四十三話 竜狩りの裏事情 セルミアーネ視点
竜が現れたと聞いて、ラルフシーヌが欣喜雀躍とするのは分かり切った事だった。彼女は兎に角強大な敵と戦う事を好む。
ただ、彼女はこの時は喜ぶだけでは無く怒ってもいた。帝都の市民に犠牲者が出たからだ。彼女は帝都の一般市民の事を非常に大事にしている。貴族たちがどうしても切り捨てがちな市民に対する同情と労わりは彼女が生涯持ち続けた美徳だった。
この時も、まずは竜が再来襲した時の対策を話し合っていた皇帝府の面々に、何よりも先に被災現場の消火と救出を主張し、その警備に騎士団を当てる事を主張した。これには私も流石に反対したが、ラルフシーヌはけして譲らず、私も最終的には同意して騎士を向かわせた。結果的には消火が早期に済んだおかげで竜への対策に集中出来るようになった。ラルフシーヌの考えの方が正しかったのだ。
そしてラルフシーヌは帝都市街がパニックになり掛かっていると知ると、帝宮の塔に登り、帝都市民に呼び掛けてパニックを鎮めてしまった。私は流石に見ていないが、後で護衛の騎士に聞いたところによると、かがり火と魔法の明かりに照らされた、黄色いドレスを着た美しき皇太子妃の姿は見ものだったそうで、私は後日何度かその美しさについて語る者を見た。私もちょっと見て見たかった。
しかもラルフシーヌは帝宮の中に避難民を入れる事を主張し、警備の兵の反対を押し切って実行してしまった。この施策により市街はパニックを起こすことが無くなり、結果的には竜の再襲来に動揺しなくなったばかりか、竜に立ち向かう皇族と上位貴族を市民たちが支え手伝ってくれるようになった。避難民たちは率先して物資の運搬やかがり火への薪の継ぎ足しなどに従事してくれて、それらの人員の確保に悩む必要が無いというのは、再襲来へ対抗するために人員や物資を手配する責任者であった私には大きな助けとなったのである。彼らはラルフシーヌを讃え、ラルフシーヌのためなら何でもすると叫ぶのだった。私は次期皇帝としてちょっと反省した。私も彼らにこのように信頼されなければならない。
そしてラルフシーヌは竜との戦いに魔法を使う事を提案してくれた。これには誰もが驚いた。魔法など、上位貴族にとっては下位貴族が使うものでしか無く、せいぜい精霊に頼んで風を起こしたり光を宿したりするくらいの役目しか期待していないものだ。それを、上位貴族に神への祈りによって大規模な魔法を使わせ、騎士団への支援や竜への攻撃に使おうと言うのである。正直に言うと、私でもそんな事は考えた事も無かったし、出来るかどうかも分からないと言うしかない事であった。
精霊というのは大きな意味で言うと神と同じく分類される、この世に力を及ぼす事の出来る異界の存在である。ならば、精霊に働きかけるのと同じに神に祈る事で力をお借り出来る、とは誰でも考え付く事で、理論的には可能であろう。事実大神殿の神官たち曰く、魔力を奉納して加護を願うのは魔法と理屈は一緒であるので、精霊の上位存在である神にお力をお借りする事は可能であろうとの事だった。
であるなら実際に試してみるしかない。私は騎士団の訓練所で騎士の方陣に魔法を掛けてみるべく、数人の元騎士の伯爵を呼び出した。彼らは血筋も元々悪くないし、騎士として訓練を積んで後天的に魔力も増えている。一回くらいなら神に祈りが届くだろう。ただ、一人でやると間違って魔力を奉納し過ぎても困るので、二人組で祈って貰う事にした。
「天にまします全能神と鋼と剣の神よ。騎士たちの剣に鋭さと強靭さを与えたまえ」
伯爵二人が魔力を奉納すると、騎士たちの頭上から光の粉が降り注いだ。どうやら成功だろう。私は騎士達に訓練用の土山に攻撃するよう命じた。
すると、十人の騎士たちの攻撃は高さ二メートルもある土山を吹き飛ばしたのである。攻撃した騎士の方が驚いていた。これは、確かに攻撃力が上昇している。あの土山は騎士の方陣攻撃にも耐えられるように造られているのだ。あれをあの勢いで吹き飛ばしたなら少なくとも普通の五倍くらいの威力があるだろう。
ただし、あの一回で伯爵たちは立てないくらい魔力を消耗していたし、騎士たちの攻撃は三回ほどで通常威力に戻った。これでは戦いの最中何度も支援魔法を掛けてもらう必要がある。かなりの人数の、しかもかなりの上位貴族の協力が必要だろう。果たしてそれ程の貴族が戦場に出てくれるのだろうか?
しかし、心配は杞憂だった。上位貴族はエベルツハイ公爵、カリエンテ侯爵が働き掛けたためにこぞって協力を約束してくれたのだ。なんと皇妃陛下とエベルツハイ公爵夫人の働きかけで、貴族婦人までもが参加してくれるのだという。どういう事なのかと驚く私にカリエンテ侯爵が説明してくれた事には、どうやらマルロールド公爵家と仲が良かった家の者(何しろマルロールド公爵家は貴族の最上位だったので、繋がりが深い家が多かった)がこの戦いへの参加でその罪を帳消しにして欲しいと望んでいるとの事だった。それなら願っても無い。私はこの戦いで皇族への忠誠心が証明されれば、以降は事件の関与について一切の責任を問わない事を約束した。
残る問題は時間だった。竜は夜には活動しないらしい。ならば夜明けとともに再び襲ってくる可能性が高い。しかし、帝都は百万都市。市域は広大で、城壁長は数十キロメートル。概ね五角形をしている都城を騎馬で疾走しても横断するのに数時間掛かってしまう。竜が出現してから騎士団や上位貴族が駆け付けるまでに数時間掛かったら、竜は城壁をぶち抜いて帝宮にまで進出してきかねまい。皇太子府にやって来たラルフシーヌにその話をすると、彼女は事も無げに言った。
「大丈夫よ。前回と同じように飛んで入らないなら、少し足止め出来るものを城壁の各所に配置しているから」
何でも目つぶしと鼻潰しの粉を大量に生産して城壁各所に配布したとの事。いつの間に?何でも帝都市街の各種ギルドが協力して、総出で生産してくれたそうで。それを避難民が荷車を引いて城壁各所に配布してくれたとの事。それにしたって、ほんの二時間程度しか無かった筈なのに驚きの手配の速さだ。ラルフシーヌ曰く、金をふんだんに払えば商人や工場の職人は驚くほど仕事が早いのだという。それだけではあるまい。彼らはラルフシーヌの命であり頼みであるから真夜中に総出で働いてくれたのだ。
これは、私も負けてはいられないな。そう決意する。ラルフシーヌはキラキラとした赤い目をしながら「じゃぁ、私は平民の兵士のと狩人部隊の配置を見て回って来るからね」と皇太子府から出て行こうとした。私は彼女を呼び止めた。戦いが始まるだろう夜明けまであと数時間。もう時間が無い。彼女とゆっくり会える時間はこれが最後かも知れない。
何しろ相手は竜であり、勝てるかどうか分からない。勝てたとしても陣頭に立つ私が生き残れるとは限らない。それにラルフシーヌが大人しく安全な所にいるとは限らないから、彼女だって生き残れるとは限らない。私は立ち上がり、彼女の間近に歩み寄った。彼女にも私の意図と気持ちは伝わったのだろう。少し照れくさそうに微笑む。すーっと、瞳の色が金色に戻る。興奮した赤い瞳も美しいが、金色の優しい輝きも非常に魅力的だ。私は彼女の腰を抱いて、彼女の銀色の髪を撫でた。
「なーに?旦那様は奥さんに甘えたい年頃なの?」
「そうだね。いつでも私は君に甘えて頼りにしているよ」
彼女は私の肩に額を擦り付けるようにした。
「大丈夫よ。私はあなた以外に負けた事は無いもの。あなたは多分竜より強いんだから」
「君がそう言うなら安心だ。私の勝利の女神よ。必ず勝ってみせるよ」
「期待しているわ。私の皇帝陛下」
私は一度彼女を抱き締めて、それから言った。
「カルシェリーネへの挨拶は君に任せるからね」
全ての準備を終え、私は鎧を身に纏い、騎士団を率いて西門から城壁外に出た。まだ薄暗い中を城壁沿いに馬を進める。城壁は十五メートル程の高さがあり、厚さも相当ある。これをぶち破った竜の体当たりを果たして加護の魔法を受けた騎士団は耐えられるのだろうか。
しかしながらもう賽は投げられたのだ。やるしかない。私の率いる五百騎は西門を出て南へ。皇帝陛下が率いる五百騎は北へ向かい、それぞれ竜の出現を警戒する。
西門の所で馬を寄せて来た皇帝陛下は言った。
「其方の身体は大事にせよ。例え竜に勝ったとしても、次期皇帝の身に何かあれば勝ったとは言えぬ」
だが、私は苦笑して言った。
「大丈夫ですよ。陛下。私に何かあってもカルシェリーネがいます。リーネをラルフシーヌが後見すれば、私が皇帝になるより帝国を立派に導いてくれますよ」
だが、皇帝陛下は私の事をキツく睨んだ。
「そういう事を言うでない」
そして皇帝陛下は私の肩に手を置いて悲しそうな微笑みを浮かべた。
「私は三人の息子を失った。息子に先立たれるのはもう、沢山だ。私より先に死ぬ事は許さぬ。私を捨て駒にしてでも生き残れ」
皇帝陛下の苦しみ悲しみが肩に置かれた手を通って流れ込んできた。私は思わず言った。
「父上・・・」
「そうだ。私は其方の父だ。約束せよ。私より先に死なぬと、な」
私は声は出さずに頷いた。皇帝陛下は私の肩を叩くと、馬首を巡らせて、自分の隊を率いて駈け去って行った
さて、困った事になったぞ。果たして竜に勝つのに命を惜しんで戦えるものだろうか。そう思いながらも、私は皇帝陛下の父親としての思いに共感してもいた。私だってカルシェリーネに先立たれたら絶望を覚えるだろう。
そんな事を考えながら城壁沿いを警戒しながら歩く。どうやら夜は明けたようだ。ここは西城壁沿いなので太陽はまったく見えないが、空が明るくなってきた。その時、空を警戒していた者が叫んだ。
「前方に竜!」
なに?と私が思った時には、目の前に巨大な竜が降り立つところだった。私は驚愕した。私だって警戒していた筈だ。竜が西の方から飛んで近付いてきたのなら間違い無く分かった筈である。それがまるで気が付かなかった。あたかも真上に突然出現したかのようだった。
大神獣。大神獣は地力の結晶であり、生き物では無いのではないかという説があった。実際、破壊の限りを尽くした後、フッと目の前でかき消えたという証言も残されていた。過剰な地力が大神獣として結晶化し、地力を消費すると消えるのだという。私は背筋が寒くなった。もしも竜が生き物では無いのなら、倒す事は出来ない。
私は内心の怯えを押し隠しながら、近くにあった林に騎士団を隠れさせた。いきなりぶつかって行ってもダメだ。何しろ竜は巨大であり、どうもそのままでは脚くらいにしか攻撃が届きそうにない。機会を伺うべきだろう。
それにしても何と美しい姿であろうか。私は内心で感嘆した。流麗な体躯に黄金色の鱗が煌めく。正に神の獣というに相応しい。しかし、私は帝国を帝都を守るためにこの大神獣を倒さなければならない。
竜が城壁に近付くと、突然、城壁から何かが降ってきた。竜の頭に当たると、真っ白な煙が立ち込める。竜に当たらなかったものは地面に落ちて破裂し、辺りを白く染めた。しかも凄い臭いだ。騎士達が驚く。
ラルフシーヌが言っていた目潰し鼻つぶしだろう。驚いた事に竜が苦しみ混乱し始めた。こんな巨大な大神獣にも効果があるようだ。私はラルフシーヌがしきりに「竜も生き物なら仕留められる」と言っていたのを思い出した。あまりに巨大で神々しい竜に気圧されていた自分を恥じた。こいつは帝都を脅かす害獣であり、倒すべき敵である。私は気合いを入れ直した。
倒すべき相手だと思って観察すれば、弱点も見えてくる。竜は巨大であり、それだけに動きは遅いようだ。尻尾で城壁を叩いたが、それだけでは城壁は破れない。翼で空を叩いて煙幕を吹き飛ばしたが、一番効果的な飛んで煙幕から出るという方法を使わないのだから、どうやらここでは飛べないようだ。
よし。私は城壁上に気を取られている竜に攻撃を仕掛けるべく、騎士団を竜の後方に移動させた。竜は気付かない。騎士団には攻撃と防御の支援魔法が既に掛かっている。私はいざ、攻撃を命じようとした。
その時、竜が首を大きくのけぞらせた。なんだ?と思う間も無く、竜はガッと口を開き、そして真っ赤な炎を城壁に向けて叩きつけた。炎というより爆発、あるいは溶けた鉄のような。城壁に叩きつけられた瞬間、熱波が炸裂し、私達は硬直して動けなくなった。竜の真後ろに移動していて助かった。先程まで隠れていた林は熱でパチパチ音を立てて燃え始めている。
再び私の心に畏れが生じた。しかし、竜にとって炎を吐くのは楽な事では無いらしく、それまでけして地面に付けなかった尻尾を地面に落とし、腰を落としている。あれなら奴の尻に槍が届く。私は半ば無意識に命じていた。
「攻撃!」
五百名の騎士団は槍先を揃えて突撃した。そして竜の左腰の部分に攻撃を加える。瞬間、物凄い衝撃が来た。硬い!先頭で槍を繰り出した私の手に竜の鱗の硬さが伝わってくる。しかし、騎士団の方陣全体が桃色の光を放つと、背中を押されるような感覚がした。同時に槍先が赤く輝く。すると、槍が当たっていた竜の鱗が粉々に砕け散った。槍はそのまま突き進み、竜の身体に深々と食い込んだ。
竜の身体から赤い血が吹き出す。赤い血。竜が生き物である証拠だ。私は深追いは避けさせ、隊を離脱させる。見上げると、竜が首を巡らせ、こちらを赤い目でギロリと睨んだ。
しかし、その瞬間、竜の後頭部に煙幕袋が炸裂した。大きな音の出る笛矢も飛び交い、竜が私たちを見失う。私は騎士団を大きく旋回させ、再び竜の背中側に回り込む。
「攻撃!」
私の号令で騎士団は突撃し、竜の左腰、つまり先ほどと同じ所に攻撃を加えた。今度は鱗は既に剥がれかけている。効果的な打撃となったようだ。竜がバランスを崩す。よし、いける。
と思った瞬間「殿下!」と警戒を呼び掛ける声がした。ハッとなって見上げると、そこに大木のような影が差し掛かっていた。竜の尻尾だ。それが分かった瞬間には、竜の金色の尻尾は騎士団の真上から叩き付けられていた。
「防御!」
私は叫ぶのが精一杯だ。訓練の賜物か、騎士達は一斉に頭に盾をかざす。しかしあんな巨大な尾の一撃に耐えられるのだろうか。
しかし、竜の尾が叩き付けられた瞬間、騎士団の頭上に虹色の障壁が生じた。騎士が方陣を組むと敵の攻撃を赤く光って跳ね返す事があるが、それよりも明確な障壁だ。竜の尾がそれに弾き返されるのが見えた。
「神のご加護だ・・・」
誰かが呟くのが聞こえた。正にその通り。神のご加護無くば大神獣と戦うことは敵わないのだ。
竜が私たちを睨みつけ、身体を回して追い掛けて来ようとした。しかし私たちに牙が届きそうになったその時、竜が甲高い悲鳴を上げた。見ると、騎士団のもう一隊、皇帝陛下が率いる五百騎が竜に痛撃を加えた所だった。私達が攻撃をした傷口に更に攻撃を加えたようで、竜が左脚を気にする仕草を見せていた。脚が伸ばせなくなっているらしい。これなら更なる攻撃が奴の胴体に届く。
その時、我々の頭上から光の粉が降り注いだ。支援魔法が掛かった印である。どうやら上位貴族が到着して魔法で支援を始めたようだ。これで攻撃力、防御力が落ちる心配は無くなった。
私の隊と皇帝陛下の隊は連携して竜に交互に攻撃を加えた。竜より騎士団の動きの方が早く、しかも城壁上からは煙幕や笛矢での妨害もある。更に上位貴族が魔法で直接攻撃まで始めた。雷や氷の魔法で竜を翻弄し、その隙に私達が攻撃を加える。脚、尻尾、隙があれば背中や腹。竜は今や下半身を血で染めつつあった。動きも少し鈍ったような気がする。
しかしながら竜だって必死に反撃する。尻尾、前足、牙で騎士の方陣に攻撃してくる。いくら強化していても無傷とはいかず、数人の騎士が竜の攻撃で方陣を弾き出されてしまった。それでもあの大神獣相手にその程度の犠牲なら最高に善戦していると言えるだろう。
しかしながら、攻撃している私たちにも決め手が無い。竜を弱らせ、少なくとも身を伏せさせないと致命傷が与えられないのだ。しかしながらそれでは時間が掛かりすぎる。それにおそらく完全に弱る前に竜は逃亡を図るだろう。逃亡されたら厄介だ。逃亡して傷を癒やされてしまったら、もう一度戦ってこれほど上手く状況を運べるか、自信が無い。逃したくはないが・・・。
と、ここで竜が城壁に背を向けて、騎士団に向けて前足を振るってきた。大振りだったので私も皇帝陛下も隊を動かして攻撃を避けた。すると竜はその隙を突いて、左脚を引き摺りつつズシンズシンと走り始めたのである。やはり逃亡するつもりだ。私は追撃を命じたが、竜は林や建物を粉砕しながら次第に加速した。ダメだ。これは逃げられる。
ついに竜は翼を羽ばたかせて宙に舞い上がった。ぐわっと上昇して飛び去って行く。「よし!逃げたぞ!」騎士団から歓声が上がる。確かに城壁を防衛して竜を逃亡させたのだから大勝利だ。次が無いのであれば。だが、ここで喜ぶ皆を否定しても仕方が無い。飛んで行く竜を追撃する方法が無いのだから。とりあえず勝ったという事にしておいた方が士気を保つ意味でも良いだろう。
私はそんな事を考えていたのだが甘かった。見ていると竜が旋回し、再びこちらに向かって来たのだ。あ、しまった!私が過ちに気がついた時には遅かった。竜は城壁の周りでは何故か飛べなかったが、ここまで離れれば飛べるのだ。飛んでいる竜に騎士団は攻撃する術が無い。なのに無警戒に追撃して来てしまった。
竜は接近し、大きく翼を羽ばたかせて減速すると、大きく息を吸い込み始めた。喉の下の鱗が割れ、赤い袋が一気に膨らみ始める。何の予備動作かは明らかだった。私は叫んだ。
「退避!」
しかし騎士達は逃げなかった。
「殿下をお護りせよ!」
騎士達は次々私の前に出て盾を構える。身を捨ててでも私を守ろうと言うのだ。無理だ。先ほどの城壁を焼いた一撃と同じものなら纏めて黒焦げになるだけだ。しかし騎士達は自分達の魔力を振り絞って防御の構えをする。
く、こうなったら私も全力で魔力を放出して防御力を上げるしかない。私がそう思って神に祈りを捧げようとした、その時だった。
騎馬が一騎、すぐ近くにあった集落から駆け出してきた。そして一気に今にも炎を吹き出さんとする竜の前に出る。私は目を疑った。一目で分かった。あれはラルフシーヌだ。
皇太子妃仕様の白地に桃色が散りばめられた華麗な鎧姿。兜は無く、銀色の長い髪が靡いている。その表情は不敵に笑い、赤く輝く瞳は竜を睨み付けている。そして彼女は優雅とも見える所作で背中の矢筒から矢を抜き取り、愛用の弓につがえた。
「ラル!」
思わず私は叫んだがラルフシーヌの視線は竜から外れない。そして、弓を構えつつ朗々と祈りの言葉を放つ。
「天にまします全能神と、炎と浄化の神よ。この一矢に御力を宿らせたまえ。何物をも焼き尽くし、何物をも浄化する炎のお力をもって、我に勝利を与えたまえ!」
ラルフシーヌのつがえている矢が赤く輝いた。そしてその輝きが増した瞬間、ラルフシーヌは矢を躊躇無く放った。
矢は空中で燃え上がり、赤い軌跡を描いて竜に向かって飛び、竜の喉袋に飛び込んだ。
その瞬間大爆発が起こった。竜の喉元で。竜は絶叫を上げて仰け反り、バランスを崩して墜落した。地響きを立てて地面に叩き付けられる。悲鳴を上げてのたうち回る竜に対して、すぐさま反応したのは皇帝陛下だった。
「好機ぞ!攻撃!」
私も我に返ると騎士団に攻撃を命じた。騎士達は方陣を組み直し、雄叫びを上げて竜にむけて突っ込んだ。竜は倒れている。先程まで届かなかった、腹や胸を攻撃する好機だ。
ここでとどめを刺さないと、我々に勝ち目はあるまい。私達は必死に攻撃した。竜はどうやら目が見えなくなったらしいが、それだけに滅茶苦茶に手足や尻尾を振り回し、何人もの騎士が跳ね飛ばされた。
しかし、何度となく攻撃すると、竜の動きが緩慢になってきた。今や竜は全身から血を流している。私は全員に下馬を命じた。方陣を硬く組み、槍を構えて突撃する。深々と槍は食い込んだが、まだ竜は動いている。もうじき日が暮れる。どうしてもここで止めを刺さなければならない。私は決心した。
私は竜の首、爆発して大穴が開いているそこへ駆け寄った。そこには人一人が入れそうな穴が開き、嫌な肉が焦げた臭いが漂っている。躊躇している暇はない。私はその穴の中に半身を突っ込み槍を構えると、全力で魔力を放出しながら神に祈った。
「天にまします全能神と、炎と浄化の神よ。我が槍に御力を宿らせたまえ。何物をも焼き尽くし、何物をも浄化する炎のお力をもって、我に勝利を与えたまえ!」
ラルフシーヌが祈ったのと同じ火の神に祈る。すると、手に持った槍に赤い炎が宿った。炎は段々大きくなる。私は気合いの叫びを上げながら槍を竜の体内に突き出す。炎が迸り、竜の内臓を焼き尽くした。炎が逆流してきて私は慌てて竜の体内から飛び出す。
竜は痙攣を起こしやがて、力尽きた。竜が動かなくなっても、私はしばらくその事が信じられず、私は竜の身体を睨んでいたが、どうやら本当に死んだようだと分かり、私は全身の力を漸く抜いた。
歴史上、誰もなし得なかった大神獣の討伐に成功したのだ。騎士団の皆は喜び、駆け付けてきた兵士たちも含めお祭り騒ぎになっている。ラルフシーヌも皇帝陛下も喜び、上位貴族も帝国万歳を叫んでいた。
しかし、私は再び畏れと虚脱感を覚えていた。大神獣は奉納し過ぎにより生じた地力を吸って出現する。我々が犯した過ちを是正するために出現するのだ。
それは神意であろう。我々は自ら犯した過ちを認めず、神の送った大神獣を討伐し、神意を否定したのでは無いだろうか。そんな事が許されるのだろうか。その思いは、竜の死骸が夕日の残照に吸い込まれるように、光の粉となって消えてしまった時により一層強くなった。竜はやはり、生き物であって生き物では無いのだ。
私は密かに誓っていた。もう二度と、大神獣を出現させるような真似はすまい。そして、もしも出現させてしまっても、討伐を試みる事もするまい。私は皇帝になり、全能神のいとし子の一人になるのだ。その私が神意に背くような事はしてはならないと思う。だが、もしかしたら、ラルフシーヌには違う思いがあるかもしれないとは思った。彼女なら民を守るためなら神意にも逆らって見せると言うかもしれないな。もしもまた大神獣が出た時に、私とラルフシーヌの意見が対立してしまったら、果たしてどうしたら良いのだろうか。
・・・幸いな事に、私の治世において、大神獣が直轄地に出現する事は二度と無く、私もラルフシーヌも二度と竜と戦う事は無かったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます