二十五話 騎士と戦う皇太子妃

 私がちょっと活発な皇太子妃である事は帝宮中の侍女や侍従には段々知れ渡り始めていた。


 私は社交に慣れて余裕が出てくると、空き時間に離宮にじっとしている事に耐えられなくなり、侍女を引き連れて庭園や帝宮を散歩するようになった。特に帝宮の庭園を見ると庭師の娘の血が騒いだ。なにしろ立派な庭園だからね。私は手始めに離宮の庭の手入れをする事にし、離宮の庭師と話をして木の配置や花の種類を私の好みに変えていった。庭師は私の知識に驚いていたけれど、無理の無い私の計画に賛成してくれて、離宮の庭を私の好みに変えていってくれた。本当は私も手を汚して自分で植え替え作業や剪定作業をしたかったのだけど、どうしても許されなかった。ちぇ。


 そうやって改造した庭を皇妃陛下がお茶会にいらした時に披露すると、陛下は驚くと同時に感心なさって、数か月後に行われる皇妃陛下主催の園遊会で使う会場の庭園を私好みに計画してくれと仰った。私は喜んで承り、帝宮大庭園の一角に乗り込んで、庭師たちと楽しく庭園の改造を行った。自分で手を出せなくても庭師と専門的な話をして自分の知らない花を教えてもらって、自分の考えた通り以上に庭園が出来上がって行くのは楽しい事だった。


 そうやって出来上がって庭園で行われた園遊会で、皇妃陛下はこの庭が私の趣向で計画されている事を吹聴なさった。庭園は評判が良く、私はずいぶんと貴族婦人に褒められた。これに味を占めた私は園遊会がある度に庭園の改造に取り組み、庭師集団とはすっかり仲良くなった事もあり、帝宮中にある庭園を片っ端から改造して全部私好みにしてしまった。皇帝陛下も皇妃陛下も私の好みは性に合ったらしく喜んで任せて下さった。


 そうやって外に出歩くようになると、色々物足りなくなってくる。私は帝宮に馬場がある事を発見し、そこに元の家に預けっぱなしだった自分の馬を連れて来てもらって、乗馬を楽しむようになった。ただ、直ぐに狭い馬場で乗るのはつまらなくなり、侍女が止めるのも聞かず「視察」と称して広い帝宮中を馬で歩き回るようになった。朝の脱走で帝宮の地図は頭に入っている。馬があれば時間が無くて断念していたところまで行くことが出来る。調子に乗って侍女を置き去りに遊び歩いていたら流石にエステシアとエーレウラにしこたま怒られた。護衛も無く出歩くとは皇太子妃の自覚が無さ過ぎるとの事。それからは出歩く時には護衛の騎士が必ず一人は付けられる事になった。


 ただこれは、護衛がいればどこへ行っても良いというお墨付きみたいなものでもあるので、私は護衛を引っ張り回して色々な所へ行った。流石に帝宮を出る事は許されなかったが、内城壁を出て外城壁の官公庁街を堂々と歩けるようになった。こういう時の服は熊退治で着た服で、マントと帽子は被っているがドレスよりも遥かに動き易い服である。まさか皇太子妃がそんな格好で歩いているとは誰も思わないので、私は緊張する護衛の騎士を尻目に街の喧騒を楽しむことが出来た。


 そうやって動き回るとやはり私の性分としてはもう少し暴れたくなってくる。暴れるくらいの狩りは無理なので、後は対人で喧嘩や格闘がしたい。しかしながら護衛付きでは流石に喧嘩は出来ない。うーん。考え込んだ私はセルミアーネに「騎士の訓練に私も参加したい」と言ってみた。


 セルミアーネは流石に渋った。皇太子妃が騎士の訓練に参加した事など今まである訳も無いので、許可の取りようが無いのだという。それでも私が頼むとセルミアーネは各方面に話を持って行ってくれた。皇帝陛下は面白がって許可を出してくれたそうだが、皇妃陛下はあまり良い顔をしなかったそうだ。そして騎士団長は反対したらしい。万が一大怪我でもさせたら騎士に責任が負わせられてしまうというのだ。私はそんな事はさせないからと騎士団長に談判したのだが、騎士団長は譲らなかった。この騎士団長には結婚の時にセルミアーネが世話になった事もあり、セルミアーネもあまり強くは言えない。結局、セルミアーネは私に諦めてくれ、と言ってきた。


 むーん。私は不満だった。私に言わせれば私が間違って大けがをさせてしまう可能性はあっても私が怪我させられる事は万が一にも無いと思うのだ。私はそう言ったのだがセルミアーネ曰くもしも逆に騎士を大怪我させてもそれはそれで大問題なので、結局はダメだ、という話だった。がっかりだ。


 そこで私は考えた。私だとバレなければ良いのではないかと。変装して行けば分からないんじゃ無いかしら?私がそう漏らすとエステシアが呆れて言った。


「殿下はどう見ても女性にしか見えませんし、女性の騎士はいません」


 そうなのだ。騎士は男性と決まっている。いくら男装したって私の手足の細さとか身体の曲線は女性にしか見えない。薄暗い中酔っ払った兵士相手にならバレなかったが、明るい所でしっかり見られたら一目で分かるだろう。それに当たり前だが騎士たちは全員私の顔を知っている。私の護衛をした騎士も多いし、私が訓練の見学に良く現れるからだ。ちょっとごまかし切れないだろう。


 うーん。そうね。全身を鎧で完璧に隠して兜を被れば誤魔化せると思う。のだが、騎士の訓練は鎧を着てやらないことが多いし、鎧を着る時は格闘よりも集団戦の訓練をする事が多くて、一糸乱れぬ行動をするために上官からの命令に即座に反応する練習みたいな、あんまり私が参加したいような訓練では無い事が多いのだ。それにそういう時は陣形を組むからよそ者が入ったら一発でばれてしまうだろう。


 私が真剣に考え込んでいると、離宮侍女長のエーレウラが珍しく軽い溜息を吐くと言った。


「一つだけ方法がありますよ。妃殿下」


 え?私が驚いて見ると、エーレウラはいつもの謹厳な表情で淡々と言った。


「騎士は年一回、皇帝陛下の御前で試合を行って戦う技術を披露します。その時に、腕自慢の貴族がお忍びで参加する事はよくあるそうです。その時に妃殿下も正体を隠して参加なさいませ」


 それを聞いてエステシアが慌てて叫んだ。


「エーレウラ!何を言い出すのですか!」


 私もエーレウラが私を焚き付けるような事を言い出すとは思わなくてびっくりした。エーレウラはエステシアに向けて淡々と言う。


「これ以上妃殿下が悩まれて、とんでもないやり方で目的を達成するよりは、まだしも貴族が正体を隠して飛び入り参加してもおかしく無く、ルールある試合なので危険も少ない御前試合に出て頂いた方がマシでは無いですか。ダメだと言って我慢出来るお方では無いのですから」


 すっかり私の性格を掴んでいるわねエーレウラ。エステシアも私の事を見つめて諦めたように首を振った。


「確かに、夜中に抜け出して暴れられるよりは良いのかもしれませんね」


 ドキ!朝の脱走はバレてないよね?へまはしていないと思うけど・・・。


 御前試合の事をセルミアーネに相談すると、セルミアーネが頭を抱えてしまった。


「どういうつもりでラルにその話を吹き込んだんだ」


「暴走するよりは良いと思ったらしいわよ」


「それは確かにその通りだな」


 セルミアーネも一瞬で納得した。セルミアーネ曰く、確かに御前試合では騎士では無い貴族がお忍びで参加する事も良くあり、お転婆な貴族婦人が鎧を着て参加した事も過去に何度かあったらしい。そのため、私が「あくまでも正体を隠してお忍びで」参加する分には問題にはならないだろう、との事だった。


 よーし!私は喜んでこの御前試合とやらに参加する事にした。御前試合は一カ月後に城の練兵所で行われるとの事だった。私はとりあえず鎧兜を調達してくれるよう侍女に頼んだ。


 実は、皇太子妃になった時に鎧兜は作らされた。銀色に輝く装飾過剰な美麗な鎧である。これは戦役が起こった場合に出陣の儀式や式典で纏うための鎧で実用性は低い。この下に着る服が熊退治の時に着た服である。しかしながらこの鎧を着て出たら一発で皇太子妃だとばれてしまう。


 新たに鎧を作るには時間が足りないので、帝宮の武器庫などから小柄な騎士用の鎧を持って来てもらって調節した。私は女性としては小さく無いが、大柄な者が多い騎士に混じればやはり小柄な部類になってしまう。だが、何とか鎧兜は確保できた。侍女達は中古の鎧を私に着せたくないと言ったのだが仕方が無い。侍女達は内貼りを貼り換え、表面をつやつやに磨いてくれた。


 御前試合のルールで使える武器は一つだけ。刃は潰したものに限られる。それでも当たれば痛いし怪我をする事も多いようだ。勝ち負けは良い一撃が決まるか相手が降参すれば勝ち。私は狩りでも多用する短槍を使う事にした。


 私は実は全身鎧を着て戦った事が無い。本当は鎧無しで戦った方が自信があるのだが(ルールでは別に鎧は着なくても良いらしい)正体を隠す関係上、どうしても鎧は必須だ。私は当日まで空き時間に鎧を纏い、身のこなしの練習と確認をした。むぅ。流石に重いが、しばらく練習している内に慣れた。鎧無しと同じとはいかないが、かなり素早く動けるようになった。これなら戦える。


 試合の日まで私は非常にご機嫌で、お忍びでのお出掛けも減らして鍛錬に取り組んだため侍女達がホッとした顔をしていた。やはり侍女を置いてお忍びで出掛けてしまうのは侍女の精神衛生上良くない事らしい。それを許してくれるエーレウラとエステシアの寛大さには感謝しなければいけない。彼女たち曰く「妃殿下を我慢させ過ぎないようにと皇太子殿下から指示が出ている」との事だった。爆発すると困るからと。流石はセルミアーネである。


 試合の日、私は全身鎧に身を包んで兜で完全に顔を隠して練兵所に向かった。練兵所には出場する騎士たちが大勢集まっていた。帝国の騎士団は大体二千人くらいいるらしいが、年齢が高くなり騎士身分は持っているが戦いには余程の事が無ければ参加しない者もいるので、第一線で戦っている騎士は五百人ほど。更に出場する騎士は腕自慢の百人ほどらしい。見ると騎士の正式鎧とは異なる華麗な鎧の者もいて、あれがお忍びで出てきているという貴族だろう。


 出場を受け付けている所で名前を書かされたので「チェリム・キックス」と記す。思い切り女性の名前だが問題無く受け付けてくれた。


 練兵所には観覧席が設けられ、皇帝陛下を筆頭に高位貴族が相当数来ていた。意外なのは女性の姿も多い事で、皇妃陛下こそいなかったが、高位貴族婦人が夫に伴われ、ワクワクした表情でこちらを見つめている。なんだかんだ言って戦いが好きな女性も多いという事だ。


 くじ引きで左右に、更にくじ引きで順番が決められる。そして左右に分かれた者同士で対戦するのだ。早速試合が始まったが、腕自慢の騎士だけにやはりかなり強く、迫力のある戦いが繰り広げられた。基本的には正面からの戦いだが、回り込んだり目つぶしをしたり足払いを掛けたりするのも認められているらしく、剣を捨てて組み合いで勝負が付いた試合もあった。結構何でも有りのようだ。


 因みに、お忍び参加の貴族は騎士に遊ばれた挙句に降参していたが、楽しそうに大笑いしていた。なるほど。日々の貴族生活にストレスを溜めてたまには大暴れしたいと思っているのは私だけでは無いのだろう。年に一度ここでストレスを発散しているのに違いない。


 さて、私の出番が来た。私が出て行くとシルエットの小ささからか観衆からどよめきが起きた。相手は大柄な騎士。少し困ったような様子に見えた。


 初めの合図と同時に私が突入して短鎗を繰り出すと、騎士は驚いて防御した。それでようやく戸惑いを捨てて本気になったらしい。自分の両手剣を握り直し、肩口から振り下ろしてきた。私は短槍で剣を逸らすと懐に飛び込み、相手の腕を掴んで脚を払った。


 相手はグルンと一回転して地面に叩きつけられる。そのまま相手の首に向けて短槍の穂先を突き付けると、相手は「参った」と降参した。うむ。小柄な私が勝った事で歓声が沸いて、私は手を上げてそれに応える。一回戦突破。良い気分だ。


 そんな感じでどんどん試合は進んだ。私はその後二回戦ったが楽勝だった。弱くは無いが熊よりは弱い。私はちょろっと不満が残った。もう少し骨のある相手と戦わないと欲求不満が解消されないなぁ。


 そして次の試合が最終試合らしかった。別に最後に勝ち残る一人を決める大会では無いので、最終試合に勝った者が皇帝陛下より褒賞を授かって終わりなのだとか。


 私が試合場に出て行くと、相手は片手剣と盾を装備したずいぶん大柄な騎士だった。少し細身ではあるが手足は長く、動きは機敏で隙が無い。全身鎧と兜で顔は分からないが、こんな強そうな騎士いたかな?という感じ。こいつは手強そうだ。私はワクワクしながら短槍を構えた。


 試合開始の合図と同時に私は相手に向かって突っ込んだ。相手がそれに備えて前に重心を移した瞬間、横にステップして相手の意表を突き、更に大きくジャンプして上から槍を叩きつけようとした。


 しかし相手は冷静だった。私の一撃を盾で防ぐ。私は撃ちつけた反動で後ろに飛んで、恐らく来るだろう片手剣の攻撃を躱そうとした。


 ところが相手は盾を思い切り押して来た。盾に衝突する形となった私は跳ね飛ばされる。バランスを崩した私に相手の片手剣が凄まじい勢いで叩きつけられてきた。速い!私は横に転がってその攻撃を避けるが、地面に撃ちつけられた剣は火花を散らしつつそのまま滑って私に襲い掛かって来る。くっ!私は片手を地面に突いて地面から跳ね上がりその攻撃を躱す。交わすだけではなくそのまま短槍で相手を突くが、難なく兜の傾斜を利用して逸らされ、態勢を崩したところを盾で撃ち付けられた。痛~!


 跳ね飛ばされて転がる私を相手は見逃してくれない。一気に接近してくる。私は跳ね起きて相手の攻撃に備える。騎士は盾を構えたまま急速に接近してきた。そしてそのまま猛牛のように突っ込んできた。てっきり剣を振りかぶるか突いて来ると思っていた私は反応が遅れた。


 騎士はそのまま盾で私を跳ね飛ばした。熊に跳ね飛ばされるとこんな感じかしら、という感じで私はふっ飛ばされ、背中から地面に落ちる。鎧を着ていなければこんな無様は無かっただろうが、重い鎧姿では流石にいつもの体さばきは出来なかった。辛うじて受け身を取り、慌てて立ち上がろうと思ったのだが、その時には騎士が私の上に伸し掛かって剣を首に当てていた。


「ま、参った・・・」


 完敗である。久しぶりに完璧に負けた。それこそ子供の頃に師匠である元兵士に負けて以来では無いか?悔しいと同時に感嘆の思いが強い。騎士は私の手を引いて起き上がらせてくれた。


「ありがとう。強いのね!」


 私が言うと、騎士は少し苦笑したような気配がした。


 全ての試合が終わると勝ち残った騎士たちが試合場に出て整列した。皇帝陛下がいらっしゃって前に立つと、全員が兜を脱いで跪いた。あ、勝ったら兜を脱がなきゃいけなかったんだ。当たり前だよね、不敬になるもの。じゃぁ勝たなくて良かったわ。負け惜しみじゃないよ!


 最前列で皇帝陛下と向かい合っている騎士が私に勝った騎士だった。どれどれ、どんな奴なんだろう。私はしげしげとその男を観察した。紅茶色の艶のある髪に切れ長の青い目。女性的でさえある美貌。


 ・・・セルミアーネじゃん。家の旦那ですよ。


 強いわけだよ。あの人熊を投げ飛ばしたんだよ?考えてみれば納得だ。あんなに強い騎士がそうそういる訳が無い。この私に勝てるとしたらセルミアーネしかいないわね、と私は常々考えていたでは無いか。


 く、し、しまった。相手がセルミアーネだと分かっていれば迂闊な攻撃など仕掛けなかったのに!後悔しても後の祭りである。セルミアーネは私が相手なのは百も承知だったのだろう。道理で力押しな接近戦で来た訳だ。わざわざ皇太子仕様では無い普通の騎士の標準鎧を着ている所からして完全に確信犯だろう。


 皇帝陛下は一人一人にお褒めのお言葉を掛け、記念の品を手渡していた。そして最後にセルミアーネの所に行き、彼の肩をポンポンと叩いて言った。


「なかなかやるようになったでは無いかセルミアーネ。最後の試合など面白かったぞ。・・・どうだ。ここで一度私と手合わせして見ぬか?」


 観衆の貴族たちも騎士たちもびっくり仰天だ。皇帝陛下は確かに昔猛将として知られた一流の騎士だったが、もう齢五十を超える方である。侍従も閣僚も戸惑って止めようとしているが、セルミアーネは皇帝陛下の事をじっと見つめ、頷いた。


「光栄でございます。是非お願い致します」


 即座に皇帝陛下の鎧が準備されたところを見ると、最初からそのつもりだったとしか思われない。皇妃陛下が来ていないのも止められないための策略なのではないかと疑ってしまう。私は大興奮だ。何しろ旦那と義理の父の試合である。元々皇帝陛下に最初にあった時から陛下は物凄く強いだろうと予測していたし。こいつは楽しみだ。


 だが、周囲の騎士たちは青い顔をしている。何だろうと思って聞いてみると変な答えが返ってきた。


「皇太子殿下は『いつか皇帝陛下に勝つのが目標だ。勝てるようになるまでは皇帝にはなれない』といつも仰っているんです。もしも負けたら皇太子殿下はどうなさるのか・・・」


 あ、大昔に私が言った言葉が思い出される。私は「あなたなら皇帝陛下よりも強い一番の騎士になれるから頑張りなさい」と焚きつけたんでは無かったか。あの言葉を未だにセルミアーネが気にしているなんて事は・・・。あり得る。セルミアーネは律儀だから。


 そう、そうやって皇帝陛下より強くなるべく鍛えてきたセルミアーネが皇帝陛下に負けたら「自分は皇帝にはなれない」と言い出すかもしれない。そんな事になったら大変だ。私は途端に真剣に夫の勝利を祈り始めた。


 皇帝陛下とセルミアーネは装備を確認すると向かい合った。お互い武器は片手剣。もう片方の手には盾である。皇帝陛下の鎧は専用の鎧なのでやや華美なものだからどちらがどちらかは直ぐに分かる。皇帝陛下はすっと腰を落とすと重量感のある声で言った。


「こい!」


 その言葉に応えてセルミアーネが地面を蹴った。私にやったように盾をかざして突進だ。跳ね飛ばして相手の態勢を崩してから攻撃に移るつもりだろう。ところが皇帝陛下は引かなかった。ガツン!と凄い音がして盾同士がぶつかるが、皇帝陛下は微動だにしない。それどころか自分から押し込んでセルミアーネの動きを崩そうとする。しかしセルミアーネも足を踏ん張ってそれをさせない。と、セルミアーネは力を入れつつ横に回り込もうという動きを見せた。皇帝陛下も押し込む力を抜かないままギリギリと盾同士を合わせたままそれに対応する。


 今度は皇帝陛下がすばやく足をさばいてセルミアーネの力を受け流し、そのまま片手剣を突く。しかしセルミアーネは盾でそれを弾くと、そのまま盾を持ったままの手で皇帝陛下を殴りつけた。


 皇帝陛下がそれを身体を捻って躱すとセルミアーネはそのまま腕を伸ばし、皇帝陛下の首を抱え込んで皇帝陛下を投げ飛ばしに掛かる。ところが熊を投げ飛ばしたセルミアーネの投げ技を何と皇帝陛下は受け止めた。二人は組み合ったまま、しばし均衡し、タイミングを合わせて素早く離れた。


 おおおお、っと観衆から溜息のようなどよめきが起こる。私もちょっと息が止まってしまった。凄い。セルミアーネもだけど皇帝陛下もやっぱりすごいわ。


 二人はにらみ合ったまま円を描くように距離を測っていたが、やがてセルミアーネが決心したように片手剣を握り直す。そしてもう一度盾を翳して一気に突入した。


 再び盾同士がぶつかって衝撃音と火花が散るが、それは一瞬。セルミアーネは踏ん張る皇帝陛下の脚に自分の脚を飛ばした。意外な動きに皇帝陛下の姿勢が崩れる。その一瞬の隙を突いてセルミアーネの片手剣が突き出され、皇帝陛下の腹を襲う。ガツンと音がして一撃が決まった。「ぐっ!」と皇帝陛下が痛そうに呻いて膝を付いてしまった。明らかにセルミアーネの勝利だ。


「だ、大丈夫ですか!陛下!」


 セルミアーネは大慌てだ。直ぐに侍従と医者が呼ばれ、皇帝陛下の鎧が外され、診察された。まぁ、片手剣の突きで、先端は丸めてあるし、鎧の上からの打撃だから心配は無いだろうけど。


「申しわけございません。陛下」


「試合だからな、仕方が無い。だがもうちょっと年寄りを労わって手加減しろ」


 皇帝陛下は直ぐに回復なさって、苦笑しながらセルミアーネに言った。


「そんな余裕は有りませんよ。必死でした」


「ふん。この年寄りに苦戦するようではまだまだだな。セルミアーネ」


 そう言いながら皇帝陛下は満面の笑みだった。セルミアーネの強さが本当に嬉しいのだろう。セルミアーネも汗の浮いた顔に笑みを浮かべ、皇帝陛下の前に跪いて頭を垂れた。


「引き続き精進いたします」


 観衆から歓声が沸き上がった。勿論私も鎧のままの手を叩いて夫を讃えたわよ。鎧兜姿で無ければ駆け寄ってキスをしてあげる場面だよね。



 離宮に戻り、ドレス姿になって、セルミアーネの帰りを待つ。セルミアーネは夕方に帰って来た。凄く嬉しそうに笑っている。やはり皇帝陛下に勝つという念願が叶った事が嬉しいのだろう。


「お帰り。セルミアーネ。やったわね!」


 取り合えず私は旦那を讃え、あの場では出来なかった勝利の祝福のキスをしてあげた。


「まぁ、ね。もしも負けたら陛下に怒られると思って必死だったよ」


 勝てる自信はあったという事ね。それは兎も角、私は今度は少し怒りながらセルミアーネに言った。


「ところで、最後の試合、私の対戦相手になったのは偶然じゃないわよね?」


「当たり前だろう?君を表彰させるわけにはいかないし、君に勝てそうな騎士が他に見当たらなかったから仕方なくだよ」


 むぅ。それは確かに仕方が無い。私はもう一つ、引っ掛かっていた事を聞いてみた。


「・・・皇帝陛下相手にしてた時より、私相手には手を抜いたんじゃないでしょうね」


 セルミアーネは驚いたような顔をした。


「そんな余裕がどこにあるの?君相手に手なんか抜いたらやられてしまうよ。ただ、君にケガをさせたくないから、戦い方には気を使ったけどね」


 ・・・気を使う余裕はあったという事ではないか。やはり私の方が皇帝陛下よりは弱い様だ。・・・悔しい。私がむむむ、と唸っていると、セルミアーネが仕方無さそうに言った。


「年に一度のあの御前試合になら出ても良いから、それ以外の訓練への参加は我慢してくれるね?」


 むぅ。私は訓練出来ず、セルミアーネは日常的に訓練しているのだ。差が開く一方になってしまうでは無いか。ちょっとそれは悔しい。何とか方法は無いものか・・・。


 あ、私は閃いてセルミアーネに勢い込んで言った。


「そうよ!この離宮でミアと訓練すれば良いんじゃない!」


「は?」


「あなたと戦うのが一番の訓練になるもの!それにあなたの訓練にもなるわ!名案よね!毎日あなたと手合わせ出来ればお互いもっと強くなるわよ!」


 ・・・私の名案は残念ながらセルミアーネ、侍女達総出で却下された。無理も無いことではあるが残念だ。


 因みに、私がこっそり出場した事と、皇帝陛下が最後にセルミアーネと試合をした事は皇妃陛下にバレて、私は注意で済んだが、皇帝陛下は「地位も歳も弁えずに現役騎士と戦うなんて皇帝である自覚が足りな過ぎます!」と、かなり強く怒られたようである。

 


 

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