閑話 とある令嬢の見たラルフシーヌ  コレアンヌ視点

 私の名前はコレアンヌ。ブロスティアス伯爵家の令嬢です。


 この度、私はお母様と一緒に帝宮の離宮区画で行われる、皇太子妃ラルフシーヌ様のお茶会に参加出来ることになりました!何という素敵な事なのでしょうか!まだ十五歳の私が皇太子妃殿下のお茶会に参加出来るなんて!


 帝宮で行われるお茶会には様々な種類があり、出席者によっても格に違いが出ます。その中でも皇族の方主催のお茶会というのは最高の格式を誇ります。


 帝宮本館で行われる皇族主催の大お茶会ですら、格の低い貴族にとっては憧れも憧れ。一生に一度は出たいイベントとなります。まして離宮区画など、上位貴族でも格が低ければ一生入ることも出来ないでしょう。そこで行われる皇太子妃殿下主催のお茶会です。伯爵家令嬢の私ですが、今後の情勢次第では二度と出る事が出来ないかも知れません。もしかしたら生涯唯一の機会かもしれないのです。


 興奮する私をお母様は嗜めました。


「落ち着きなさい。良いですか?お茶会は十日後です。ドレスの準備とコーディネートを決めたら私に言いなさい。確認します。あと、侍女長に見てもらって立ち振る舞いの再確認をしておきなさい」


 そしてお母様は真剣なお顔をしながら言いました。


「皇太子妃殿下は私の見る限り寛容な方だと思いますが、お怒りになると恐ろしい方だとも聞きます。あなたの振る舞いに一族の将来が掛かると思いなさい」


 思わず私の背筋は伸びました。そうです。社交は女性の戦場。お茶会での失態は即ち女性貴族としての死を意味します。楽しみにしているだけでは済みません。最大限の準備をして臨まなければ。


 私はまだ袖を通していないドレスを全て出し、侍女達の意見も聞いて薄紫色の少し華やかなドレスを選択しました。季節は少し暑くなり掛かっていますので袖は短く、生地も薄いものです。


 刺繍は全体に入るのではなく、襟口や袖口に一部使われるだけです。格上のお方招かれる場合は、主催者よりも派手なドレスは避けるべきだからです。若さを強調するために首ははっきり見えるくらい襟ぐりは開いていますが、デコルテはあまり大きく開かないようにして下品にならないようにします。


 宝飾品は悩みどころです。本来であれば主催者の方に恥をかかせない様に、呼ばれる立場の場合は宝飾品の質を落とすのが常識です。ですが今回の主催は遥かに格上の皇太子妃殿下です。私の持っている最高の宝石よりも遥かに素晴らしい品をお持ちに違いありません。


 もしも質の低い宝飾品を着けて行くと、皇太子妃殿下の宝飾品と質が違い過ぎて、お茶会の品を損なうかもしれません。しかし頑張って良い宝飾品を着けて行くと、皇太子妃殿下に張り合おうとしていると取られかねません。


 悩んだ私はお母様に相談しました。するとお母様曰く、皇太子妃殿下はルビーがお好きなのでルビーを避け、それ以外の最高級の宝飾品を着けて行きなさいとの事でした。私は結局プラチナに真珠の髪飾りとダイヤモンドのブローチ、エメラルドの首飾り、翡翠のブレスレットでコーディネートしました。考えた末、髪飾りに一番良い物を配し、他は控えめにしました。


 それでお母様の許可が出ましたので、今度は当日の髪型を考えます。私の髪は黒に近いくらい暗い茶色です。なので白系統の髪飾りを着けるわけですね。帝国の貴族女性は厳密な決まりはありませんが、年配の方になるほど髪を上げてしっかり結う傾向があります。なので当日の最年少である私は髪を下ろした方が良かろうと判断しました。一部を細く三つ編みにして左右で丸く結うだけで、あとはシンプルに流します。


 髪型が決まれば後は当日の持ち物です。侍女に持たせる化粧バッグ、日傘は見えるから重要です。ポケットに入れておくハンカチは咄嗟に使う物ですから疎かには出来ません。化粧バッグには簡単な化粧用具と携帯用の香水瓶などが入っています。


 今回はお茶会ですから、侍女は侍女服のままです。我が家の侍女は全員親戚の伯爵、子爵家出身ですから立ち振る舞いには問題無い筈です。むしろ経験の低い私は侍女長に頼んで立ち振る舞いの最終チェックを致しました。


 本来はこれに加え、お招き頂いた事に対するお礼の贈呈品と、お茶会に出すためのお菓子の選定などもしなければなりませんが、これは今回はお母様も一緒に出席ですからお母様にお任せ致しました。そうそう、忘れてはいけません。お茶会に同席なさる貴族婦人のプロフィールを覚えなければなりません。名前を間違えたり、格の順番を間違えたりすると大変な事になります。


 そうして出来る限りの準備を整えて、私とお母様はいよいよお茶会当日を迎えたのでした。


 帝宮本館には成人の御披露目以来何度か来ていますが、その奥にある離宮区画に入るのは初めてです。本館にあるよりもずっと小さな車寄せに入り、お母様と二人で馬車を降ります。


 緊張してきました。離宮区画に入るための、騎士が護っている扉に近付きながら、私は生唾を呑み込みます。お母様は離宮区画には何度も招かれている方ですから、こんなに緊張はしていないでしょうね。と、私がお母様をチラッと見ると、お母様は微笑みを浮かべた顔を引き攣らせていました。何度も入った事のあるお母様ですらこんなに緊張するのか、と私は慄きました。この扉の向こうはそんなに恐ろしい所なのでしょうか?


 しかし、招待状を見せて扉を潜るとそこは絢爛とした素晴らしい空間でした。


 帝宮本館よりも全体的に落ち着いた雰囲気で統一されています。本館はいわば帝国の表玄関ですから、威厳を優先して造られているからでしょう。離宮区画には天井画などはあまり無く、規則正しい模様や、花や蔓草の移植でさり気なく飾られている所が多いです。


 その代わり、金銀をふんだんに使用した装飾や、飾られている陶磁器、銅像は大変見事で、置かれているアンティークな家具も素晴らしいです。シャンデリアの光は光の精霊を宿したものですが、それがこのように沢山輝いている様は帝宮でしか見られません。下位精霊とはいえ、使役には魔力がいるのです。我が家の侍女にこんな数の精霊を呼び出させたら魔力が全員あっという間に無くなってしまうでしょう。侍女の数が物凄く多い帝宮だから出来るのです。帝宮では他にも風の精霊を呼んで涼をとったり、水の精霊に頼んで絶対毒の入っていない水を用意したりするそうです。このように精霊魔法を陰で様々に使う関係上、帝宮の侍女、侍従は独立出来なかった貴族の子女がなります。


 キョロキョロしないように気を付けながら離宮区画を堪能しながら歩く事しばし、私とお母様は本日のお茶会の行われるサロンに入室しました。本日の出席者は六名ですからお部屋もそれほど広くは有りません。


 一番乗りではありませんでした。ご婦人がお一人、既に座っていらっしゃいました。彼女は私達を見ると、スッと立ち上がり、スカートを広げて礼をします。


「これはラフチュ伯爵夫人。お久しぶりですね」


 お母様が声を掛けました。お母様とラフチュ伯爵夫人では同じ伯爵夫人でも格に大きな差があるので、お母様が先に声を掛けたのです。


「ブロスティアス伯爵夫人。ご機嫌麗しゅう」


 ラフチュ伯爵夫人がニッコリと笑います。濃い目の金髪と茶色い瞳の二十代後半と思しき貴婦人です。この時は黄色と白という派手目なドレスを着ていらっしゃいました。その割には宝飾品は比較的地味です。少し組み合わせがアンバランスだと思いました。


 ラフチュ伯爵家は侯爵家の領地内分家で、独自領地を持たないために伯爵とは名ばかりの格が低い家です。はっきり言って離宮区画で行われる皇太子妃殿下主催のお茶会に出られる身分ではありません。本来は。


 しかしながらラフチュ伯爵夫人はカリエンテ侯爵家の出です。そうです。皇太子妃殿下であるラルフシーヌ様の姉にあたる方なのです。皇太子妃殿下には何とご兄姉が十人もいらっしゃいます。お姉様だけでも五人いらっしゃるのですが、その五番目のお姉さま、つまり妃殿下の一つ上の姉がラフチュ伯爵夫人ヴェルマリア様なのです。


 皇太子妃殿下の実の姉という立場は、本来の貴族の格を超越します。恐らくこのお茶会にも妃殿下の姉というお立場により招かれているのでしょう。お母様が仰るには、妃殿下はこの姉君と大変親しく、離宮区画よりも格の高い妃殿下のお住いの離宮でのお茶会にも頻繁に招く厚遇振りだそうです。妃殿下からの信頼がそのように厚いのですから、格に大きな差があるお母様でもラフチュ伯爵夫人を粗略には扱えません。


 ラフチュ伯爵夫人は私を見て、あら?と驚いたようなお顔をなさいました。


「もしかしてご令嬢ですか?」


 お母様は私を促しました。私は前に進み出てラフチュ伯爵夫人にスカートを広げて礼をします。


「初めましてラフチュ伯爵夫人。ブロスティアス伯爵令嬢コレアンヌです」


「初めまして。ご令嬢。よろしく」


 ラフチュ伯爵夫人は鷹揚に頷きます。令嬢と夫人では家の格に相当な差があっても夫人の方が上位です。階位に差が出ればまた違いますが。


「お二人でご出席とは珍しいですね?」


「ええ。この娘ももう十五ですから、そろそろ皇太子妃殿下に紹介させて頂きたくてお願いしましたの」


「そうですか。そういえば、跡取り娘でいらっしゃるのでしたか」


「そうです。そろそろ婿を決めなければなりませんの」


 そうなのです。私はブロスティアス伯爵家の唯一の子供です。お父様には子供が愛妾との間にも他に出来ませんでした。そのため、私がブロスティアス伯爵家の跡取りなのです。婿を取って家を継がなければなりません。


「出来れば皇太子妃殿下に誰かご紹介頂ければと思っておりますの」


「ラルフシーヌに?」


 ラフチュ伯爵夫人は驚いたように言ってしまってから言い換えました。


「妃殿下からの紹介は難しいかと。妃殿下は若い男性貴族には詳しくありませんから」


 皇太子妃殿下はつい先頃まで全く社交界にお見えにならなかった方です。皇太子殿下は後継者争いから逃れるために身分を隠されていて、妻であるラルフシーヌ様も社交界を避けていらしたとの噂です。そもそも子供の頃はご実家のご領地でお育ちだったと聞きました。


「そうでしょうけど、知っているお家もありますでしょう?そう。ご縁戚とか」


 お母様が言うと、ラフチュ伯爵夫人はああ、と笑いました。


「そうですね。皇太子妃殿下は親戚が多いですからね」


 つまり皇太子妃殿下のご縁戚、つまりご実家のカリエンテ侯爵家やお姉さまであるエベルツハイ公爵夫人からのご紹介を期待しているという事です。ラフチュ伯爵夫人は妃殿下の姉ですから他人事ではありません。


「そういう事なら、私から妃殿下に話をしておきますよ。今日のお茶会で妃殿下に気に入られれば話が通し易くなります。頑張りなさい」


 ラフチュ伯爵夫人は面白そうに笑いながら言いました。そうです。今日私がこのお茶会にきた目的は正にそれなのです。


 実はブロスティアス伯爵家は今の皇帝陛下の覚えはめでたい方でして、お父様は皇帝府で大臣の一人を務めさせて頂いております。しかしながら次代であるセルミアーネ様のご治世に時代が移った時に今の地位を保てるかどうかは不分明でした。


 というのは皇太子殿下セルミアーネ様の後ろ盾である、皇太子妃殿下ラルフシーヌ様のご実家であるカリエンテ侯爵家と、ラルフシーヌ様のお姉さまであるエベルツハイ公爵家は、実は現皇帝陛下のご治世では主流とは言い難いお家なのです。どちらかと言えば遠ざけられているお家だったそうです。


 ところがそのカリエンテ侯爵家から皇太子妃が出て、そのご縁戚がエベルツハイ公爵家です。皇太子殿下がご即位なされた暁には、この二つの家の一族が重視されるのは間違い無いと見られていました。そうなると帝国貴族界の勢力図はガラッと塗り替えられる事になります。現在主流派である我が家も安穏とはしていられません。いえ、主流派だったからこそ権力の主流から遠ざけられる可能性があります。


 そこでお父様お母様は、カリエンテ侯爵一族から私の婿を取って、カリエンテ侯爵家の勢力内に入ろうと考えたのです。今回、お母様が手を尽くして離宮区画で行われる皇太子妃殿下のお茶会に私を参加させたのもそのためでした。


 他ならぬカリエンテ侯爵家一族であり、妃殿下の姉であるラフチュ伯爵夫人からご協力頂ける事になったのは幸先が良いスタートだと言えます。私は気を良くしながら席に着きました。


 今回のお茶会の出席者は六名。皇太子妃殿下、私、お母様、ラフチュ伯爵夫人、それとクロウラ侯爵夫人とハイラロンツ伯爵夫人です。クロウラ侯爵夫人は四十代前半の黒髪黒目の婦人。ハイラロンツ伯爵夫人は赤毛と茶色の瞳です。お二人には他の社交でお会いした事があります。それぞれの後ろに一人ずつ侍女が立ちます。


 まず皇太子妃殿下がお入りになる前に他の出席者同士で挨拶を交わします。そして皇太子妃殿下をお待ちするのです、その間はお茶を飲みながら談笑していて構いません。ただし、並べられているお菓子に手を付けてはなりません。妃殿下がお入りになる時にモグモグしているなんて非礼ですからね。


 私はお話をしながらこのサロンの中を観察します。このお部屋はそもそもが夏向けに造られてるらしく、窓は大き目で壁の色は薄い水色と涼し気な感じで造られています。お部屋の飾りつけはお花が数種類。どれも一輪挿しで、水色や桃色の花が多いようです。やはりこれも涼を感じるものです。壁には薄絹らしき白い布が垂らされていて、魔法の風でフワリフワリと揺れていてこれも涼し気です。


 テーブルにはクロスが掛けられておらず、白い天板には薄く花の絵が描かれています。テーブルの脚は優美な金。艶やかに磨かれて見るだけで冷たい感じがするくらいです。私達が座っている椅子は籐椅子で、これも涼しいです。良く見れば茶器も皿もどれもこれも涼し気なイメージなものばかり。つまりこれが今回のお茶会の趣向なのでしょう。まだそれほど暑い季節ではありませんが、大分暑くなってきたので出席者に涼し気な印象を持ってもらおうという事だと思います。


 ただ、単に涼しく感じさせるというだけでは、趣向としてそれほど上手だとは思えません。ここは帝宮の離宮区画です。主催は皇太子妃殿下です。この程度な趣向の筈は無いと思われます。


 やがて帝宮の侍女が「お出でになりました」と妃殿下の来訪を告げました。部屋中に緊張感がみなぎります。私達は立ち上がり、お腹の所で手を重ねて、背中が曲がらないよう気を付けつつ頭を下げました。


 静かな足音がして入室の気配がします。私は手袋の内側に汗をかくのを感じました。


「楽にしてくださいませ」


 お言葉があり、私はゆっくりと細心の注意を払って身体を起こしました。


 皇太子妃ラルフシーヌ様は優雅に微笑むと一人一人を見ながら仰いました。


「ようこそお出で下さいました。今日は楽しみましょう」



 皇太子妃ラルフシーヌ様は驚くほどお美しい方でした。


 銀糸のような髪は長く、それを半分は緩やかに上げ、半分は後ろに流しているのですが、その輝きと艶はあたかも流れる川のようです。頬の色は白く、あまりおしろいは塗っていない感じです。キラキラ輝いているので真珠の粉を少し付けているのでしょう。金色の瞳は大きく、やや勝気な印象を受けます。お鼻の形も真っ赤な口紅を塗られた唇も麗しく、お身体のラインも引き締まっていながら豊かで流麗です。


 着ているドレスは臙脂色の袖の短いドレスで、刺繍が全体にびっしり入り、デコルテは少し開き目です。面白いのは腰の部分のボリュームが少ない事でした。貴族婦人のドレスは普通、腰の部分に何枚かのペチコートを入れたり、竹ひごか何かで膨らませてボリュームを出すのが普通です。ところが妃殿下のドレスは腰をほとんど盛っていません。その代りに腰の後ろに大きなレースの飾りを付けてバランスを取っているようです。流行とは違いますが良くお似合いでした。私も次はあんな感じのドレスを作ってみようかしら。如何にも動き易そうですし、妃殿下のお好みなら流行になるかもしれませんし。


 そういえば、と見ると、ラフチュ伯爵夫人のドレスも似たようなタイプのものでした。きっとあれは皇太子妃殿下に下賜されたものに違いありません。妃殿下のドレスを着る事で繋がりの強さをアピールしているのでしょう。どうやらラフチュ伯爵夫人と妃殿下の間には相当強い信頼関係があるようです。


 身に付けられている宝飾品は流石にお見事で、大きなルビーの飾られた金の髪飾り、デコルテにはダイヤとサファイヤのネックレス。その下にルビーと金のブローチ。ドレスにもいくつか宝石が縫い込まれています。確かにルビーがお好きなようですね。ふとブレスレットを見ると、私がしてきたのと同じ翡翠のものでした。しまった。被ってしまいました。妃殿下がご機嫌を損ねなければ良いのですが。

 

 妃殿下に促され全員が着席します。そして全員に新たなお茶が入れられます。この最初のお茶は主催者のお好みのものが振舞われます。その後は自分の好みのお茶を飲んで良いのですが。私は自分の前に出されたそのお茶のカップを、細心の注意を払って手に取り、お茶を口に含みました。


 熱いです!かなり湯加減が熱めのお茶でした。侍女が入れるのに失敗したのでしょうか?息を吹きかけるような無作法は出来ませんので、私は困惑してしまいました。見ると、他の皆様も困惑してカップを持ったままです。見れば妃殿下も持ったままでした。ですが妃殿下は笑っています。どうやら侍女が失敗したわけではなく、そういう趣向のようです。


 趣向?私は改めて部屋を見渡しました。必要以上に涼を強調するお部屋の飾りつけ。そして飲めない程の熱いお茶。・・・あ。私は思わず呟いていました。


「『おお、汝が冬の女神でも私の熱き心は飲み込めまいぞ。私の心は全てを溶かす』」


 それを聞いて妃殿下は目を大きく見開きました。


「コレアンヌ!」


 お母様が私を叱ります。し、しまった。つい・・・。


 ですが妃殿下は別に怒った訳では無く、面白そうに笑い、私に向かって言いました。


「まさか一番年若いあなたが言い当てるとは思いませんでした。そうです。『ランバール叙事詩』の一節、冬の女神の段ですね。今回のこの一杯は皆さまに冬の女神になって頂こうという趣向ですの」


 そ、そういう事でしたか。妃殿下がそう言うと、ラフチュ伯爵夫人がやれやれという感じで言いました。


「それは良いのですが、こうも熱くては火傷をしますよ妃殿下。それにこの暑い日に熱いお茶はどうかと」


「あら、お姉さま。暑い日には熱いお茶を飲んだ方が汗が出て涼しくなりますよ。このお部屋は風が吹かせてありますから、汗を少しかいたら気持ちようございますよ」


 そんな風にお話を聞いている間にお茶が程よく冷めました。まだ熱目ですが。私は妃殿下のお話を聞いてその熱めのお茶を飲んでみました。胃の腑にお茶が落ちた瞬間汗がぶわっと出た感じがします。すると風が当たって確かに涼しくなりました。そして部屋の飾り付けが涼しいのでより気持ちが良いです。なるほど、これが今回のお茶会の趣向ですか。私は妃殿下の機転に感心致しました。


 それからは普通のお茶会と同じく談笑が始まります。こういう時のお話しは主催者のお好みによって傾向が変わります。社交界のゴシップが大好きな方、家庭の愚痴を言い合うのが好きな方、好きな男性を言い合うのが好きな方、面白い話が好きな方、おべっかを遣われるのを好む方。色々です。主催者の好みを読み取ってその方を退屈させないように話を盛り上げなければなりません。


 皇太子妃殿下はどんなお話しでも楽しそうに聞いて下さいます。ゴシップでも男女関係の噂でも。ただ、おべっかに対する反応は非常に薄いようでした。反応が良いのは皆さまがお話になる各地の領地の話で、そこでどのような動物がいるのかとか、どのような作物があるのかという話は身を乗り出して楽しまれていましたね。私はまだ伯爵領に行ったことが無いので話題を提供出来ず、悔しい思いを致しました。


 お茶会にはお菓子が沢山出ます。主催者の妃殿下がご用意くださったお菓子と、出席の皆様が持ち寄ったお菓子です。主席者はお茶会の前日までにお菓子を帝宮に送り、帝宮ではそれを念入りに毒見したうえで当日まで保管します。一方、妃殿下の出すお菓子は毒見の必要がありません。いえ、出席者は侍女に毒見をさせても良いのですが、そんな事は妃殿下に対して失礼になりますから出来ません。ですから自然と私達の持ち寄るお菓子は焼き菓子など日持ちのするものに、妃殿下のお菓子は生菓子が多くなります。


 流石に妃殿下のお菓子は素晴らしいもので、私でさえあまり食べた事の無い、柔らかなケーキがふんだんに出ます。美味しいです!これを食べただけでもこのお茶会に来たかいがあるというものです。ニコニコしながら私がケーキを食べていると、妃殿下が何かを食べるのを目にしました。さりげなく見ていると、妃殿下は他のお菓子を食べた後、必ずそのお菓子、小さな焼き菓子のようでしたが、それを食べています。


 そのお菓子は私の前にも並べられていました。小さく黒っぽい焼き菓子で、あんまり美味しそうではありません。しかし、もしかしたら妃殿下の好物なのかもしれません。興味を持った私はその焼き菓子を手に取り、口に運びました。


 ・・・微妙な味です。最初は味が無いかと思いました。先ほどまで食べていたお菓子の甘さに比べれば無いも同然のほのかな甘みしかありません。歯触りもクッキーのようなさっくりしたものでは無く、歯切れが悪いものです。クルミかなにかでしょうか?そんな味もします。うーん。


 しかし一枚味わうと、そのほのかな甘みが何となく後を引きました。私は二枚目を手に取り、またかじってみます。うん。なんだか私、このお菓子が気に入りましたよ。これに比べれば他のお菓子は甘すぎる気がしてしてきました。そう思いながら私が三枚目に手を付けたその時でした。


「気に入ったのですか?」


 妃殿下が興味津々という感じで私の事を見ていました。私は思わず焼き菓子を取り落とすところでした。どうにか姿勢を正すと、私は笑顔を必死に浮かべつつ言いました。


「え、ええ。美味しいと思います。ほのかな甘みが良いですね」


 すると妃殿下はパーっと表情を輝かせました。


「そうですか。気に入って頂けて嬉しいですわ」


 作法通りの微笑よりも楽し気な笑顔です。それを見て他の出席者も興味が出たらしく、そのお菓子を口に運んでいました。しかし、全員が顔を顰めます。


「味がしませんね?」


「砂糖が足りないのでは?」


 評判は散々です。しかし不思議な事にラフチュ伯爵夫人はコメントしません。先ほどから妃殿下に遠慮の無い発言を繰り返していらっしゃったのに。


 妃殿下は顔を曇らせました。


「そうですか」


 あからさまにがっかりする妃殿下を見て出席者の方は失敗に気が付きます。お母様も含めて顔を青くなさいました。


 私は慌てました。このお菓子は明らかに妃殿下のお気に入りです。それに私が気に入ったというのも本当です。


「私は好きですよ。妃殿下」


「いいえ、無理しなくても良いのですよ。これは私の故郷のお菓子なのです。か・・・、いえ、お世話になった方が良く作って下さったのです」


 そうおっしゃった妃殿下のお顔は凄く寂しそうでした。私は思わず力説しました。


「いえ、本当に美味しいです。他のお菓子は甘過ぎて舌がおかしくなります。妃殿下のお好みは間違っていないと思います!」


 必死に言い募る私に妃殿下はフフっと微笑を取り戻されました。


「ありがとう、コレアンヌ様」


 ひ、妃殿下に名前を呼んで頂けましたよ!私は驚くと同時に嬉しくなりました。



 私達は気を取り直して談笑の続きに戻ります。しばらくお話ししていると、とある子爵家のお話しになりました。レブランド子爵家は子爵ですが格が高く、領地も広めです。このまま行けばそのうち伯爵になるだろうと噂されていました。


 しかしながら、ここ最近、あまり良い噂を聞かない家でもありました。子爵は下位貴族ですから、普通の上位貴族の社交には出てきませんが、レブラント子爵家くらいの格になると、少し規模が大きめの社交には出てきます。その際に出て来たレブラント子爵夫人のドレスが非常に派手で豪華だったのです。


 社交では格の低い家の者は装いを控えめにするのが常識です。ですが、レブラント子爵夫人は遠慮無く派手なドレスで登場して、上位貴族たちの不興を買ったのです。しかしながら、そんな事をすれば不興を買うと当然分かっていた筈です。それなのにどうしてわざわざ上位貴族に喧嘩を売るような真似をしたのでしょう。


 どうやら有力な後ろ盾を手に入れたから、という噂でした。何でもマルロールド公爵夫人と昵懇の間柄になったそうです。それで夫人はその夜会で「公爵家のご推薦で我が家は直ぐにも伯爵になるだろう」と嘯いていたということでした。


 有力な後ろ盾を得る事は貴族社会では必須で、別に非難される性質の事ではありません。現に我が家も皇太子妃殿下の庇護が欲しくて今日私をこのお茶会に送り込んだのですから。ですが、後ろ盾の権勢を笠に着て、貴族社会の規範を乱す行為は歓迎されません。


 お母様も他の出席者の皆様もどうしたものでしょうね、と嘆息なさいます。妃殿下は微笑を保ったままノーコメントです。マルロールド公爵夫人は傍系皇族です。妃殿下でも迂闊に手を出せる相手ではありませんからコメントし難いのでしょう。


 その時、クロウラ侯爵夫人が黒髪を揺らしながら仰いました。


「図に乗るだけなら兎も角、分不相応の贅沢をするために領地の民に酷税を掛けて苦しめているそうですよ。近隣の領地に逃げ出した領民曰く、税が払えないだけで子供を売られた例もあるとか」


 酷い話です。領主貴族の中には領民を自分の所有物だと考えて恥じない者もいます。もちろん我が家はそうではありませんとも。


 そう考えながら私はふと妃殿下を見ました。酷い領主に妃殿下がどのような反応を示されるのか気になったという事ではありません。何となくです。


 ところが、妃殿下の表情は一変していました。笑顔は不自然に固まり、目つきが異常に鋭くなっています。そして金色の瞳が輝き出しています。な、何事でしょう。


「その話、本当なのですか、クロウラ侯爵夫人?」


 妃殿下が底冷えのするようなお声で仰いました。その物凄い圧力が込められたお声に、クロウラ侯爵夫人は無意識にでしょう、仰け反りながら答えます。


「え、ええ。レブラント子爵領のお隣の領主から伺いましたから間違いございません」


 その返答の効果は劇的でした。その瞬間から妃殿下の金色の瞳に赤い色彩が混じり始め、その内真っ赤になってしまいました。ルビーよりも赤いです。そして恐ろしいです。な、なんですかあれは!赤く輝く瞳でこの場に居ない者を睨み付ける妃殿下のご様子はこの世の者とも思えません。恐るべき真っ赤な瞳を横目で見るだけでも手足が無意識に震え出します。もしも直接睨まれたら卒倒して死んでしまうかもしれません。


「侯爵夫人、良く教えて下さいました。ええ・・・、よく」


「そ、そうですか!妃殿下のお役に立てて光栄にございます!」


 クロウラ侯爵夫人は引き攣った声で言うしかありませんでした。



 その後、お怒りを抑えられた妃殿下の瞳は金色に戻り、我々は胸を撫で下ろしました。そして程無くお開きとなりました。妃殿下は席を立たれ、部屋を出る私たち一人一人とご挨拶を交わします。私とお母様のご挨拶の番が来たので、私は妃殿下に深々と頭を下げました。


「不慣れをさらし、数々の無作法をいたしました。お許しくださいませ」


 私の謝罪に皇太子妃殿下はコロコロと笑って仰いました。


「お若いのに良く出来たご令嬢ですね。あのお菓子を気に入って頂けて嬉しかったわ。それに」


 妃殿下はご自分の左手を上げて、そこに嵌っている翡翠のブレスレットを私に見せました。


「あなたも同じものをしていらっしゃるでしょう?これは故郷の隣の国でしか採れない宝石で、私は地味だけど大好きなのです。あなたとは気が合いそうですね」


 な、なんと!失敗かと思った翡翠のブレスレットですが、妃殿下に気に入って頂けたようです!何という幸運でしょう。お菓子とこのブレスレットで私は妃殿下の好印象を勝ち取れたようでした。


 実際、妃殿下はそれから私を何度もお茶会に招いて下さり、なんと妃殿下のお住いの離宮にまで招いて下さるようにもなりました。大変な名誉です。そして後日ラフチュ伯爵夫人の口利きもあり、妃殿下のお兄様にあたるカリエンテ侯爵の三男のエクライヤー様との縁談を紹介される事になるのですが、それはまだかなり後のお話しです。ですがこれで我がブロスティアス伯爵家の将来も安泰となったと言って良いでしょう。


 因みにですが、例のレブラント子爵は皇太子妃殿下のお怒りの直撃を受け、跡形もなく取り潰されたようです。私はそのお話しを後で聞いて、私は、我が一族はけして妃殿下の瞳が赤く輝くような事はしないと誓いましたよ。

 


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