三十二話 妃殿下のお忍び  エーレウラ視点

 私はモンベルム伯爵夫人エーレウラと申します。皇太子妃殿下であるラルフシーヌ様の筆頭侍女です。年齢は三十七歳。


 私は伯爵家の四女として生まれ、成人と同時に帝宮に侍女として入りました。貴族の子女で予算の都合などで嫁に出せない場合は帝宮に侍女として入れる事が多いです。帝宮は巨大組織ですからね。侍女は何人いても困りません。


 私は帝宮に入り、研修を終えると直ぐに皇妃様付きの上級侍女になりました。内宮付きの上級侍女ですから帝宮の侍女の中ではかなり上位です。実家が高位の伯爵でしたからそのせいでしょう。そんな高位の伯爵でも四女となれば嫁に出すのが予算的に難しくなるものなのです。六人の娘を全員しかるべき所に嫁入りさせる事が出来たカリエンテ侯爵家は流石だと思います。


 私が内宮に入った時にはまだセルミアーネ様のお母様であるフェリアーネ様が筆頭侍女としていらっしゃいました。亜麻色の髪の優しい方で、私にも厳しく優しく指導して下さいましたね。皇妃陛下とは実に仲良しで、二人だけの時はお互いを名前で呼び合い、お二人とも他では見せない楽しそうな表情で笑っていらっしゃいました。皇妃様は本当にフェリアーネ様を信頼なさっていたのです。


 ところが私がお仕えして数年後、皇太子殿下が討ち死になされるという大事件が起こります。最愛のご長男を亡くされた皇妃陛下は悲痛のあまり床に付かれました。私もフェリアーネ様も懸命に看病しましたが、この時は皇帝陛下もガックリと気を落とされてしまい、内宮に閉じこもってしまわれました。皇帝陛下が外廷に出られ無ければ帝国は動きません。本来であれば皇妃陛下が励まして立ち直らせるべきなのですが、この時の皇妃陛下はそれどころではありませんでした。


 この時、皇帝陛下ご夫妻と非常に親密で長いお付き合いだったフェリアーネ様が皇帝陛下を叱咤激励なさったのです。寝室に閉じこもる皇帝陛下を部屋から叩き出し「しっかりして下さい!あなたが挫けたら帝国はどうなるのですか!」と背中を押して無理やり外廷に送り出したのです。その姿はもう一人の皇妃陛下のようでしたね。


 実際、この一件で皇帝陛下はフェリアーネ様に好意を抱かれたようでした。立ち直った皇帝陛下が遠征して法主国への復讐戦に完勝し、凱旋して新しく三番目の皇子を皇太子に任じ、全てが落ち着いたころ、皇帝陛下はご自分の寝室にフェリアーネ様をお召しになったのです。皇妃陛下はまだ立ち直り切っておられず、皇帝陛下ご夫妻は寝室を別にしておられたのです。


 皇帝陛下はフェリアーネ様を公妾にすると決め、皇妃陛下に相談なさいました。皇妃陛下は親友であるフェリアーネ様が愛妾になられる事には大賛成で、皇帝陛下はフェリアーネ様を伯爵夫人に叙し、全貴族に公表。フェリアーネ様は正式に皇帝陛下の公妾、もう一人の妻になられたのでした。


 通常であれば公妾は公的身分ですから、フェリアーネ様はお妃様に準じる存在として離宮が与えられ、そこで生活をなされる筈でした。しかしフェリアーネ様はそれを拒みました。皇妃様がまだ本調子でない事を理由に、お側を離れたくないと仰ったのです。フェリアーネ様は筆頭侍女でしたので本来は帝宮外城壁の内側に屋敷が与えられていてもおかしく無いのですが(事実今の私がそうです)皇妃陛下を親密にお世話したいと内宮内の使用人部屋に住んでいたのです。しかしながら皇帝陛下の愛妾を使用人部屋に住ませ、使用人部屋に皇帝陛下を通わせるわけにはいきません。結局妥協点としてフェリアーネ様に内宮の離れの一つが与えられ、フェリアーネ様は渋々そこにお移りになりました。


 フェリアーネ様は公妾なのですから本当は侍女ではありませんでしたが、相変わらず皇妃陛下のお世話を他に譲らず、献身的に皇妃陛下を支え続けていました。ただ、どこか表情は暗くなり、皇妃陛下と親密にお話するような事は無くなっていました。皇妃陛下はその事を悲しんでおられました。


 そして程無くフェリアーネ様は妊娠され、セルミアーネ様が生まれました。お生まれの時は私もお手伝いしましたよ。皇帝陛下も皇妃陛下も大変お喜びになりました。印象深かったのは皇太子殿下が弟が出来たと凄く喜んでいらした事です。


 ここでフェリアーネ様にお子が生まれた事で、皇帝陛下にまだお子を成す能力がお有りな事が分かりましたので、この後お二人の公妾を皇帝陛下は娶られました。しかしながらお子はこれ以上出来ず、二人のご愛妾も早くに亡くなってしまいました。結局セルミアーネ様が皇帝陛下の最後のお子になってしまったのです。


 セルミアーネ様が御生まれになって半年ほど後、フェリアーネ様は帝宮を去りました。皇帝陛下も皇妃陛下も勿論私達侍女も驚き、翻意を促しましたが、フェリアーネ様は逃げるように帝宮を去ってしまいました。皇妃陛下のお嘆きは大変なもので、自分のせいだとずいぶんご自分を責めていらっしゃいました。皇帝陛下もがっかりなさいましたね。ですが両陛下とも愛するフェリアーネ様とセルミアーネ様を諦める気は無いと仰いました。両陛下はそれまで滅多になさらなかったお忍びをなさってフェリアーネ様が帝宮外に持たれたお屋敷に通われたのです。多い時は週に二回です。私も何度か同道致しましたが、帝都の下級貴族の屋敷が並ぶ一角にある小さなお屋敷で、帝宮侍女の先輩であるケーメラとその夫であるハマルがお世話をしていました。


 フェリアーネ様はいつも微笑んでいらっしゃいましたが、皇妃陛下と以前のように親しくお話する事は無く、皇帝陛下にも完璧な礼節で臣下として対していました。セルミアーネ様も幼い頃は皇帝陛下と皇妃陛下に父母として接していましたが、十歳くらいになると両陛下を「陛下」と呼ぶようになってしまいました。フェリアーネ様がそう強制したのでしょう。


 結局、フェリアーネ様は皇帝陛下の事が男性としてお好きではあったのですが、それ以上に皇妃陛下の忠臣として、親友としての意識の方が強かったのです。何度か「自分は皇妃陛下を裏切ってしまった。ご厚意に甘えすぎてしまった」と仰っているのを聞きました。皇帝陛下のご愛情を受け入れてからフェリアーネ様はずっと罪の意識に苛まれていらっしゃったのです。ましてセルミアーネ様が皇子として扱われ、皇妃様のお子である皇太子殿下と同列に扱われるなどフェリアーネ様には許せなかったのでしょう。


 セルミアーネ様が十二歳の時、フェリアーネ様がお亡くなりになりました。急死で、両陛下が駆け付けられた時には既に亡くなっていたそうです。両陛下は前皇太子殿下が亡くなった時のように嘆き悲しまれ、今度はフェリアーネ様の代わりに私達侍女が両陛下を一生懸命に励ましました。特に皇帝陛下はこの頃相次いで他のご愛妾も亡くした事もあり、甚大なショックを受けたようです。以降ご愛妾をお迎えになっていません。


 本当はこの時にセルミアーネ様を両陛下のご養子として、皇族として成人させる運びだったのですが、フェリアーネ様のご遺言だとしてセルミアーネ様が辞退なさったのです。両陛下はお嘆きになりましたが、フェリアーネ様のご遺言では無理強いできません。とりあえずはセルミアーネ様のご希望を通す事になりました。


 ところがその六年後です。皇太子殿下がにわかに病を得てお倒れになりました。そしてどんどん病状が悪化してしまわれました。帝宮は大騒ぎです。皇帝陛下も皇妃陛下も必死に看病をなさったのですが、一向に回復しません。医者の見立てでは重大なご病気で、回復の見込みがないとの事。大変な事になりました。皇太子殿下は両陛下の最後のお子です。お亡くなりになったら皇統が耐えてしまいます。


 遂に皇帝陛下はセルミアーネ様を帝宮に呼び戻し、皇族として皇子として、次期皇太子として迎える事を決めました。セルミアーネ様もこれに同意なさいました。流石に皇統の断絶という緊急事態なのですからフェリアーネ様の遺言を破る事になっても同意せざるを得なかったのでしょう。


 この時、皇妃様に命じられ、私がセルミアーネ様がお入りになる離宮の侍女長になる事になりました。私は皇妃様に長くお仕えした功績によりモンベルム伯爵夫人の階位を賜り、婿を取って正式に伯爵家を立てていました。離宮の侍女長になるのに不足が無い階位だと見做されたのでしょう。皇妃様は私の手を取って「くれぐれもセルミアーネとラルフシーヌを頼みます」と仰いました。私もご誕生のお手伝いをしたセルミアーネ様の離宮の侍女長になる事に縁も感じ、その重大な責任に震える思いも致しました。


 私は侍女長ですから、男性であるセルミアーネ様のお世話というよりはそのお妃様であるラルフシーヌ様のお世話の方が重大なお仕事です。男性の身の回りのお世話や、お仕事に関係する事は侍従長のハボックと侍従の仕事です。ハボックは良く知っていますので仕事の分担は大丈夫でしょう。私はお二人をお迎えするために離宮の整備をしながら、ラルフシーヌ様がどんな方なのかと想像していました。何しろ侯爵令嬢ですから気位の高い、気難しい方ではないかと思っていましたね。


 実際に離宮に入られたラルフシーヌ様は驚くほどお綺麗な方でした。銀色の髪は艶やかで金色の瞳が輝いており、微笑みが本当に麗しい方です。侍女一同でお迎えしたのですが、鷹揚に頷かれ、非常に態度に余裕もありました。気難しい方では無いようです。


 彼女は二人の侍女を持ち込み侍女として連れて来ました。これは当然です。高位貴族なら自分専用侍女を幼少の頃から連れ歩きます。馴染んだ侍女を手放したくなければ嫁入り先にも連れてくるものです。しかし、その持ち込み侍女であるエステシアと話して驚きました。彼女は伯爵夫人で、しかもカリエンテ侯爵家の分家ですが独自領地を持っている格も中々高い伯爵家の夫人です。とても侍女をやる家柄の者とは思えません。当然、侍女経験も無いそうです。それがどうして侍女に?疑問で一杯になる私にエステシアは驚きの説明をしてくれました。


 何でもラルフシーヌ様は騎士であるセルミアーネ様に輿入れしたので、お作法が騎士夫人レベルなのだそうです。いやいや、だって侯爵令嬢なのですよね?ところがエステシアが言うには、領地で育てられたため、全く教育がなされていないのだとか。それを離宮入り直前にスパルタで鍛えたので、まだ全然教育が行き届いていないのだそうです。その教育の続きとフォローのために伯爵夫人であるエステシアが付けられたのだとか。


 そう言われてよく見ると、ラルフシーヌ様の所作には所々甘さがあります。確かに侯爵令嬢にしては気を抜いた時に雑に座ったり、足音を立てたり、歯を見せて笑ったりします。・・・これは大変です。皇子のお妃様、次期皇太子妃のラルフシーヌ様は明日から毎日毎日社交に出なければなりません。毎日注目を浴び続ける事を意味します。それが荒いお作法を晒していては、あっという間に貴族界全体に「次期皇太子妃は作法がなってない」と知れ渡ってしまうでしょう。皇族の名誉に関わる問題です。


 私はエステシアには侍女の仕事を振らず、社交のお供と教育に専念してもらい、その他の仕事は私達が分担する事に致しました。因みにもう一人の持ち込み侍女のアリエスはカリエンテ侯爵家の分家である子爵家の三女で、こちらはお妃様の身の回りの世話をさせるべく遠慮無く侍女として仕込むことにしました。一族の者とは言え子爵令嬢なのに上級侍女扱いされてしまうのです。完璧な侍女になって貰わないと困ります。


 社交が始まるとお妃様は毎日毎日の社交に潰されそうになりながらも懸命に頑張っていました。聞けば社交自体をほとんどやったことが無いそうで、お茶会から帰る度にエステシアと入念にお茶会における出来事や作法を復習して、直ぐに次の社交に行くのです。それはもう、激務と言って良い社交の頻度で、お妃様は毎日お風呂に入る頃にはぐったりしていましたね。不寝番の侍女からの報告では皇子様と少しお話になると何もせずすぐ寝てしまうそうです。無理も無い事です。


 セルミアーネ皇子は私は幼少時からの顔見知りですから、離宮の侍女長になった事を喜んで下さいました。そしてくれぐれもラルフシーヌを頼むと仰せになり「絶対に彼女に無理をさせるな。怒らせるな」と命じられました。この命令の意味が分かるようになるまで大分時間が必要でしたよ。


 無理をさせるなと言ったって、もう限界までお妃様には社交の予定が詰まっています。お妃様にストレスがどんどん溜まっている事は明白でしたが、私達にはどうしようもありませんでした。私達はまだお妃様とお付き合いが浅く、お妃様がどのようにして気分転換やストレス解消をするのかが分かっていなかったのです。普通の貴族女性なら庭園を散歩したり美味しいケーキを食べたり、音楽家を呼んで演奏させたり、観劇に行ったり道化の演技を見たりしてストレスを解消します。


 ですがある頃からお妃様の肩から力が抜け始めました。表情にも余裕が戻られ、お言葉も増えました。良い傾向です。ですがどうしたのでしょう。何か気分転換の方法を見つけたようなのですが。その頃、お妃様の身の回りを担当しているアリエスが「お妃様の爪が傷んでいたり、肌が少し焼けている事がある」と言っていました。どういう事なのか、それが分かったのも大分時間が経ってからでした。


 やがて皇太子殿下が遂にお亡くなりになり、セルミアーネ様が新皇太子殿下になられ、ラルフシーヌ様は皇太子妃殿下になられました。妃殿下になられるとラルフシーヌ様の社交の頻度は下がりましたが、重要性は増しました。離宮で行われる社交も増え、私達は大忙しです。離宮区画、離宮のお茶会の場合、妃殿下が趣向を考え、私達がそれに応じた飾りつけをします。ですが妃殿下はお作法こそかなり良くなりましたが、趣向を考える教養が不足しているという事で。それを考えるのは妃殿下の姉君達かエステシアでした。


 妃殿下の姉君は上位貴族ばかりで五人もいます。最上位は長姉のエベルツハイ公爵夫人ですが、こちらは独自の社交が忙しくて流石に週に一度くらいしか来ません。前侯爵夫人や次姉三姉の侯爵夫人も同様です。一番良くいらっしゃったのは末姉のラフチュ伯爵夫人です。頻繁に来る上に朝から入り浸る事も良くありました。当然妃殿下は社交に出掛けてしまうのですが、その間も離宮にいて、散策をしたりお茶を飲んだりドレスを選んだりと、まるで自分がこの離宮の主であるかのようです。挙句に妃殿下のドレスを勝手に持って行ってしまうのです。妃殿下のお古なら兎も角新品まで持って行ってしまうので、流石にその時は私は苦言を致しました。


 ただ、妃殿下はこのラフチュ伯爵夫人を大変頼りにしていらして、夫人も妃殿下を大変可愛がっていました。こまめに妃殿下の様子を見ている事は間違い無く、肌艶や髪の傷み具合からお化粧の仕方を変えるように私達に仰ったり、妃殿下がお疲れの時には長居せずにお帰りになるなど、妹の事を本当に気遣っていましたよ。それだけにドレスを持って帰られても文句も言い難くて困ったのですが。


 妃殿下が朝早くこっそりお部屋を抜け出している事に気が付いたのはアリエスでした。彼女は妃殿下の身体のケアをしていましたから、どうもおかしいと思って根気強く妃殿下の行動を見ていたようです。そして遂に妃殿下が朝早くにこっそり抜け出してお外にお忍びされる事を掴んだのでした。どうやら下級侍女の格好をして抜け出しているとの事です。アリエスから相談された私は驚きましたが、こんな事は公に出来ません。私は皇太子殿下に報告してみました。もちろん一緒に寝ている皇太子殿下が気が付いていない訳がありません。案の定、殿下は「遂に気が付かれたか」と仰います。そしてなんと「見逃してやってくれないか?」と仰いました。


 皇太子妃殿下がお部屋を抜け出して遊びまわるなど前代未聞ですが、皇太子殿下が言うには、妃殿下は狩人であらせられたそうで、運動が好きで森が好きでジッとしているのが嫌いなのだそうです。社交ばかりでは気鬱になってしまから、抜け出して遊ぶ事を許して欲しいと仰います。殿下がそうおっしゃるなら否やありません。幸い、妃殿下の脱走は見事なもので、アリエス以外には気が付かれていないようです。私はアリエスに口止めして妃殿下のお忍びを黙認する事にいたしました。


 そんなある日、皇太子殿下が帝都郊外に出た大熊退治に妃殿下を伴いたいと仰いました。とんでもない話に目を剥く私達侍女を尻目に妃殿下は大喜びです。私はお停めしようとしましたが、皇太子殿下が「皇帝陛下の許可も皇妃陛下の許可も出ている」と仰られたので諦めました。前のお屋敷からハマルによって届けられた狩人の用具を抱えて見た事も無いような嬉しそうな表情で喜ぶ妃殿下を見れば、これは確かにもう止められません。


 ただ、妃殿下が持っていらっしゃった狩人装束だけはダメでしょう。こんなはしたない格好で人前に出られては妃殿下の格を損ないます。私は考え、妃殿下に出陣の儀で纏う鎧の下に着る服を着せる事を思いつきました。あれなら動き易いですし、出陣の衣装なら妃殿下が着てもおかしくありません。そうです、妃殿下が帝都を守るために出陣なさるのだと考えれば、妃殿下が熊退治に出てもおかしくはありません。皇族は帝国の危機には戦うべしは初代皇帝以来の国是です。


 ただ、持って来られた衣装を見ると、下がタイトなズボンです。これはいけません。鎧を上から着るには良いのですが、この状態では男装になってしまいます。私達は検討した結果、この上にスカートを履いて頂く事にしました。動き易くそれでいて品の良いスカートを探すために私達は徹夜いたしましたよ。


 そしてその上から青いマントと白い鍔広帽子をかぶって妃殿下は意気揚々と出掛けて行かれ、見事熊を打ち倒したそうです。私達はホッと一息です。ところがこの熊退治以降、妃殿下は押さえていた運動欲が我慢出来なくなってしまいます。


 馬に乗りたいと仰せになって帝宮の馬場にご自分の馬を連れて来させ、乗り回し始めました。それだけなら貴族婦人にも乗馬が趣味の方は多いので構わなかったのですが、直ぐに馬場では物足りないと外に出るようになってしまいました。馬には私達は追い付けません。妃殿下は一人で大丈夫だと言い残して駆け去って行かれました。きちんと社交の時間には離宮にお戻りになるのは感心ですが、帝宮内部とは言え、護衛も無しに出歩かれては困ります。エステシアと私とでかなり強くお諫めした結果、お忍びでお出かけの時には騎士が交代で付けられるようになりました。これは皇太子殿下にも相談した結果そうなったのですが、いや、そうじゃないでしょう、と言いそうになりましたよ。お忍び自体が問題なので護衛のある無しは副次的な問題に過ぎません。


 兎に角セルミアーネ様は「ラルフシーヌに我慢をさせ過ぎないように」と仰って、妃殿下が強く希望した事は何でも叶えてしまいます。何でもセルミアーネ様がラルフシーヌ様に惚れ込まれてのご結婚だそうで、惚れた弱みがあるようなのです。おまけに、結婚時は皇子であると打ち明けていなかった事の弱みもあるそうです。妃殿下はそれを良く知っておられて、それ程乱用はしませんでしたが、どうしても希望を通したい事があると皇太子殿下に強くお願いをしていましたね。


 ある日、妃殿下は「騎士団の訓練に参加したい」と仰いました。戦いたいのだと訴えます。私はもうこの頃には妃殿下が普通の貴族婦人とは全然違う方だと分かっていましたから大して驚きませんでしたが、流石にこれは騎士団長の許可が出なかったようです。妃殿下は怒り、皇太子殿下にお願いをしていました。妃殿下のお願いは殿下にとって絶対です。殿下は困り果てていました。殿下と騎士団長の関係は良く、それは皇太子殿下が無事に皇帝陛下になられるためには大事な事です。


 妃殿下のお願いを通せば騎士団長との関係が壊れかねません。ですが妃殿下は諭して聞くような方ではございません。私は考えた末に言いました。


「騎士は年一回、皇帝陛下の御前で試合を行って戦う技術を披露します。その時に、腕自慢の貴族がお忍びで参加する事はよくあるそうです。その時に妃殿下も正体を隠して参加なさいませ」


 私の提案にエステシアは驚き、妃殿下は目を丸くしていました。


「これ以上妃殿下が悩まれて、とんでもないやり方で目的を達成するよりは、まだしも貴族が正体を隠して飛び入り参加してもおかしく無く、ルールある試合なので危険も少ない御前試合に出て頂いた方がマシでは無いですか。ダメだと言って我慢出来るお方では無いのですから」


 私がそう言うとエステシアは納得顔になり、妃殿下は「良く分かっているわね」と嬉しそうに笑いました。喜ぶところではありませんよ。


 結局妃殿下はこれの提案に乗り、鎧を準備させて大喜びで準備を始めました。鎧は古い物しか見つかりませんでしたので、侍女一同で丁寧に磨いて内貼りを貼り換えましたよ。


 私は皇太子殿下に言いました。


「殿下。妃殿下に少しお灸を据えなければ駄目です。このままでは際限が無くなりますよ。夫の威厳をたまには見せつけて差し上げて下さい」


 皇太子殿下は少し考えこまれた後、頷かれました。


 意気揚々と御前試合に出掛けて行った妃殿下でしたが、昼過ぎに複雑な表情で帰って来られました。どうやら途中で負けてしまわれたようです。しかも相手が皇太子殿下だったそうで、しきりに悔しがりながら、夫の強さを称賛し、喜ぶという複雑な感想を抱かれた様子でいらっしゃいました。これで少しは皇太子殿下に無茶を言わないようになれば良いのですが。


 と思ったのですが、妃殿下は離宮で皇太子殿下と訓練すれば良いのだと騒ぎ始めました。皇太子殿下も私達もこればかりは全力で却下いたしましたよ。


 因みに、御前試合に参加した事は後で皇妃陛下にバレてしまい、妃殿下はともかく、私も呼び出されて𠮟られました。「止められないと思ったのなら、なぜ私に言ってこないのですか!」という訳です。そうですね。確かにそれが一番なのになぜか思い付きませんでした。どうやら私も自由奔放な妃殿下の影響をずいぶん受けてしまっているようです。


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る