閑話 ラルねーちゃんの話  ジル視点

 俺はジル。帝都の下町に住んでる。歳は十歳。父ちゃんは大工で母ちゃんは針子だ。


 俺はまだ成人前だけど、将来は父ちゃんと同じ大工になるつもりだから、たまに父ちゃんを手伝ってる。大工道具は触らせて貰えないけど、荷物運びをしたりお使いをしたりだ。後は家の手伝いかな。母ちゃんや姉ちゃんを手伝ってるよ。


 それ以外の時は遊んでる。帝都には子供は一杯いるからな。遊び相手には困らないさ。追い掛けっこをしたり、ボール遊びをしたり、いろんなゲームをしたり、まぁ、悪戯をしたりな。子供同士の縄張りみたいのもあるから喧嘩もあるけど、概ね楽しくやっているよ。


 その日も俺は友達と遊んで、分かれて市場の通りを突っ切って家に帰る所だった。帝都には幾つも市場が立つけど、このヤンガー通りの市場が一番賑やかだ。いろんな店が出て、お客を目当ての屋台も出る。いい匂いがするからお腹も空く。早く帰って晩御飯が食べたい。


 と、その時、俺はその人を見つけた。走りながら方向転換してその女の人に駆け寄り、後ろから抱き着いた。


「ラルねーちゃん!」


 ラルねーちゃんのお尻にしがみ付き、ぐりぐりと顔を押し付ける。ラルねーちゃんは驚いた顔をしながら俺を見下ろしていた。手には肉の串焼きを持って口をもぐもぐさせている。


「あら、ジルじゃない。今帰りなの?」


「そうだよ!ラルねーちゃんも帰りなの?」


「そうよ。買い物してからね」


 ラルねーちゃんはフッと笑った。相変わらずキレイだ。銀色の髪はキラキラしているし、金色の瞳は月の光のよう。今の格好は革のジャケットにスパッツ。革のブーツ。頭には狩人帽。背中には弓と矢筒を背負っている。多分狩りの帰りだ。ラルねーちゃんは凄腕の狩人だから。


 笑っていたねーちゃんだが、不意に目つきを鋭くして、俺の頭を右手で掴んだ。少し痛い。


「ジル、あんたまさかまだ、弱い者いじめをしてるんじゃないでしょうね?」


 う・・・!俺は怯んだ。ねーちゃんは綺麗なだけに、まじめな顔をすると怖い。特に目が怖い。慌てて俺は叫んだ。


「し、してないよ!二度としない!約束したじゃん!」


 数日前、俺は年下の奴をからかって遊んでいた。そしたらそれをねーちゃんに見られて物凄い勢いで怒られたのだ。


「弱い者いじめをするような奴は最低だ!誇りを傷付ける奴は相手に殺されても文句は言えないのよ!あんたにその覚悟はあるのか!」


 と言って。あまりの恐ろしさに俺は泣いてねーちゃんに謝り、相手に謝った。もちろんそれ以来そんな事はしていない。


 俺の真剣な顔を見てラルねーちゃんは機嫌を直したようだった。


「よし!二度とするんじゃないわよ?」


 そして手に持っていた串焼きを半分くれた。俺は喜んで齧りついた。ねーちゃんは怖いけど優しい。そして・・・。


「よう、ラル、元気か?」


 おっさんが一人馴れ馴れしくねーちゃんに声を掛けて来ながら近づくと、さりげなく手をラルねーちゃんのお尻に伸ばしてきた。そして手が触れる瞬間。


 ドカン!と凄い音がしておっさんが吹っ飛んだ。何メートルも転がって屋台の一つに激突してそこに置いてあった木の実を頭から被っている。ラルねーちゃんがおっさんに肘打ちをかましたのだ。


「あら、ごめん。でも気安く触らないでよね。私は人妻なんだから」


 おっさんは気絶でもしたのか返事をしない。ラルねーちゃんは気にもせず俺を連れて歩き出した。俺は興奮していた。やっぱりラルねーちゃんは凄い。


 なにしろねーちゃんは物凄く強いのだ。男にだって全く引けを取らない。いや、男より全然強い。何しろ帝都で一番の狩人だと聞いた。帝都には熊みたいな体格の狩人が沢山いるのに、こんなに細くて背も男より小さいラルねーちゃんがそいつらより凄い狩人だというのだ。俺は背が小さくて力も弱くて、悔しい思いを何度もしていたから、ラルねーちゃんは憧れの人なのだ。


「やっぱりラルねーちゃんは最強だよ!」


「そんな事は無いわよ。私より強い人はいるわ。まぁ、そんなにはいないけどね」


 ラルねーちゃんよりも強い人ってどんな人なんだろう。それこそ吟遊詩人が歌う竜殺しの伝説に出てくる竜殺しみたいな人しかラルねーちゃんには勝てないと思うんだけど。


 俺とねーちゃんは話しながら市場を歩いた。ねーちゃんはキョロキョロと市場を物色していた。何かを探しているようだけど。


「何を探しているの?」


「ちょっとね」


 教えてくれない。いつもはっきりした物言いをするねーちゃんがこういうあいまいな言い方をするのは珍しい。俺は不思議に思ったけれど、ねーちゃんにだって秘密くらいあるか、と思ったからそれ以上聞かなかった。


 その時、物音が聞こえた。何かを壊すような音だ。市場ではいろんな騒ぎが起こるから珍しくは無いけど。ラルねーちゃんはその物音の方を見て目つきを鋭くした。そして俺を置いて大股でそっちの方に歩いて行く。俺は慌てて後を追った。


 市場に店を出していた商人に二人の男が何やら文句を言っていた。商人は色んな小物を扱っているらしく、さっきの音は男たちが商品の一つの陶器を蹴り割った音みたいだった。


 良く見ると、商人の衣服は少し変わっていた。縦じまの模様が生地が入った服で、変わった形の帽子を被っている。多分あれは異国人だ。世界には帝国以外にも幾つも国があるっていうのは父ちゃんに聞いて知っている。帝都にはそういう国からも商売で人がやって来ているから、帝都に異国人は珍しくは無い。ただ、服装とか顔付とかが帝都の人と違って不気味だし、言葉もカタコトだったり通じなかったりするし、何をしでかすか分からないから子供は異国人には近付かないようにと言われている。


 男たちが何か言って、異国人の商人が必死に反論している。何だろう。と、そこへラルねーちゃんが大股で歩きながら突入した。金色の目を光らせながらまず男たちを睨む。


「何の騒ぎなの?デンツ?バオウ?」


 ラルねーちゃんは顔が広いからこの辺の連中とは大体顔見知りだ。しかもびっくりするほど人の名前と顔を良く覚えているのだ。記憶力が良いのだろう。まぁ、デンツとバオウは俺も知っている。市場に店を出す商人だが、あんまりガラが良くない連中の一人だ。もっとも、商人なんか信用出来ないって父ちゃんも言っていたから、商人自体がまともな連中じゃ無いのかも知れないけど。


 デンツとバオウはラルねーちゃんの顔を見て顔を引き攣らせた。まずい奴が来た、という顔だ。


「お、おう。ラル。元気か?」


「おかげさまでね。で?あんたたちはこの人に何をしているのかしら?」


 ラルねーちゃんは手を腰に当てた姿勢で二人を詰問する。誤魔化しは許さない、という態度だ。


「いや、その、異国の商人に、この市場のルールの説明をな・・・」


「そうなの?」


 ラルねーちゃんは異国人の商人に尋ねる。異国人の商人は必死の表情で言った。


「私、許可書持ってる。なのに『異国人は店を出すな』言われた。なぜ?」


 ラルねーちゃんは眉を逆立ててデンツとバオウを睨み付けた。こ、こわ!俺が怒られた時の比じゃ無いくらいラルねーちゃんは怒っているみたいだった。


「デンツ!バオウ!あんたたちこの間も同じように異国人に因縁を付けて私に蹴飛ばされたんじゃなかったっけ?」


「い、いや、それは・・・」


「今度やったら半殺しにするって言ったわよね?」


 ラルねーちゃんは二人を睨み付けて一歩を踏み出した。それだけでガラが悪くて子供相手になんていつも威張っているデンツとバオウが震え上がっている。


「か、勘弁してくれ!ラル!」


「あんたたちの言葉なんて信用出来ない!今すぐこの帝都から消えるか、私に半殺しにされるか、この商人の品物を有り金分買い取るか、選びなさい!」


 ラルねーちゃんの迫力に、デンツとバオウは泣く泣く有り金を全部出して異国の商人の品物を買い取る事を選んだ。異国からわざわざ運んで来たものだからどれも実は結構な値段がしたらしい。買い取った品物を抱えるとデンツとバオウは這う這うの体で逃げて行った。


「あの馬鹿どもがまた因縁を付けてきたら私に言い付けなさい。今度こそ半殺しにしてやるから」


 異国の商人は涙さえ流してラルねーちゃんに感謝していた。ラルねーちゃんは頷きながらも、その商人の商品を一つ一つ見ていた。どうも気に入るものが無かったらしいが。


 俺は大興奮だ。


「ラルねーちゃんはやっぱり凄い!」


「あんなロクデナシより強くても自慢にならないわよ。それよりあんたも覚えておきなさい。異国人も同じ人間。同じく誇りを大事にする人間。それを故無く蔑んだり馬鹿にしてはダメよ。誇りを傷付ける者は相手に殺されても文句は言えないんだからね」


 父ちゃんとは言っている事が違ったけど、多分これはラルねーちゃんの方が正しい。俺は神妙な顔で頷いた。




 またしばらく歩いていると、変な集団が市場の通りを歩いているのに出くわした。市場にいるみんなは、集団で我が物顔に歩いている連中を迷惑そうにしながら遠巻きに見ている。


 あれは。俺もこそこそと道の端に避けた。ラルねーちゃんも不機嫌そうな顔になりながらも一応は一緒に避ける。あの連中とまともに関わると面倒な事はラルねーちゃんも知っているのだろう。


 あの連中は街のならず者の集団で、さっきのデンツとバオウのようなチンピラと違って、本物のヤクザもんだ。と父ちゃんが言っていた。ヤクザもんな何をするのかは俺は知らないけど、兎に角悪いことをして生きているのだと聞いている。父ちゃんからは絶対に関わるな、近付くなと言われているし、街の人たちもこうして避けて歩いているから自然と子供達も彼らを忌避するようになっている。


 兎に角関わると因縁を付けられて、集団でしつこく嫌がらせだの暴力だのを振るわれるのだそうだ。何しろ人数が多いし、街の色んな部分に影響力を持っているから、例えば俺の父ちゃんのような大工は直ぐに商売あがったりになってしまうのだそうで、それを防ぐには関わらないことが一番だ、ということらしい。


 派手な格好をして先頭を行くのは確かベランとかいう奴で、何とお貴族様だと聞いた。街にはお貴族様崩れのえばった奴は結構いるけど、ベランは本当にお貴族様なのだという。それが周囲を睥睨しながら大柄な五人のならず者を連れて我が物顔に歩いて行く。ラルねーちゃんは俺を背中に庇うようにしながらその連中を嫌そうに睨んでいたが、あれ?というように目を瞬かせた。


 集団の後ろに若い女性が歩いている。茶色のワンピースにボディス、前掛け。髪にはスカーフという普通の格好だ。俯いて黙って連中の後ろを付いて歩いている。誰だろう?俺には面識の無い人だったが、顔の広いラルねーちゃんには違ったようだ。


 ラルねーちゃんは俺の頭をポンポンと叩くと言った。


「あんたはここを動かないようにね」


 そして決然と顔を上げると、大股で歩きながら叫んだ。


「待ちなさい!」


 俺も周囲の連中も仰天した。あの連中を呼び止めるような、わざわざ厄介事に首を突っ込むような真似をする奴がいるなんてという感じで。しかしラルねーちゃんは構わずにツカツカと歩み寄ると、ベランを睨み付けながら言った。


「その娘さんは『北の大熊亭』の娘さんよね?どこへ連れて行くつもり?」


 ベランは驚きに目を見張ったが、ラルねーちゃんとは面識があったようで、ニヤッと笑うと言った。


「よう、ラル。俺が誰を連れて行こうがおめぇには関係ねぇだろ。すっこんでな」


「あの娘は堅気の娘であんたみたいなヤクザ者とは関係が無い筈よ」


 ベランは嫌な感じでクククっと笑った。


「借金だよ借金。あそこの親父は家から借金をしていてな。返せなくなったから娘を売ったのさ」


 そう。ベランの家は高利貸しもしていると聞いている。それもこの連中に街のみんなが逆らえない理由の一つだ。街のみんなも商売が苦しくなったり物価が上がり過ぎたりしてお金が足りなくなると高利貸しからお金を借りるからだ。金貸すだけで肥え太るなんて商人よりも最低な連中だと父ちゃんは文句を言っていたが、いざという時に貸してくれなければそれも困るのだ。


 ラルねーちゃんは疑わしそうに眼を細くした。


「『北の大熊亭』は繁盛店の筈よ?多少の借金が返せない筈はないじゃない」


「返せなかったものは返せなかったんだよ。嘘だと思うなら聞いてみな」


 ラルねーちゃんは娘さんの所にツカツカと歩み寄った。


「本当なの?」


 茶色い髪の中々の美人な娘さんだった。彼女は俯いたまま頷いた。


「・・・本当です。その、店の二号店を出そうと借金をしてしまったのですが。そこへこの人たちの嫌がらせがあって、店が潰れてしまったのです」


 ラルねーちゃんはベランの方を振り返って物凄い表情で睨み付けた。


「ベラン!」


「嘘じゃ無かっただろ?借金は借金さ。返すもの返せなきゃ娘を売らせても取り立てる。これはお役人も認めているまっとうな商売だぜ」


 ベランはヘラヘラと笑ってラルねーちゃんに近付いた。


「なんならあんたが返してくれるか?金。金貨五枚に利子が積もって十枚だ。狩人のあんたに払える金じゃないだろう?なんならあんたが代わりに娼館に入るか?それならそれでも良いぜ、あんたの容姿なら直ぐに稼げるだろうよ」


 ベランが高笑いすると仲間もゲラゲラと笑った。


「分かったらそこをどきな。俺はこれからその娘の味見をしなきゃいけないんで忙しいんだ。機嫌が良いから俺様を呼び止めた事については勘弁してやろう」


 ベランはラルねーちゃんに顔を近づけながら勝ち誇ってゲラゲラと下品に笑っている。俺はねーちゃんの背中を見ながら悔しい思いをしていた。如何にねーちゃんでもこれはどうにもならないだろう。何しろ金貨十枚だ。下手をすると小さな家が買えてしまう。それにこれ以上あの連中に楯突くとねえちゃんまで嫌がらせを受ける事になってしまうだろう。狩人が続けられなくなるかもしれない。


 なので俺にはラルねーちゃんが怒り狂って臨界点を突破して爆発する様が見えていなかった。


 その時、ラルねーちゃんが右腕を高々と振り上げた。


 ?誰もその意図に気が付いた者はいなかった。ベランでさえ間抜けな顔でその揚げられた手を見ていた。ラルねーちゃんはそのままその手を振り下ろし、ベランの間抜けな顔面に叩きつけた。


 顔面に強烈なチョップを食らったベランが仰け反る。更に姉ねーちゃんは身体を沈めると、ベランの腹に物凄い蹴りを放った。


「ごーふぉ?」


 とか訳の分からないうめき声を上げてベランが吹っ飛び、屋台の一つを完全に粉砕してその中に埋もれてしまう。ラルねーちゃんはそこへズカズカと乗り込み、引っくり返っているベランを容赦なくゲシゲシと足蹴にした。ベランが悲鳴を上げるが全く容赦しない。


「ぐわ!やめ!げふ!ぐえー・・・!」


 俺はその時、ラルねーちゃんの金色の目が真っ赤に光っている事に気が付いた。その赤い目を見開き、怒りの表情凄まじくベランを蹴り続ける。一発一発にとんでもないパワーがある事は、蹴られるたびに飛び跳ねるベランの身体を見れば明らかだ。


 そしてラルねーちゃんは地鳴りのような恐ろしい声で叫んだ。


「人の誇りが金で買えると思うな馬鹿者が!」


 ベランからの反応が無くなると、ラルねーちゃんは漸く蹴りつけるのを止めた。そして自分の懐から小さな革袋を出すと、その口を開き、ひっくり返した。袋からチャリチャリと音を立てて硬貨がベランの上に落ちる。


「金貨十枚。確かに払ったわよ」


 なんとラルねーちゃんはあの娘さんの代わりに金貨十枚を払ったらしい。これであの娘さんは自由の身だ。しかし、話はそう簡単に収まらなかった。収まる訳が無い。


「若!」


「何しやがるてめぇ!」


 ベランの子分たちがラルねーちゃんに襲い掛かった。いずれも名の知れたならず者ばかり。体格もラルねーちゃんより二回りくらい大きい。俺は思わず悲鳴を上げた。


 しかし、ラルねーちゃんは真っ赤な瞳の輝きが残像になる位のスピードで動いた。一人目のパンチを楽々交わすとその男の脚を払い、首筋にチョップを叩きつけると同時にぶん投げた。男は逆立ちするような格好で宙を舞い、頭から落下して動かなくなる。


 二人当時に掛かって来た男共については相手の攻撃が届く前に飛び込んで肘打ち、膝蹴りを叩きこみ、思わず頭を下げたところに強烈な張り手だ。それだけで二人とも意識を失って崩れ落ちる。


 ナイフを抜いて襲い掛かってきてもラルねーちゃんは顔色も変えない。真っ直ぐに突き出されたナイフを紙一重で交わすと、その腕を自分の肩に引っ掛け腕を絡めると身体を捻り、容赦無く叩き折った。男はナイフを放り投げ、悲鳴を上げてのたうつ。


 最後の一人は仲間の有様を見て棒立ちになった所を、ラルねーちゃんが胸倉を掴んでポーンと放り投げた。倒れている仲間の上に重なって落ちると目を回してしまった。


 あっという間に五人のならず者がやられてしまった。見ている者は全員目が点になってしまっている。そして我に返ると全員一斉に思わず拍手をした。俺も何を言っているのか分からないくらい興奮しながら拍手だ。凄い凄い!やっぱりラルねーちゃんは凄い!


 しかしラルねーちゃんは厳しい表情で、呆然と立ちつくす娘さんの所に歩み寄ると、赤い目を輝かせたままで言った。


「どう?あんたに払える?金貨十枚?」


 娘さんは驚きに目を見張った。払えるわけが無い、だから自分の身売りも受け入れたのだろうから。しかしラルねーちゃんは厳しい表情で娘さんをじっと見据える。


「今じゃ無くても良いし、分割でも良い。でも頑張って返す気が無い人には貸さないわ。私は。どうなの?」


 ラルねーちゃんの言葉を理解した娘さんはぐっと顔を上げ、ラルねーちゃんに誓うように言った。


「払います。お店を繁盛させて、私がお婿を貰って後を継いで、絶対にお返しします!」


 ラルねーちゃんは満足そうに頷いた。するとその瞳がスーッと金色に戻って行く。それだけで周囲の緊張感も溶けて行くようだった。ラルねーちゃんも娘さんも笑っている。


 しかし、それで話が終わる筈は無い。


「ラル!」


 見るとベランが身を起こして叫んでいた。あんなに蹴られてもう目が覚めたのか。意外に頑丈な奴だ。


「覚えてやがれよ!このままじゃ済まさねぇぞ!この帝国で貴族に逆らうというのがどういう事なのか、思い知らせてやるからな!」


 ラルねーちゃんが嫌そうな顔をしながら言う。


「何をするつもりなのよ」


「帝国では貴族が訴え出れば無条件で平民は罰せられるんだからな!俺が訴えればいてめぇを縛り首にする事さえ出来るんだ!」


 俺は青くなった。ねーちゃんを縛り首にするだって?そんな事は許せない。でも、確かにお貴族様に逆らったならそうなっても仕方が無いとは父ちゃんも言ってた。


「俺に手を出した事を後悔しても遅いからな!ざまぁ見ろ!」


 とベランが立てもしないのに高笑いをしていた時だった。


「ラル」


 そう声を掛けながら一人の男が近付いてきた。茶色い髪の物凄く大きな男の人だった。そして、びっくりするくらいカッコいい男の人だった。ハンサムと言われる人は街にも大勢いるけど、比較にならないくらいの美男子だ。身なりは凄く良くて、この人も貴族なのかもしれないと思った。


 するとラルねーちゃんはそれまでが嘘のように嬉しそうに微笑んだ。こんな柔らかな笑顔を浮かべるラルねーちゃんは初めて見た。


「あら、ミア。どうしたの」


「今帰る所だった。それで?一体これは何の騒ぎなの?」


 ミアと呼んだ人に問われたラルねーちゃんは少しバツが悪そうにごにょごにょと事情を説明したようだった。ミアさんはちょっと困ったような顔をしたが、ラルねーちゃんの頭をさらっと撫でて言った。


「まぁ、殺さなかっただけ良かった。よくやったね。ラル」


 変な褒め方でラルねーちゃんを褒め、ラルねーちゃんはホッとしたように笑った。突然現れたミアさんに主役を奪われたベランは唖然としていたが我に返ると怒鳴った。


「なんだてめぇは!」


 するとミアさんは眉を顰めてベランを見た。ラルねーちゃんを見る時の優しい目付きと違って、対象に一ミリの興味も無さそうな冷淡な視線だった。


「私はセルミアーネ。ラルの夫だ」


 なんと!私も周囲のみんなも驚いたようだった。ラルねーちゃんが人妻である事は知っていたが、旦那さんがどんな人かはあまり知られていなかったからだ。ほとんどの人がこの時初めてセルミアーネさんを目にしたのだ。


 ベランも驚いたようだが、直ぐに嗜虐的に顔を歪めて言った。


「そうか!可哀想にな!お前も巻き添えで縛り首だ!なにせ妻が貴族に手を上げたんだからな!連座で同罪だ!」


 すると、セルミアーネさんはゆっくりとベランの側に歩み寄り、ベランを見下ろした。何しろ大男であるから物凄い迫力がある。ベランも圧迫されて脂汗を浮かべている。セルミアーネさんは自分の右手に嵌めている銀色の指輪を見せて言った。


「帝国騎士のセルミアーネ・エミリアンだ。その妻だからラルはとりあえず平民ではない。其方は、オッポーグ男爵令息だったかな?」


 ベランの顔が驚愕で固まった。俺もみんなもびっくりだ。騎士もお貴族様の筈だ。市街には結構住んでいるし、礼儀正しくて気さくな人ばかりだからあんまり貴族という感じはしないけど。そうか、ラルは騎士の奥さんだったのか。それならあの強さにも納得だ。


 セルミアーネ様は表情を厳しくして言う。


「男爵が騎士の妻へ乱暴しようとした件については今後其方の家に沙汰があるだろう。私が紋章院に報告しておくからな」


「て、手を出して来たのはラルの方が先だぞ!」


「騎士の報告と評判悪く格が低い男爵のいう事のどちらを紋章院が信じるかな?ちなみに私は騎士の百人長でもうすぐ子爵になる。格は其方よりも上だ」


 ベランがパクパクと口を開け閉めしている。驚愕のあまり声を失ったようだ。更にセルミアーネ様は追撃を掛ける。


「其方たちの乱暴狼藉については騎士団にも報告が上がっている。其方は勘違いしているようだが、貴族が平民に何をしても罰せられないのは、貴族が平民に対して責任を負ってるからだ。平民を護り慈しむ責任をだ。いざという時は平民を命懸けで守るからこそ貴族は敬われる。一方的に平民を虐げる者は貴族に相応しくない。今回の事と合わせれば貴族身分の没収処分は十分に覚悟しておくように」


 遂にベランは泡を吹いて白目を剥いてしまった。


 セルミアーネさんはラルねーちゃんの所に戻ると優しくラルねーちゃんの肩を抱いて笑う。周りの女性たちの頬が染まるような麗しい光景だ。


「大丈夫だ。何も心配いらない」


「ありがとう。ミア。それと、お金勝手に使ってごめんなさい」


「良いよ。ラルの稼いだお金だし。それにしても何でそんなに沢山お金を持って歩いていたの?」


「ミアの誕生日に何か買おうと思って。まだ見つからなくて持って歩いていたのよ」


 さっきからラルねーちゃんが探していたのはセルミアーネさんの誕生日プレゼントだったらしい。セルミアーネさんはそれを聞いてあきれたように笑った。


「金貨十枚は多いよ。そんなに高い物を買おうとしていたの?」


「初めてミアに贈るプレゼントだから良いものが贈りたくて。お金が足りなかったら嫌だから」


 ラルねーちゃんは恥ずかしそうに頬を赤くしていた。俺が初めて見るラルねーちゃんの表情だった。


 そして二人は娘さんのお礼を受けると腕を組んで帰って行った。それはもう見ているだけで心が暖かくなるような、幸せな夫婦の姿だった。


 呆然と佇んでいると、父ちゃんが俺を見つけて駆け寄って来た。


「どうした?騒ぎに巻き込まれたのか?」


 俺は否定して、事情を説明した。特にラルねーちゃんの強さとセルミアーネさんのカッコ良さを重点的に力説した。


「やっぱりラルねーちゃんは凄い!俺はラルねーちゃんみたいになりたいんだ!」


 俺が叫ぶと、俺の手を引いて歩いている父ちゃんは微妙な顔をした。


「う~ん。父ちゃんとしてはあんまりラルは見習って欲しくは無いがな。女があんな乱暴者に育ってしまうと、嫁の貰い手が無くなってしまうぞ」


「そんな事無いよ!ラルねーちゃんにはあんなに素敵な旦那様がいるんだから!」


 父ちゃんは咄嗟に反論し損ねて唸ってしまった。俺は改めて決心した。


 俺はラルねーちゃんみたいに強くなって、セルミアーネさんのような素敵な旦那様と結婚するんだ!と。




 

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