たちの覚えもめでたく、ご令嬢の中には他家に嫁がれてからも我が商会をご用命下さる方もいらっしゃいました。婚家の御用商人ではなく私共に御用達を下さるのですから有り難い事です。
カリエンテ侯爵家は一時期、ご令息ご令嬢が十人もいらっしゃいまして、その頃は私共も大変でした。五人いるご令嬢を飾るに相応しい宝飾品を用意するのも大変でしたが、カリエンテ侯爵家の財政事情が苦しい事も察せられましたから、財政事情とご令嬢の要求に釣り合う品をご提案しなければなりませんでしたからね。
ですがやがて、ご令嬢は皆様お嫁に行かれました。もちろん、結婚式では私どもも頑張らせて頂きましたよ。皆様幼い頃から面識を頂いている方々ばかりですから、個人的にもお式のための宝飾品の用意には力が入りました。おかげさまで皆様にはご満足頂けたようです。
続く次期侯爵のご令嬢は三人いらっしゃいますが、まだ下のお二人は成人前ですし宝飾品はそれ程多くは必要ではごさいません。侯爵夫人と次期侯爵夫人の分を含めても三人分ご用意すれば良いわけで、侯爵家の財政事情も改善しておりますから、私共も大分楽になりましたよ。儲け? 侯爵家とのお取引は採算はある程度度外視ですよ。大事なのは侯爵家御用達の看板です。稼ぐのは他で稼げば良いのです。
ところがある日の事です。侯爵家からのお呼び出しを頂き、侯爵邸にお邪魔してみますと、侯爵夫人が不思議な事を仰いました。
「結婚式の準備をしなければならないのです」
「結婚式・・・・・・でございますか? どなたのでございましょうか?」
侯爵家に結婚適齢期のご令嬢はいらっしゃらない筈です。次期侯爵の長女であるインクルージュ様はまだご婚約もなさっていない筈ですし。ご一族のどなたかでしょうか。
「末娘のラルフシーヌです」
私は驚きました。初耳です。公爵家に二十年も出入りしている私ですがそのお名前は初めて耳にいたしました。侯爵家の末娘はヴェルマリア様の筈・・・・・・。
あ、思い出しました。確か十五、六年前、侯爵夫人のお腹が大きかった時期がございました。しかしその後、お生まれになった筈のお子を見かけることは無かったのです。てっきり生まれなかったか幼くしてお亡くなりになったのかと思っていたのですが、そうではなかったのでしょう。あの時のお子なら確かに結婚適齢期です。
ですが、侯爵令嬢が十五、六の歳まで表に出て来ないなどということは本来あり得ません。何か事情があるのでしょう。そんな事は私共には詮索できませんが。
「分かりました。では、ラルフシーヌ様とデザインの打ち合わせをいたしましょう」
私が言うと侯爵夫人は困ったように頬に手を当て首を傾げました。
「それが、そんな暇はないのです。半月後には式なので」
は? 私は驚きました。侯爵家のご婚礼ともなれば、準備に一年掛かりくらいは当たり前です。宝飾品、ドレス、式場などの用意にそれくらい掛かるからです。実際、公爵家に嫁がれたご長女様は三年近くの準備期間を必要としまして、これは別格としても、やや格が落ちる伯爵家に嫁がれたヴェルマリア様のご婚礼でも丸一年の準備期間を充てました。侯爵家のご婚礼時には宝飾品は法主国の職人に特注いたします。それが普通です。
それが半月とは。いぶかる私に公爵夫人は説明して下さいました。何でも、ラルフシーヌ様は騎士の家に嫁がせるので、あまり盛大な式や披露宴は、相手の家に負担が掛かりすぎるから出来ないのだ、との事でした。
騎士に家に侯爵令嬢が? またも私はびっくりです。騎士は貴族階級の最底辺です。財産が無くてもなれてしまうのですから貴族未満と言っても良いくらいです。なんでまたそんな事が。と思いましたが、侯爵家の事情を詮索してはなりません。それは御用商人の鉄則です。
侯爵夫人曰く、それでも精一杯良い式にしてあげたいから、既製品で良いので宝飾品を用意して欲しいとの事でした。私は急ぎ店に帰り、急いで商品の手配を行いました。在庫では足りませんので、至急、知り合いの店の伝を使って侯爵家の婚礼に相応しい宝飾品をかき集めましたよ。
そして二週間後、商品を持って侯爵邸に参上した私は初めてラルフシーヌ様にお会いしました。
ラルフシーヌ様はそれはそれは美しい女性で、銀色の髪と金色の大きな瞳が印象的でした。背はやや高く、身体は引き締まり、姿勢が良いのです。ただ、この時は何故か無表情というか、むっつりとしたお顔をなさっていましたね。婚礼間近の花嫁の浮かれた幸せそうな表情はなさっていませんでした。
そして商品を取り出しても反応は非常に薄かったのです。なんというか、無関心でろくに見もしません。明らかにこういうものに興味が無いという態度です。
どうも見ているとお作法があまり良く無いようにも見受けられますし、これはもしかして、この方は貴族女性としての教育を受けていないのでは? と思われましたね。侯爵夫人やお姉様方が華やいだお顔で選ばれた品を試着させられても、ただ頷くだけ。ちょっとがっかり致しました。やはり私どもは商人ですから、お客様には満足して頂きたいのです。
しかし、侯爵夫人が選ばれて、無事商品をお買い上げ頂いて、私共が帰ろうと皆様に頭を深く下げた、その時でした。
「わざわざありがとうね」
とラルフシーヌ様が仰り、ニッコリと笑われたのです。お作法の微笑では無く、輝くような笑顔で。私共は呆然としました。そもそも、上位貴族の方々が、商人に労いの言葉を掛けて下さることなど殆どない事なのです。
私共は恐縮してお暇したのですが、ラルフシーヌ様には好感を抱きましたね。
さて、ですが騎士の家にお嫁に行かれたラルフシーヌ様のお話は、それから一年以上、侯爵家を訪問しても全く聞こえては来ませんでした。まぁ、嫁入りした娘は婚家の者になってしまったわけですから、実家と繋がりが薄くなるのは無理からぬ事ではあります。ただ、カリエンテ侯爵家は家族仲が良く、お嫁に行かれた方々も実家によく遊びに来ていたので、ラルフシーヌ様の話が全く聞こえないのは不自然だな? と思ったものです。
その内に侯爵家では代替わりが行われました。幸い、新侯爵も新侯爵夫人も引き続き我が商会にご用命頂けると言ってくださいました。ほっと一息です。そろそろインクルージュ様の婚約もあるだろうという事で、私は早めに手配を始めようか、などと考えていました。
ところが、ある日「大至急来なさい!」と記されたカリエンテ侯爵家からの呼び出しの書簡が使者によって届けられたのです。上位貴族からのお呼び出しは三日後くらいの日時が指定されているのが普通です。こんな呼び出しは初めてです。尋常ではありません。私はとりあえず身支度だけ整えて侯爵邸に駆け付けました。
お会いした前侯爵夫人は青い顔をして目を血走らせていました。そしてよく分からない事を仰ったのです。
「ラルフシーヌが皇族になってしまいました」
は? 私には全く意味が分かりません。ですが、上位者にそんな事は言えません。私は困惑しながらこう言ってみました。
「騎士の方と離婚なさって、皇族の方に嫁ぎ直されたということでよろしいでしょうか?」
「違います。騎士だと思ったら皇子だったのです」
・・・・・・何を言っているのか全然分かりませんでしたよ。事情が分かったのはこの後、懇意になっていた侯爵家の執事長から詳しい説明を聞いてからです。
とりあえず、前侯爵夫人曰く、皇族入りするラルフシーヌ様のために、皇族に相応しい宝飾品が最低一揃いいるのだ、という事でした。・・・・・・な、何ですと?
無茶振りでした。皇族の方々に相応しい品などそう簡単には手に入りませんからね。
帝国の頂点に位置する皇族方の着用する宝飾品は、当たり前ですが最高級品です。それも並大抵の品ではありません。侯爵家に納入しているものの最上級の更にその上の品質の物が求められます。
それははっきり言って滅多に手に入らない程の品である事を意味します。秘宝とかそういうレベルです。それをたったの三カ月で一揃い、パリュールで入手するなど、無理に決まっています。しかし、無理などと言ったら私の首が飛びかねません。物理的に。前侯爵夫人の血走った目を見れば分かります。
店に帰った私は金庫から最高級の宝石、それも、あまりに値段が張りすぎて侯爵家にもおいそれと持ち込めないような秘蔵の最上品を取り出しました。しかし、石はそれだけでは駄目です。良い金銀細工と組み合わせられて初めて石には価値が宿るのです。私は決意し、旅装を整えました。
そして私は法主国へと旅立ったのです。そうです。私自ら法主国の職人に石を持ち込み、宝飾品に仕上げてもらうのです。私は修行時代から何度も法主国には行った事があります。言葉も出来ます。ですが、帝国の敵国に行くのですから大変危険な事ですよ。ですがそうしないと間に合いませんし、間に合わなければ首があらゆる意味で飛んでしまいます。
私は二十日も掛けて法主国の都に行き、付きっ切りで宝飾品を造らせ、それを抱きかかえてまた二十日の旅をして帝都に帰りましたよ。もう若く無い私です。二度とこんな無茶は無理ですよ。
幸いな事に出来上がったパリュール。髪飾り、イヤリング、ブローチ、ネックレス、指輪は満足出来る出来で、しかもラルフシーヌ様の入宮に間に合いました。勿論、侯爵家としたお取引の中では最高額のお取引になりましたとも。さらに前侯爵夫人からは労いのお言葉が頂けました。これは大変異例な事です。
このパリュールの出来が良かったのでしょう。私は帝宮に呼ばれまして、お妃様となられたラルフシーヌ様から御用商人に認定されました。余りの衝撃に私は喜ぶより顔中から冷や汗をダラダラと流しましたね。
皇族御用達なぞ、果たして我が商会に勤まるのだろうか? と恐怖したのです。何しろ御用達になるという事は、今回納入したようなレベルの商品を毎回持ち込まなければならないという事です。急ぎでは無くなるとはいえ、あんな高額商品を仕入れた挙句に売れずに在庫にしてしまったら店が傾きかねません。
しかしながら皇族御用達になれるチャンスなど滅多にあるものではありません。私は謹んでご用命を承りましたよ。ラルフシーヌ様は初対面の時のあけすけな笑顔とは違う、完璧なお作法の微笑で「よろしくね」と仰って下さいました。
ほどなく、皇太子殿下が薨去され、ラルフシーヌ様は皇太子妃になられました。私たちに掛かるプレッシャーは更に増しました。皇太子妃は女性貴族の社交界で頂点に君臨する存在です。ですから、その妃殿下が纏う宝飾品は他の貴族婦人から冠絶して素晴らしいもので無ければなりません。それを納入するのは他ならぬ我が商会です。つまり、我が商会は帝都で最高の宝石商人として帝国中から認知される事になります。お店にはカリエンテ侯爵家の紋章と共に、皇太子殿下の紋章までが掲げられました。それを見上げる度に私の背中には冷たい汗が伝います。
こうなると、仲買人に任せておくような訳には行かず、私は店の者に旅をさせ、法主国にまで出向かせて直接の発注を繰り返すようになりました。ただ、仲買人も我が商会が帝都一の宝石商になってからは真剣にこちらの依頼に対応してくれるようになりまして、すり替えや騙しは激減致しましたよ。それはそうでしょう。もしも妃殿下に偽物を掴ませるような事をしでかしたら、私どもだけではなく、恐らく仲買人も連座で全員逮捕され縛り首になってしまいます。
そうやって選び抜いた商品を帝宮に持ち込み、ラルフシーヌ様に見て頂くのですが、妃殿下は初対面の時と同じようにあまり宝飾品には興味がないようで、反応は常に薄いものでした。ただ、おそらく勉強の成果でしょう、お見立てはお見事なものでした。良いものを的確に選ばれます。ただ、ご自分にお似合いかどうかの判断は出来ないと仰って、いつも侍女のエステシア夫人か、ご自分の姉であるヴェルマリア様のご意見を聞いてから選ばれていましたね。
ラルフシーヌ様はお好みがやや派手で、ルビーと金がお好きです。宝飾品全般には興味がおありでは無いのですが、金の輝きとルビーの赤は好きだと仰って、良いルビーを持ち込むと楽しそうに眺めていらっしゃいましたね。半面、ダイヤモンドはあんまりお好きでは無く「光が当たって光ると眩しい。目が悪くなると困る」と仰っていました。実はヴェルマリア様はダイヤがお好きなのですが、ちゃんと妃殿下のお好みを汲み取ってダイヤの少ない品を妃殿下に選んで下さっていました。
動くとふわふわ動く品は「動きにくい」と徹底してお好みではありませんで、繊細な細工も「壊しそう」とあまり選ばれません。妃殿下のお好みははっきりしていますので、私どももすぐに把握出来ました。ですがそうは言っても妃殿下は儀式や社交で毎日毎日とんでもない数の宝飾品を身に付けますので、同じような品ばかりでは困ってしまいます。ですからそこは妃殿下のお好みとは違うものもエステシア様やヴェルマリア様が上手く選ばれて購入なさっていました。
それと翡翠がお好きですね。翡翠は地味な宝石ですが、貴族女性には人気があります。ただ、あまり高級な石ではありませんから、上位貴族婦人はあまり身に付けません。ですがラルフシーヌ様は翡翠をお見せすると非常にお喜びになって、イヤリングやブレスレッドをいくつも購入なさいました。なんでもカリエンテ侯爵領のお隣のフォルエバーが産地なのだそうで、翡翠が売れるとカリエンテ侯爵領が儲かるのだという事でした。妃殿下が積極的に使ったおかげで、一時期社交界では翡翠ブームが起きて翡翠が品薄になったほどでしたね。
妃殿下はわがままは仰いませんし、私どもに毎回労いの言葉を掛けて下さるお優しいお方です。ですから私どもも毎回気持ち良くお取引をさせて頂いております。ですが何しろ皇太子妃殿下です。帝宮に入る度にボディチェックと荷物の検め、妃殿下に商品を見て頂く間にも護衛の騎士、侍従、侍女が厳重に目を光らせています。正直に申しまして、お取引の度に寿命が縮む思いでございますよ。
ある日のお取引での事でございます。私はいつものように帝宮本館のサロンの一つで妃殿下をお待ちしていました。商人男爵風情が離宮区画には入れませんからね。すると、妃殿下がいらっしゃる前に、サロンにやって来た者がおりました。
「おお、ケラゼン殿。久しいな」
見ると、ドレバーン男爵でした。彼も宝石商人で、皇妃陛下の御用商人です。旧知と言えば旧知ですが、それほど親しくはありません。彼の商会はずっと以前から皇族御用達で、私どもよりも上級の店であることを誇って、同業者に上から目線で対していましたからね。
「ああ、お久しぶりですな」
「最近は忙しくてな。なかなか良い石が手に入らず苦労しておる」
彼は私の横に座って雑談を始めました。妃殿下はいろいろとお忙しいので遅れて来られる事が多いのです。その間なら良いかと私は雑談に応じました。
「どんな品を持ってきたのだ。見せてくれぬか」
と言われたので、私は特に疑問も無くケースを開き、妃殿下にご提案しようとしている商品を見せてやりました。自信のある品ばかりなので、見せつけてやりたい、自慢したいという気分が働いたのかも知れません。
実際、ドレバーンは感心しきりで、私が良い仕入れルートを持っていると褒めてくれましたね。
ドレバーンが去った後、一時間ほどして妃殿下がお見えになりました。ヴェルマリア様もご一緒です。このお二人は本当に仲が良いです。薄黄色のドレスを着てゆったりとお入りになった殿下は「遅くなってすまないわね」と軽く謝りました。最初、妃殿下ともあろうものが簡単に謝罪するものではない、とヴェルマリア様辺りは妃殿下に注意していましたが、最近では諦めたのかスルーするようになりました。私は恐縮しながら跪き、許可を得て椅子に腰掛けます。
テーブルの上にケースを上げ、護衛と侍女たちの厳しい視線を意識しながらゆっくりとベルベットの布を敷いたお盆の上に商品を並べていきます。髪飾り、ネックレス、ブローチ、ブレスレッド、指輪。いずれも自信をもってご提案出来る逸品ばかりです。ヴェルマリア様が切なそうな溜息を吐きました。ヴェルマリア様は伯爵夫人です。それなりに裕福な筈ですが、それでもこの品々を購入するには予算が足りないのでしょう。
「素晴らしいものですね」
と仰るお声には恨みがましい響きまであります。仕方がありません。幼いころから知っているヴェルマリア様にでも、この商品を安くお売りしてあげる訳にはまいりませんからね。私どもが破産してしまいます。
侍女が確認すると、商品の乗ったお盆が妃殿下の前に置かれます。妃殿下は軽く頷くと、一つ一つ商品を手に取り、しっかりと御覧になります。貴族婦人の中には一瞥してピンとこないと「持って帰って」とけんもほろろに商人を追い返す方もいらっしゃいます。しかし妃殿下はたとえお気に召した品が無くても、きちんとご提案した商品をじっくり見て下さるのです。
妃殿下はたまに侍女に頼んで試着し、ヴェルマリア様や後ろにいるエステシア様のご意見を聞いています。ご本人のお好みだけでは決めないという姿勢は一貫してお変わりになりませんね。
そして、妃殿下は最後に指輪。ルビーが嵌った金の指輪をお手に取りました。その瞬間、私の中に違和感が生じました。? なんでしょう。帝宮に来る前に商品は厳重にチェックしておりますし、何の問題も無い筈です。私が内心首をかしげながら指輪を光にかざす妃殿下を見ておりますと、その妃殿下の金色の瞳がスッと細められました。厳しい表情です。私の心臓が飛び跳ねます。な、何事でしょう! あのお優しい妃殿下があんなに厳しい表情をなさるとは。
妃殿下は指輪のルビーを指でスッと撫で、頷きました。
「これはルビーではありませんね」
な! なんですと! 私は愕然と致しました。そんな馬鹿な!
「多分、トルマリンです。ルビーに比べると角が丸いですもの」
そ、そんな筈はありません。何しろ、妃殿下はルビーには拘りをお持ちです。ですから私はルビーの仕入れには特に力を入れております。鉱山に人を派遣して、原石の段階から良いものが手に入るように心を砕いています。もちろん、出来上がった製品は私や店の鑑定士が念入りにチェックをしています。偽物が入り込む余地はありません。その指輪だって……。
指輪!? 私は愕然と致しました。そういえば、今回お持ちした品に指輪なんて無かったはずです。そう。出発前に確認した品は髪飾り、ネックレス、ブローチ、ブレスレッドだけでした。指輪は無かったのです。
ど、どこで紛れ込んだのでしょう? と考えた瞬間、思い浮かんだのはドレバーン男爵の人好きのする笑顔でした。妙に馴れ馴れしくやってきて、隣に座って(向かいの席は妃殿下が座る予定の席で、使ったら不敬になってしまうからだろうと疑問に思わなかったのですが)商品を見ていたあの男。多分あの時です。こっそり指輪を紛れ込ませたのに違いありません。
迂闊でした。そういえばドレバーン男爵は皇妃陛下の御用商人です。マルロールド公爵家の御用商人でもあります。その関係から言えば、妃殿下の御用商人は当然ドレバーンの店になる筈だったのです。嫁いだ方は婚家の御用商人に用命するのが普通ですからね。
しかし、妃殿下は入宮の時に私が遥々法主国にまで出向いてパリュールを造らせた事をお聞きになってお喜びになり、それで慣例を排して私どもを御用商人に任命して下さったと伺っております。ドレバーンがその事を面白からず思っていれば、何とか私どもを御用商人の座から引きずり落そうと企んでも不思議はありません。
私は目の前が真っ暗になりました。油断です。ドレバーンが傲慢で高慢な男である事は知っていた筈なのに、親し気な態度に騙されたのです。もっと警戒すべきでした。もう遅いですが。
私は椅子から立ち上がり、がっくりと跪きました。
「申し訳ございません! 妃殿下!」
深く頭を下げて謝罪を致します。商品に偽物を紛れ込まされたのは事実でも、妃殿下の前に偽物を出してしまったのも事実です。言い訳の余地はありません。私は妃殿下が激怒して私に処刑を命ずるのを待ちました。
……しかし、思いもよらぬお声が掛かりました。
「間違いは誰にでもあるもの。気にしないで良いですよ」
……は? 私が顔を上げると、妃殿下がニコニコしながら指輪を見ていました。
「トルマリンにしては良い色ですし、カットも素敵ではありませんか。気に入りました。購入しましょう」
……妃殿下はご機嫌なお顔でそうおっしゃいました。そして私を座らせると、また普通に商品を吟味なさり、結局この日は持ち込んだすべての商品をお買い上げ頂きました。妃殿下は最後まで楽し気で、私に労いの言葉を掛けると退出していかれました。私は腰が抜けてしばらく動けません。全身から汗が吹き出し、今更震えが止まらなくなってしまっています。
「……二度は無いと思いなさい」
厳しいお声に見ると、妃殿下の侍女長であるエーレウラ様が恐ろしい形相で私を睨んでいました。私は椅子を飛び降り、跪きます。エーレウラ様は伯爵夫人です。しかも侍女長です。私などよりも遥かに格上の人物なのです。そしてその厳しさも有名です。
「申し訳ございませんでした!」
「妃殿下のお傍に仕える者には一切の油断が許されません。御用商人の貴方も同じです。固く自らを戒めなさい」
「仰る通りでございます! 二度と、二度とこのような事は無いように努めさせて頂きます!」
私が平身低頭していると、エーレウラ様は溜息を吐くような調子で仰いました。
「安心なさい。妃殿下はあれが貴方の所の商品でないことはご承知でしたよ」
「は?」
「指輪部分の意匠が貴方の商会の傾向と違うと仰って、ヴェルマリア様にも確認しておりました。どこの商会のものか迄分かっておられるようでしたよ」
私は茫然と致しました。確かに、商会によって意匠の傾向は違いますが、妃殿下がそこまで宝飾品を見抜く目をお持ちだとは……。
「おそらく、ドレバーンでしょう。馬鹿な真似をしたものです。妃殿下を怒らせるとは命知らずにも程があります。証拠の指輪も手に入れましたし、容赦はしないでしょうね」
エーレウラ様はうそ寒そうなご様子で腕をさすっておられました。……私どもには寛容でお優しいだけの妃殿下でしたが、どうやらこの鬼の侍女長も恐れるほどの恐ろしい部分をお持ちのようです。
「とにかく、貴方も死にたくなければ妃殿下を怒らせないようにしなさい」
「も、もちろんでございます! 精一杯努めさせて頂きます!」
私は帝宮から引き上げてきても足の震えがしばらく収まりませんでしたよ。
幸い、私はそれからも順調に妃殿下の御用商人を続けまして、ご満足を頂けたようでございます。妃殿下は「ケラゼンに任せておけば安心だ」と仰って下さいまして、皇妃陛下になられる即位式の際の宝飾品、これは儀式正装に合うように造りますので特注品なのですが、それを一式全て任されるという名誉も賜りました。おかげさまで我が商会は帝国を代表する宝石商に成長しました。何もかもラルフシーヌ様のおかげでございます。ありがたい事です。
ちなみに、ドレバーンの商会はあの後すぐに地上から消え去りました。何が起こったのかは存じ上げません。知らない方が良い事も世の中にはございます。分かったのは、ラルフシーヌ様を怒らせれば商会の一つや二つ、簡単に消滅してしまうという事でございます。帝都一の商会であってもです。その有様を見て、私がどのような感慨を抱いたかなど言うまでも無い事でしょう。
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