三章 竜を狩る皇妃

三十五話 皇太子妃暗殺未遂事件

 私は絶好調だった。


 何しろここ何年も常に頭のどこかに居座って私を悩ませ続けていた、不妊の問題を遂にやっつけたのだ。しかも男の子、皇子を産んでだ。見たか!もう誰にも文句は言わせないわよ!と帝宮の城壁の塔でカルシェリーネを掲げて全帝国臣民に見せながら叫びたい気分だった。


 もちろん知っているわよ?一人じゃ足りない事ぐらい。引き続き頑張って二人三人と産まなきゃいけない事ぐらい。分かっているわよ?でも「もしかしたら私は子供が産めない女なんじゃないか」という不安と恐怖が拭い去られたのは大きいのだ。産めると分かれば頑張って作って産めば良いのだから。


 産後、二ヶ月ほどは身体を回復させる意味で社交はほとんどお休みだ。離宮に特に親しい婦人を招いてお茶会をするだけ。これには皇妃陛下とお姉さま方が駆け付けてくれて、私をおめでとう、おめでとう!と祝福してくれた。そしてすぐさま子供部屋へ行ってカルシェリーネを愛で始めた。私への祝福なぞついでだというのが見え見えである。自分にまだ小さい子供がいるお姉さま方は兎も角、赤子をしばらく見てもいなかったという皇妃陛下の感激ぶりは相当なもので、執務の予定をすっぽかしてひたすらに初孫の事を愛でていらっしゃった。


 まぁ、うちの子可愛いから仕方ないわよね。私だってカルシェリーネにメロメロだ。リーネは物凄く可愛いのだ。流石に美形のセルミアーネの子供である。彼によく似たつやつや赤茶色の髪。薄茶色で私の金色と似た色合いの瞳。顔立ちは整っていてそれが赤子特有のぷっくりした頬をしてもにゅもにゅと口が動くのである。ううう、ちょっと、これ凄い。ヤバイ。困るほど可愛い。私も社交なんて行かずにカルシェリーネを愛でていたい。


 ただ、残念なのはカルシェリーネとずっと一緒には居られない事だ。カルシェリーネを育てるのはあくまでも乳母である。私も少しはお乳を飲ませ、オムツを替えたりしてあげたが、それ以上は許されなかった。私は皇太子妃。お仕事は社交である。子供の面倒を見る元気があるなら社交をしなければならない。


 なので私がカルシェリーネと会えるのは朝と夜寝る前くらい。ううう、私の子供なのに!と思うのだが、貴族なら育児は乳母任せ、ほとんど会わないのは普通の事であるらしく、私の嘆きはセルミアーネ以外の誰にも理解されなかった。セルミアーネは帝宮を下がられてから社交を断っていたフェリアーネ様に自ら厳しく育てられたのだそうだ。


 私が社交に復帰するとお祝いの品を抱えた貴族婦人のご挨拶で大変な事になった。お祝いの品を置く部屋を一つ帝宮の中に設定したほどだ。誰もが皇帝の孫、皇太子の第一子の誕生を祝ってくれた。ちなみに、孫と言えばカルシェリーネは私の父母にとっても孫なのであるが、顔を見に来て下さったお父様お母様の態度は物凄く腰が引けていた。何しろ皇孫である。爺婆として可愛がって良いものかと戸惑っているらしかった。


 出産を機に、エステシアは私の侍女を辞めた。彼女は伯爵夫人なので独自の社交がある。私のお作法ももう大丈夫だろうとの事で侍女の座を退くことにしたのだった。私は彼女への感謝を込めて、ライミード伯爵に領地を大幅に加増してくれるよう皇帝陛下にお願いした。何しろエステシアは私のお作法を仕込んでくれた恩人だ。彼女がいなかったら私が皇太子妃として周囲に認められる事は無かっただろう。ライミード伯爵は大領を抱える侯爵に準じた格の伯爵となり、カリエンテ侯爵家の分家ではなく完全に独立した。エステシアは以降は私の友人として、引き続き頻繁に離宮には来てくれた。


 お祝い攻勢が終わると日常が段々戻って来る。私は毎日毎日社交と儀式に忙しい。そして、お忍びも復活させた。させなくても良いのに、という顔をアリエスがしていたが無視だ。これをやらないと私のストレスが大変な事になってしまう。それを理解しているエーレウラはもはや何も言わなかった。ちなみに、朝の抜け出しは復活させなかった。朝はカルシェリーネと会う貴重な時間だ。抜け出しよりも大事である。


 私がお忍びに行ける条件は、まずその日に複数の社交が無い事。一日に何件も社交や儀式が立て込んでいたら流石に準備で忙しくて行かれない。離宮区画で開催するお茶会がある日も、あれは私が趣向を凝らす事になっていて準備が大変なので難しい。朝に帝宮本館での軽いお茶会のみがあり、後は夜の夜会に出ればその日は他に何もない日、というのがたまにある。というか、意図的にそういう休める日を私とエーレウラで調整して作る。そうでもしないと皇太子妃には休みが無くなってしまう。そうやって得た貴重なお休みの時間を、私はお忍びに当てているのだ。


 エーレウラとセルミアーネの厳命で、お忍びには騎士が二人護衛に付くことになっている。本当はこれに侍女を一人付けるのが望ましいが、私は馬で出掛けるので侍女は付いて来れない。護衛は一人で十分なのだと思うのだが、騎士と二人きりで出掛けるなど破廉恥行為で許されないのだそうだ。出掛けて良い範囲は帝宮の内部だけ。格好は馬にも乗れる活動的な服で良いが、日焼け防止及び見た目の問題で、必ず大きな帽子とマントを身に付ける。


 実はこの頃になるとお忍びだと言っても私の正体はバレバレで、官公庁街のお役人の下位貴族は私を見ると拝跪して礼をするようになってしまった。まぁ、騎士を二人も引き連れて歩いてたらおかしいとすぐ分かるわよね。だが、商店街の平民は私の気さくな態度に直ぐに慣れてしまい、それほど畏まらずに接してくれる。もちろん、護衛の騎士には平民が無礼な態度をとっても怒ってはならないと厳命してある。


 街で買い食いや散策を楽しむ以外は、帝宮の中に幾つかある森で狩りをする。流石に熊などはいないが、騎士が訓練で使うという鹿や猪がいる森はあり、そこで狩りをさせてもらう。本当は聖域のうっそうとした森で狩りがしたいのだが、流石の私もそんな事はしない。


 後は護衛の騎士たちと撃ち合いの稽古をする事もある。これはセルミアーネや騎士団長には内緒である。妊娠生活で鈍った身体を引き締めるためと、来年の御前試合でセルミアーネに勝つための秘密特訓だ。騎士たちは私の事に慣れてしまったので、そのくらいの事は普通に付き合ってくれる。むしろトリッキーな戦い方をする私との訓練は役に立つと言って、護衛の時は対戦を楽しみにしている気配さえあった。


 お忍びの時間は昼からほんの数時間。急いで帰ったらお風呂に入って身支度を整えて夜会に出掛けなければならない。皇太子妃は大変なのだ。



 ある日、私はまたお忍びに出て帝宮の森の一つに入って弓矢で狩りをしていた。森を歩きながら今日は鳥を撃ってみようと思っていた。カルシェリーネは綺麗な鳥の羽が好きなのだ。まぁ、カルシェリーネって大きな鷲の名前だしね。名前からして鳥が好きなのかもしれない。生後半年を迎えた息子はますます可愛く、良く笑い良く泣くようになった。私もセルミアーネも息子の順調な成長が嬉しくて仕方が無い。朝は二人して子供部屋からなかなか出られ無くて困る。乳母と子供部屋の侍女曰く、私のお腹の中で暴れた割には大人しいが、早々に寝がえりをうてるようになったので、運動能力には期待が持てるのではないかという事だった。


 その内息子と狩りに来れたら素敵だわね。なんて思いながら森の気配を探っていた私は、ふと、その気配に気が付いた。・・・覚えがあるわよ。故郷でも感じたことがあるし、セルミアーネと帝都に来る途中に感じた気配でもある。そう。誰かに観察されている視線である。しかも近い。私は何気なく護衛の騎士に近付きながら小声でつぶやいた。


「気が付いている?」


「は?何をでありますか?」


 私はずっこけそうになった。こら、護衛!一体どこを見ているの?いや、確かに目には入らないかもだけど、気配を感じなさい。気配を。


「囲まれているわよ」


「は?え⁉どういう事でしょうか!」


 馬鹿、声がでかい。ほら、向こうも気付かれた事に気が付いちゃった。周辺の茂みがザザザザっと動く。流石に騎士もそれで気が付いた。曲者に気が付けば対処は訓練されているから早い。サッと抜刀して二人の騎士が私の左右に展開する。


「何者か!」


 騎士が呼ばわるが、曲者は茂みから出て来ない。だが、私の気配読みはごまかせない。私は騎士に短く命ずる。


「後ろの奴は任せた」


 そして言うなりサッと上へ弓を向け、躊躇無く放った。


「グッ・・・」


 喉元に矢を受けた曲者の一人が木の上で仰け反るのが見えた。同時に私の背後から黒服黒覆面の曲者が音も無く襲い掛かって来た。


 しかし私が警告してあるのだ。騎士なら造作無く対応出来る。私に向けて斬り付けてきた曲刀を騎士の片手剣が跳ね返し、もう一人の騎士が剣でそいつを叩き伏せる。奇襲に失敗した曲者たちは一斉に姿を現し、一気に殺到して来た。その数五。誰かが犠牲になっても目的、つまり私の暗殺を達成するという作戦だった。つまり命を捨てて目的を達成する、プロの暗殺者集団だ。


 ふふん。私は一度に矢を三本取り、バンバンバンと続けざまに放った。それは過たず全て暗殺者に突き立つ。私の弓の腕を舐めるなよ?暗殺者が驚いたような顔をした(目しか見えないけど)。恐らく服の下に鎖帷子なり着ていて矢は通らないと思っていたのだろう。だがしかし、私の弓はかなりの強弓だ。矢も鋭く丈夫。何しろ熊対応である。本気で引けば鎖帷子など貫通する。そこへ二人の騎士が襲い掛かり、矢が当たった暗殺者は瞬殺された。


 残りは二人。黒服黒覆面の暗殺者は矢を避けるためかジグザグなステップを踏んで一気に私に迫った。


「妃殿下!」


 騎士が慌てたような声を上げる。敵が残っているのに護衛対象を放置して敵に向かって行ってしまうなんて護衛失格ね。騎士団長に注意しておかなくちゃ。私は暗殺者が微妙に私の視界からずれるような、一度に二人が見えないような位置関係を保って襲い掛かって来るのを感じながらちょっと怒っていた。これが私やセルミアーネならいいが、戦闘能力の無い皇妃陛下やこれから出かける事も増えるだろうカルシェリーネの護衛だと困るのだ。


 暗殺者が一気に接近し、曲刀を翳して襲い掛かって来た瞬間、私は軽く飛び上がった。空中で木の枝を掴んで身体を更に上に持ち上げる。充分に引き付けてからいきなり飛んだので、暗殺者は私を見失った。襲い掛かるべく飛び上がった状態で戸惑っている。その隙を見逃さず、私は空中に浮いたまま手に持った弓でビシ、ビシっと二人の暗殺者の首を叩いた。


 私の弓は熊撃ちにも使える強弓である。当然弓も頑丈に作られていて重量もそれなりにある。それで私の馬鹿力で叩かれたら棍棒で殴られるのと大して変わらない。暗殺者はバランスを崩して地面に叩きつけられた。そこへ騎士が襲い掛かる。


「殺してはダメよ。取り調べなきゃ」


 地上に戻った私は騎士に命じた。気配を探るが、とりあえず近辺には更なる暗殺者はいないようだった。



 お忍びで出掛けた皇太子妃である私が襲われたこの事件は大問題になった。


 私が襲われた森は外城壁と内城壁の間にあるとはいえ、そこだって帝宮の内部である。そこに計七人もの曲者が入り込んでいたのだ。警備計画の見直しと、入出門時の確認事項の徹底が図られた。騎士団長に私が言っておいたので、騎士たちの訓練にも見直しが行われたようである。


 そして私は。お忍びを禁じられた。


「そ、そんなせっしょうな!」


 私は愕然としてセルミアーネに詰め寄った。


「どうしてよ!ちゃんと暗殺者は撃退したじゃない!お忍びで出掛けても大丈夫だってことを証明したじゃない!」


 セルミアーネは頭が痛そうな顔をした。


「分かってる?君は本気で殺されそうになったんだよ?しかも内城壁からお忍びで出たところを狙い撃ちで。君の行動は完全に把握されている。何しろ普通の貴族ならほぼ入らない森の中で待ち伏せされたんだから」


「あの程度なら大丈夫よ。何ならこれからは短槍も携帯するわ。それなら倍の人数が来ても平気だから!」


「とにかく、ダメなものはダメ!」


 そ、そんな・・・。私は崩れ落ちた。


「シクシク。旦那が子供が生まれたら私のお願いを聞いてくれなくなった。酷い。旦那は子供が生まれると冷たくなるというのは本当なのね!」


「ラル。人聞きの悪い事を言わないで。本当に危険なんだから。情勢的にも」


「・・・?どういう事?」


 セルミアーネが言う事には、どうも東の強国である法主国に怪しい動きがあるのだという。いや、法主国は我が国を一方的に敵視していて、年中怪しい動きをしているのだが。それに対応するために国境付近にある直轄地には帝国軍が常駐していて、付近の公爵侯爵領にも貴族の私兵が守備兵として相当数置かれているのである。


 しかし今回の不穏な動きはいつもの小競り合いとはちょっと違うらしい。もっと規模の大きな侵攻を企んでいる気配があるという。


「法主国は領域の割に貧しく、どうも人口を支え切れていないらしい。それを補うために我が国へ侵入しての略奪を年中行っているんだけど、遂にそれだけでは足りなくなって、我が国の豊かな国土を奪おうと、計画しているという話だ」


 私は首を傾げた。


「法主国が奪っても、全能神の加護が切れたらそこは不毛の大地に戻りかねないんじゃないの?」


「そうだけど、法主国は全能神の加護なんてまやかしだと思っているらしいから」


 ・・・まぁ、私も故郷で暮らしていた頃は大概不信心だったから、法主国の無知を笑えないのかもしれないけど。それにしてもバカバカしい話だ。


「法主国の計画と今回の暗殺計画に関係があると考えるのが自然だろう。だから、法主国の計画の全容が把握出来て、対処して、危険が低くなるまではダメ。お忍びは禁止」


 うぬぬぬぬ。法主国め余計な事を。私の数少ない楽しみを奪いやがって。許せない!


「暗殺者は何人か生きてた筈よ?締め上げて吐かせて法主国との関係が立証出来ないの?」


「ダメだ。全員、仕込んでいた毒で自害した」


 何やってんの騎士団!せっかく捕えた暗殺者をみすみす死なせてしまうなんて!と思ったのだが、セルミアーネ曰く、奥歯に仕込んでいた小さな毒薬だったらしく、分からなかったのだそうだ。しかし、その鮮やかな襲撃手順と自害までする覚悟からして、しかるべき国で訓練された暗殺者だろうと予想された。そんな国は法主国しかもう無いので、状況証拠的にはやはり法主国があやしい。


「法主国に攻め込んでいく時は私も行くわよ!」


「ダメに決まっているだろう。絶対ダメ」


 瞬時に却下された。うぬぬぬ。セルミアーネは再度私のお忍びは禁止し、離宮の警備を強化するから離宮の庭園までなら出ても良い事、良いと言うまで帝宮本館の庭園にすら護衛無しで出ない事を厳命した。悲しいが皇太子殿下の命令では従うしかない。


 不満をため込んで睨む私を見ながらセルミアーネは溜息を吐いた。


「君は平気かも知れないが、カルシェリーネはどうするの?離宮に侵入されたら守る人がいなくなるだろう?」


 は!・・・そうだった。あれほどの手練れがもしも警備の騎士の目を搔い潜ってこの離宮に侵入してきた場合、カルシェリーネを守れる者が誰もいないという事になる。た、大変だ。途端に真っ青になる私にセルミアーネは真面目な顔で言った。


「そういういざという時のために、君にはあまり離宮を離れてもらいたく無いんだよ。分かった?」


「分かったわ!カルシェリーネは私が護る!」


 セルミアーネは満足そうに頷いたが、私が侍女に探してきてもらった武器や自作の罠でカルシェリーネの子供部屋を守るべく計画を立て始めると「違う。そうじゃない」と頭を抱えてしまった。誰が何と言おうと、最愛の息子が襲われた時に敵を撃退するのは母の役目である。私は警備の騎士と兵士を集め、朝の抜け出しで見つけていた警備上の穴も塞がせて、離宮の警備計画を再検討した。


 離宮を守ると言ったって、私は社交に出なければならない。その社交に出る時にも警備の騎士が付くようになった。ものものしい雰囲気に、上位貴族婦人は微笑んだまま若干表情を引き攣らせていた。ただ、帝国が大規模な戦役を戦ったり、法主国の大侵攻を撃退した事は初めてでは無く、こういう戦時の雰囲気には覚えがあるご婦人も多いらしい、社交ではその時の話も出た。


 あるお茶会の席で法主国との国境に領地を持つ侯爵夫人から法主国についての話を聞いた。法主国は自分たちの国を神に護られた楽園という意味である物凄く長い名前で呼ぶ。私は皇帝陛下に言われて法主国の言葉を渋々覚えたからそれは知っている。


 皇帝陛下に当たる人物は法主といって宗教団体の長である。これは帝国も似たようなものだ。法主は世襲では無く、前の法主が亡くなると会議が行われて選ばれるのだそうだ。歴史の長さは帝国より古いと主張しているらしい。


 信じている神様は至高神という唯一絶対の神様で、他に神様はいないらしい。神の像を作る事をしないので定かでは無いがどうやら男神で、帝国の神殿が調べたところ、帝国には該当する神様はいないとの事。まぁ、神様は沢山いるので、知られて無い神様である可能性はある。全能神に拝めば全ての神様に祈りは通るから、私の祈りもその至高神とやらに届いている可能性はある。


 ただ、至高神には土地を肥やす御利益が無く、法主国の人間には魔力が無い。そのため、そもそも北寄りかつ乾燥した国土である法主国は食糧生産能力が低く、帝国に匹敵する国土面積を持ちながら人口は帝国よりずっと少ない。ちなみに法主国から戦争で分捕った土地に全能神の加護が届くようになると、土地は普通に肥えるらしい。なので帝国と法主の国力の差は信じている神様の加護力の差だと言える。


 だが、法主国はそれを認めない。法主国は全能神信仰を邪教と否定し、全能神の加護を邪教の技と断じて非難しているらしい。怪しげな技で法主国の地の土地の力を吸い上げて帝国を富ませていると主張しているそうだ。私達が魔力を奉納している事は知らないのか無視しているのか。まぁ、私も神様の事は良く知らないから何とも言えない。邪教でも何でも結果が良ければ何でもいいじゃないかと思うのだが。


 貧乏な土地しかない法主国は略奪のためにしばしば帝国に攻め込んで来る。迷惑な話だが連中はこれを「聖討」と呼んでいる。略奪強盗を正当化してくれるとはやっぱりろくでもない神様なのでは無いかという気がするが。帝国は何度も行われるそれを騎士団を中心として撃退してきた。何年かに一度は万単位の軍勢でもって大規模に侵攻してきているが、帝国軍が大きく敗れた事は無いらしい。魔力によって身体機能が強化された騎士の存在は大きいわよね。


 今回も私への暗殺計画のせいで侵攻を企んでいる事は早々に察知出来たので、セルミアーネ達が十分に備えているから問題無く撃退出来るだろうとの事。もちろん油断は禁物だが。


 私がほうほうと聞いていると、少し離れたところから声が上がった。


「嫌ですわ。皆さま。野蛮な話は優雅ではありませんわ。高貴な者の集うお茶会でする事ではありませんでしょう」


 見るとマルロールド公爵夫人が美しい顔を歪めながら声を上げていた。


「ですが公爵夫人、公爵領は国境付近にございましょうに。他人事では無いのでは?」


「そういう野蛮な事は殿方に任せておけば良いのです」


 マルロールド公爵夫人は言いながら、ちらっと私の事を見た。なんだよ何か文句があるのかよ。どうもこの夫人とは反りが合わない。旦那さんの方は人当たりが良くて良い人なんだけども。


「自ら戦うなど高貴な夫人のやる事ではございませんわね」


 私が自ら暗殺者を撃退した事は貴族の間には知れ渡っている。これはつまり自ら戦った私は野蛮であると言っているに等しい。むむむ。私が貴族女性としてはちょっぴり野蛮なのはその通りだとしても、この女に言われると腹が立つ。ただ、皇妃陛下から私は「気に入らない相手であろうとあからさまに対立してはいけません。人の上に立つ者にはそういう、自分に従わぬ者も上手く使う度量が求められます」と諭されていた。気に入らないがこの女は帝国の重要人物だ。あからさまに排斥すると影響が大き過ぎるのだ。しかし、言われっぱなしなのも何なので、私はマルロールド公爵夫人に言ってみた。


「そんな事を仰っていても、公爵夫人とて暗殺者の刃が間近に迫ったら、必死に戦うのでは無いですか?」


「そんな事にはなりません。絶対に」


 マルロールド公爵夫人はそう断言すると、嫌な感じで殊更ニッコリと笑って見せた。彼女はそれ以上は何も言わず、私も彼女とあんまり長話もしたくないので、話はそれで終わったのだが、私は何となくその嫌な感じの微笑みが記憶に残ってちょっと気になった。


 私が暗殺され掛けてから一カ月後、どうやら法主国軍が国境の侯爵領に侵入したとの報告が届き、既に編成されていた帝国軍を率いてセルミアーネが帝都を進発した。

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