三十八話 バサリヤ侯爵領での戦い  セルミアーネ視点

 帝都を進発した帝国軍は十二日掛かりでバサリヤ侯爵領に入った。バサリヤ侯爵領は法主国に接した国境の領地である。帝国最北の地域の一つながら肥沃な耕地を多く持ち、それを狙って法主国が度々攻め込んで来る地域であった。勿論、バサリヤ侯爵も十分に警戒しており、国境沿いには多くの砦を築き、領都も他の主要都市も高い城壁で囲って防御を固めていた。こういう部分では西部の国境である筈のカリエンテ侯爵領が如何に無防備だったかが分かる。


 帝国軍が帝都に入ると、バサリヤ侯爵が迎えてくれた。侯爵は勿論いつもは帝都で暮らしているのだが、自領の一大事に領地に駆け付けて来ていたのだ。北隣のアリタスク侯爵も南隣のマルロールド公爵も同様に国境の警戒警備の関係上領地に来ている筈である。ただ、マルロールド公爵は帝都で皇帝陛下の側近として政務に忙しいので、次期公爵が代理で来ていると聞いている。


 侯爵の現地屋敷の広間の一つが帝国軍に提供されそこが作戦司令部になった。私と騎士団幹部、一般兵を率いる軍の幹部が集まり、侯爵領に派遣されていた部隊や、侯爵の私兵から現地の情報を集める。法主国軍は二方向から国境を侵し、村々を襲いながら進撃してかなり侯爵領の奥まで侵攻しているという。ただ、ある意味侯爵領の民衆は法主国の侵略に慣れていて、早々に近隣の城壁のある都市に避難しているから人的被害は少ないとか。それでもせっかく収穫した実りを略奪されるのだから、農民にとっては許せない事だろう。農民を慈しむ事この上無いラルフシーヌが聞いたら麦一粒まで取り返すと息巻く所だ。


 二万程度と見積もられる法主国軍はある程度侵攻した所で、我が帝国軍がやってきたのを察知したのか、全軍が合流して領地の南寄りのとある丘に陣を築いて、我が軍を待ち受ける構えだという。以前の侵攻では帝国軍が近付いたら国境を越えて逃げ戻ってしまった事もあると聞いたので、待ち受ける構えとはちょっと意外だった。


 法主国軍は当たり前だが魔力を持った騎士がいない。騎士に相当する戦力はあるが単に馬に乗った兵だ(帝国の同様の兵科は騎兵と呼ぶ)。だが、魔力を持たない兵士同士を比べると、法主国軍の兵士の方が体格が良くてやや強い。法主国は治金の能力が高い(法主国の宝石加工品や金銀細工は帝国貴族の間にも評価が高くて大量に輸入されている)ため、鎧兜、剣や槍などの性能も高い。なので、一般兵士同士の戦いだと帝国軍はやや分が悪い。魔力を持つ騎士の戦力は圧倒的だが、何しろ人数が千人ほどしかいない。これを集中して使うか、振り分けて魔力の無い騎兵と組み合わせるかは悩みの種だ。


 騎士には階級があり、十騎長、百騎長、千騎長、万騎長と上がって行く。勿論騎士は万もいないのだが、伝統的になぜかこうなっている。現在では単なる階級で指揮する者の員数を意味しない。現在は騎士団には万騎長が三人いて、これと騎士団長。そして最高司令官として私がいるという布陣である。それ以外にも平民で編成された軍隊を指揮する、平民兵士から手柄を上げて出世した男爵が数十人いる。大軍勢だがかつてあって帝国が滅ぼした大国と長い戦役を戦っていた頃は二十万人の軍勢が編成された事もあり、その頃は貴族は全員、当主も子息も騎士として戦うのが義務だったと聞いた。その頃は騎士が万単位でいた事もあったのかもしれない。


 千騎長以上が幹部という事になっているのだが、現在は出世して授爵を受けて子爵以上になっているが戦時なので呼び戻された者や、物好きにも徴募に応じた貴族がいるのでそういう者も幹部として作戦司令部にいる。騎士は出世して騎士階級から上がっても皇帝陛下に命じられれば戦地に出なければいけない義務がある(その子息からは適用されなくなる)のだが、それ以外の貴族が出てくるのは趣味だとしか言いようがない。一応、愛国心とか理由は付けているが、単に血の気が多いだけだろう。ラルフシーヌも許しがあれば喜々として戦場に出て来そうな気はするな。


 その幹部たちを集めてテーブルに付き、作戦会議を行う。参謀から現状が説明されたが、法主国軍は我が軍を待ち受ける姿勢を崩しておらず、国境の砦からの報告では法主国から新たな援軍が来る気配も無いという。歓迎すべき情報ではあるが妙な話でもある。帝国軍と法主国の間で戦われた会戦で、帝国軍が敗れた事は何回かあるが、それは詭計を用いられた場合が多い。前々皇太子殿下が討ち死にした戦いなどがそうで、国境を越えて深追いした所を大規模な罠を仕掛けられたのだとか。


 正面から戦えば、帝国軍が負ける要素が無い。一千の騎士団ががっちり集中していれば法主国軍の攻撃は一切通じない。攻撃などお構いなしに突撃して蹴散らしてしまえば良い。他の兵士は残敵を相当すれば良いのだ。騎士の集団というのはそれくらい反則的な戦力なのである。故に敵としてはこの騎士を如何に分散させ、集中させないか。もしくは騎士の攻撃を回避して他の一般兵を相手にするかという作戦になるだろう。騎士以外の兵が負けて敗走してしまえば流石に騎士だけ残っても帝国軍が勝ったとは言えない。


 そういう事から考えれば法主国軍が正面から戦う事を意図しているとは考え難い。考えられる可能性は二つ。法主国軍に帝国の騎士団を破れる何か画期的な備えがあるか、何か大規模な罠があるか。


 もちろん、それ以上は分からない。戦争なのだから敵だって命懸けで知恵を絞っているのだ。私は考え込んだ。


 大規模な罠の可能性は低いと見る。ここは帝国の国内だし、バサリヤ侯爵の話では地形的にもそれほど変化が無いという。兵を伏せるに適した森はあるが、そうだと分かっていれば調査しながら進撃すれば良いだけである。


 では、画期的な備えはどうか。こればかりは分からないと言うしかない。画期的な新兵器。例えば仕掛け弓を上回る威力の武器だとか、騎士の魔力を吸い取る何かとか、法主国軍も魔力を利用出来る何かだとか。しかし、そんなものがあるかどうかなど考えてはいられないし、そもそもそんな凄いものがあったなら法主国軍がもっと自信満々に攻めて来てもおかしくない。


 結局、罠に注意しながら戦ってみるしか無いという結論に達した。出来るだけ正面から決戦し、深追いは避ける。特に敵の陣地には攻め入らず、敵を平原におびき出して戦う。平原こそ帝国騎士団の攻撃力が最大限発揮出来る戦場である。


 私は全軍を率いて法主国軍が陣取る地域に向けて進撃した。私が最も警戒したのは法主国軍が本土から大規模な増援を呼ぶ事だったが、幸いな事にその気配は無いようだった。我が軍が進撃しても法主国軍には動きが無い。どうも自信をもって正面から戦いを挑んで来るような気配だ。おかしい。そんな筈は無い。私は首を捻ったが、法主国軍がそういう一見勝ち目の無い決戦を挑んできたことは何度かあると参謀は言っていた。法主国は基本的に我が帝国を異教徒で至高神の教えを知らない連中と見下しているそうで、至高神の加護のある自分たちが負ける訳が無いと思っているそうだ。どう考えても魔力を下さり物理的な加護を齎してくれる全能神のご加護の方が上だと思うのだが。


 ラルフシーヌは法主国語の習得を皇帝陛下に頼まれて、大図書館から法主国語の本を幾つも借りて来て読んでいた。その中には法主国の至高神信仰の本が何冊かあったらしい。それを読んだラルフシーヌ曰く、至高神の教えというのは「生きている内は神の試練に耐えよ。耐え切れば死後に神の楽園に行ける」というものであるらしい。現世に苦しみしかないという教えだとラルフシーヌは呆れていた。


 そのせいで法主国軍の兵士は命を惜しまず戦うのだろう。命を惜しまないのは兵士としては美徳ではあるが、だがそれを推奨する神とは一体何なのだろうか。


 私は法主国軍とのあと半日行軍すれば接触出来るという距離に陣を敷いた。偵察によると、法主国軍も陣を出て平原に降りていたらしい。ますますおかしい。どう考えても何か企んでいるとしか思えない。しかしそれが何だか分からない。私は騎士団長や参謀に相談したが、彼らも法主国の意図を計りかねているようだった。ただ、彼らは「正面決戦に出てくれるならこれは幸い。深追いにだけ気を付けて戦えば問題無い」との考えだった。


 いずれにせよ、戦争が長引けば、畑も交易も滞って良い事は一つも無い。戦わないという選択肢は取りえないのだから、とりあえず一戦する事に私は決定した。翌日決戦すると全軍に伝え、その夜は少しの酒を配って全軍の士気を高める事に努めた。


 さて、その夜、皇太子用の大きな天幕の中ですっかり寝る支度までした私は、どうも気になって、一人で戦場付近の図面を見ながら考え込んでいた。戦場になる平原は少し盆地になっていて、入り口は帝国軍が入る場所だけで、他は若干だが丘や山になっていて、そこから出るには軽い峠道を越える必要がある。法主国軍が陣取っていたところも丘だった。つまり、法主国軍には退路が無い。いや、元の丘に戻って陣に立て籠もれば良いと言えば良いのだが、迅速に退却出来ない所に陣を敷くのは戦術の教本には無いやり方である。


 それに対して我が帝国軍は退路が確保出来ている。・・・いや、例えば敵の一部隊が我が軍の後方に回り、盆地の入り口を遮断する事を考えていたらどうか。我が軍こそ袋の鼠になるかもしれない。ただ、それは我が軍が戦力的に劣ればという事で、閉じ込められても前進して前方の敵を撃ち破れば良いのだ。盆地自体には彼我含めて四万以上の大軍が縦横に走り回るに十分な広さがあるし、少数の敵が後ろに回り込んでも大した脅威にはなるまい。


 うーん、私はそれでも何かが気になって悩んでしまった。私は大軍を率いての戦いはこれが初めてだ。山賊退治や害獣退治で経験を積み、戦略戦術もしっかり勉強し、優秀な参謀と色々検討しても、初めての経験なのだからどうにも不安である。この悩みはそう言う事なのだろう。私は結論し、そろそろ明日のために寝ようと考えた。


 その時。


「殿下、まだ起きていらっしゃいますか?」


 侍従の声がした。


「ああ、大丈夫だ」


 私が言うと天幕の入り口が開いて侍従が入って来た。


「お休みの所申し訳ございません。実は、帝都から緊急の書簡が来ていまして」


「緊急の書簡?」


 驚いた私は侍従が差し出した書簡を手に取る。・・・封書で、表には何も書いておらず、裏にラルフシーヌのサインが入っていた。


 ラルフシーヌの手紙?私は首を傾げた。ラルフシーヌが戦地に手紙を寄越す理由が分からない。いや、戦地に兵士の妻が手紙を送って来る事はよくある事だと聞いてはいる。妻が近況を知らせる手紙に喜ぶ兵士は多いのだとか。だが、我が軍は帝都を出立してまだ一カ月しか経っていない。妻を懐かしむほど時間が経過していないだろう。そもそも、ラルフシーヌがそういう感傷的な事を考えるとは思えない。例えばカルシェリーネの近況を書いて「早くお帰り下さいね」と書いて来るようなメンタリティとは遥かに遠い所に私の妻はいると思っている。


 それだけにラルフシーヌの手紙、しかもわざわざ緊急だという手紙からはキナ臭い臭いがした。私は封を切って読み始めた。読み進めるうちに私の中に驚きと納得が広がって言った。


 ・・・流石は私の妻、ラルフシーヌだ。彼女が書き記してくれたのは、今の私が最も必要としている情報だった。私は晴れ晴れとした思いで侍従に命じた。


「騎士団長と万騎長、それと参謀を直ぐに集めろ。寝ていたら叩き起こして構わん」



 翌日早朝、陣を引き払った帝国軍は隊列を整えて盆地へ入った。盆地に入るなり陣形を展開させる。敵の正面に騎兵を集中させ、左右に歩兵と弓兵を展開する。敵を包囲して動けなくしたところを、騎兵で押し潰すという陣形だ。


 全身鎧に身を包んだ私は馬上にある。帝国軍の騎士の完全武装では馬にも鎖帷子を着せる。鎧と馬の鎖帷子は魔力を通し、複数の騎士が固まると防御力も攻撃力も高まるのだ。私は前方にキラキラと輝く法主国軍の陣営を見やりながら、私は全能神に向けて戦勝祈願を行った。


「今こそ我が帝国軍の力を見せる時。天にまします全能神よご照覧あれ。我はあなたの愛し子たる帝国の騎士。我が祈りを聞き届けたまえ、我の願いを叶えたまえ。我に力を与えたまえ。我に幸運を与えたまえ。我に勝利を与えたまえ。我が捧ぐは祈りと命。全能神よ、我と帝国軍を守り給え」


 私は剣で天を指しながら祈りの言葉を発した。そしてその剣で彼方の敵軍を指示した。


「全軍前進せよ!神は我らと共にあり!」


「「神は我らと共にあり!」」


 全軍が私と唱和すると、一斉に前進を開始した。まずは左右の歩兵が前進して敵を包囲しようとする。それに対して法主国軍も前進して左右を伸ばし、包囲されないように抵抗する。敵も後ろに下がり難い地形である事は承知の上なのだろう。というか、よく見ると敵の陣形は左右が騎兵である。どちらかというと迅速に左右を展開して我が軍を逆に包囲しようという構えである。


 それに対して我が軍は左右の弓兵が猛攻撃を仕掛けて騎兵の前進を妨げる。帝国は森が多く、狩人も多いし日常的に弓矢を使う平民が多い。そういう平民を集めれば特に訓練をしなくても手練れの弓兵隊が出来上がる。この弓兵の多さと強さも帝国の強みの一つだった。


 敵が左右を伸ばしあぐねている所で、帝国軍中央の騎兵が前進する。槍先を揃えて、騎兵が密集する。そして、号令と同時にざあっと音を立て、雄たけびを上げながら騎兵が一気に敵に突入して行く。ここまでは大体予定通りだった。情勢はほぼ互角。戦闘開始からは二時間ほどが経過していた。時間は昼前だ。


「そろそろですかな?」


 騎士団長が言った。私も頷く。


「そろそろだろう」


 すると伝令の騎馬が本陣に駆け込んできた。本陣と言っても騎士が円陣を組む中に私達幹部がいるだけだが。


「申し上げます!」


 駆け込んできた伝令が叫ぶ。


「後方より敵!数、多数!」


 私達が入って来た盆地の入り口から法主国軍の援軍が侵入してきたのだ。私が怖れていた援軍。国境は警戒していたし、異常はないとの報告が何度も届いていた。一体どこから!どういうことなのだ!後方から攻撃を受けたら戦線が崩壊して、帝国軍は包囲されてしまうぞ!


 ・・・と、昨日の夕方までの私なら呆然となっただろう。しかしながら今の私は違う。


「やはり来たか」


 準備は万端だ。私は手を上げる。


「騎士団。全員集結せよ。部隊を三つに分け、後方から侵入してきた部隊を一気に殲滅する!」


 そう。これ有るを予想していた私は、騎士団を戦線に投入せず、温存しておいたのである。法主国軍本軍に騎士団以外の全てを当てた状態で、騎士団だけをくるりと反転させる。一千人の騎士団を三隊に分け、方陣を組む。魔力が通り、方陣から陽炎のようなものが立ち上った。


「あまり時間は掛けていられないぞ!一気に突入して蹂躙しろ!」


「「おう!」」

 

 私は中央隊の先頭で馬上にある。馬上槍を右手に持つ。


「行くぞ!突撃!」


 私の号令一下、帝国の誇る騎士団が一気に突撃を開始した。法主国軍の援軍は急いで盆地に入ってきたばかりで陣形も組めていない。そこへ密集した帝国の騎士団が突入した。


 魔力を集中させた騎士団は馬でさえただの馬では無い。慌てて槍を構えた歩兵を跳ね飛ばして前進する。槍を叩きつけて来た者もいるが逆に槍がへし折れ、そのまま弾き飛ばされる。私の構えた槍に触れた歩兵は天高く跳ね飛ばされ、剣を振るってきた者は逆に吹き飛ばされた。


 騎士団は速度を落とさないまま敵兵の中に侵入した。騎士たちは槍を構えるだけで無用に動かさない。それだけで敵兵は弾き飛ばされ踏み潰され、蹂躙される。敵の数は五千程。騎士団の五倍の数だが、問題では無い。私は方陣をそのまま前進させ、敵を粉砕し続ける。敵の弓兵、仕掛け弓部隊が慌てて矢を放ってくるが、キンググリズリーの顔を射抜いたそれも方陣を組んだ騎士には通じない。私はそのまま仕掛け弓部隊に乗り込んで踏み潰した。これが本軍の後ろから射かけてきたら厄介だ。


 私達中央隊が敵を混乱させたところで左右から残り二隊が突入する。浮足立ち、陣形が乱れに乱れたところを蹂躙する。立ち向かってくる者は跳ね飛ばし、逃げる者は踏み潰す。そこへ後方にいた敵の騎兵が方陣を組んで槍を翳して突入して来た。


「アルチャーク、ペシャワール!」


 向こうの神に祈る言葉らしい叫び声を上げて突入してくる。が、私は特に対応を指示しなかった。槍を構え、方陣を保ったまま前進する。


 二つの方陣が激突する。しかしその強さは一方的だ。法主国の騎士団は激突の瞬間に跳ね返され、吹き飛ばされた。私達は槍を突き出す事もしない。前に翳して突撃するだけ。砂の山を踏み潰すように法主国の騎士団は崩壊した。


 敵の中を方陣を崩さない事だけ考えながら縦横無尽に走り回る。ほんの一時間で敵は壊滅した。残敵は泡を喰って逃げて行く。追撃はしない。敵の本隊はあくまで帝国軍の他の部隊が抑えている連中だ。もっとも、後背から襲い掛かり帝国具を包囲殲滅しようという意図が崩れた現在、あそこにいるのは自ら退路を断ってしまった馬鹿な軍隊でしかない。しかも援軍が壊滅して動揺しているだろう。


「よし!残敵を掃討する。騎士団反転!」


 私は騎士団を率いて一気に駆けた。私はこの時点で勝利を確信していた。



 法主国軍との会戦は帝国軍の大勝利に終わった。


 盆地に帝国軍を誘い込み、後方から予期せぬ援軍をぶつけて動揺させ、混乱した帝国軍を包囲殲滅する。法主国軍の発想は悪くなかったと思う。援軍の経路が予想外で、ギリギリまで私は援軍がいた場合の危険性を考えつつも、敵には援軍は有り得ないと結論していたのだから。


 しかしながらラルフシーヌの手紙が全ての状況を変えた。


 彼女は手紙に、法主国がマルロールド公爵領を通って帝国領内に一部隊を侵入させた可能性を示唆した。何でも害獣の発生傾向がおかしい事から気が付いたとかで、流石は元狩人である。ラルフシーヌが書いてきたのはそれだけだったが、マルロールド侯爵領を敵が通過出来たのだとすれば、それ以外の部隊、例えば会戦への援軍がマルロールド公爵領を通過出来てもおかしくない。マルロールド公爵が裏切った可能性を認識した私は昨日の夜のうちに斥候を出した。すると、戦場に近いマルロールド公爵領の村に法主国軍の部隊が駐留しているのを発見したのである。


 そうなれば敵の作戦はもう見え透いていた。帝国軍が敵の本隊に集中して戦っている間に援軍が後ろから忍び寄り奇襲を掛ける。確かにそんな事をされたら帝国軍は動揺して大混乱になったろう。騎士団ですら統制を維持出来たか怪しい。危ない所だったのだ。


 しかしながらそれが分かっていれば話は簡単だ。騎士団を温存し、敵の援軍が盆地に入ってきたところに逆に奇襲を掛ける。統制が維持出来ていて何の罠も無ければ例え数が五倍だろうと帝国の騎士団が負ける道理が無い。援軍を蹴散らした後に本隊はゆっくり料理すれば良いのだ。援軍が壊滅したのは見えたのだろう。法主国軍は逆に動揺し、統制を乱し、そこに騎士団が突入した。数時間で敵は崩壊、逃げようにも後ろは丘で、混乱する法主国軍は帝国軍に成す術も無く蹂躙され、遂には降伏した。


 帝国軍には平民の軍隊に若干の損害が出た以外は、騎士団は落馬して怪我をした者が数名いたくらいで死者は一人もいなかった。それに対して法主国軍の損害は甚大で、討ち取られた者数知れず、捕虜は三千人に上った。その中には法主国の将軍や司祭も含まれていた。彼らは帝都に護送され取り調べを受ける事になるだろう。


 さて、大勝利の余韻に浸ってばかりはいられない。そう。マルロールド公爵の裏切りの件の始末を付けなければならない。私は戦場での後始末を終えると、翌日、全軍を率いて進み、マルロールド公爵領に侵入した。


 流石に兵を率いて歯向かって来るような事は無かった。我が軍は前進し、マルロールド公爵領の領都に到達した。城門は閉まっていたが、私が一喝して開けさせ、帝国軍は整然と入城する。そのまま公爵の領地屋敷を包囲した。領都の民は驚いて大騒ぎしていた。


 特に抵抗の様子は無かったため、私は騎士五十名だけを引き連れて公爵邸に入った。


 公爵邸にいたのは公爵の代官である男爵だった。太った男で、私達の事を見ておどおどとしている。


「な、何事でしょう、こんなところまで、こ、皇太子殿下がいらっしゃるなど・・・」


 私は彼を睨んだ、ラルフシーヌには及びも付かないが、私だって本気を出せばかなりの眼力だと自負している。男爵は震えあがった。


「次期公爵は何処にいる?」


 男爵はガクガクと震えながらそれでも嘘を吐いた。見上げた忠誠心だ。


「な、ナフエーンツ様は帝都に帰られました!」


 嘘に決まっている。昨日の今日だ。帝国軍敗北の知らせをここで待っていたに違いない。私はもはや男爵を無視した。


「よし、兵を入れて家探ししろ!次期公爵は必ずいる。地下室、天井裏、全て探せ!」


 男爵は仰天した。私に縋りつこうとして護衛の騎士に蹴り飛ばされる。転がりながら抗議をする。


「お、お止めください!皇太子殿下とはいえあまりに非礼ではございませぬか!ここは公爵屋敷ですぞ!」


 私は冷たく言い放つ。


「今は謀反人の屋敷だ」


 兵員が百人ほど入り、寄ってたかって家探しをする。全ての部屋に入り、ひっくり返し、高価な家具を押しのけ、鍵の掛かった戸棚をぶち破る。男爵はあまりの事態に失神してしまった。


 やがて、やはり天井裏の隠し部屋からマルロールド次期公爵が引きずり出されてきた。次期公爵も大魔力を持つ皇族である。危険なので魔力の多い騎士が捕えて後ろ手に縛って私の前に引っ立てて来た。金髪に茶色い目をした中々美形の貴公子である。確か年齢は私より少し上だ。整った顔を歪めて私を睨んでいる。


「無礼者め!これが次期公爵に対する扱いだというのか!今すぐこの縄を解くがいい!」


 威厳がある声である。流石に生まれながらの皇族。私のようなにわか皇太子よりもよほど皇族らしい。だが、私は彼を冷たく見下ろしながら言った。


「其方は既に次期公爵では無い。謀反人だ。直ぐに首を落とされないだけ有難く思うのだな」


 私の言葉に一瞬顔を引き攣らせた次期公爵だが、直ぐに立ち直って歯を剥いて私に向けて叫んだ。


「謀反だと!どこに証拠がある!証拠も無く私を謀反人扱いしてただで済むと思うなよ!」


 確かに、証拠はない。法主国軍がマルロールド公爵領を通過したのは事実だが、それをこの男が承知していたという証拠は無い。例えばそこで引っくり返っている代官の男爵がやったのだと強弁すれば、次期公爵の権威を持って言い逃れる事が出来るかも知れない。まぁ、法主国の捕虜は多数いるし、恐らく帝都でもラルフシーヌが手を回して何かやっているだろうから、そうそう逃げられるとも思えないが。


 しかしながら、証拠など、必要無い。この男は分かっていないのだ。


 私はあえてニヤッと笑いながら言った。


「証拠はこれから貴様を自白させれば良いのだ。拷問でもして」


「は?」


 次期公爵が目を点にする。私はニヤニヤ笑いながら続ける。


「帝国軍司令官には、戦時には戦地における全ての権限が授与されている。つまり執政権、臨時立法権、戦地司法権だ。私は戦中、戦地に置いては皇帝陛下よりも偉いのだよ」


 これが帝国軍司令官には基本的に皇太子が任命される理由だ。帝国軍の迅速な行動のために皇太子には戦地における完全な権限が認められている。皇帝陛下の意向に逆らう事すら許されているのだ。


 つまり、まだ帝都に帰還して帝国軍指揮権を返上していない今、戦地と見做される国境周辺では私は皇帝陛下と同格の存在なのである。皇帝陛下は帝国における神である。帝国における全ての権限を有する。その中には帝国臣民に対する生殺与奪の権限が当然含まれる。


 つまり今この時、私にとってこの男はどう扱っても良い存在なのだ。生かすも殺すも自由。拷問くらいならお優しい扱いだ。何しろ私に逆らったのだから。


 次期公爵は唖然としていた。


「そ、そんな事が許される筈が・・・」


「許されるのだよ。とりあえず適当な部屋に放り込んで、手足を折ってしまえ。それで吐かなければ歯を一本一本抜いてしまえ」


 私は騎士の一人に命じた。騎士は無表情な顔で了解の返事をする。それを見て次期公爵は恐怖にガクガクと震え始めた。


「わ、私はマルロールド公爵家、次期公爵だぞ!そ、それを!」


「私は次期皇帝だ。其方とは身分が違うのだよ」


 私のその言葉を聞いて次期公爵は顔を真っ赤にした。憤怒の表情で叫ぶ。


「き、貴様など!所詮は庶子の癖に!この間までただの騎士だった癖に!私の方が!私の方が皇帝に相応しいのだ!」


 そして縛めを力任せに引きちぎった。周囲から驚きの声が漏れた。流石は傍系皇族。全く鍛えていないのに大したものだ。次期公爵はそして、近くにいた兵士に飛び掛かるとその兵士の持っていた槍を奪い取った。


「殿下!」


 騎士たちが慌てて私を守ろうとするのを制して私は前に出る。次期公爵は血走った目で私を睨み、槍を掲げて走り寄って来た。


「貴様がいなくなれば!私が次期皇帝なのだ!」


 槍を突き出してくるが、何の訓練もしていないヘナヘナな突きだ。私はその槍を左拳で弾き、右拳を次期公爵の頬に叩き込んだ。


「ふげ!」


 と、変な声を上げて次期公爵が吹き飛び、転がり、壁に叩き付けられて動かなくなる。私はそれを見やり、呟いた。


「貴様には皇帝は無理だ」


 そして私は騎士達に向けて言った。


「拷問の手間が省けた。皇太子に対する反逆の現行犯だ。皆が証人だ。金属製の手錠足枷を付けて護送車に放り込んでおけ」


 騎士達が了解の返事をして動き出した。私はやれやれという思いで首を回してほぐした。挑発するためとはいえ、似合わない偉そうな態度をするのは恥ずかしいし肩が凝る。


 今この瞬間、漸く今回の戦争が終わったのであった。


 

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