三十七話 公爵夫人の陰謀

 帝国軍と法主国軍が決戦を行う少し前から、帝都近郊で山賊騒ぎが頻発していた。


 帝国は地力が豊かなので森が多く、それは良い事だと思うのだが、その分森に隠れて活動する山賊の活動が絶えないのだった。旅人や隊商を襲うレベルの山賊なら可愛いもので、大規模な山賊になると村を襲って略奪する事もある。流石にそこまで行くと帝国としても放置は出来ず、軍を動かして対処しなければならない。


 今回、そういう大規模な山賊が帝都の西部に複数回出たらしい。村が襲われて被害が出ている。帝国は法主国侵攻の対処の為に軍を大動員して東部国境に移動している。特に東部国境から遠い帝国西部から普段は街道や村々を巡回警備している騎士や兵士を引き抜いて東部国境に送っている。山賊どもはその間隙を突いたのでは無いか?と皇太子府の官僚や騎士は言っていた。


 一見なるほど、と思う話だが、私にはちょっと引っ掛かる話だった。平民の事を良く知っている、特に田舎の平民の事を良く知っている私はちょっと変に思えるのだ。田舎の平民は帝国全体の事には興味がないから、普段定期的に巡回している騎士がしばらく来なくても「そう言う事もあるのか」くらいにしか思わないものなのである。多分、平民のほとんどは帝国と法主国が戦争しているなんて知らないんじゃないかしら。


 それを帝国が法主国と戦争するからその隙に暴れようぜ!とは随分勘の良い山賊がいたものである。戦争が長引いてからならともかく、帝国軍が進発してから一週間くらいしか経たないうちから山賊は動き出していたのだ。これはおかしい。


 私がそう言うと、皇帝陛下は目を丸くしていらっしゃった。


「それは気が付かなかったな。言われてみればその通りかもしれぬ」


 私は皇帝陛下にここ最近調べていた事を報告していた。テーブルを挟んで私と皇帝陛下が座り、その周囲に皇帝府の閣僚、陛下の側近たちが立っていた。その中にマルロールド公爵がいた。グレーの髪の細身の男性で。有能で誠実な方である。私は彼をチラッとだけ見ると、持ってきた絵図面をテーブルに広げて、侍従に頼んで四方に文鎮を置いてもらった。


 それは帝国全土の地図だった。あちこちに印が付けられている。


「これは私が『お友達』に調べてもらった山賊の出没箇所と、最近害獣出現の報告があった場所です」


 皇帝陛下が怪訝な顔をした。


「お友達?」


「はい」


 皇帝陛下は首を傾げたが、とりあえず疑問は後回しにしたらしく、大きな身体を乗り出して絵図面を覗き込んだ。


「害獣発生の報告に偏りがある事が分かりますか?」


「ああ、何だかこの街道沿いにだけやけに多いな」


 その街道はマルロールド公爵領から西へ伸びる街道で、帝都と現在大規模な山賊が出ている地域に繋がっている。


「この街道をここで暴れている『山賊』が通ったのです」


「?どういう事だ?」


 私は故郷の事を懐かしく思い出しながら説明する。


「森で大規模な狩りを行うと、獲れる獲物以上の動物が、周辺地域に逃げていきます。おそらくこの街道を移動した武装集団が道中森に隠れながらそこで食料調達の狩りをしたのです。数百人単位だからかなりの食糧が必要だった事でしょう。大規模な狩りになってしまいます。それで、獲り逃しや獲物にしなかった大型の害獣が周辺地域に逃げていき、害獣発生の報告になったのだと思います」


 子分を連れて森で大規模な狩りをしたら、それから逃げた猪の群れが村に降りて畑を荒らしてしまい、父ちゃんからしこたま怒られた事がある。私はそれで狩りも生き物の動きを考えながらやらなければならないと学んだのだ。


 皇帝陛下は愕然としていた。流石の陛下でもそんな事は知らなかっただろう。普通は貴族は知らないよね。


「・・・という事は、この山賊は・・・」


「この街道を通って・・・、マルロールド公爵領の『方から』来たのだと思います」


 マルロールド公爵領の向こうには法主国がある。私の言いたい事は正確にこの場の皆に伝わったのだろう。全員が一斉にそこのいるマルロールド公爵に向く。


 当のマルロールド公爵は顔を赤くして怒っていた。


「ひ、妃殿下!それはあまりにも酷い侮辱ではありませぬか!」


「そうでしょうか?」


「そうですとも!わ、私が皇帝陛下を裏切って、法主国の兵を引き入れたかのようではありませぬか!」


「そこまでは言っていません」


 今はね。


「落ち着け。公爵。私は其方の忠誠を疑ってなどおらぬ」


「陛下!私は誓って・・・!」


「落ち着け。分かっておる。しかしマルロールド公爵領方面から、つまり法主国方面から山賊がやって来た事は否定出来ぬ」


「しかし、国境は常に警戒していますし、領地の境には関所もあります。何かあれば領主である私に報告がある筈です!」


 マルロールド公爵は必死に反論する。私はその様子を見ながら、どうやら公爵は何も知らないのだな、と見てとる。


「妃殿下の言う通り、我が公爵領方面から山賊が移動したのだとしても、それが法主国から入ったとは限らないではありませぬか!」


「いえ、法主国の人間である事は調べが付いています」


 私が言うと全員が驚いたように顔を向けてきた。


「私の『お友達』が襲われた村の人間に聞いてくれました。意味の分からない言葉を話していたと言っていたそうですが、『アルチャーク、ベシャワーヌ!』と叫んでいたそうです。法主国の言葉で『至高神は偉大なり』という意味です」


 大臣の一人が驚いたように言う。


「妃殿下は法主国の言葉が分かるのですか?」


「ええ。皇帝陛下の命で覚えましたから」


 法主国の言葉は帝国公用語とも西方の言葉とも文法が違って大変だったんだからね。笑っている場合ではありませんよ皇帝陛下。


「そもそも山賊は法主国から略奪に入って来て居付いた連中も多いので、法主国語を話す者はたまにいるそうですが、盗みをやる者は神の名を唱えません。至高神は偉大なりと叫ぶのは聖討の時だけ、だそうです」


 これは商人からの情報にあったものだ。


 その場の全員が沈黙する。私は何か言いたげなマルロールド公爵に向けて言う。


「何らかの方法で国境と公爵領の境を越えて侵入してきたのは間違いありません。今はそこは置きましょう。問題は、なぜこの者たちが帝国の奥深くに入り込み、こんなところで略奪行為をしているのかという事です」


「それは見え空いておる。国境に向かった帝国軍の後背を扼すためだ。前方の敵に集中出来無ければ、帝国軍の前進力は半減するだろう」


 皇帝陛下がやや厳しい顔をしながら言う。すっかり将軍の、兵を率いる者の顔になっているわね。しかし私は陛下のお言葉を否定した。


「いえ、それは少し違うと思います。帝国軍の後方を脅かすのであれば、帝国軍のすぐ背後で騒げばいいのです。移動距離も少なくなりますし、効果もその方が大きいでしょう」


 私が皇帝陛下の意見を却下した事に大臣たちの顔が引きつるが、皇帝陛下はむしろ面白げに髭を撫でながら私を見た。


「なるほど。であるならこの連中の目的は何だ」


 私は位置関係が分かるように指で帝都の位置と帝国軍の現在地を指した。


「ご覧のように、連中はわざわざ帝都の西側にまで来ています。帝国軍より帝都の方が近いです。帝国軍が駆け付けるよりも帝都に残っている守備兵が駆け付ける方が近い位置ですね」


 私が言うだけで皇帝陛下は意図を了解した。


「なるほど、帝都の守備を手薄にするのが目的か」


「そうです。帝都から守備兵をおびき出し、その隙に帝都を陥落させるのが目的でしょう。目撃された山賊は数十名。残りは帝都をどこかで伺っている筈です」


 私がそう言うと、大臣の一人が懐疑的な声を出した。


「しかしですな、妃殿下。今の帝都には確かにそれほど多くの兵はいませんが、帝都城壁とさらには帝宮の二重の城壁があるのですぞ、それほど多いとは思えぬ手勢で落とすのは無理ではございませんか」


 その通りだ。帝都の守備兵がほとんどいなくなっても、帝宮の二重城壁の守備兵は専任なので動かない。帝都内部で騒乱を起こすことは可能だろうが、直ぐに戻ってきた守備兵に鎮圧されるだろう。大した問題にはならない。まぁ、帝都の市街を燃やされでもしたら私が許せないけどね。


「そうですね。ですがそう、手薄な帝都城門を突破し、数百人が上位貴族の手で誘導されて帝宮の城壁を通過したとすれば・・・、どうでしょう」


 その場の全員が沈黙する。上位貴族に裏切りの嫌疑を掛けるなど、皇太子妃と言えど軽々にして良い事では無い。私は当然、分かっていてやっている。


「そうだな。一つの城門を隙をみて突破する事は、むしろ少ない手勢の方が容易だな。門は普通は開いているのだから」


 皇帝陛下が沈黙を破る。そして私の事をジロりと睨みつけた。う、身体がビリビリ震えるような圧力が。流石は皇帝陛下。セルミアーネのお父様。熊よりも怖いわ。


「だが、上位貴族が賊を帝宮に入れてどうする。私や其方を殺すのが目的ならあまりにも愚かだろう」


 そうですね。皇族がいなければ全能神の加護は無くなり、帝国は不毛の大地になりかねませんからね。普通の上位貴族なら絶対やらない愚か極まりない行為である。しかしながら、事はもうちょっと複雑だと思う。


「賊の目的は恐らく皇帝陛下ではありません。目的は多分、私。それとカルシェリーネです」


 自分で言っておいて私の頭の中は怒りで沸騰しそうになった。私の大事な大事な大事なカルシェリーネを狙うとは、許せん!そんな事を企んだ連中は私が自ら喉笛を搔き斬ってやるわ!


「どういう事だ?」


「皇帝陛下が身罷られたら帝国は崩壊します。帝国貴族なら常識です。ですから陛下と皇妃陛下には手を出さないでしょう。ですから私達、そしてエベルツハイ公爵家の皆様が標的です」


「・・・それはつまり?」


「私とカルシェリーネを殺し、エベルツハイ公爵家を根絶やしにする。勿論、軍を率いているセルミアーネも殺す。すると、皇族はマルロールド公爵家しか残らなくなりますね」


 皇帝陛下が目つきをこれ以上無いくらい厳しくしたが、私も目を赤く光らせて応戦する。私だってカルシェリーネを狙われて怒っているのだ。


「其方、自分が何を言っているのか分かっておるのか?」


「当然でございましょう。冗談でこんな事は申せませんよ」


 私が言うと、一歩足が踏みだされる音がした。マルロールド公爵が私の方に迫って来ようとしていた。


「お、落ち着かれよ公爵!」


 周囲の者が必死に止める。


「これが落ち着いていられようか!これほどの侮辱を受けた事は生まれて以来一度もありませぬぞ!妃殿下!」


 公爵は悔し涙さえ流していた。帝国の高貴なる血の頂点として、皇帝陛下の最側近の一人として誇り高く生きてきた彼にとっては許せない程の侮辱に思えた事だろう。


 だがしかし、事実である事は仕方が無い。私だって何の根拠も無くこんな事を言っている訳では無いのだ。私はジロっと公爵を睨んだ。私の赤く光る視線を正面から受けて公爵が流石に動きを止める。


「其方の忠誠は疑いません。ですが、其方以外に領地の関所を通過出来る通行証を用意出来る方がいるでしょう?」


 うっと公爵が呻いた。そう。普通は領地境の通過には領主の許可がいる。これは国境を越えてきた隊商であろうと同様で、カリエンテ侯爵領では隊商が入って来たら待たせて早馬をお父様の所に走らせたものだ。だから隊商は最低でも一カ月は領地に滞在しなければならなかった。この場合、お父様が許可証を発行し、身分を保証する事になるのでそれ以降の境はお金を払うだけでフリーパスだ。国境に最高位貴族である公爵侯爵を置くのにはそういう理由もある。


 ただ、お父様は忙しいので、たまにお母様の代筆で書かれた許可証が届く場合もあった。なので、賊が侯爵領の境を越えてきたとしても、公爵本人が承知しているとは限らない。ましてマルロールド公爵は干されていたお父様と違って国家の重鎮だ。領地業務のほとんどを夫人や家臣に丸投げしていても驚かない。


「・・・妻をお疑いか?」


 私は黙っていた。公爵はだが憤然として私に詰め寄った。


「妃殿下と妻の間に諍いがあった事は承知しておりますが、それにしても謀反の疑いを掛けるなど!」


 私は侯爵を睨んだまま、ゆっくりと言った。


「証拠はあります。いえ、これから証拠を取ります。そうですね。公爵にもお見せ致しましょう」


 公爵が驚きに目を見開いた。


「五日後、私の離宮で公爵夫人を交えたお茶会を開く予定があります」



 五日後、私は離宮のサロンの一つでお茶会を開催していた。出席者は私、私の次姉、末姉。他二名、そしてマルロールド公爵夫人だ。私とマルロールド公爵夫人の仲の悪さは有名だが、帝国貴族婦人の頂点の一人である公爵夫人を除け者にしてお姉さまとばかり離宮のお茶会をする訳にはいかない。月一くらいは招くようにしている。他に各々が連れて来た侍女が二人づつ出席者の背後に立っている。私の侍女はエーレウラとアリエスだ。二人には何も話していない。


 挨拶を交わし合い、私が今日の趣向について説明し、お茶とお茶菓子を紹介し、出席者がそれを褒めて、和やかにお茶会は始まった。


 だが、私は既にいつもと違う部分に気が付いていた。私はカップを置くと私の正面。窓際に座るマルロールド公爵夫人に声を掛けた。


「いつもと違う侍女をお連れなのですね」


 少し背の高い、目つきの鋭い侍女だった。


「ええ。最近物騒でしょう?護衛を兼ねておりますの」


「そうですか。確かに頼もしそうな侍女ですわね」


 なるほど、そういう手も使って来るのか。私一人なら楽勝だけど、お姉さまやエーレウラ達もいるのでは、ちょっと一人では手に余るかもね。


 だが、そういう可能性も一応は考えてある。そろそろ始めよう。


「そうそう。帝都の西に山賊が出ていた事は知ってらして?」


 私が言うと、出席していた伯爵夫人が眉を顰めた。


「まぁ、それは本当ですの?妃殿下?」


「ええ。本当ですわ。三日前、討伐部隊が帝都を進発いたしました」


 マルロールド公爵夫人が気分良さそうにフンフンと頷くのが見えた。計画通りだと安心したのだろう。


「ですが、もう鎮圧されました」


 私が言うと僅かに頬を引き攣らせて私の事を見た。ふふん。


「強力な鎮圧部隊が向かい、あっという間に全滅させて。今日にはもう戻って来たそうですわ。ですから帝都の守備隊はいつも通りです」


 マルロールド公爵夫人は舌打ちしたそうに口をゆがめた。私は見ないふりをする。


「それと、帝都の森に法主国軍の一部隊が隠れていたそうです」


 私のその言葉に、流石にマルロールド公爵夫人の表情に驚愕の色がよぎる。


「ずいぶん巧妙に隠れていたそうですが、発見し、討伐されたそうですわ」


 膝の上に置かれた公爵夫人の手がわなわなと震えている。出席している私の次姉が言った。


「まぁ、恐ろしい。油断も隙もありませんわね。他にも帝国の中に潜り込んでいるのかしら?」


「ご安心を。お姉さま。その連中は大分前から追跡していましたし。帝都の森のどこかにいる事は分かっていました」


 公爵夫人は表情を取り繕う事が難しくなってきたようだった。脂汗を浮かべてしまっている。お化粧が流れちゃうわよ。あんまり汗を掻くと。


「何人もの賊を捕まえましたから、誰の手引きで国境を越え、帝都にまでたどり着いたかは直ぐ分かりますよ。そうそう、連絡をしていたその貴族の手の者も捕まったそうですよ」


 私は言うと、マルロールド公爵夫人を、赤く光る眼でジロっと睨んだ。マルロールド公爵夫人は遂に微笑みを失ってしまった。


「良かったですわよね。公爵夫人?」


 それで出席者もマルロールド公爵夫人のただならぬ様子に気が付いたようだった。


「どうなさいました?公爵夫人?」


「あら、汗が・・・」


 マルロールド公爵夫人は必死に笑みを浮かべようとしているが、失敗している。ガクガクと震えながら、辛うじて私と視線を結んでいる。私は眼力を強めた。


「何か言う事は?公爵夫人?」


「・・・なぜ・・・」


「私にはあなたがお嫌いな平民の『お友達』が一杯いますからね」


 そう。害獣の発生状況や、山賊に襲われた村での調査、山賊の現在位置、更に帝都近郊の森を捜索して潜んでいた部隊を見つけ出し、そこに書簡や差し入れを届けていたマルロールド公爵夫人の手の者を追跡し、そもそもマルロールド公爵夫人が法主国の金銀細工や宝石が好きで隊商を頻繁に帝都まで招いていた事を調査してくれて、ついでにお金の使い過ぎで帝都の金融商からかなりの借金をしている事まで調べてくれたのは全部平民の皆さまだ。狩人協会のベックが声を掛けると「ラルのために」とみんな一肌脱いでくれた。


 そこまでやってくれれば後はもう簡単だ。とりあえず面倒なのは森に潜む数百人の部隊だったが、これは何と皇帝陛下自らが昨日の夜に近衛騎士を率いて夜襲を掛けて全滅させたそうだ。血の気の多さで言ったら私に負けていないんじゃないかしら。捕虜も捕え、夜中取り調べてちゃんとマルロールド公爵夫人の手引きで正に今日、帝都帝宮に侵入する手筈だったという調べも付いている。


 そして、マルロールド公爵夫人は今日、多くの家臣を内城壁の門に向かわせたという話も聞いていた。恐らくこのお茶会をしているタイミングで家臣が帝宮の門を開け、法主国軍が帝宮に乱入してくる手筈になっていたのだろう。そしてそれ以上の事も考えていたようだが。


「平民?平民に何が出来るというのです!」


「あなたの計画は平民に潰されたのですよ。あなたの考えなど平民にはお見通しだったという事です」


 マルロールド公爵夫人は何だか一番ショックを受けたような顔をした。蔑視していた平民に自分の計画を見抜かれたというのが、計画がご破算になった事自体よりもショックだったようだ。


「あなたの敗因は、平民を侮った事ですよ」


 私が更に言うと、遂にマルロールド公爵夫人が切れた。


「お前だけは許せません!計画は失敗でもお前だけは殺します!やりなさい!」


 貴族婦人とは思えない直接的な芸の無い台詞を公爵夫人が叫ぶと、彼女の背後の二人の侍女が手を振って何かを投げつけて来た。私はサッと自分の前にあった金属製のトレーを取ってそれをキン、カンと弾いた。他の出席者に当てないように気を使う。一本は高く上がって、落ちて来てテーブルに突き立った。手裏剣か。


「きゃあ!」


「妃殿下!」


 出席者が流石にマナーを忘れて一斉に立ち上がり、エーレウラとアリエスが私を庇って前に出ようとする。


「エーレウラ!アリエス!出てはなりません!」


 私は手を出して二人を止める。彼女たちは戦闘訓練を受けている訳では無い。恐らくプロの暗殺者であろうあの二人に勝てる筈がない。それに・・・。


「毒ね」


 テーブルに突き立った手裏剣がぬらぬらと濡れて光っていた。毒手裏剣とはやってくれる。


「少しでも傷が付けばそこから身体が腐って死ぬ毒ですよ。妃殿下。お気に召しまして?」


 マルロールド公爵夫人が目をギラギラ光らせて笑っている。うーん。ちょっと怒らせ過ぎちゃったかな。武器無し、ドレス、しかもお姉さまや侍女など守らないといけない人が多過ぎる。それで手練れの暗殺者二人。手傷でも危ない毒。まぁ、ちょっと悔しいけど手に余るわね。


「お前がいなければ、私の子が皇太子になれるところだった!お前がいなければ!」


 なるほど、それが動機という訳だ。それで今からでも遅くないと私とカルシェリーネ、出来ればエベルツハイ公爵家を根絶やしにしようとしたのだろう。私は思わずため息を吐いてしまった。


「あなたには無理です。公爵夫人」


 私は彼女を睨みながら言った。


「あなたには無理です。身分に拘り、平民を蔑ずむあなたには、帝国全体を愛し、慈しみ、導くのが役目の皇帝を産み育てる事など出来ません」


 公爵夫人が目を見開いた。そして、まがまがしく目じりを吊り上げると、侍女二人に合図をする。どうやって持ち込んだものか、暗殺者たちは匕首まで持っている。離宮入り口の身体検査を徹底させなきゃいけないわね。


 公爵夫人は口角を限界まで吊り上げて笑い、侍女に襲撃を命じようとした。その時。


 窓際に座っていた公爵夫人の後ろの窓が音を立てて割れた。流石に驚く公爵夫人と侍女二人にあっという間に騎士が五人、襲い掛かる。鎧を着た騎士であるし不意も打てている。騎士は侍女を一瞬で取り押さえ、匕首を取り上げた。私は言った。


「毒が塗ってあるわよ。気を付けなさい。それと、奥歯に毒が仕込んであるそうだから、さるぐつわをしなさいね」


 騎士は心得ていて既に侍女に口を閉じさせないようにテーブルナプキンを丸めて突っ込んでいた。優秀ね。マルロールド公爵夫人は呆然として騎士に押さえつけられていた。本当は公爵夫人が逃げようとしたら取り押さえるための騎士だったのだが。公爵夫人が暗殺者を自ら引き連れているとまでは読めなかった。私もまだまだ甘いわね。


「・・・こ、公爵夫人たる私にこのような無体を!皇帝陛下が、皇妃陛下がお許しになりませんよ!」


 我に返ったのか公爵夫人が叫び始めた。ふんふん。そうですね。その台詞は出ると思っていましたよ。私は椅子から立ち上がり、エーレウラに合図をしてサロンの入り口のドアを開けさせた。


「!!」


 マルロールド公爵夫人が絶句する。そこには皇帝陛下、皇妃陛下、そして彼女の夫である公爵本人が立っていたのだ。皇帝陛下と皇妃陛下は無表情で。そして、公爵は今にも崩れ落ちそうな真っ青な顔で。


「お、おまえ、おまえ・・・、何て事を・・・!」


 マルロールド公爵夫人は取り乱した。


「ち、違います違うんですあなた!その違います。皇妃陛下!皇帝陛下!」


 だが、皇帝陛下も皇妃陛下も冷たい視線でマルロールド公爵夫人を見下ろしているだけだ。そして、皇帝陛下は平坦な声でマルロールド公爵に告げた。


「公爵。其方には当面、謹慎を命ず。悪いが、監視に騎士を付けさせてもらうぞ」


「は・・・。わ、分かりました。申し訳、申し訳ございませぬ。皇帝陛下。皇妃陛下。皇太子妃殿下。全能神に誓って私は全ての罪を償います」


 公爵はがっくりと膝を付いて、皇帝陛下に宣誓を行った。皇帝陛下は頷いてその頭上に聖印を切る。私は皇帝陛下に声を掛けた。


「公爵夫人はいかがいたしましょうか?」


 皇帝陛下は離宮を出るべく歩き出しながらボソッと言った。


「其方の良いように」


「ありがとうございます」


 マルロールド公爵夫人の顔が引きつった。私は公爵夫人の元にゆっくり歩み寄る。公爵夫人は恐怖に震えながらも私を睨み付け、そして叫んだ。


「ふ、ふん!勝ったつもりでいるのですか?良い気でいられるのも今の内ですわ!帝国軍は惨敗する事になっているのですから!」


「なに!」


 驚いたのは彼女の夫である。マルロールド公爵は妻を見下ろしながら問い詰めた。


「なんだ!これ以上何をしでかした!」


 公爵夫人は勝ち誇ったように声を上げて笑いながら言った。


「ほほほほ!マルロールド公爵領を通って法主国の一軍が迂回して、帝国軍の後背を襲う事になっているのです!セルミアーネ様が亡くなれば、お前はお役御免。そうすれば私の子が次の皇太子に・・・!」


 カルシェリーネを忘れてますよ公爵夫人。煩く笑う公爵夫人を見ながら、私はテーブルに突き立ったままだった手裏剣を引き抜いた。


「皮膚をちょっと傷つけると、そこから腐って死ぬ、毒だったかしら?」


 私が手裏剣をシャンデリアに翳して見た後、マルロールド公爵夫人を見下ろすと、流石に公爵夫人の笑い声が止まった。


「ひっ!」


「そんな毒があるとは初耳ね。法主国の毒ねきっと。後学のために一度試させてもらおうかしら」


 そして私は地面に押さえつけられたままの公爵夫人の所にゆっくり膝を付く。私の目は赤く光ったままだ。その目をじわじわと公爵夫人の顔の方に近付けて行く。


「これで私を殺そうとしたのですもの。よもや文句は言いませんよね?」


 私は手裏剣をゆっくり彼女の首元に近付けて行く。公爵夫人が背中に騎士を乗せたまま暴れ出した。


「いやー!ぎゃー!助けて!助けて下さい!あなた!いやー!」


 公爵はおろおろしているが、私を止める事は出来ない。何しろ私の行動は皇帝陛下のお墨付きだ。私は嗜虐的に見えるようにんまり口を歪めながら、限界まで顔を近づけ、赤い視線で彼女の目を貫く、マルロールド公爵夫人は口からブクブクと泡を吹き始めた。


「死ぬ覚悟が出来ていない者が、人を殺そうとするな。バカ」


 私は言うと、手裏剣で彼女の喉にピッと傷を付けた。痕が残らない程度にちょっぴりだ。


「ぎゃー!」


 だが公爵夫人は尋常では無い叫び声を上げて硬直し、悶絶、そのまま気を失ってしまった。恐怖のあまり死んでないでしょうね?その方が幸せかもしれないけど。マルロールド公爵はおろおろしながら私に言った。


「つ、妻は?殺してしまわれたのですか?」


「大丈夫ですよ。毒はちゃんとふき取ってあります」


 だって私が間違って自分に刺したら危ないじゃないの。フィンガーボウルの水で洗って拭き取りましたよ。ちゃんと。


 ホッとする公爵に、二人とも屋敷で(帝宮内城壁内にあるからほとんど離宮)謹慎するように命ずる。特に夫人は部屋に閉じ込めて外部との接触を禁じるように厳命した。公爵は飽きる程の謝罪と慈悲に対する感謝の言葉を私に奉って、騎士に囲まれて帰っていった。私はそれを見送りながら独り言をつぶやいた。


「挟み撃ちにするから帝国軍が負けるですって?」


 ふん。セルミアーネの強さは私が一番良く知っているんだからね。


「家の旦那がその程度で負ける訳が無いじゃないの!」


 

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