閑話 騎士団長の頭痛の種  エムリアル視点

 私はエムリアル・ワインツ。皇帝陛下から騎士団長を拝命している。階位は伯爵である。


 私は伯爵家の三男として生まれ、騎士になった。伯爵子爵の次男以上の子弟は騎士になる事が多い。その方が出世し易いし、独立し易いからである。流石に侯爵以上になると分家を立てて独立する事が多いが。


 優れた騎士になるにはいくつか条件がある。まずは兵士と同じ様に、体格と力があり、勇敢であること。次に魔力が多い事だ。魔力には身体能力を向上させる効果があるが、生まれつきの体格や鍛えた筋力を上回るほど強化するには上位貴族並みの魔力が必要だ。故に体格や筋力の方が大事なのだ。


 私は幸い大柄で、伯爵家出身で魔力も多かった。それ故優れた戦闘技術を身につけると、害獣退治、山賊退治、そして法主国との戦役に出陣して戦果を残し続ける事が出来た。二十五歳で子爵の位を頂き、三十五歳で騎士団長となって伯爵の位を頂いた。それから十年以上に渡ってその地位にある。


 騎士団長として忙しく働いていたある日、私は皇帝陛下の呼び出しを受けた。それ自体は珍しいことではない。騎士団長は事実上帝国軍のトップだし、帝宮、特に内城壁内の警備の責任者でもある。皇帝陛下を始めとした皇族の方々の警護も担当するので、皇帝陛下から直接お声を掛けていただく機会も多い、特に皇帝陛下にはかつては将軍として私が直接指揮を受けた経験もあるので、多少気安く接して頂いている。


 しかしながら皇帝府の執務室に入るなり、中にいた官僚や侍従を全て人払いして、皇帝陛下と二人きりでお話をするなどという事は流石に初めてだった。一体何事なのか。緊張して立つ私に皇帝陛下は重々しくおっしゃった。


「エムリアル。其方を見込んで頼みたいことがあるのだ・・・」


 そう前置きして皇帝陛下が話し始めた内容は意外なものだった。


 何でも、皇帝陛下のご愛妾であられたフェリアーネ様の忘れ形見であるセルミアーネ様が十三歳になり、騎士として成人するので後見して欲しいと仰るのだ。私にはどういう意味か咄嗟には分からなかった。何しろご愛妾の子とはいえ、陛下のお子であれば皇子では無いか。それがどうして騎士として成人するのだろうか?


 何でもフェリアーネ様のご遺言だったそうで、セルミアーネ様ご本人もどうしても母の遺志を叶えたいとのご希望だというのである。一体どうしてフェリアーネ様がそんなご遺言をなさったのかは分からないが、陛下は不満ながらもご愛妾のご遺志を叶えようと考えていらっしゃる事が分かった。そうであるなら、臣下としては否やない。私は謹んでその密命を受けた。


 そして私は、十三歳で騎士見習いになった者たちに、陛下の代理人として銀の指輪を授けるその授与式で、セルミアーネ様と初めてお会いしたのだった。


 第一印象は、覇気が無い少年だ、というものだった。


 体格は良い。そこは陛下に似ている。秀麗なお顔も陛下の面影を強く宿している。そして魔力測定の結果も本来は皇族なのだから当たり前だが非常に高い魔力を示したらしい。しかしながら表情に力が無く、騎士になるべき者が持っているべきギラギラした出世欲の様なものは一切感じられなかった。あのエネルギッシュな皇帝陛下のお子とは思えない覇気の無さだった。


 訓練を始めても、課された訓練は難なくこなすものの、それ以上に頑張る様子は全く見せず、騎士同士の練習試合では明らかに手を抜いていた。そして害獣退治や山賊退治などの任務に積極的に志願することもない。何というか、なぜ騎士を志望したのか全く分からないような少年だった。


 唯一セルミアーネ様がやる気を見せるのは、当時の皇太子殿下であるカインブリー様が訓練にいらっしゃる時で、カインブリー様はしばしばセルミアーネ様を指名したのだ。カインブリー様はセルミアーネ様を弟だと知っていらっしゃったのだろう。かなり厳しくセルミアーネ様をしごいていた。セルミアーネ様もその時ばかりはどこか嬉しそうなお顔で懸命に訓練をしていたものである。


 しかしながら私は正直、これほど覇気が無い方が皇族となられて、我々の上に立つよりはこのまま一騎士として埋没している方が良いのでは?とさえ思っていた。当時のセルミアーネ様はそれほどやる気が無く、騎士として凡庸以下の才能に見えたのである。


 セルミアーネ様が十六歳になり正騎士になった年。セルミアーネ様を始めとする新人正騎士は例年通り、お披露目会での成人する貴族令嬢のエスコート役に駆り出された。その時、セルミアーネ様は偶然、そのお披露目の最高階位を持つ侯爵令嬢のエスコート役を引き当てたのである。


 私は内心。皇子が侯爵令嬢をエスコートする事になるなんて偶然とはいえ収まりがいいな、と思ったものである。しかしまさかその二人が数年後にご夫妻になるなんて夢にも考えなかった。


 しかし、そのお披露目会の祝宴の席では何だか大騒ぎが起こったらしい。現場に居なかった私にはよく分からなかったのだが、どうも件の侯爵令嬢が大暴れしたらしいのだ。侯爵令嬢と大暴れが私にはどうにも結び付かず、私は何度事情を説明されても全く理解出来なかったのだが。


 大怪我した者もおらず、大暴れしたという令嬢の親である侯爵が謝罪した事もあり、大きな問題には発展しなかった。変な事件だったとは思ったものの、別に騎士団の不祥事でも何でもなかった事もあって、私はこの話をすぐに忘れてしまった。


 ところが、この事件以降、セルミアーネ様が目の色を変えて騎士としての訓練や任務に取り組むようになったのである。その変わりようは、それまでセルミアーネ様をでくの坊と馬鹿にしていた仲間の騎士達が驚くほどだった。


 兎に角、決められた訓練が終わっても、休憩時間を削ってでも更なる訓練に取り組み、基礎訓練に至っては他の者の三倍くらいの量をこなしたのだ。そして害獣退治や山賊退治の任務に片っ端から志願して、どこの誰よりも出世したいという意欲を見せるようになった。


 一体何が起きたのか?私もセルミアーネ様の上司である千人長も、訓練にいらっしゃるカインブリー様も驚いた。セルミアーネ様はそもそも体格も筋力も魔力もおありになる。それが必死に訓練を行い、年齢的にも伸び盛りだった事もあり、メキメキと強く逞しくなっていった。騎士たちの練習試合では直ぐに無敵状態となり、私でさえ本気でやらなければ打ち倒されかねないほどの強さになっていた。


 一体何がセルミアーネ様を変えたのか?興味を持った私は諜報部門の部下に命じてセルミアーネ様を探らせた。すると、セルミアーネ様が勤務時間を終えた後や休みの日に、カリエンテ侯爵邸に足げく通っている事が分かったのである。しかも手土産を持ち込み、侯爵邸で侯爵夫人やその娘たちと話し込んでいるという話であった。

 

 それだけ聞けば侯爵夫人の愛人にでもなってしまったのか?と疑うような話なのだが、どうやらそうではなく、カリエンテ侯爵令嬢の一人、例のお披露目でセルミアーネ様がエスコートをした、つまり祝宴の会場で大暴れをしたというその問題令嬢に求婚しているという話なのであった。


 騎士が侯爵令嬢に求婚?なんと無謀な!と思ってしまうが、セルミアーネ様の正体を知っていれば別に不思議な話ではない。しかしセルミアーネ様はあくまで騎士として求婚を行なっている為、カリエンテ侯爵本人には会えていないらしいのだ。何とももどかしい話であった。


 実は私は、皇帝陛下に定期的に呼び出され、セルミアーネ様のご様子を報告していた。その中で、皇帝陛下がしきりに気にしていらっしゃったのが「セルミアーネに恋人はいないか、平民と恋仲になっていないか」だった。どうやら皇帝陛下はセルミアーネ様を皇族に戻したい御意向らしく、セルミアーネ様を高位貴族と結婚させたいと思っていらっしゃったらしい。


 確かにセルミアーネ様が平民と結婚してしまうと、皇族に戻すのは難しくなるだろう。しかし、セルミアーネ様は陛下が打診した縁談には全く興味を示さないらしい。それで恋人の存在を疑ったようだった。


 実際にセルミアーネ様がご執心なのはカリエンテ侯爵令嬢だ。侯爵令嬢なら陛下も文句はあるまい。この時点で私が陛下にこの事を申し上げれば、陛下は喜んで秘密裏にカリエンテ侯爵に縁談を持って行ったかもしれない。しかし私は陛下に報告しなかった。少しだけ不安があったからである。


 カリエンテ侯爵は陛下の即位時に陛下ではなく弟宮を推して、その確執から現在の陛下の政権ではやや遠ざけられている家なのである。その為、陛下がカリエンテ侯爵令嬢とセルミアーネ様の縁談を喜ぶかどうか不安だったのだ。もしかしたら「カリエンテ侯爵家だけは」と難色を示されるかも知れないと思ったのである。


 あれほど自分を変えるほどセルミアーネ様が愛していらっしゃるカリエンテ侯爵令嬢との婚姻に、皇帝陛下が万が一反対なさったりすれば、セルミアーネ様は怒って絶対に皇族には復帰しないとおっしゃるかも知れないし、元の無気力騎士に戻ってしまうかも知れない。私は検討した結果、皇帝陛下にはセルミアーネ様の恋の事情を伏せる事にしたのだった。


 ただ、はっきり言ってただの騎士が侯爵令嬢に求婚するなど無謀極まりない行為ではある。下手をすると侯爵から不敬の罪で罰せられかねない。セルミアーネ様の想いを成就させるには何らかの後押しは必要だと思われた。


 私は密かにカインブリー様に相談した。カインブリー様はやはりセルミアーネ様が母違いの弟君である事を知っていらっしゃった。そして、セルミアーネ様の求婚の事情を知ると大笑いしながら協力しようと言って下さった。


 まず私はセルミアーネ様をどんどん任務に送り出した。害獣退治、山賊退治、街道警備などだ。これらの遠征業務は帝宮の警備などよりも大変で危険も多いが、功績を残し易い任務でもある。本来なら皇族であるセルミアーネ様には危険を冒して頂きたくは無いのだが、セルミアーネ様ほどの強さなら万が一も無かろうと送り出す事にした。


 案の定、セルミアーネ様は目覚ましい働きを見せ、遠征の旅に功績を上げた。功績には賞で報いるのが当然である。セルミアーネ様の功績は事実であったから贔屓ではない。しかし、セルミアーネ様が手柄を立てる度に、私と皇太子殿下が殊更にセルミアーネ様を褒めたのはわざとだった。


 騎士団長である私と皇太子殿下が高く評価している騎士、という評判は大きな意味を持つ。つまりカインブリー様が皇位に就かれた暁には、セルミアーネ様は騎士団長になることさえ見込まれていると周囲には見えるのである。騎士団長なら伯爵になる事は間違い無い。伯爵になる見込みのある騎士であれば、侯爵令嬢に求婚してもけして不遜ではない。カリエンテ侯爵がそう思ってくれればしめたものである。


 実際、カインブリー様はセルミアーネ様の改心を事の他喜び、セルミアーネ様を将来の騎士団長どころか自分の後継者だとまでおっしゃっていた。お二人は七歳違いであり、後継者というには歳が近いので私は本気には取らなかったのだが、今思えばカインブリー様は自分の寿命が長くない事を察しておられたのかも知れない。


 セルミアーネ様はある大規模な山賊退治で大功績を立て、皇帝陛下御自ら授けられる勲章を受勲した。陛下は公的な場では珍しいほどご機嫌で、嬉しそうにセルミアーネ様の肩を叩かれた。そしてその受勲式と祝宴にはカリエンテ侯爵も出席していたのだ。


 私と皇太子殿下はここぞとばかりにセルミアーネ様を褒め称えた。功績は事実であったから褒め言葉にわざとらしさは無かったはずだ。カリエンテ侯爵はさすが、社交用の仮面をその場で外すような事は無かったが。どうやらこの時の後押しが効いたらしい。直後に侯爵から婚姻の許可が出たそうだ。


 セルミアーネ様は狂喜乱舞して、即座に侯爵令嬢を迎えに旅立ったのだそうだ。私もカインブリー様も大いに喜んだ。


 ・・・そう。私はこの時までカリエンテ侯爵令嬢がどの様な方かよく知らずにセルミアーネ様の恋の後押しをしていたのである。ラルフシーヌ様個人の事をよく知っていたなら・・・、少しは躊躇したかも知れない。


 セルミアーネ様と侯爵令嬢ラルフシーヌ様の結婚式はセルミアーネ様に婚姻の許可が出て一ヶ月も経たない内に行われた。下位貴族や平民ならままある急さだが、よくもまぁ侯爵家が承知したものだ。結婚式の行われる神殿は帝都下町にある中規模の神殿だった。私はセルミアーネ様の直属の上司と共に招待された。皇子の親代わりとして結婚に立ち会うなど恐縮するしかないが、大変名誉な事だ。私は妻と共に喜んで出席させてもらった。


 神殿に入ると驚いた。新婦席がびっしりと埋め尽くされていたからである。しかも全員見るからに高価な衣装に身を包んでいる。宝石の輝きで目が痛いくらいだ。一体何事なのか?


 これが驚いた事に、これが全員ラルフシーヌ様のご兄姉とその配偶者なのだった。ラルフシーヌ様には兄が五人、姉がやはり五人もいらっしゃるのだ。特に一番上の姉君はエベルツハイ公爵夫人で、当然夫の公爵閣下と参列なさっている。他にも侯爵夫人、伯爵夫人がそれぞれ二人。もちろんカリエンテ侯爵、次期侯爵。他の兄君たちも上位か上位に近い貴族である。それは豪華絢爛で当たり前だ。これほど上位貴族が集まる事など帝宮の夜会でもそれほど無いのではないか。


 セルミアーネ様の上司は子爵だったが、顔色を無くしている。無理もない。伯爵として騎士団長として上位貴族の社交に出る事も多い私でもこれほどの面子の前では緊張せざるを得ない。


 セルミアーネ様はもしかしてとんでもない嫁をもらったのではなかろうか?私は内心そう思ったわけだが、私はこの感想をこの後、違う理由で何度も抱く事になる。


 式が始まり、まずセルミアーネ様が入場する。その出立ちを見て私は驚いた。騎士の礼服と仕立ては一緒だが色が違う。本来は緑なのに、セルミアーネ様が身に纏っておられる礼服は深い青なのだ。見る者が見ればわかるがあれは皇帝の青だ。私も知らなかったのだが、皇族騎士のみに着る事が許される騎士礼服だそうで、カインブリー様が贈ったものらしい。この時は事情が分からなかった私だが、その明らかに皇族仕様の礼服で立つセルミアーネ様を見て、背筋がゾクっとした。その威厳と風格は皇帝陛下を思わせたからだ。


 次に、カリエンテ侯爵のエスコートを受けてラルフシーヌ様が入場してくる。純白の華麗な婚礼衣装姿のラルフシーヌ様とは先ほど挨拶はしたが、良く見る事が出来たのはこの時が初めてだった。


 物凄く姿勢が良い女性だな、と思った。貴族女性は目を伏せて歩く事が多い。それがラルフシーヌ様は真っ直ぐ顔を上げ、しっかりと目線を上げて歩いている。顔の前には公爵家の紋様が浮かび上がるヴェールがあるのだが、真っ直ぐに前を見ているからヴェール越しにその金色の大きな瞳がはっきりと見えている。ヴェールの裾から覗く髪の色は銀。貴族婦人にしては大股に歩いて来る。歩みが早いのでエスコートするカリエンテ侯爵が困っていた。


 祭壇の前で侯爵からラルフシーヌ様の手を受け取ると、セルミアーネ様はこれ以上無いほど幸福そうに微笑まれた。新婦席のご婦人方からため息が漏れる。対するラルフシーヌ様も光の化身の様に美しく、お二人の姿は一幅の絵画のようで、私は後々までこの時の光景を詳細に思い出す事が出来た。


 ご結婚されてもセルミアーネ様の精勤ぶりは変わらなかった。嫁取りが終わったら無気力に戻ってしまうのではないかと若干心配していたのだが杞憂であった。それどころかより張り切って訓練と任務に取り組む様になり、今や私でも相手にならないくらいに戦闘技術も向上。それでいて表情には余裕が出て、周囲の者から慕われる様にもなってきた。


 新婚生活はどうなのかとお話を伺うと、セルミアーネ様は苦笑して「ラルフシーヌが稼いでくれるおかげで助かっています」と仰った。は?元侯爵令嬢がお金を稼ぐ?あまりにも訳が分からなかった私はこれを殿下の冗談だと思って真面目に受け取らなかったのであるが、それが全く冗談では無かった事をすぐに知る事になる。


 帝都近郊の森にレッドベアーが出たというので、私はセルミアーネ様を含む騎士五名に対応を命じた。セルミアーネ様の強さならレッドベアーでも大した問題になるまいと思って送り出したのだが、無事に任務を果たして帰ってきたセルミアーネ様は苦笑し、他の騎士たちはなんだか呆れた顔をしていた。


 なんでも、セルミアーネ様が倒したレッドベアーにラルフシーヌ様が止めを刺して退治に成功したとの事だった。???最初から最後まで意味が分からない。どうしてそこでラルフシーヌ様が出て来るのだ?


 セルミアーネ様が説明する事には、ラルフシーヌ様は本職の狩人として森を駆け回っている(いた、ではなく、いる。つまり現在進行形だ)そうで、特に熊狩りに情熱を燃やしておられるとか。・・・侯爵令嬢が?た、確かに領地で育ったとは聞いてはいたが・・・。そういえば。私はここで漸く、ラルフシーヌ様はあのお披露目会で大暴れしたという侯爵令嬢だった、と思い出したのだった。


 ・・・熊を狩る事に情熱を燃やす皇子の妃?私はこれはとんでもない女性との結婚を後押ししてしまったのではないか?とここでまた思ったのだった。


 それから程無くして、カインブリー様が重病に掛かられ、セルミアーネ様が皇族に戻られた。セルミアーネ様の正体を知らなかった騎士たちは驚いたが、この頃にはセルミアーネ様は騎士団随一の強さの騎士になっていたし、将来的には騎士団長になるだろうと言われていた程だったから、皇子であったと言われて全員が逆に納得した程だった。騎士達は自分たちの仲間であったセルミアーネ様が皇太子になる事を歓迎してくれた。騎士からの忠誠は皇太子、将来の皇帝にとっては重要である。その面での心配はセルミアーネ様にはいらないようであった。


 カインブリー様が亡くなるとセルミアーネ様が即座に皇太子となられた。私は長い事密かに殿下をお守りしていた事を思い起こして感慨深かったものである。そして、立太子式でセルミアーネ様の横に並び立つ美しいラルフシーヌ様を見ながら二人のご結婚に少なからず自分が関わった事が誇らしかった。実際、セルミアーネ様は私が殿下のご結婚に際して後押しした事をご承知で、皇帝陛下に結婚の事を秘密にしていた事にも感謝して下さった。これについては結婚式に出たかったらしい皇帝陛下に後で散々嫌味を言われてしまったのだが。


 ところがある日、セルミアーネ様がとんでもない事を言い出した。ラルフシーヌ様を神獣化したキンググリズリーの討伐に伴いたいと仰ったのだ。私は驚くより呆れた。


「妻を連れて出陣する皇太子などいませんぞ。殿下」


 しかしセルミアーネ様は真顔で言った。


「いや、彼女は十分に戦力になる」


「騎士が三十人いれば戦力としては十分でございます。妃殿下の出番が無かった場合、皇太子殿下は『物見雄山気分で妻を連れて行った』と誤解されかねません」


 しかし、セルミアーネ様曰く、ラルフシーヌ様は以前からキンググリズリーを狩る事を熱望しており、結婚時の条件にもキンググリズリーを狩る事に協力する事を入れる程だったという。・・・そんな結婚の条件を付ける侯爵令嬢など聞いた事が無い。確かに以前にレッドベアーを退治した時に熊狩りが好きだとは聞いていたが・・・。


 ついこの間まで現役の狩人だったラルフシーヌ様は帝都の森の事に誰よりも詳しいのだし、その情報は貴重だから、とセルミアーネ様は私を懸命に説得なさった。どうしてそんなに必死になって周囲を説得してまで妻を連れて行きたいのかは一切分からなかったが、どうも殿下にとっては非常に重要な事だというのは理解出来た。私は仕方なくラルフシーヌ様の同道に同意した。


 討伐のための出撃の際、ラルフシーヌ様は青いマントと白い大きな鍔広帽子という気取った姿で集合場所である騎士の訓練所に現れた。騎士達は唖然である。セルミアーネ様は素知らぬ顔をしていらっしゃるが、騎士たちの反応はあまり好意的なものでは無かった。しかし、ラルフシーヌ様は気にも留めずに一人でヒョイと馬に飛び乗ると、右手を天に突き上げて貴婦人とは思えないような大きな声を出した。


「さぁ!行くわよ!」


 そうやって皇太子ご夫妻は出撃していった訳であるが、私は討伐の成否よりもラルフシーヌ様の事が心配であった。何か失態でも犯せば騎士達のセルミアーネ様への評価に関わってしまうからだ。騎士達の支持を失った場合、皇太子殿下は皇帝になれない可能性まで出てきてしまう。私はやきもきしながら討伐部隊の帰還を待っていた。


 ところが、帰って来た騎士たちの表情は晴れやかだった。馬に乗るラルフシーヌ様を囲みながら何だか皆ニコニコしている。無事に討伐に成功した事は良く分かったが、なんだかラルフシーヌ様を必要以上に丁寧に扱い、お守りしているように見える。私は一人に報告を命じたが、普通に方陣を組んで戦い、セルミアーネ様が見事な勇気で最後の止めを刺されたというだけで、ラルフシーヌ様のラの字も出て来ない。業を煮やした私は「ラルフシーヌ様は何をなさっておられたのだ」と聞いてみた。するとその騎士は意外な事を問われた、というような顔をした。


「そういえば・・・、何をしていらしたのでしたか」


「其方、寝ぼけているのではあるまいな?」


「そう。そうですな。そういえばラルフシーヌ様によく似た女狩人がですな・・・」


 と「妃殿下によく似た女狩人」が大活躍した話をする訳である。私は頭を抱えた。


「それは妃殿下だったのでは無いのか?」


「団長。あんな猿みたいに木々の間を飛び回る皇太子妃殿下なぞいませんぞ」


 完全に現実から目を背けている。確かに木々の間を飛び回り、キンググリズリーの脚を斧で叩き折り、弓で熊の目を正確に射貫く皇太子妃殿下。・・・あまりにも非現実的過ぎる。見なかった事にしたい気持ちは分からないでもない。結局、騎士たちの間では皇太子妃殿下とよく似た女狩人は分けて認識されたらしく、妃殿下の活躍は騎士達の記憶の闇に葬り去られたのだった。その方が良いのかも知れない。


 これはどうやら、私はとんでもない女性を皇太子妃にすべく後押ししてしまったらしいぞ、と私は再び思ったのだった。


 それからしばらくして、年に一度の騎士たちによる御前試合が開催された。これは皇帝陛下が毎年楽しみにされている催しで、若い頃にはご自分も出場されて騎士たちを打ちのめしていらした。今年はセルミアーネ様も出場すると聞いていて、その強さを陛下にお見せできると、私も楽しみにしていた。


 陛下ほか、上位貴族の観客が見守る中試合が始まった。私は陛下をお守りしながらその様子を見守る。流石に騎士たちは張り切っており熱戦が展開された。あまり腑抜けた様子を御前で見せるようなら鍛えないさなければならぬと思っていたので私は安心した。


 と、その時であった。妙に細くて小柄な騎士が出て来た。?あんな騎士は記憶にない。着ているのは騎士の正式鎧だが、明らかに騎士では無い。しかも子供、いや、女性だろう。女性の騎士などいる訳が無い。


 確かにこの御前試合には飛び入りが可能で、貴族で腕に覚えがある者がお忍びで混じる事はよくある事だった。実際、今回も数名が参加しているようだ。しかし、流石に女性が参加する事はほとんど無い。少なくとも私が知る限りでは一度も無かった筈だ。観衆からざわめきが漏れる。


 しかし小柄な騎士は旋風のように動くと、相手の大柄な騎士を鎧の重さも物ともせずにぶん投げ、あっという間に勝ってしまった。観衆は意外な勝利に大興奮だ。しかし、私は内心冷や汗を垂らした。あ、あれは・・・。まさか。


 実はその少し前、私はセルミアーネ様に「ラルフシーヌが騎士の訓練に参加したいと言っている。希望を叶えてやりたい」と打診されていたのだ。しかし、そんなトンデモないご希望を通すわけにはいかない。それは私だって、セルミアーネ様が訓練に来る時にラルフシーヌ様が何故か付いて来て、訓練の様子をウズウズしながら見学していた事は知っている。しかし世の中にはやって良いことと悪いことがある。皇太子妃殿下には妃殿下の仕事の領分があり、騎士には騎士の仕事の領分がある。騎士にとって訓練は仕事だ。その領分を侵す事は妃殿下であっても許されない。


 却下した私に妃殿下は直談判にいらしてまで食い下がったが、頑として認めない私に諦めて下さった。・・・という事があったのだ。


 その事情を思い出せば、その小柄な騎士が誰なのかは容易に想像が付こうというものだった。皇帝陛下もなんだか目を眇めてその騎士を見ている。


「・・・あれは・・・、まさかな」


 陛下、そのまさかでございますとは言えない。私は素知らぬ顔でいるしか無かった。


 その小さな騎士はその後二回も試合に勝った。私は妃殿下が打ちのめされなくて良かったと思うと共に、妃殿下に苦も無く捻られた騎士は鍛え直さねばならぬ、とも思った。そして次が最終試合。すっかり人気者になった小さな騎士には大歓声が贈られている。そして相手は・・・。皇太子殿下だった。


 そういえば殿下はこの日「普通の正式鎧を出してくれ」と仰って、皇太子殿下仕様ではない普通の鎧を着ていらっしゃるのだ。なので観衆にはあの大きな騎士が皇太子殿下だとは分かっていない筈である。その騎士もこれまで二試合行って圧倒的な強さで勝っている。圧勝続きだった二人の対決に観衆の興奮は最高潮。まさかあれが皇太子ご夫妻であるとは誰も気が付いていないようだ。


 お二人の戦いは激戦になったが、皇太子殿下がパワーで押し切って妃殿下を組み伏せられた。流石はセルミアーネ様である。妃殿下に怪我一つさせないように細心の注意を払っている事が良く分かった。後で殿下から伺ったが、相手が自分だと分かると妃殿下が何をしでかすか読めなくなるから、わざわざ特徴の無い正式鎧を着たとの事だった。騎士としてほぼ無敵で、皇帝陛下にさえお勝ちになられたセルミアーネ様がそのように警戒しなければならない程妃殿下は手強いらしい。恐るべきことだ。


 これ以降もラルフシーヌ様は事ある毎に我儘を仰って私の頭痛の種になった。普通の貴婦人なら我儘を言っても騎士団には関わる筈が無いのだが、妃殿下の我儘はなぜか大体騎士団に関係するのだ。曰く、お忍びで出掛けるので騎士を護衛に出して欲しいとか、しかもそのお忍びで狩りをするので騎士が訓練用に管理している森を貸して欲しいとか、来年の御前試合のために訓練がしたいから騎士団の訓練所を貸して欲しいだとか、なんならやっぱり騎士たちと混ざって格闘訓練がしたいとか。困るのは皇太子殿下は大体ラルフシーヌ様の味方で、気軽に騎士団長室に押し掛けてくる妃殿下と一緒になって妃殿下の願いを叶えようとする事だった。流石の私も皇太子殿下ご夫妻が一緒になってするお願いにはなかなか抗しえず、前例の無いことを幾つも許可する羽目になった。


 皇太子殿下がかなり遠慮して下さる私でこれだから、私が引退した後に騎士団長になる者はより大変だろう。その頃には妃殿下は皇妃陛下になっているだろうし。その時は一体誰がラルフシーヌ様の暴走を止めるのだろうか。どうも私はとんでもない皇妃陛下の誕生に手を貸してしまったのかも知れない。そう思わざるを得ないのであった。


 

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