四十二話 竜との決戦
皇帝陛下は兵士を動員して、全員を帝都城壁に登らせ、竜の接近を監視させる事にした。夜のうちに兵士は城壁に駆け上り、かがり火を焚いて闇に目を凝らした。
因みに前回の襲来時には突然上から舞い降り、着地すると城壁に体当たりし城壁をふっ飛ばし、歩いて中に入ったらしい。なんだろう。せっかく飛んでいたのなら飛んで入れば良かったのに。何か飛んで入れない理由でもあったのかしら。他の都市を襲った記録では城壁を飛んで越えて入った例もちゃんとあるらしいのに。
セルミアーネは竜が出てから大図書館で竜についての情報を集めさせているそうだ。結構詳細な記録が残っている襲来の記録もあるらしく、細かく調べると言っていた。もっとも、そんなに時間は無いと思うけどね。
私の勘では、前回の来襲は竜としては失敗だったと思っていると思うのだ。竜に思考能力があればの話だが。
これは熊や狼、ヤマネコなんかの話だが、ああいう害獣は物凄く獲物に執着する。例えば襲った獲物に逃げられた場合、執念深く追跡して何度も何度も襲うのだ。熊が村を襲った場合などは要注意で、去ったと思って安心していると又何度でも襲ってくるのだ。村が全滅するまで。竜が同じような習性で、帝都を獲物と決めたのなら、何度でも襲ってくる。すぐにでも。
ただ、セルミアーネの調べた範囲では、竜が夜襲を掛けて来た例は見当たらなかったとの事。他の大神獣、大白虎は夜襲しかしないという話だった。じゃあ、竜は昼行性で大白虎は夜行性なのね。害獣で昼行性と決まっている生き物はむしろ珍しいわね。熊も狼も夜にも動くから。何か理由があるのかしら。例えば鼻が悪いとか。鼻が利かない目に頼る生き物は昼間に行動したがる。
体形が少し似ているトカゲは確かに昼に動く奴が多い筈。大きな奴は特に。なぜならトカゲは寒いのが苦手で、身体を温める日光を好むからだ。寒いのが苦手なら、氷の精霊に頼んで凍らせてもらうのはどうかしら。火はダメねきっと。なにせ奴は火を吐く。自分の毒で死んでしまう間抜けな生き物はいないと思うわ。
こんな感じで私は一生懸命に竜の事について想像を巡らせていた。実際には見てみなければ分からないが、それでも未知の獲物を狩る時にはこの想像、空想というのは非常に大事だ。色々な事を想定して、現場で獲物を見ながら段々と習性や弱点を洗い出し、想定していた場面に当てはめる。今回はやり直しがきかない一発勝負だ。いくら考えても考え足りるという事は無い。
私は考えながら侍女に甲冑を身に付けてもらう。出陣の儀式の時にも着た、儀礼用の華麗な甲冑だ。皇太子妃仕様なので花の飾りが入っていたり、色が白地に桃色だったりとあまり実用的では無い。だが、竜退治に出るにあたって、この甲冑をどうしてもと侍女達に押し切られて着る事になった。いや、以前御前試合で着た鎧で良いと言ったのだが「妃殿下が妃殿下として御出陣なのにあんな地味な鎧は許されない」と反対されたのだ。まぁ、味方に対する士気高揚の意味で一目で皇太子妃だと分かるのは大事ではある。
何しろ、今回は皇帝陛下は騎士団の一隊を率いて竜に直接相対されるし、もう一隊はセルミアーネが率いる。そして、私は弓部隊や兵士たちを指揮し、なんと皇妃陛下も前線に出るのだ。皇妃陛下は城壁上で上位貴族たちの魔法を指揮するのだという。皇妃陛下の出陣には流石に驚き、私は止めた。いや、魔法部隊の指揮は私がやるから、と言ったら皇妃陛下は物凄く怒った顔で「あなたは魔法の事を何にも知らないでしょう!私が適任です!」と叱られた。もっともではある。
「それに皇帝陛下、セルミアーネ、あなたまで前線に出るのに私だけ隠れてはいられません。帝国の存亡が掛かっているのです。私だって皇妃ですからね」
上位貴族は夫人を含めかなりの数の者が協力してくれた。彼らとて帝国の貴顕として帝国の危機には戦うという気概を持っているのだろう。まぁ、実際に竜を目にした時にどれほどの人数が腰を抜かさずにいられるかは未知数だが。中でもお兄様お姉さまは真剣だった。「竜を倒さないと、せっかくそこまで来ているカリエンテ侯爵家栄光の時代が来ないじゃないの」との事だった。まぁこれ乗り越えないと私が皇妃になる未来も来ないものね。
夜の内に騎士たちに、鋼の神や土の神に念じて魔法を掛ける実験をやってみたところ、確実に効果があるとの事だった。これは大発見だと神殿の神官や司祭たちがお騒ぎしているらしい。セルミアーネは大神殿に、騎士団に掛けたら戦闘力が上がると思われる魔法を掛けるために必要な神様を探し出して選ぶ事を命じた。ただ、実験した範囲ではやはり神様にお願いする魔法は物凄く魔力が必要らしく、上位貴族が二人くらい揃って祈らないと出来無いらしい。しかもその一回きりだ。攻撃も防御も効果を発揮するのは二度か三度で、その度毎にまた二人掛かりで神に祈らなければならない。
騎士団は集結し、知らせがあったらすぐに駆け付けられるようにしておく。協力して下さる上位貴族の皆様は各自馬車を用意し、同様に駆け付ける事になった。間に合えば良いがと心配しているセルミアーネに私は言った。
「大丈夫よ。前回と同じように飛んで入らないなら、少し足止め出来るものを城壁の各所に配置しているから」
セルミアーネが驚いた顔をした。
「いつの間に。というか、何を用意したんだい?」
大したものでは無い。
「煙幕よ。あと悪臭がする粉」
「・・・そんなものが効くのかい?」
「生き物なら効くわよ。絶対。竜が生き物じゃなかったらダメだけど」
生き物であれば目と耳と鼻で大体は位置や方向を見極めている筈だ。特別な機関を持っている生き物も中にはいるが、完全に目鼻耳に頼らない生き物はあまりいない。まして昼に現れ空も飛ぶ生き物であれば、目鼻耳が無いという筈は無い筈だ。煙幕、鼻潰し、騒音は基本どんな生き物にも効く。
そのため、小麦粉と石灰と硫黄とその他悪臭がするものを混ぜた目くらまし及び悪臭の元を大至急作らせて、袋詰めして帝都城壁各地に配ったのだ。材料は市街でたくさん使うものですぐ出来たし、市街の人々が協力してくれた。配りに行くのは帝宮に避難していた市民が買って出てくれた。これを投げ付けて、後は狩人が竜に大きな音が出る笛矢を放ち耳を狂わせれば、足止めくらいは出来るだろう。出来なければ竜は何か特別な機関に頼って動いているという事になり、攻略の一つの材料に出来る。
出来れば城壁で足止めして帝都の中には入れたくない。炎を街に吐かれたら消火がに人手を割かなければならないからだ。城壁外で決着を付けたい。
そろそろ朝である。私はすっかり鎧を着込んで出発の準備は整えていた。セルミアーネは既に騎士団を率いて城壁の外にいる。竜が西から現れたのに理由があるならまた西から現れるだろうとの予測の元に西の城壁外に。もしも予測が外れても騎馬で城壁の外を走って駆け付ける。私はこれから城壁に登り、城壁上から迎撃の指揮を執る予定だ。その前に。私は子供部屋を訪れた。まだ暗い時間なので勿論カルシェリーネは起きてはいない。ベビーベッドに収まってすやすや寝ている。乳母が物凄く緊張した様子なのを笑顔で安心させ、私はカルシェリーネの頬に手を触れて言った。
「あなたの未来と帝国を守ってきますからね。勝利を祈って待っているのですよ?」
西の城壁に登ると、朝日が帝都の市街を染め始めていた。壮麗な帝都。そう。成人のお披露目の時、西の門から入って目にした帝都がこの帝都だったなぁ。今は真っ黒に焦げて煙を上げている地域にも建物があったのだ。胸が痛む。皇太子妃として不甲斐無いと思う。他の地域とそこに住む人々は必ず守らなければならない。
城壁上にはかなり多くの兵士と兵士以外の市民がいた。灯りに沢山の松明が立ち並び、一抱えあるような煙幕と鼻潰しの入った麻袋が方々に積まれている。因みにこれの制作費用と運搬費用は私の個人予算から出る。足りなくなったら手持ちの宝石を売るから大丈夫でしょ。直接攻撃は竜に効かないのだから一般兵士に出来るのは嫌がらせくらいだ。だが、嫌がらせで足を引っ張ることが出来れば有利になる。
日が背後の市街の方向から上り、空がだんだん青空になって来たくらいの時間だった。突然「敵襲!」の叫び声が聞こえた。反射的にその方向を見ると、のろしが上がっていた。松明に入れると色つきの煙が上がる石のようなものを兵士は皆携帯している。竜が出たらすぐにそれを松明の中に投げ入れてのろしを上げる事で、周囲に襲来がすぐ分かるようにしてあったのだ。のろしが上がった方向は少し南の方。帝都の南西部だ。そんなに遠くない。私は護衛の騎士数人と共に城壁の上を駆け出した。
近付くにつれ兵士たちの叫びと何やら甲高い金切り音のような吠え声のような音が聞こえて来た。「妃殿下!あまり近付いてはなりません!」と護衛の騎士に言われ、私は急停止してそこから狭間越しに城壁の外を見た。・・・真っ白だ。そして物凄く変なにおいがする。驚くが私が作らせた煙幕だと思い出す。目を凝らしていると、不意に煙幕を突き破って何かが飛び出してきて城壁の外壁に激突した。城壁は石積みだ。その石が剥がれて吹き飛んだ。城壁自体も大きく揺れる。あれが、竜か。
「状況は?」
私が叫ぶと報告に来ていた兵士が直立不動で叫び返す。
「竜が突然現れ、着地後城壁に接近してきましたので、煙幕を投げ付けましたところ、ずいぶんと効果があるようで、その場で暴れ出しました!」
よしよし。やはりあいつは目なり鼻なりに頼っているのね。やっぱり図体は大きいが生き物なのだ。生き物は死ぬ。仕留められる。自然の摂理だ。
狩人も到着して、笛矢を次々と放ち始めた。竜の耳がどこにあるかは知らないが、生き物を混乱させ方向感覚を狂わせるのに大きな音以上の物は無い。これで時間を稼いでいる内にそれほど離れていない所に待機していた筈の騎士団が来て、上位貴族が集合してくるだろう。それからが本番だ。
と、その時空気が動いた。ぐわっと空気が渦を巻き、うねり、それから城壁の外から暴風となって吹き付けて来た。うわ!私は慌てて身体を伏せたが、城壁から身を乗り出していた者が何人も吹き飛ばされる。城壁は十メートル近い幅があるので辛うじて反対側に落ちる事は避けられたようだが、胸壁に激突して呻いている。私は狭間から城壁の外を見た。竜が背中の翼を羽ばたかせて煙幕を吹き払ったらしい。ちっ!あいつ、中々頭が良いわよ。私はここで漸く竜の全身をくまなく見ることが出来た。
確かに大きなトカゲだと言えなくもない。ただ、やはり明らかにトカゲでは無い。大きさは体長が恐らく十七から八メートル。四つ足歩行だが、前脚は少し手を地面に触れているだけのように見えるから後ろ足で立つのではないだろうか。細長い頭から長い首、胴体は流麗な曲線を描いていて、優美な長い尻尾に繋がっている。鼻先に長い角と、後頭部に後ろに向けて伸びる二本の角があり、背中には今は大きく広げられた翼がある。翼の感じは蝙蝠の羽のような感じで骨の間に皮膜があるようだ。全身を金色の如何にも固そうな鱗で覆っていて、なるほどあれには普通の剣も矢も通るまい。鋭く威厳のある目は赤く、怒りに燃えているように見える。
なるほど、大神獣と呼ばれるに相応しい威容だ。今は四つ足状態だから城壁上よりも低い位置に頭があるが、立ち上がったら城壁上に頭が出るだろう。そこで火を噴かれたらまずい。私は命じた。
「怯むな!何度でも煙幕をぶつけなさい!騎士団が来るまで時間を稼ぐのよ!」
兵士たちがずだ袋を持ち上げて次々に竜に向けて投げ落とす。数発が命中して竜に白い粉が掛かり、辺りが白くなり悪臭が立ち込める。しかし竜はすぐさま翼を振るって煙幕を振り払ってしまった。やはり相当頭が良くて学習能力が高い。同じ事は何度も通じないようである。やはり騎士団を待つしかない。上位貴族たちの馬車はもう貴族街を出ただろうか。
その時、竜がくっと顔を上げた。首を伸ばし胸の部分を膨らませ始めた。胸の部分を覆っていた大き目の鱗が割れ、何やら赤い袋が出て来て段々と膨らみ始める。あ、これはまずい。
「全員、退避!急いで!」
私は言うが早いか護衛を置き去りにして城壁上を全力で走った。と、ゴウっと音がして物凄い熱気と熱風が吹き荒れた。私は転げるようにして城壁上に伏せる。あちちちち!鎧が一瞬で熱くなるくらいの熱量だ。城壁上に立てられていた旗が瞬時に燃え、松明がバッと一瞬で燃え尽きる。煙幕の入った袋も硫黄の焼ける臭いを残して燃え尽きた。
竜が炎を吐いたのだろう。凄まじい熱量だ。直接浴びたら骨も残るまい。私は城壁の外がどうなっているかと立ち上がって狭間の外を覗き込んだ。竜は炎を吐き切ったようだ。奴の前の城壁は溶けた鉄のような色になっている。その時、私は竜の後ろから接近してくる騎馬の集団に気が付いた。
「攻撃!」
セルミアーネの号令と同時に騎士団が突撃する。そして炎を吐くために腰を落としていた竜の背中に向けて一斉に槍を突き出した。
竜が金切り音のような悲鳴を上げる。なんと竜の堅そうな鱗を貫いて、攻撃が届いたようだ。「おお!効いたぞ!」城壁から見ていた兵士たちが歓声を上げる。騎士団は直ぐに離れて行く。竜が騎士団に目標を変えたらしく、身体を反転させようとした。図体がでかいだけに機敏な動きでは無い。私は慌てて狩人達に命じた。
「笛矢!こちらに気を引かせるのよ!騎士団に集中させてはダメ!」
狩人達が慌てて笛矢を放つ。甲高い音を引いて竜の頭のをかすめる。兵士たちも燃え残った煙幕袋を持って来て竜に向けて投げ付けた。竜は騎士団を気にしながらもこちらにも気を向ける。その隙を突いて騎士団が再び突撃した。衝撃音が響き、やはりいくらかは攻撃が通っているようだ。その時、竜が尻尾を振り上げた。そして騎士団に向けて叩きつけた。先ほど城壁を揺るがせた竜の尻尾の一撃である。私はヒヤッとしたが、騎士団の方陣は何とその一撃に耐えた。虹色の輝きが発生して、竜の尻尾が弾き返される。やはり神の力をお借りする大魔法は騎士団の力を底上げしているようである。
その時、少し離れた位置の城壁上に何やらキラキラひらひらした人々が現れた。あ、あれは。恐らく魔法で支援を行うために来た上位貴族達だろう。白地に青の鎧を纏った皇妃陛下も見える。何人かの貴族が手を広げて神に祈るのが見えた。
「天にまします全能神と鋼と刃の神よ。我らが戦士たちの武器に宿りてその切れ味と強靭さをお助け下さいませ」
「天にまします全能神と土と鎧の神よ。我らが戦士たちの鎧に宿りて戦士たちの身を固くお守りくださいませ」
上位貴族たちが魔法を掛けると光の粉が騎士団の上から降り注ぐのが見えた。あれで騎士団が強化されているのだろう。凄い凄い。竜が苛立ったように離れて行く騎士団をにらんだ。城壁上からの牽制は無視して騎士団に襲い掛かろうとする。その時、城壁の陰に隠れていた騎士団のもう一隊が竜の背後から襲い掛かって来た。気合の声も高らかに、先頭で槍を構えて突撃しているのは何と皇帝陛下だ。
ガツンと衝撃音がして今度は明らかに竜の身体が傷ついた。鱗がはがれ血が噴き出るのが分かる。それで私は気が付いた。先ほどから騎士団は同じ位置を攻撃しているのだ。一度で足りなければ何度も同じ位置を穿つ。そう言えばまだ非力な頃に熊を倒すのに同じ方法を使ったわね。それにしても竜もやはり血が流れる以上、生き物なのだ。
竜が苛立ったような叫び声を上げ、攻撃をしてきた皇帝隊に攻撃を掛けようとする。私達城壁上の部隊は煙幕や石や笛矢やただの矢を射かけ、松明の火の突いた薪でも何でも投げ付けてそれを妨害する。それに集中力を乱した竜に今度はセルミアーネ隊が突撃して竜にダメージを与える。上位貴族は次第に増え、老若男女合わせて数十人になった。皇妃陛下の指揮の元、騎士団に次々支援魔法を掛け、そして更に直接攻撃の魔法も掛け始めた。
「天にまします全能神と雷の神よ、我が意図する所に神意の天の矢を降らせたまえ」
すると雲も無いのに竜に雷が直撃した。光と同時に音が出る。城壁上の我々はびっくりだ。流石の竜も雷の直撃には驚きかつダメージを負ったらしく、悲鳴を上げて身体をぐらつかせた。ふわー。魔法って凄いわね。兵士たちもこれが魔法の仕業だと知って驚いているようだった。
他にも風の神にお願いして竜を風でふらつかせたり、氷の神に祈って頭を凍らせたりした。火の魔法だけは案の定、あまり効果が無いようだったが。ただし見ているとそういう直接攻撃の魔法は何人かが合同で祈っていた。やはりかなりの大魔力が必要なようだ。上位貴族の人数には限りがある。騎士団への支援魔法が切れると攻撃手段が無くなってしまう。あまり乱用は出来ない。
騎士団の攻撃は次第に効果が上がっているようだった。どうやら攻撃のコツをつかんだようだ。傷口は増え、竜の血が赤く地面を染め始めた。竜は躍起になって騎士団を捕えようとするが、煙幕や魔法に邪魔されて効果的な攻撃が出来無い様だ。何度か当たった攻撃でも騎士団の強い防御に弾かれる。竜は度々いらだちの叫び声を上げ始めた。そろそろかな?
私は兵士たちに後を頼んで、城壁の上を走った。私は竜がこのままやられてしまうような生き物だとは思っていない。必ず奥の手があると思っている。観察していた様子では、どうやら奴は城壁の周囲では飛べないようだ。その様子を見るにつけ、やはりこの帝都には全能神のご加護的な何かが掛けられているのではないかと思える。初代皇帝か歴代皇帝陛下の誰かが魔力的な細工をしたのではないか。竜が襲ってきたのは前皇帝陛下の時代に城壁を広げた部分で、魔力的な事を考えていなかったのでは無いだろうか。
兎に角、城壁周りでは飛べないが、離れれば飛べる。飛べば城壁からの妨害も騎士団の攻撃も届かなくなる。そうなれば空中から一撃離脱で攻撃するなり、炎を吐くなり、何でもやり放題になってしまうだろう。いざとなれば逃亡するかも知れないし。あんな頭の良い生き物に仕切り直されたら、次は同じ作戦は通じない。もしも帝都を諦めて他の町や村に行かれても厄介だ。絶対にここで仕留めなければならない。
私は西門の昇降階段を駆け下り、そこにあらかじめ用意させておいた愛馬に飛び乗った。護衛の騎士も慌てて馬に乗って私を追い掛ける。私は街道を少し進み、直ぐに左に折れて竜との戦場の少し西にある小さな集落に隠れる。集落の人々は帝都に避難したのだろう。家畜がいる他は誰もいない。直ぐに騎士が追い付き、走って追い掛けて来た狩人や兵士も数十人集まって来た。私を守ってくれようというのだろう。まぁ、炎でも掛けられたら全員そろって丸焦げになるだけだけどね。気持ちは嬉しい。
少し離れたところで戦闘が起こっているのが分かる。竜の怒りに満ちた吠え声、騎士団の突撃の喊声。時刻は昼をとっくに周り、日差しがかなり西に傾いている。竜が昼行性ならそろそろ引き上げを考えるだろう。もしくは思い切って決着を付けるか。
その時、地面が揺れた。ズシン、ズシンと大きな足音と金切り音のような吠え声が聞こえ、近付いて来る。来た。私は愛用の弓を握り直す。見ると木々を踏み潰しながら四つ足歩行の竜が走って近付いてきた。鳥が逃げ、家畜が騒ぎ出す。そして竜は丁度私達が隠れている集落の直前で、羽を大きく羽ばたかせて宙に舞い上がった。物凄い風と土埃だ。竜はそのままぐわーっと上昇し、かなり西の方に飛んで行った。これは?逃げたか?
竜の後ろを二隊の騎士団が追撃していたが、竜が飛び上がったのを見て、歓声を上げている。逃げた。勝った!と思ったのだろう。だが、私は見ていた。飛び去ったかに見えた竜が西日に金色の鱗を煌めかせながら旋回して戻って来るのを。まだだ。やはり竜は自分の有利な戦場に場所を変えたのだ。飛びながらなら騎士団の攻撃は届かないし、自分は移動しながら攻撃し放題になる。そう。あいつには飛び道具がある。
竜はゆっくりと翼を羽ばたかせ、騎士団の直前で身体を起こすと急減速した。身体中が傷だらけな凄惨な姿だ。しかし目は怒りに赤く煌々と燃えるように輝いている。そして大きく息を吸い込んで、咽喉の袋がぐわっと膨らみ始めた。先ほども見た炎を吐く前兆だ。流石に皇帝陛下とセルミアーネは竜の意図に気が付いた。「退避!隊列を崩すな!」
あの高温の炎を叩きつけられたら如何に支援魔法の掛かった騎士団でも耐えられるのかどうなのか。竜はどことなく勝ち誇ったような様子で首を上げ、いざ首を振って口を開け、炎を吐こうとした。
今!
私は馬の腹を蹴って飛び出した。「妃殿下!?」後ろにいた護衛の騎士が慌てるのが聞こえるが無視する。私は一気に竜の正面にまで進出すると、愛用の弓と胴まで鉄で出来た特別製の矢をつがえた。神獣化したキンググリズリーと戦った後、私はアレと戦える特別製の武器を色々作らせていた。次は一人でアレを狩るためだ。この矢もその一つだった。勿論、これ単独では竜には通じまい。しかしあの袋。咽喉から胸に掛けてで鱗を割るようにしてぐっと膨らんだあの袋は如何にも柔らかそうだ。あれにならこの矢は通るだろう。無論、それだけでは無い。
私は自分の魔力を全力で放出しながら祈った。この後の事は考えない。この一矢に全てを掛ける。
「天にまします全能神と、炎と浄化の神よ。この一矢に御力を宿らせたまえ。何物をも焼き尽くし、何物をも浄化する炎のお力をもって、我に勝利を与えたまえ!」
その瞬間、限界まで引き絞った矢が光り始めた。光は次第に光度を増し、カッと熱くもなってきた。「ラル!」セルミアーネの呼ぶ声を背中に聞きながら、私は馬を駆けさせつつ矢を放った。
矢は放たれた瞬間に炎を吹き上げ、炎の軌跡を描いてまっしぐらに竜に向けて飛んだ。そして、竜の咽喉袋に突き立った。
その瞬間、竜の咽喉元で大爆発が起こった。あの咽喉袋は竜が自分の体内で生成した発火物質か何かを吸い込んだ空気と混ぜて炎の息の燃料にしている場所だったのだと思う。油は空気が無いと燃えないからね。同じ理屈だろう。そこに炎の魔法が掛かった灼熱の矢が貫いて飛び込んだのだ。油も空気をよく混ぜて火を付けると爆発する。恐らく同様の現象が起きたのだ。
身体に浴びる炎は平気でも体内で爆発が起これば流石にたまらないだろう。竜はおぞましい絶叫を張り上げてもがくと、空中でバランスを失って落下。地面に叩きつけられた。私は慌てて馬首を巡らせる。
「好機ぞ!攻撃!」
皇帝陛下もセルミアーネもこの機会を見逃さない。一気に突撃すると先ほどまでは届かなかった竜の腹や首などの急所に槍を突き立てる。竜は悲鳴を上げるが、どうやら爆発で目と耳と鼻の機能を失ったようでもがく以外の事が出来ない。やがて馬車が次々と到着し、場違いに着飾った上位貴族が下りてくると、騎士団に次々と支援魔法を掛けた。皇妃陛下も駆け付け、上位貴族を指揮して魔法攻撃を掛ける。
竜の動きが鈍ると騎士団は馬を飛び降り、方陣を組んで接近戦を挑んだ。槍を集団で何度も何度も突き立てる。竜は今や全身から血を噴出させていた。私は魔力はもう残っていなかったので、騎士団が鱗を剥がした傷口や、潰れている目や口の中に鉄矢を射込んだ。そうして全員で寄ってたかって攻撃し、太陽が地面に触れ始めた頃には竜はほとんど動きを止めていた。最後の止めはセルミアーネが爆発した咽喉の袋のあった場所に勇敢にも入りこみ、自分の槍に魔法を掛けて行った攻撃だった。
「天にまします全能神と、炎と浄化の神よ。我が槍に御力を宿らせたまえ。何物をも焼き尽くし、何物をも浄化する炎のお力をもって、我に勝利を与えたまえ!」
私が行った祈りと同じく火の神に祈った一撃は、竜の体内に炸裂し、内臓を焼き尽くした。流石にこれが致命傷となったようだ。竜はビクビクと痙攣をおこし、やがて最後まで動いていた尻尾が地面に倒れた。
「やった!やったぞ!」
「竜を倒した!倒したぞ!」
「皇帝陛下万歳!皇太子殿下万歳!」
騎士団が槍を突きあげ、兜を放り投げて喜び始めた。兵士たちも駆け出し、騎士団と抱き合って喜んでいる。魔法部隊の上位貴族も歓声を上げて、中には安どでへたり込み侍女に支えられている者もいた。
ふう。私はしばらく竜の周りを馬で回り、異常が無いかを確認していた。どうやら完全に死んでいるようだった。ようやく安心して馬を止めた私の所に、セルミアーネが槍を担いで近付いてきた。ボロボロの格好だが大きな怪我は無いようだった。彼は兜を外してその麗しい顔をほころばせた。
「無事で良かった。竜の前に単騎で駆け出たのにはびっくりしたよ」
「大丈夫よ。ミアこそ、まだ生きている竜の中に潜り込むなんていい度胸ね。流石は私の旦那様」
私が拳を伸ばすと、セルミアーネも拳を伸ばし、カチンと打ち合わせた。私はニコッと笑う。セルミアーネも微笑みを返してくれた。
その時、倒れている竜の身体に異変が起きた。夕日を浴びて金色の鱗が輝いていたのだが、どうもそれ以上に光り出したようだ。セルミアーネは即座に反応した。
「警戒!竜の身体から離れよ!」
しかし、竜の身体は光るだけで動きはしない。そして見ているのが難しいくらいの明るさになったかと思うと、不意に角の先から光の粉となって崩れ始めた。
驚く私達を尻目に、崩壊は段々早くなり、程無くあれほど大きかった竜の身体は全て光の粉となってしまい、風に飛ばされるようにして消えてしまった。私は流石にびっくりした。竜の身体が消えてしまうと、あの戦いが何か集団で夢でも見ていたのではないかという気分になってしまう。だが、足跡や血の跡、焦げ跡は消えていないので、間違い無く夢ではない。
全員が呆然としていると、皇帝陛下が竜の消えたところまで進み出た。皇帝陛下も中々血だらけで凄い格好だ。しかし表情は晴れやかである。
「まぁ、片付ける手間が省けたという事だ。全員ご苦労だった。皆の健闘に敬意を表する。そして礼を言う。ありがとう。皆、良く戦ってくれた」
皇帝陛下が大きな声で仰ると、全員が再び大きな声で歓声を上げた。その瞬間、太陽が地平線の向こうに没した。竜との戦いのこれが閉幕だった。
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